第八話 意地
何度目かとなる激しい攻防の末、仕切り直しとばかりに示し合わせたかのように真夜と明乃は距離を取った。
互角の戦いを繰り広げる二人。明乃は八咫烏の援護があっての状態での互角ではあるが、それでもここまでは一進一退の攻防を続けてきた。
しかしその均衡は徐々に崩れつつあった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「どうした、婆さん。息が上がってるぜ?」
「……ぬかせ、若造が」
明乃は今は荒い呼吸を繰り返し肩で息をしている。対する真夜は汗ばんでいるが、呼吸はそこまで乱れていない。
体力の差が出始めていた。
確かに真夜も成長期でありスタミナに不安はある。だが明乃はいかにまだ見た目若く四十代に見えるし、体力も同年代に比べればかなり在るが、歳の影響もあり残念ながら実際は真夜以下であった。
実戦の緊張感は鍛錬とは全く違う。いかに命の危険がほぼ無い場での手合わせとは言え、二人は実戦と同じように全力で戦い続けていた。
肉体的な疲労もだが、集中と思考することによる精神的疲労はスタミナを急速に消費させる。
将棋や囲碁などのプロ棋士が、一度の対局で凄まじいカロリーを消費するように、この二人も驚くほどの速さでスタミナを消費していた。
真夜以上に明乃は綱渡りの連続でもあった。直撃すれば危険な攻撃を常にいなし続け、真夜の防御を突破するために術を行使し、常に思考を続け全力で挑んだ。
当然、そんな状況など長く続くはずが無い。
対する真夜も同じだが、これは明乃と真夜の経験の差でもあった。
明乃も格上の妖魔を倒すために力を磨き、幾度も戦い勝利してきた経験はある。最近では朝陽や真昼と明乃よりも強くなった相手との鍛錬を繰り返しており、その経験があるからこそ真夜とも互角に戦えている。
しかし真夜は異世界で長く格上と戦い続けた。鍛錬も同じだ。その密度もだが時間は明乃以上かもしれない。
つまり真夜は敵味方問わず、自分より強い相手と、もしくは技術が優れている、あるいは魔法や剣術、格闘戦など特定分野に特化した化け物連中との戦いを繰り返し、互角や格上の相手との戦いにも不利な状況にも慣れていた。
京極での六道幻那との戦いでは、様々な悪条件や幻那が仕掛けた無数の見えない罠の影響で精神的に揺さぶられていたが、それがない今の状況ならそこまで精神的に疲弊することも無い。
(このまま行けば俺が押し切れるが、婆さんのことだ。そうならないように立ち回るだろうな)
真夜にはまだ余裕があった。霊力もかなり消費しているが、継戦には問題ない。
時間をかけていくか、または一気に勝負をかけるかを、八咫烏にも注意を向けながらも明乃を観察し続ける真夜は、次の策を練る。
(長引けばこちらが不利だな。体力と霊力の方も心許なくなってきたうえに、暗器ももうあまり残っていない)
対して明乃には余裕がほぼなかった。
これまでの攻撃はすべて防がれ、決定打になりえなかった。同じ事を繰り返しても突破口は開けず、長期戦になれば様々な面で明乃が圧倒的に不利だ。八咫烏もかなり疲弊している。
(しかし私とここまで戦えるようになるとはな。しかも八咫がいて何とか互角とは。昔からは考えられなかった)
戦いの最中だと言うのに、感慨深くなってしまう。晴太が生きていればどうだっただろうか。もしかすれば晴太も強くなっていたかもしれない。
(いや、あいつは真夜ほど強くはなっていないだろうな。今でも私に負け続け、それでも勝つと息巻いていただろうか)
晴太のことを考え、また笑みがこぼれそうになる。真夜に重なる晴太の姿。亡き友の分まで、真夜はここで明乃に勝って心残りを晴らそうとするつもりかもしれない。
(……それもいいかとも思ったが、まだお前に負けてやるつもりはない)
存外、明乃も負けず嫌いだったようだ。真夜が勝てば、晴太もあの世で笑うだろう。だがその笑顔を想像し、明乃はどこか腹立たしくなった。
このまま負けるのは、明乃のプライドが許さない。いや、違う。これはそんな感情では無い。
明乃は気合いを入れ直す。最後の勝負を仕掛けるために。
◆◆◆
にらみ合う二人を前に今までに無い緊張感が漂っているのを、観戦者達は感じた。
皆が息を飲み、固唾をのんで戦いの行方を見守ってる。
星守先代当主である明乃の強さは、見ている者達の想像以上だった。八咫烏との連携もさることながら、地力も高く彰や真昼でも勝てるかどうかと言うほどの強さを見せた。
しかし多くの者を驚かせたのは、その明乃と互角の戦いを繰り広げる真夜だ。
あり得ないほどに強くなっている。ほとんどの者がその事実に驚愕している。
「……想像以上に凄いね、真夜君。紅也は勝てそう?」
「正直言えば、難しいと言わざるを得んな。簡単に負けるつもりはないが、勝てるとも言えん」
今回招かれていた朱音の両親の美琴と紅也も同じだ。先日の一件で真夜の凄さを理解したつもりでいたが、自分達でさえまだまだだったと思い知らされた。
「だが本当に凄まじい。明乃殿も流石というべきだが、彼女と守護霊獣を同時に相手しながら互角以上の戦いをしている真夜君はそれ以上だ」
「ほんとだね。紅也相手に啖呵を切ったのも頷けるね」
以前の討伐代行の時も別の意味で驚愕したが、これだけの強さを持っているなら守護霊獣など必要ない。
現に守護霊獣を持つ明乃と互角以上に戦っている。さらに使用する術の希少性を含めれば、星守の後ろ盾が無くとも時間をかければ朱音と渚を娶る事は可能だろう。
「ああ。朝陽の奴、この事も知ってやがったのか」
知っていたら、また問い詰めてやると紅也は思っており、美琴もまた四人で集まって話を聞こうと考えていた。この二人も会話は続けているが、朝陽と同じように視線をそらすことはなかった。
紅也は美琴に強がってみせるが、内心では敗北の可能性が高い事を痛感していた。
「しかしこの前から感じていたが、今回のことで確信した。これは成長という言葉では片付けられん。進化とでも言うべきだ」
「そうだね。それを踏まえて、紅也から見て真夜君に怪しいところはある?」
「あまりにも強すぎる、それも短期間でここまでの強さを得ているのはおかしすぎるという事以外は、特に疑うべき所はないとは思う」
美琴も紅也も昔から真夜を知っているが、朱音や朝陽達家族と一緒に過ごしていたわけではない。
別人と言うにはあまりにも情報が少ないし、その力の源流もわかり得ない。
だからこそすでに真夜を認めているが、二人は明乃との手合わせで、真夜の真価や朝陽が言うように偽者や外法を使って得た強さではない事を見定めようとしていた。
自分達もしっかりと主張すれば、真夜達の助けになるとの考えからだ。
しかしそれをも上回る衝撃を二人は受けることになったのだが。
「紅也もそう思う? 私も同じだよ。霊力にも嫌な感じはしないし、観察した限りおかしな所は無いよ」
戦い方があまりにも洗練されていることや、戦い慣れしすぎていることなど、疑問に思うことは多々あるが、それは真夜が偽者や外法で力を手に入れたと言うことを証明するには至らない。
明乃へと向ける感情も、嫌な感じは一切しない。悪魔や妖魔と魂を引き換えにして得た力ならば、負の気配が強くなるはずだがそれもない。
戦い方自体はシンプルであり、使う霊術も防御がメイン。霊力を放出や防御以外の霊術を使わない、使えないのは以前から変わっていない。
力を隠している線もほとんどない。真夜は明乃と全力であり、余裕はあるものの手を抜いている様子もない。
「これなら朱音との事は問題ないね、紅也」
「……ああ、そうだな」
「紅也? どうしたの?」
美琴の言葉に頷きつつも、紅也はどこか難しい顔をしている。
「……なに。俺もまだまだ若くて負けず嫌いだったことを思い出しただけだ」
度重なる激闘に感化されていたのは、何も若者だけでは無い。明乃と真夜の戦いに影響を受けたのは莉子のように、紅也もまた自らの裡から湧き上がる衝動を感じていた。
自分の事を俺と言う紅也に美琴は苦笑した。紅也がかなり本気だとわかったからだ。
「みんな凄いからね。私も紅也と一緒に鍛え直そうかな。多分、朝陽君も紅也と同じ気持ちだと思うよ」
「……だろうな。あいつにも随分と離されたが、真夜君にもとなると、親としても男としても情けない限りだからな」
ここまでの力を示したのだ。真夜が朱音と渚を娶るのは問題ないだろう。
義理の息子になる真夜が強いのは何よりも嬉しい。朱音を任せるにはこの上なく頼もしい。
しかしだからと言って、自分が簡単に負けるのは悔しい。
朱音にも真夜にも立派で頼れる父としての姿を見せたいという思いもある。
親友の朝陽も同じ気持ちだろう。ここ数ヶ月、鍛錬に入れ込んでいると聞いていたが、こんな気持ちだったのだろうと共感した。
「鍛え直しだな。うかうかしてると、どんどんと離されていくし、他の奴らにも抜かされていく」
若者の成長を見守り、後進を育成するのもいいが、紅也は自分も退魔師であり、強くなりたいという気持ちが未だに消えない、一人の男だと改めて認識した。
強くなりたい。この場で見ている者達の中には心折れる者もいるかもしれないが、少なくない者が紅也と同じ気持ちを抱いているだろう。
「とりあえず、その前にこの戦いの決着を見守ろう。明乃殿には悪いが、真夜君の勝利を祈ってな」
義理の息子になる真夜に向けて、紅也と美琴は応援を続けるのだった。
◆◆◆
明乃は最後の勝負を挑むに当たり、右手に霊力を一点集中した。暗器などの小細工も用意するが、残りの霊力を考えれば、中途半端に手数を増やしても意味は無い。
真夜の防御を貫く、最高の一撃を叩き込む。
カァァァァッッ
八咫烏の身体が炎に包まれる。これが最後の一撃とばかりに八咫烏も覚悟を決める。
炎を纏った突撃。全身全霊、回避も防御もさせないとばかりに一気に真夜との距離を詰める。
真夜は右手を突き出す形で、三枚の霊符を前方へと展開する。八咫烏自体が炎を纏っての突撃であるので、回避してもまた同じように突撃される。ならば正面から受け止め、打ち倒すだけだ。
三枚の霊符が三角形を描くように展開すると、魔方陣のような陣を展開する。五枚ほどでは無いが、強力な防御陣だ。弱体化前ならば、覇級の攻撃さえも余裕で受け止める。
八咫烏と防御陣が激しくぶつかり合う。しかし思ったほどに衝撃は周囲に伝わらない。これは霊符が八咫烏の攻撃を分散させているからに他ならない。
苦悶の表情を浮かべる八咫烏。このままでは何も出来ないまま終わる。
カアァァァァァァッッッ!
もう一度、ひときわ甲高い鳴き声を放つと、八咫烏は力を振り絞る。炎が再び燃えさかり、炎の鳥は太陽のごとく輝きを増し、霊符の防御を突破しようとする。
陣が軋みだすが、真夜は冷静に霊符をさらに四枚に増やし、両手を突き出す形で八咫烏の最後の攻撃を受け止める。
八咫烏も何とか結界を破壊しようとするが、奮闘はここまでだった。
炎が完全に散らされると同時に霊符の防御陣が消え去る。その瞬間、真夜が八咫烏との距離を詰め、横顔に拳を叩き込んだ。
ある程度は手加減したのかただ殴り飛ばされるだけで済んだのだが、数メートル以上吹き飛ばされ、そのまま意識を失った。
残りは明乃だけ。だが先ほどまでいた場所に、明乃の姿はない。
八咫烏に意識を集中した僅かな隙を突いて、明乃は空高く飛翔していた。
彼女は空を飛ぶような術は習得していない。あくまでもただの跳躍。
これまでの戦いから、真夜に遠距離攻撃の手段が無いことは把握している。それでも霊符を足場にして、空中戦を仕掛ける事は出来るので、距離を詰められれば終わりだ。
だが明乃は太陽を背にするような位置取りをしていた。気配に気づき、空を見上げた真夜はまぶしさに一瞬だけ目を細める。それが僅かな隙となると、明乃は即座に術を発動した。
「これは!?」
周囲から真夜を拘束するように、霊力の陣が発生した。それは明乃があらかじめ仕掛けていたクナイによるもの。
攻撃に使ったものを、外したと見せかけて地面に突き刺したり、攻撃の際に隠形の術を施した物と混ぜて投擲し、必要な場所へと突き刺していた。
真夜が気づかず触れれば術が発動するおまけつき。
しかし明乃は土壇場のこのタイミングで、それらを起点に真夜を拘束する術式を起動させた。
(させるかよ、婆さん!)
だが真夜は六道幻那との初めての邂逅の際、相手の罠に嵌まり、転移術式に取り込まれ、強制転移させられた苦い経験がある。
あの経験からも、このような突発的な術の発動を防ぐ対策を用意しておかないはずが無い。
明乃が術を発動させたのとほぼ同時に、五枚の霊符を使い以前に彰達に用いた封印術の応用を行う。
術式の一部を封印してやれば、術そのものが破綻する。霊力によるごり押しだが、真夜を拘束しようとした術式は沈黙した。
だが明乃はそのタイミングで残りの霊力を球状にして、真夜に向けて投擲する。大きさは直径一メートルほど。明乃の残りの全霊力の塊が真夜に向けて飛来する。
さらに自らも霊符で風の霊術を発動させ、真夜へと上空から降下する。
(上手いな! 霊符を別の術式に使わせ、攻撃は俺が迎撃することを見こして自分からも来るのか! けどな、そう思い通りにはさせねえ!)
霊符を即座に展開し直す。恐ろしいまでの発動速度だった。
高度な封印術をした直後に反射の防御陣を頭上に展開し直した。
(これで終わりだ!)
大和の時とは違う。反射に増幅を上乗せしたものだ。
いかに明乃とて空中で自在に動けるはずも無い。回避は間に合わないはずだ。
霊力の塊が明乃を飲み込む。
しかし飲み込まれる瞬間、明乃は微かに笑みを浮かべた。
(ああ、お前ならこれぐらい出来ると思っていた。だからこそ、私も最後の賭けに出れる!)
自らの放った自分自身の霊力。真夜が増幅したため、真夜の霊力も混ざっているが、同じ星守の血を引き、祖母と孫の関係上、親和性もあった。
「おぉぉぉぉっ!」
飲み込まれると同時に明乃は、その霊力をあろうことか自らに取り込みだした。
霊力の吸収。
霊地での瞑想などで自然界に存在する霊力を取り込む技法は存在するし、理論的には自らが使用した後の、周囲に漂う自らの霊力を再び吸収することは可能であった。
だがそれは高度な技法であり、出来たとしても微々たる量を取り込む程度に過ぎない。
確かに霊力の塊を取り込むことは出来なくも無いが、肉体に対する負荷が大きすぎるし、下手をすれば自爆しかねない行為ゆえにやろうとする退魔師は皆無に近い。
明乃の身体が悲鳴を上げる。元々は自分の霊力とは言え、真夜の霊力の混ざった物を無理矢理取り込もうとしているのだ。瞑想や龍脈から霊力を自分に取り込むのとは訳が違う。
身体のあちこちに裂傷が生まれる。
だが明乃は躊躇しない。真夜に勝つために、明乃は土壇場で無謀な策に出た。
(晴太。お前も昔は私に勝つために、ここまででは無いにしても無茶な戦い方をしていたな。あの時は何を馬鹿な事を思ったが、今ならば私もお前の気持ちがわかる気がする)
無様な、情けない所を見せたくない。
こんな愚かで情けない自分を許してくれた真夜。
何も返せない自分だが、せめて真夜の成長の手助けにはなりたい。
弱体化した状態の真夜に勝てないのならば、元に戻った真夜には遠く及ばないだろう。
今更何をと言われるかも知れないが、真夜の成長を嬉しく誇らしく思う。
だがそれはそれとして悔しいと思う自分もいる。
罪業衆の事件の時に、朝陽にも言われた言葉が脳裏に過る。
―――諦めて負けを認めてしまえば、そこで成長は止まるのではないですか?―――
ああ、その通りだと明乃は思う。真夜は強さに満足せず、まだまだ上を目指そうとしている。
どれだけ強くなるのか、明乃にも想像できない。離されていくだけかもしれない。絶望を感じるかもしれない。それでも……。
(晴太は諦めたか? 晴太はずっと前を向き、私に挑んできた。これくらい出来ずして、どうしてあいつに顔向け出来る!?)
それは明乃の執念だった。真夜に負けるにしても最初から諦めるなど出来ない。自分のすべてを、それ以上を出さずして、敗北してなるものか。
(だからお前も全部を私にぶつけてこい! 恨みはないと言ったが、怒りはあるだろう! お前の全部をここで受け止める!)
霊力を取り込み、明乃の力が上がる。増幅された霊力故に、真夜の霊符の強化にも近い強化がなされる。
だが無茶の反動で身体の限界が近い。おそらく数分も持たない。下手をすれば一分か。
(それで十分だ!)
驚愕に目を見開く真夜を明乃は見据える。それが明乃にはなぜか嬉しかった。
まだ自分は、強くなった真夜を驚かせる、戦いになる相手として見られる事に。
「勝負だ、真夜!」
万感の意思と決意の下、かつての晴太のように、明乃は真夜に宣言したのだった。
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