第十一話 出現


 時間は少し遡る。


 獲物を狩り、力を蓄えることと配下を増やすことに専念していた大口禍神は、不意に遠く離れた場所で、怨敵たる強い退魔師達の力を感じ取った。


 これはたまたま、大口禍神のいた場所が龍脈の流れる場所で、龍穴が存在していたことと、禍神に高い感知能力が遭ったからだった。


 遠く離れた星守の地で、若手退魔師達の戦いの余波を禍神は微かにだが感じ取っていた。


 強い霊力のぶつかり合い。自分達を滅ぼした、敵である退魔師の力だ。


 その時の禍神は別段、それを感じても今すぐに行動しようとは思わなかった。


 時間をおくごとに、複数の強い霊力のぶつかり合いを感じたが、自分を脅かすほどの存在は少ない。むしろ厄介な相手がいることを認識し、より慎重に行動し力を貯めるべきだとまで考えていた。


 だが途中からその考えはがらりと変わる。


 禍神が異界にて喰らった妖魔の残滓が何かを訴えていた。自分を瀕死にした風と炎の霊術を使う相手の気配がすると禍神に語っているようだった。


 この時点で禍神は言い知れぬ不安を抱く事になる。


 覇級を追い詰める相手。なるほど。脅威であり厄介だ。禍神もその領域に足を踏み入れたとはいえ、それだけで安心できないとわかった。


 だからもっと力を付けるために行動しようとした矢先、ビクリと身体が震えた。


 龍脈の向こうから、より鮮明にその気配を感じた。


 禍神を震えさせた物の正体は、危機感。明確な、今までに感じたことも無いほどの、身体と魂に訴えかけるほどの強烈なまでの恐怖。


 禍神が喰らった覇級妖魔が浴びた浄化の霊力。その使い手が遠く離れた地にいる。


 覇級妖魔を喰らったことで、禍神は強さだけで無くその妖魔の力の一部と、第六感のような物まで鋭くなった。元々狼は頭が良いと言われている。禍神もそれに漏れず頭脳は人型ほどではないが高く、第六感に至っては上回っていると言ってもいい。


 その第六感が、勘が告げている。


 この先にいる者を、者達を今すぐに殺さねばならない。今でさえも十分に脅威になり得る存在達が、今を逃せばもはやどうにも出来ないほどの相手になる。


 根拠はない。だが確信があった。


 特に今、戦っている霊力の存在。覇級妖魔に致命的な手傷を負わせた浄化の霊力を持つ者だけは、何としても殺さなければならない。


 そう判断した禍神の行動は早かった。禍神は咆哮を上げる。すると配下達が驚いた表情を浮かべるが、禍神の命には逆らえない。


 彼らは禍神に近づく。禍神はそのまま強い個体から順に喰らい始めたのだ。


 少しでも力を付けるため、この先にいる者達を少しでも多く葬り去るために。


 禍神は理解している。向かう先は死地であると。自分が生き残る確率は限りなく低い。


 だがそれでも今すぐに赴き、消滅する覚悟で挑まなければならない。


 向こうにいる者達は、自分達のような妖魔の天敵どころか大敵となる者達だ。


 手が付けられなくなる前に、自分のような人間に恨みを持つ妖魔達が自分に変わり人間共を殺し尽くすために。ここで邪魔者となる物達を、将来の妖魔を脅かすほどの強さを得る前に殺さなければならない。


 禍神は配下達には申し訳ないとは思ったが、彼らは消滅するわけでは無く、禍神の中で共に生き続ける。


 共に憎き退魔師を滅ぼすために、糧と力になってもらう。


 禍神の身体がさらに大きくなり、身体にも変化が現れる。紅い不気味な瞳が一対から三対へと増える。足の本数が四本から八本へと倍になり、口の牙と足の爪が大きくさらに鋭くなった。


 また背中からは不気味な、黒い人間の手のような物が無数に伸びた。


 仲間を喰らい、急激な変化を起こした禍神は、今までに無い咆哮を上げる。


 この場にいない、遠く離れた地にいる仲間達に知らせるためだ。禍神はすべての仲間を喰らったわけではない。それなりの数を残していたし、少し遠くへ狩りに出向いている個体もいたからだ。


 自分が帰らぬ場合は、独自で行動しろと。人間を殺し、復讐するために力を蓄えろと。


 そして禍神は龍脈を通り、星守の地へと向かう。


 高密度、高純度の霊力の流れ道であり霊力が満ちる龍脈を通るのは不可能に近いが、禍神はそれが可能だった。無論、簡単でも反動が無い分けでも無い。


 それでも、今を逃せば勝ち目は無くなる。時間が無い。ここからまともにその地へ向かえば、どこかで見つかり足止めをされるかもしれない。時間は相手に味方する。だからこそ危険を承知で龍脈を通り、向こうでの戦いで負ける可能性があったとしても勝負を仕掛けるしか無い。


 決死の覚悟の下、覇級妖魔と化した禍神はこうして星守の地へと姿を現したのだった。


 ◆◆◆


 この場所にも星守の本邸にも結界は存在するが、禍神は力尽くで破壊して、この場へと出現した。


 禍神は出現と同時に咆哮を放った。妖気を纏った音が衝撃波となり、鍛錬場の結界へと直撃する。


 鍛錬場の結界が軋むと、程なくして身代わりの札を含めた、鍛錬場の外への影響を抑える結界も吹き飛んだ。


 覇級クラスの咆哮と禍々しい妖気が周囲に漏れ出す。


 禍神は目に映る無数の人間を観察する。


 この場には大勢の人間がいる。そのほとんどが退魔師であるが、星守の門下生達もいるので、多くは有象無象と判断した。


 禍神の気配と妖気で大多数は意識を失ったり、恐怖のあまりその場へへたり込んだりしている。中には泣き叫ぶ者までいる。


 しかし禍神は理解している。そういった者達以外の、確実に殺しておかなければならない人間がこの場に複数いることを。


 禍神の目が六家の若手達、とりわけ真昼や彰を、そして真夜を見据える。


 他にもこの場で仕留めなければならない相手はいるが、何としてもこの三人は、特に真夜は何があっても殺さなければならないと、禍神は直感的に理解した。


「はぁっ!」


 だが行動に移る前に、禍神は攻撃を受けた。身体に衝撃が走る。見れば自分の眼前に太刀を構える男――星守朝陽――と鞍馬天狗が立っていた。


「ここは私達が食い止める! 結衣! 先代! 分家の者達はこの場の全員をいますぐ避難させるんだ!! 特に門下生と消耗している若手達を、急ぎこの場から離脱させるように!」


 突然の妖魔の出現だが、朝陽は即座に鞍馬天狗を喚びだし、皆を庇うように禍神の前で対峙すると矢継ぎ早に指示を出す。


(なぜいきなりこんな妖魔が、しかも龍脈を通って出現したんだ!?)


 さしもの朝陽も冷静ではいられなかった。朝陽にとって、いやこの場の誰にとってもあまりにも予想外の事態だったからだ。


 妖魔が現れることも、龍脈を通っていきなり出現することも、その妖魔が覇級クラスの力を持っていることも。何もかもがあり得ない事だ。


 龍脈を通ることが出来る妖魔は、数が少ないが報告事例が存在する。そのため六家を始め、国は主要都市や人口の多い場所、また各家の拠点などには妖魔がそこから出られないように強固な結界を展開している。


 結界とて万能でも無敵でも無いが、特級までは確実に防げるし、超級に対しても簡単に出てこれず、破壊するにしてもかなりの時間の足止めをすることは出来るはずだった。


 そのためこれまでその結界を突き破った妖魔は存在しない。


 だが禍神は力尽くでその結界を突き破り、この場へと現れた。いかに優れた結界でも覇級クラスの力尽くを防げなかった。


 そもそも超級妖魔を超える覇級妖魔は、異界でも個体数自体が極端に少なく、現世においては百年単位で出現するかどうかの存在である。異界から出現するにしても前触れが存在するし、この世界で誕生するにしても確実にその兆候はあるはずなのだ。なのにそれすらなく突然に、何の前触れも無く龍穴からの出現だ。


 全員が、それこそ真夜さえも驚きを隠せないでいる。


 それでも朝陽は誰よりも早く動いた。状況が最悪と言って良いほどに悪かったからだ。


(この場には私が呼んだ六家の若手が集まっている。彼らに何かあればそれだけで大問題だ! だがそれ以上に覇級妖魔はマズい! 頼みになる戦力も先の手合わせで消耗している。それに真夜も弱体化している上に疲労困憊でまともに動けない!)


 まだこの場には何とか対抗できる術者が何人かいるが、それは戦えると言うだけで勝てると言うことでは無い。真昼、彰、明乃、真夜と言った朝陽に近いかそれ以上の力を持った者達が、戦力に見なせないのが事態をより切迫させている。


 もし真夜が疲弊していなければ、まだ対処は難しくは無かった、真夜の霊符の強化の援護があれば、覇級であろうとも対抗することが可能だったはずだ。


 もし全員が万全の状態であったなら、このメンバーならば一人の犠牲も出さずに、ある程度余裕を持って討伐できたかもしれない。


 しかし今は多くの者が万全とは言いがたく、真夜に至っては霊符を顕現する事も出来ないほど消耗している。


(いや、真夜に頼ることばかり考えていてはダメだ。何とか今いる戦力で対抗するしか無い!)


 表情には出さず、周囲を不安にさせないように朝陽は真剣な面持ちで霊力を解放する。


 最強の退魔師の名に恥じぬ霊力。質、量共にこの場の誰よりも上回っている。それでも覇級妖魔相手に勝ちきれるか不安が残る。


 なぜなら朝陽は、禍神から並々ならぬ覚悟のような強い意志を感じたからだ。


 戯れや偶然、あるいはこの場に霊力の高い人間が大勢いて、それを喰らうために来ただけなどでは無い。


 明確な目的、それも圧倒的な殺意と決意の下、この場に来ていると朝陽は見抜いた。


(奴の目線は真夜や真昼などに向いている。特に真夜への意識が強い! まさかこいつの目的はこの場にいる六家の若手を葬ることか!?)


 真夜達だけでは無く、他にも六家の有力な若手へ僅かに視線を向けている。


 朝陽は戦慄する。もし自分の考えているとおりならば、何としても、それこそ命を捨てる気概で防がなければならない。


 少なくとも、自分が招いた手前、他の六家の皆は誰一人として死なせるわけにはいかない。それは星守の若手も同じだ。次代を担う若者達を殺させてはならない。


 禍神にも負けない気迫の朝陽の霊力と禍神の妖気がぶつかり合う。周囲への影響は少しずつ薄らいだが、それでも相殺しきれない。


「待て、朝陽。俺も混ぜろ。久々に共闘と行くか」

「紅也!」


 どこか嬉しそうな朝陽の隣に、霊器を顕現した紅也が立つ。彼も朝陽には劣るが、真昼や彰に準ずる霊力を放ち禍神を牽制する。


 若い頃はこうやってよく二人並び、手強い妖魔と戦っていた。学生時代には二人で超級妖魔を倒したのを、昨日のことのように覚えている。


 紅也は自分が朝陽に劣り、覇級妖魔とまともに戦えるか不安はあったが、それをおくびにも出さない。


 娘や義理の息子の真夜のためにも、ここで差し違えてでも禍神を止めるつもりだった。美琴は後方に待機して結衣と共に他の者達を避難させている。倒れた門下生やパニックになっている者も大勢いる。


 朝陽や紅也が気兼ねなく戦えるようにするためにも、早く皆を避難させる事を優先させた結果だ。


「待ちな、二人とも。さしものあんた達でも二人と鞍馬天狗だけじゃ覇級は荷が重いさね。私も微力ながら助太刀するよ」


 莉子も霊器を顕現し、臨戦態勢で朝陽達に合流する。覇級妖魔とは相対したことはない莉子だったが、それでも何とか気合いで禍神の威圧をはじき返し、この場に立つことが出来た。


 彼女も若手達を逃がす時間を稼ぐつもりだった。死ぬつもりはないが、死ぬ可能性が高いのなら、老い先短い老いぼれの方が良いという思いからだ。


 それに紅也も莉子も若手達の戦いに触発されて、今は覇級妖魔が相手でも無性に戦いたい気分だった。


「すまない、紅也。莉子殿も助かります」


 朝陽は紅也と莉子と鞍馬天狗となら、禍神が相手でも何とか戦えると思った。確かに厳しい戦いにはなるだろう。だが少なくとも皆を逃がす時間稼ぎは出来ると確信していた。


 禍神も朝陽達が厄介な相手だと見抜いた。四人がかりで来られれば、負けはしないがかなり苦戦を強いられる程度には強いと認めざるを得なかった。


 しかし急がなければと禍神は焦りを覚える。ここで目的の人間達に逃げられたなら、何のためにここへ来たのかわからない。


 だが手はある。そのために配下を喰らったのだから。


 グルルルと禍神がうなり声を上げると、腹の辺りからボトボトと黒い塊が無数に地面に落ちていく。


 ぐちゃぐちゃと音を立てるとその黒い塊が姿を変えていく。程なくして黒い体長二メートルほどの狼が次々に出現した。


「なっ!?」


 自らが取り込んだ配下達を分裂、あるいは増殖するかのように分身として生み出した。


 これは禍神が別の覇級を喰らった事で発現した、取り込んだモノを小型の分身として生み出す特殊能力だ。


 無論、強さは本体よりも落ちるが、取り込んだ相手よりは格段に強くなる。その証拠にほとんどが上級だが中には最上級か特級クラスの力を持つ個体まで存在している。


 禍神と同じようにうなり声を上げ、黒い狼の群れは朝陽達では無く、その向こう側にいる者達へと目標を定める。


「くっ! 行かせるか!」


 朝陽は狼達に向かい攻撃を仕掛けようとするが、禍神がそれを阻む。背中から伸びる無数の腕が伸張し、朝陽達に向かい襲いかかったのだ。


 頭上から降り注ぐ黒い腕の攻撃を朝陽達は回避するが、その隙に狼達は彼らをすり抜る。


 群狼の群れは、避難している者達や禍神が何としても殺さなければならないと感じた者達へと一斉に襲いかかるのだった。


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