第十話 窮地


 背後から近づく存在にいち早く気がついたのは、四人の中で景吾だった。彼は後ろを振り返ると、表情を強張らせた。


「服部君?」

「どうしたよ、景吾?」

「何かあったのですか?」

「三人とも、急いでこの場から離れるでござるよ」


 他の三人は何事かと思ったが、いつにない景吾の緊張した様子にただ事ではないと気がついたようだ。景吾は急ぎ、三人にこの場から離れるように言うが、残念ながら遅かった。


 彼らのいる一角を、見えない壁が包み込むように展開される。一般人では完全に感じ取ることが出来ないが、何かしらの違和感を覚えるものだった。


 その正体は結界。四人はその中に囚われてしまった。


「マズイでござる……」


 そのことに気がついたのは、この場では景吾のみだった。


「えっと、服部君。何が……っ!」


 玲奈は気がついた。自分達の後ろから近づいてくる存在に。


 近づいてきたのは、身長二メートルに近い相撲取りのような顔に歌舞伎役者のようなメイクをした巨漢の男だ。服装も黒い着流しだ。


 玲奈は恐怖で震え景吾の後ろに隠れ、可子も無意識に卓の服を掴む。


「おいおい、何だってんだよ。ってか景吾。どう考えてもヤバい状況って事で合ってるか?」

「……合っているでござるよ。あの御仁、間違いなく一般人ではござらん」

「いや、外見からして一般人じゃないだろ! 相撲取りと歌舞伎役者が合体した巨漢とかどう見ても不審者にしか見えねえよ!」


 卓も軽口を叩いているが、僅かに身体が震えているが、それでも玲奈や可子がいる手前、それを何とか抑えて二人を守るように前に立ち彼女達を自分の後ろに隠す。


「ちなみに歌舞伎役者風の相撲取りの御仁、拙者らに何か用でござるか? 人違いなら早々に立ち去って欲しいのだが」

「今はこの街で物騒な事件も多いから、警察もあちこちにいるぜ! 街中でそのメイクは職質されるぞ! 悪い事は言わねえから、さっさと帰れよ!」


 しかし二人の言葉に男は無言である。巨漢であるがゆえに無言での威圧感が凄く、四人の間に言い知れぬ緊張感が高まる。


「拙者が何とか時間を稼ぐでござる。卓殿は二人を頼むでござる。できる限り逃げ回って欲しい」


 景吾は一人前に出て、時間を稼ぐと言う。


「服部君! ダメですわ! みんなで逃げましょう!」

「それは難しいでござる。おそらくさっきの違和感は結界と思われるゆえ、拙者達は閉じ込められたと言うべきでござる。ゆえに自分達で結界を破壊するか、外からの助けを待つかのどちらかしか無いのでござるよ」


 退魔師や霊力持ちで自由に使えるのならば結界の破壊も可能だが、この場の四人は誰も退魔師でないし、霊力を自在に操ることも出来ない。


 それでも逃げ回れば時間は稼げると、景吾は卓に二人を頼むと伝える。


「馬鹿野郎! お前一人を置いていけるか!」

「心配無用でござる。こう見えて護身術はそれなりに使えるので時間稼ぎくらいは出来るでござるよ」


 景吾はとある事情により、護身術を身につけていた。そんじょそこらの不良ならば束になっても勝てない程度には腕が立つ。


 しかしあくまで一般人の範疇であり、目の前の大男はそんな景吾でも勝ち目どころか、何をやっても通用するイメージが全くわかなかった。強がって見せているが、出来ることなら景吾も今すぐ逃げたい気分だった。


(それでも大切な人や友人達を見捨てて、逃げるような真似はしたくないでござる)


 自分一人だけならば、逃げ回ることも可能かも知れないが絶対にそれはしたくない。卓は喧嘩が強い方ではないし、玲奈や可子は論外だ。戦えるのは自分しかいない。


 景吾が護身術を身につけている理由に付随する事柄から、常に身につけている緊急用連絡用の端末を操作したが、この結界の精度によっては無効化されるか、届いたとしても救援が来るのにどれだけの時間がかかるか。


 いや、救援が来たとして、目の前の大男に勝てる人物が来てくれるかどうか。


(出来れば真夜殿達がこの異変に気づいてくれればいいのでござるが……。退魔師は霊感が働くと言われているので、天野殿や早乙女殿の危機ならば時間を稼げば気づいてくれる可能性はあるでござる)


 この場にいない友人達ならば、あるいはこの状況を打開できると考えた。今夜は街を調べると言っていた。ならば時間さえ稼げば、彼女達の危機に気づいてくれるかもしれない。


 悲壮な決意の下、景吾は大男と対峙するのだった。


 ◆◆◆


「ぐふふふふ。準備は順調なりね。善も上手く利用できそうだし、良い感じの奴らも手に入りそうなり」


 悪斗は自らが暗躍する準備を進めていた。


 彼が自らの目的のためにこの街を選んだのは、この街が関西において、六家や星守を含めて特定の一族が管轄していない緩衝地帯となっていたからだ。


 さらに霊的に安定しており、多くの退魔師が常駐する事もないことからも理想的と言えた。


 しかし調べば、厄介な退魔師が通う学園がある。邪魔されないためにも、そして目的を達成するためにも策を練り小細工を行った。


 別の事件を起こし、彼らをそこに誘導する。


 罪業衆から逃げ出す際に手に入れた道具も役に立った。今も付喪神の筆が魔法陣を描いているだろう。


 真夜が直接関わった事は嬉しい誤算だったが、遠からず善を誘導でもして接触させるつもりだった。


 そして事件に関わらせ、手薄になった所を友人を攫い、自らの手駒かあるいは人質として活用する。


 悪斗に取って、洗脳や誘導は簡単とは言わないがかなりうまくできるようになっていた。


 特級妖魔の岩嶽丸の事件も、封印を管轄していた一族に催眠や偽りの記憶を植え付け自分の存在を隠した。


 彼らも徹底的に痛めつけ、精神的に追い詰めたことで、あっさりと記憶操作ができた。


 術自体も偽りの記憶を植え付けるだけで、その人物を操ったり、人格その者を変えるものでもなかったので、SCDなども気づくことがなかった。善も特殊な飲料を継続的に飲ませ続ける事で、思考を誘導し、自分が使い易いようにしてきた。


 これも罪業衆の、特にこの手の分野に積極的に取り組んできた、九曜の一人であった九十九才蔵の作った術やマニュアルによる成果だ。


 このマニュアルには人質の有効活用も書かれていた。人質を使い、相手に言うことを聞かせる方法。


 悪斗はこのマニュアルほど簡単にはいかないであろうが、件の退魔師達を相手に上手く立ち回る気でいた。


「ぐふふふふ。友人を利用して弱みを握って、そこから言うことを聞かせていくことも善みたいにすることも出来るかもなり。それにボクチンには切り札もあるし」


 九十九才蔵は新しい術の開発やそれに伴い、多数の妖魔を集めていた。


 悪斗が持ち出せたのはそんな中の一つ。そして彼にとっての切り札。これがあれば例え戦いになっても勝てると悪斗は考えていた。


「ボクチンはもっとビッグになるなり。そのための手駒も欲しいし、今回も上手くやるなり」


 鼻歌を歌いながら、悪斗は笑う。


 彼の真の目的は自らに忠実に従う手駒を手に入れること。そしてこのくだらない世界で好き勝手に生きること。そのために彼は暗躍していた。


 この街には善のようなフリーの退魔師も少なからずいる。そんな彼らを手中に収め、配下にする。


 大きな騒ぎを起こしたのも、善に目を付けたのも、その事件を上手く解決させて、自分の暗躍を悟らせず、万が一の際にも、悪斗にたどり着かれないようにするためだ。


 大男と別行動を取っているのは、そのためであり、最後には彼にすべての罪を擦り付け、自分は何食わぬ顔で過ごす。


「最後には大きな花火を上げてフィナーレにするなり」


 だが悪斗は気づいていない。それはあまりにも矛盾している考えであると言うことに。


 配下を秘密裏に増やしたいなら、事件など起こす必要などないし、もっと効率的なやり方があったはずだ。


 しかし彼はこのような行動に出た。


 なぜ綿密な計画を立てようとした悪斗がこんな行動を取ったのか。それを彼は自らで気づくことはなかったのだった。


 ◆◆◆


 ホーホーホー


 一羽のフクロウが鳴いている。その鳴き声は歌のようであり、だが叫びのようでもあった。


 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。


 目に映るのは街の情景。楽しそうに笑う人々。子供のいる家族。夫婦、カップル……。


 彼らの姿が笑顔が、楽しそうな感情が、特に癪に障る。


 世間はまもなくクリスマス。良い子にはサンタクロースがプレゼントを配ってくれると言われている。


 何がプレゼントだ。何が良い子だ。フクロウはこのイベントが気に食わなかった。腹立たしかった。恨めしかった。憎らしかった。


 だから壊そう。だから潰そう。だから消し去ろう。だから奪い去ろう。


 嘆き、苦しみ、不幸になればいい。


 そう、眼下にいる有象無象どもも、そんな者どもを守る退魔師という連中も、自分が策略家と思い、上手くすべてを利用していると思っている愚かな奴も、皆不幸になれば良い。


 クリスマスなどと言うくだらないイベントで、幸せを感じ愛を深めようとする事も、無邪気にサンタクロースにプレゼントをもらい子供が喜ぶ事も、フクロウには赦せなかった。


 ホーホーホー!


 フクロウはひときわ強く鳴く。怒りと悲しみを吐き出すかのように。


 ◆◆◆


「がっ……」

「け、景吾!」

「はっ、服部君!」

「い、いやぁぁっ!」


 大男が景吾の首を掴み、彼の身体を地面へと叩きつける。景吾の善戦むなしく、彼は大男に捕らえられた。その光景に可子が悲鳴をあがる。


 数分の間、時間稼ぎに徹していた景吾だったが、巨体からは想像も出来ない素早い動きで追い詰められた。下手に距離を取れば、大男は玲奈達の方へ意識を向けた。


 だからどうしても景吾は攻撃を行い、意識を自分に向ける必要があった。だが力の差は歴然。むしろ数分も時間を稼げたのは誇っても良いだろう。


「てめぇっ! 景吾を離しやがれ!」


 黙って見ていることが出来なかった卓は、思わず飛び出し参考書などが入った重量のある鞄を勢いよく大男の顔に叩きつけた。


 しかし大男はびくともしない。蚊に刺された程度の痛みも衝撃も感じていないようだった。ギロリと大男の目が卓に向けられる。


「っぅっ……」


 それだけで卓は冷や汗が止めどなくあふれ、カチカチと歯がこすれ合い、足がカクカクと激しく振るえだした。蛇に睨まれた蛙どころではない。明確な死と恐怖が眼前に迫っていた。


「ふ、二人とも、に、逃げろ!」


 それでも卓は恐怖に震えながらも、玲奈と可子に逃げるように叫ぶ。今の卓には口を開くのがやっとだった。


 大男はそんな卓から怯える二人に目を向けと、ビクリとさらに二人は恐怖を感じ、その身体が跳ね上がった。


 彼女達も大男の威圧に耐えられなかったようだ。ヘタリと可子は尻餅をつき、玲奈もまたガクガクと身を震わせ縮こまっている。


 景吾は何とか抵抗をして見せるが、首筋を圧迫され意識が遠のいていく。卓も抵抗しようとするが、恐怖で身体が動かず、持っていた鞄も手からすり落ちた。


 もはや誰もが絶望し、自分達の最悪の未来を想像した。


 大男は卓が恐怖で動けず、景吾が意識を朦朧としているのを確認するとその手を離して、次は玲奈達の方へと向かおうとする。


 だがその時、周囲に衝撃が走る。


「!?」


 大男も僅かに顔を歪め、上を見る。結界が揺らいだ。外からの干渉だった。


 何か、強い力を持った存在が来た。大男は直感した。


 直後、耳をつく激しい音と共に結界が破壊される。


 結界の向こう側からそれらはやって来た。


 カァァァァッ!


 巨大な黒い三本足の鴉が、玲奈や可子の前に降り立つと彼女達を守るかのように立ちはだかる。


「っ!?」


 さらに倒れていた景吾と、立ち尽くしていた卓が何者かによってその両脇に抱えられ、その場から移動させられる。その正体は鼻の長い天狗、鞍馬天狗であった。


 大男は特級と超級クラスの存在の出現に今まで無表情だった顔を、驚愕に変化させる。


 しかしまだ終わりではない。もう一つの強い霊力が大男に近づいていく。


「子供をいたぶるような輩に容赦は必要ないな」


 大男を睨むように、星守明乃がこの場に姿を現したのだった。

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