第十二話 接敵


「ええ、そっちも無事みたいで安心したわ。真夜達がいるから大丈夫でしょうし、送ってもらったら良いわ。うん、こっちは大丈夫。また明日学校でね」


 朱音はスマホ越しだが友人達と会話でき、無事であったことに安堵していた。


 善達を拘束し、警察の到着を待っていた矢先、ルフが突然、真夜達の友人の危機を告げてきた。


 まさかの事態に三人は動揺するが、いち早く冷静になった真夜が先にルフを伴い、救援に向かうことになった。


 朱音や渚も一緒に行きたかったが、ルフの負担やこの場の処理も含めて離れるわけにはいかないため、朱音と渚が残り対処を行っている。


 警察や救急車も到着し、善と付喪神の取り憑いた筆に操られていた男性も搬送されることになった。男性は真夜が回復したとは言え多少衰弱しているので先に搬送され、善ももうすぐ搬送される。


「渚、真夜はみんなを送り届けたら、こっちに戻ってくるって」

「わかりました。間に合って本当に良かったですね」

「まったくよ。玲奈や可子に何かあったら、犯人は絶対に許さないし、全力で燃やしてやるわ」


 警察へ事情を説明していた渚だったが、一段落ついたため、こちらに戻ってきていた。警察やSCDは現場検証を行っており、渚は一時的に手が空いた。


 渚も朱音以外に出来た数少ない友人達が無事であったことに、胸をなで下ろしていた。


 朱音は朱音で物騒な事を言っているが、それだけ友人達が大切だと言うことだ。


「ほどほどにお願いしますね。ですが、向こうでも犯人は拘束されたとのことですし、これで捜査も進展しますね」

「そうね。もし犯人がまだいるなら、さっさと捕まえないとね。クリスマスの日にまで、こんな事件に関わってる暇はないわ」

「まったくです。クリスマスまで残り三日。それまでに何とかしましょう」


 二人とも玲奈や可子に色々と指摘され、このままではマズイと本気で思っており、クリスマスを逃せば次の大きなイベントがバレンタインまで無い。正月など実家に戻らなければならないので、真夜とそう言う雰囲気になることなどない。


 だからこそクリスマスを逃すわけにはいかないのだ。


 と、その時だった。善が乗った救急車から突然、妖気が溢れ出した。


 何事だと、朱音と渚が救急車の方を見ると、救急車の後部が吹き飛び、中から血走った目をした善が飛び出してきた。


「あんた、何やってるの!?」


 叫ぶ朱音だが、善はどう見ても普通では無い。顔には刺青のような痣が浮き上がり、額から短い角のような物が伸びている。


 善はキョロキョロと周囲を見渡すと、何かを見つけたのか視線を向けた方へと走り出した。


「取り押さえます!」


 渚が式神のツバメを召喚し、善の行動を静止しようとする。渚自身、真夜の霊符で強化されているので、式神の能力も向上している。渚の地力も上がったことで、上級クラス程度ならば倒せるほどの力を有していた。


 しかし善はそんな式神を一蹴した。


「なっ!?」


 これには渚も驚きの声を上げる。


「このぉっ!」


 式神に遅れたが、善の足を止めてくれたおかげで時間を稼げた。霊器を構えた朱音が善の前に回り込み、善とにらみ合う。


 善も朱音が手強いと見たのか、動きを止め何とか出来ないかと隙をうかがっている。


「朱音さん! 慎重に対処します! 妖魔に取り憑かれているようです!」

「わかってるわ! でもさっきまでそんな気配が全然無かったのに!」


 渚も善の後ろから霊器を顕現させて、挟み撃ちにする。霊符の強化もある二人ならば、よほどの相手でもない限り遅れを取ることはない。


「がっ、がぁぁぁぁっ!」


 突如として、善がもがき苦しみ始めた。喉をかきむしり、げぇげぇと何かを吐き出そうとしている。


 ゴプッと善の口から何かが吐き出された。それは赤黒いドロドロの塊だった。


 朱音はマズイと思ったが、手を出せなかった。あまりにも強力な妖気を放っていたこともあるが、善が近すぎて強力な一撃が放てなかった。


 もしあれを消滅させる一撃を放とうと思えば、善も殺してしまう。


 状況がわからない中、そこまで非情な決断を取ることが朱音には出来なかったのだ。


 渚は善の背後と言うこともあり、死角になってはっきりと見えていなかったため、こちらも判断が一歩遅れた。


 それはこの場において、致命的な隙となった。


 ドロドロの塊が周囲に広がり、何かを描いていく。それは付喪神の筆が描いていた魔法陣だった。


 魔法陣が描かれると、カッと光り輝くと何かが陣の中から姿を現せる。


 それは巨大な蟹の化け物だった。身長は百八十を超え、頭は牛に似ていたが目が飛び出しており、二本の角が生え、手足が十本も生えている。さらに巨大な蟹のハサミも有している。


 岩嶽丸。蟹が千年を生きて鬼に変じた化け物である。


 その身から放たれる気配は特級。禍々しい気配からそれも上位クラスの力があるだろう。


 周囲の警察官やSCD所属の退魔師達はその気配に恐怖し、中には泣き叫ぶ者までいた。


「渚!」

「はい!」


 渚は即座に自分達と周囲を隔離する結界を展開する。この妖魔を逃がすわけにはいかず、周りの人間に被害を出すわけにはいかない。


 渚の結界で周囲への影響が抑えられたのか、警察官などの悲鳴も聞こえなくなった。


「ナイス、渚! でもこいつって!」

「おそらく報告書にあった、行方がわからなくなっていた岩嶽丸です!」

「やっぱり! でも何がどうなってるのよ! こいつ、明らかに召喚されたわよね!?」


 朱音はいきなりの岩嶽丸の出現ではなく、その方法の方が気がかりだった。しかも善が吐き出した何かが魔法陣を描いてである。疑問に思わないはずはない。


「わかりません。ですが、どのみち放置はできません。ここで仕留めます!」

「上等! さっさと倒すわよ!」


 渚も気になるが、後回しにする。考えようによってはここで仕留めれば懸念事項が一つ減る。


 幸い、一対一ならば特級相手に分が悪いが、二人がかりでしかも真夜の霊符の強化がある状態だ。


 渚と朱音は以前にも二人で特級妖魔を仕留めている。相手が特級上位であろうとも負ける気はしない。


 それに最悪、時間を稼げば真夜達が戻って来る。


 二人は横並びに立ち、式神を召喚して臨戦態勢を取る。


「うっ、うぅっ……。俺は……。うわぁっ!?」


 と、そんなタイミングで善の意識が戻った。意識を取り戻した善の目に飛び込んできたのは、岩嶽丸の姿だった。妖気の圧もあり、彼は悲鳴を上げた。


 悲鳴に反応したのか、岩嶽丸は飛び出していた片目をギョロリと善の方へと向けると、無数にある腕の一本が善に向かい伸びた。


「がっ!」


 腕が善の頭を鷲づかみにすると、彼はそのままハサミに持ち替えられる。


 動けば殺す。岩嶽丸は二人にそう伝えているかのようだった。


「人質とか卑怯よ。てか簡単に人質になるんじゃないわよ」

「厄介ですね。流石に見捨てるのは後味が悪いですが、無抵抗で殺されるつもりもありません」

「同感。一般人ならともかく、退魔師なら覚悟の上でしょうからね」

「お、俺に構わずこいつを……ぐわぁっっっ!」


 朱音や渚の同情を引こうと、岩嶽丸がハサミに力を込めて善が苦痛の声を上げる。


 しかし朱音も渚も特に動揺することは無い。むしろしらけた目を妖魔に向けている。


 元々退魔師としてこう言った状況での対処も学んでおり、下手に感情を露わにして騒げば相手が余計に有利になると教わっているので冷静な対応を取っている。


 そもそも真夜の件があるので、善に対して二人はあまり良い感情を抱いておらず、見捨てても良いなら普通に見捨てようかとも考えていた。


「けどまあ、あたし達なら、問題ないわよね」

「ええ、その通りです」


 不敵に笑う二人は岩嶽丸に、それぞれ霊器の槍と刀を向けるのだった。



 ◆◆◆


 岩嶽丸の出現にパニックになりかけていた警察官達だったが、渚のおかげで何とか平静を取り戻すことが出来ていた。


 しかし状況は良いとは決して言えず、現場に来ていたSCDの沢木は事態を重く見て、即座に各所へと連絡を取るように指示を出すと、自身も明乃や上司へと連絡を取ろうとする。


(あれは間違いなく私達ではどうにも出来ない化け物だ。急いで応援を呼ばなければ)


 朱音や渚の実力を完全に把握していない沢木は、急がなければ彼女達が危険と思ったのだろう。


 彼には妖魔のランクを正確に把握することは難しかったが、どう考えても手に負えないどころか、六家の実力者達に来てもらわなければ対処できない化け物だと理解した。


 そもそも一般的な退魔師であれば上級すら複数人で対処せねばならず、特級と戦うなど自殺行為でしかなく、異世界から真夜が帰還した時点では、霊器を持つ朱音や流樹でさえ敗北するほどの化け物である。


 朱音や渚が危険だと沢木が判断するのは、あながち間違っていない。


「ぐふふふふ。やってるなりね」


 そんな沢木の耳に少年の声が聞こえた。驚き声のした方を振り向くと、そこには黒い学生服を着た少年――悪斗が立っていた。


「こっちの思惑が外れたのは痛いなりが、それでも十分なり」

「なっ!? 誰だ君は!?」


 沢木は自分の中の警戒度を最大限に上げ、威嚇の意味も込めて支給されている拳銃を抜く。


 目の前のがただならぬ存在だと、無意識に感じ取っていた。


 さらに恐ろしいことに、すでに結界が展開しており、沢木を含む複数の警察官が閉じ込められていた。


「だめなりよ。そんなもんはボクチンには効かないなり。それに鬱陶しいなり」


 悪斗がそう呟くと彼から恐ろしい邪気が溢れ出す。それは岩嶽丸には劣るが、耐性の無い警察官の多くが恐怖で失神してしまった。


 沢木も胸を押さえ、息苦しさと同時に軽度の呼吸困難に陥ってしまった。


「あの筆は返してもらうなり。まだまだ使い道があるから。はぁ、けどここに来て、躓いたなり。あいつも帰ってこないどころか、連絡もつかないって事は負けたってことなりね。まあそうなった時用に仕込みはしてるなりが。使えない道具はいらないなり」


 パチンと悪斗が指を鳴らす。それは起爆の合図。あらかじめ仕込んでおいた術式。敗北した場合や捕らえられた場合に、任意で発動する。


「これでよし。周囲を巻き込んで派手に吹き飛んでるはずなり」


 上機嫌で笑う悪斗は沢木や気を失った警察官達を尻目に悠々と筆を回収する。


 そしてそのまま渚の展開していた結界を力尽くで破壊しようとする。


「むむむ。このボクチンに破壊できないなんて、小生意気な。ボクチン、かなり頭にきたなりよ」


 悪斗はその本性をむき出しにする。顔や手、肌が変化していく。額から角が生え口からも牙が伸びる。身体の筋肉が隆起し、制服がはち切れんばかりに膨らむ。


 その姿はまるで鬼だった。


「ボクチンをこの姿にさせたことを後悔させてやるなり」


 妖気がさらに膨れ上がり、岩嶽丸と遜色ないほどの妖気を放つ。


 特級上位クラスとなった悪斗はかなりの力を込め、右手を結界に押しつける。


 いかに強化された渚の結界とは言え、特級が破壊することに集中すれば突破されるのは無理なからぬ事だった。


「ぐふふふふ。中々にいい退魔師がいるなり」


 結界の中でにらみ合いを続けていた朱音と渚は、新たに現れた悪斗に驚きの表情を浮かべる。


「ちょっと! 立て続けに一体なんだってのよ!?」

「鬼、ですね。しかもまた特級クラス。どうにも真夜君ではありませんが、厄介ごとが続きますね」

「笑えないわよ、それ。けど特級が二体ね。渚と初めて会った時の事件を思い出すわ」


 朱音は六道幻那の事件の時の弥勒狂司や銀牙の事を思い出す。あの時はそれ以外にも大量の妖魔や八城理人、六道幻那など恐ろしい敵が多数いた。


「でもまあ何とかなるでしょ。もっとヤバい奴は今のところいないし」

「何とかなるではなく、何とかするですね。そろそろ私も特級を一人で相手したいと思っていましたから」

「へぇ、渚もいつになくやる気ね。まあそうよね。ここで特級を一人で仕留めるのも、良い経験になるわ」


 かつてならば絶望とまではいかずとも、このように楽観的に考えることなど出来なかった二人も、すでに退魔師としては一流と言って良いほどに、精神的な強さも手に入れていた。


 だがそんな二人の態度が気に食わなかったのか、悪斗は苛ついたような表情を浮かべる。


「お前らこのボクチンを前にそんな態度とは気に食わないなり。すぐにお前達もこのボクチンに、その顔を恐怖と絶望に染め上げられるなりよ」

「あっ、そっ。やってみれば? てか前にもあんたみたいなゲス妖魔に会ったことがあるけど、鬼って名前のつく奴はどいつもこいつも最低なやつしかいないの?」

「鬼は基本的に残虐と言われていますからね。人に仇なす鬼はそう言った性質かもしれませんね」


 嫌悪感を露わにする二人だが、決して油断はしない。強化された今の二人でも特級が相手で余裕など無いのだ。


「ぐふふふ。すぐにそんな口を利けなくしてやるなりよ。お前達も中々優秀そうだから、ボクチンの手駒にしてやるなり。そこの奴は全然使えなかったから期待外れも甚だしいなり。なあ、善」

「……お前、まさか悪斗なのか? お前、どうして!? それよりもお前、鬼だったのか!?」

「そうなりよ。まさかこうまで役に立たないとは思わなかった。でも最後くらいは役に立ってくれなり」

「へぇ。渚、どうやら黒幕っぽい奴がお出ましよ」

「はい。これなら事件解決が早くなりそうですね」


 驚く善とは違い、朱音と渚は黒幕のような相手が現れたことに喜んでいた。


 ただ渚は悪斗と呼ばれた鬼がどこか黒幕にしては、小物のように感じてしまった。


(しかし間違いなくこの事件に関係していますね。出来れば拘束したいですが……)


 捕縛したいが特級相手に渚と朱音にはその余裕は無いだろう。ともすれば真夜達の到着まで時間稼ぎに徹するべきだろう。


「ぐふふふ。お前達、応援が来るって考えてるなりか? 残念なり。お前達の仲間は来ないなり」

「何ですって?」

「お前達の仲間は今頃、ボクチンが放った刺客の自爆に巻き込まれてお陀仏なり!」


 悪斗は二人に向かい高らかに宣言したのだった。


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