第二話 凛と楓
朱音が勝ち、渚の敗北で終わった試合だったが、勝った朱音はもちろん負けた渚に対しても、星守や六家の評価は高いままだった。
朱音の炎や一撃の破壊力は目を見張る物があり、最後の一撃に至っては同じ霊器使いであろうとも受け止めることは難しく、回避するしかないだろう。霊術を相殺できる真昼や彰でもまともに受けようとは決して思わない。
渚に関しても多才な術を駆使し、同時に式神も操作する応用力は並大抵の事では無く、威力のある術を習得できれば、いよいよ持って隙が無くなると思わせるほどだ。
朝陽もだが明乃も十分に評価できる戦いだった。真夜も一端とは言え実力を示し、その相手として二人も申し分ない力を示した。
三人の仲も良好そうに見えるし、真夜も真っ先に回復に向かったことで当人にその意図はなくても、三人の関係を周囲にある程度アピールできた。
公表するタイミングは慎重に見定めるが、概ね真夜達に関しては問題ないと二人は判断した。
ただ勝利が喜ばしいはずの朱音の父の紅也は、最後の頭突きは娘としていかがな物かと渋い顔をしているし、美琴は苦笑いしている。
もしこれで真夜が二人に朱音をくださいと挨拶していなければ、かなり本気で嫁のもらい手の心配をしただろう。
ちなみに彰は爆笑していた。朱音を見くびっているのではなく、試合自体は高レベルで流樹と海の試合と同じく見応えがあり満足していた。ただ頭突きという想定していなかった戦い方が面白おかしかっただけである。
「あんた、爆笑しすぎよ」
「そうですよ、彰さん。笑いすぎです。失礼ですよ」
帰ってきた朱音は彰に文句を言った。まあ色々言われるのはわかってたのだが、それでもここまで爆笑されると腹が立つ。ただ頭突きに関しては、流樹辺りにも小言を言われそうだなとか、お父様とお母様にも色々言われるかなとは思ってはいたが後悔は無い。渚に勝つことはそんな事よりも何よりも重要だったから。
「くくく。悪かったな。けどまあ、いいんじゃねえか。見てくれはともかく、威力は馬鹿に出来ねえからな。勝つために最善を尽くす。口で言うのは簡単だが、実行できる奴は少ねえよ。他の内容も十分面白く見応えもあったからな」
朱音の戦いを見て、彰も勝つために必要ならば頭突きもありかと普通に考えていた。別段、卑怯な手でもないし、威力もそれなりにあるのだから。
流樹も話を聞いてたのか、ふんと鼻を鳴らし眼鏡の位置を戻しているが、特に何も言わない。頭突き以前の朱音の一撃は目を見張る物があったかことも影響しているだろうし、実際に自分が朱音と戦った場合を想像し、流樹も朱音にされれば防御できなかっただろうと考えていた。
「まあ言いたい奴には言わせとけ。頭突き以前にあの一撃で大体の奴は倒せるだろしな。俺としては見応えのある戦いが続いて嬉しい限りだ。次の手合わせも期待できそうだからな」
「別にアタシは面白おかしな戦いをするつもりはないけどな」
彰の視線の先の凜が答えると席を立った。昂揚するほどの戦いを三つも見せつけられたのだ。凜は今までに無いほど昂ぶっていた。対する楓も静かに席を立つと、鍛錬場の中心へと向かっていく。
その二人の様子に真昼はおろおろとしている。
「落ち着けよ、兄貴。気持ちはわかるけど」
「いや、それはそうなんだけど、何となく落ち着かなくて」
朱音と渚を治療して戻ってきた真夜が真昼に声をかけた。
さっきの真夜と同じようにどっちを応援して良いのかわからない真昼。いや、真昼は自分がどうしてここまで慌てているのか自覚しているのかどうかも怪しい。
真夜はというと、朱音と渚の戦いがわだかまり無く二人が納得する形で終わったので一安心していた。
「まあ俺もさっきはそんな感じだったんだろうけど、見守るしか無いからな」
隣に座る渚も微笑ましく見ている。
「ちなみに真夜君は私と朱音さんの両方の応援でしたか?」
「当たり前だろ。どっちかだけなんて出来ないしな。渚は不満か?」
「いいえ、妥当な所だと思いますし、私に不満はありません。朱音さんも同じ気持ちだと思いますよ」
「それは助かるな」
「しかしあのお二人の場合は、どうなるのでしょうか」
渚は凜の気持ちに察しもついているし、楓の気持ちも知っている。特に楓は罪業衆の事件や高野山での修行の際に、その内心を聞いている。半妖故の葛藤。自分自身の気持ちを押さえ込み、一歩退いている。
渚は彼女の気持ちをすべて理解できるなど言えないが、苦しい思いだけは共感できた。自分も真夜に告白される前は、朱音との関係も含めて悩んでいたからだ。
「兄貴次第だし、こればっかりは当人達の問題だからな」
「……僕は」
未だに悩んでいるようにも見える真昼だが、真夜は本人は自分の気持ちに気がついてはいるが立場や関係性など、様々なしがらみで動けないでいるように見えた。
(兄貴が悩むのも無理ないよな。俺は二人に許してもらえたが、普通は二股なんて最低だし、凜はそういうの嫌いそうだからな。楓の場合は半妖ってこともある)
真夜も応援はするつもりだし、楓の人化についても進めるつもりではあるが、まだ真昼達には伝えていない。弱体化が解けなければ話にならなし、絶対に成功するということでもないからだ。
それに当人達の問題もある。凜と楓が朱音と渚のようになるとは言い切れず、下手に内に溜め込めば碌な結果を生まないだろう。
(まあ親父もそこらの事を懸念して今回の組み合わせにしたんだろうけど)
真夜だけでなく、ここで真昼の件に関しても進めるために手を打つ朝陽の手腕は恐れ入る。おそらく朝陽は凜と楓の手合わせで見極めるつもりなのだろうし、二人を直接戦わせることでお互いの感情を出させたいのだろう。
「今は二人を見守ろう、兄貴。二人を信じてやれよ」
「……そうだね」
真夜の言葉に真昼は頷くと、心の中で凜と楓を応援するのだった。
◆◆◆
鍛錬場の中央で向かい合う凜と楓。お互いに静かな闘志を内から放っていた。
「……お前とこうやって向き合うのは初めてかもな」
「……そうですね。凜様と出会って、まだ何年も経ってませんから」
真昼が楓を封印から解放して、まだ三年も経っていない。凜は楓を真昼から紹介された時、複雑な感情を抱いた。
中学生の時、真昼をより異性として意識しだしていた凜は、その隣に自分以外の女がいることが気に入らなかった。
しかしそれが半妖と知った時、凜は少しだけ安心した。
半妖ならばどれだけ親密になろうが、結ばれることはないからだ。
半妖に対する世間の風当たりは極端に酷くは無い。戦前はそうでも無かったようだが、人権や女性の社会進出や男女平等などが叫ばれ、半妖に対しても寛容な社会が形成された。
それは彼ら彼女らが人間に対して協力的な者が多かったり、妖魔の被害者の子供と言うパターンもあったからだ。
退魔師の一族内においても、かつてよりは扱いは良くなっていたが、それでも彼らを蔑んだり、目の敵にする者は少なくなかった。
ましてや半妖を伴侶や恋人にしようとする一族など少なくとも六家の中においては無く、星守でも似たようなものであった。
当時も半妖を真昼のパートナーにすることに星守内でも一悶着あったらしいが、楓がある優秀であったのと、真昼もそれを望んだため、朝陽が押し切った結果でもある。
これは当時、真昼と真夜の関係が最悪であったことも影響していた。真昼が楓を手助けすることで、真夜の事をあまり思い悩まないようにする配慮でもあった。
当時の楓もあまり良い精神状態ではなく、真昼に依存していた部分はあったので、引き離すよりはお互いに良い影響を受ければという目論見もあった。
だが退魔師としてのパートナーと生涯の伴侶となれば話は違う。一族内に妖魔の血を入れるのは星守であろうとも受け入れられる物では無い。
ましてや真昼は星守でも例を見ないほどの麒麟児。どれだけ真昼が望んでも、楓が望もうが結ばれることは無い。
そう思えば凜も真昼の隣に楓がいることを耐えることが出来た。
真昼の隣におり、遭うたびに甲斐甲斐しく世話を焼く真昼やそれに感謝する楓に嫉妬したが、感情を表に出すこともぶつけることもしなかった
真昼から聞かされた楓の境遇や、楓の手助けをしたいという真昼の思い。守護霊獣の召喚と契約以降、さらに溝が深まった真夜との関係に悩んでいた真昼が、少しでも前向きになっていったからもある。
半妖と言うことや真昼のパートナーでいる資格があるのかと楓が悩んでいる事も知っている。真昼を慕い、しかし結ばれることがないとわかって苦しんでいることも察していた。
だがそんなウジウジした所が、余計に気に食わない。凜自身もそんな感情を抱くのは身勝手だと理解している。もし自分が楓の立場なら同じように悩み、苦しんだであろう。彼女に対して、こんな感情を抱くのは間違っているとわかっている。
(アタシが狭量だってのもわかってる。けどやっぱり気に食わない)
それでも、凜自身も制御できない感情が自分の中で渦巻いている。だからこの手合わせはある意味で好都合だった。八つ当たりに近いかもしれないが、それでも楓と直接ぶつかって折り合いを付けたかった。
「悪いけど手加減しないからな」
扇形の霊器を展開し、凜は臨戦態勢を取った。
「望むところです、凜様。むしろ全力で来てください!」
楓も声を張り上げると霊力を解放する。
直後、審判の開始の合図と共に、二人は同時に動いた。
凜は扇を振るい、風を収束させ、無数の刃のを展開すると一気に楓に向けて解き放った。
迎え撃つ楓は霊符を展開すると、青い炎の狐火を打ち出し迎撃する。
しかし凜の方が威力が高いのか、楓の炎を切り裂き本人に迫った。だが楓は小刀を取り出し、見えない刃をすべて打ち消した。半妖故に感覚器官が人間よりも優れており、気配察知能力も高い。
人では視認しにくい風の刃も彼女ならば捉えることは難しくない。
楓は着ている巫女服の袖口からクナイを取り出し投擲する。楓は明乃に退魔師としての戦い方を学んでおり、似た戦い方を取る。
クナイは炎を纏い、凜へと向かうが凜は扇を振り下ろすと、突風が発生しクナイを吹き飛ばした。だが楓は止まらず、凜の周囲を移動しながら、クナイや霊符を投擲し、隙を見ては何種類もの霊術を打ち出す。
中級どころか上級も簡単に仕留められる攻撃だが、凜はどこまでも余裕だった。まるで舞を踊っているかのように優雅にその場から動かずに冷静にすべての攻撃を受け止め、あるいははじき返している。
余裕の表情の凜に対して、楓は余裕の無い表情を浮かべている。
無理も無い。凜は霊器使い。楓とて一般的な退魔師から見れば優秀であるが、霊器使いは別格だ。
霊器使いに真正面から対抗しようと思えば、同じ霊器使いかよほどの実力者でなければ難しい。
また凜は高野山以降はその才能にあぐらをかかず、自らを高め続けてきた。
凜は防御を続けるだけで、攻撃に転じない。楓の攻撃を悉く受け止め、相手との実力差を見せつけるつもりなのか。
(やはり、強い……!)
楓もわかっていたことではある。自分は霊器使い達ほどの強さを持っていないと。悔しいという思いとやはりと言う思いも抱いた。
真昼のために、真昼の力になるために努力を続けてきた。あの生き地獄から助けてくれた、こんな誰からも忌み嫌われる半妖の境遇に心痛め、涙まで流してくれた恩人。異性としても楓は真昼を慕っていた。
だが自分なんかよりも凜の方がお似合いだと感じていた。
真昼の幼馴染みであり、名前と呼び捨てで呼び合う仲。風間の血筋で霊器使いとしての実力も確か。そして凜も真昼を好いている。
手合わせの最中だというのに、集中できていない。雑念が楓を蝕む。
どうして自分はこうなのか。真昼といた時間は幸せだった。かつての封印される前の一時の幸せよりも、真昼との時間が何よりも貴かった。
真昼が出生の秘密を知り、苦しんでいた時に彼を支えられた事は楓の誇りだ。
だが、ふと思う。あの時、自分は間違えを犯したのではないかと。
結果的に丸く収まったが、もしあの時、早くに朝陽に相談していれば、真昼があんなに苦しむことは無かったのではないかと。
結局自分はあの時、真昼が秘密にしてくれと頼んだ事を免罪符にして、真昼の秘密を自分だけが知っているという優越感と彼に捨てられないための楔にしたかっただけだったのかもしれないと。
考え出せば考え出すほど、負のスパイラルに陥る。
こんな気持ちを抱くのなら、真昼に恋心を抱かなければよかった。ずっと封印されていればよかった。いや、自分が生まれなければ……。
ザシュ!
ひときわ大きな音を立て、楓のすぐ横を巨大なギロチンのような風が通り抜けた。見れば地面にはえぐられたような、大きな溝が出来ていた。
楓は凜の方を見る。凜は明らかに苛立っていた。怒っていた。
「……腹立つ」
「えっ?」
「今のお前見てたら、すげぇ腹立つんだよ!」
凜は睨み付けながら苛立ちに声を上げると、楓はビクリと身体が震えた。だが周囲に声は届いていない。
風の霊術の特定の相手にだけ声を届けるもので、凜は楓にだけ自分の声を届けていた。
「アタシを舐めるのもいい加減にしろ!」
「別に、私は凜様を舐めてなど……」
「アタシとの戦いの最中に余計な事考えてんだろ! それが舐めてるって事だ!」
図星をつかれ、楓は思わず黙ってしまった。
「顔見りゃわかる! 動きにも攻撃にもそれが出てるんだよ! 心ここにあらずってな!」
凜からすれば途中から温い攻撃が続いていた。先ほどの試合までずっと観察を続けていた凜だからよりはっきりと楓の精神状態を推測できた。
自分との力の差を理解し、諦めているようにも見えた。だがそれが凜は気に食わなかった。自分よりも弱くても、勝てないとわかっていても、それでも必死に勝つために戦う相手ならば、相手が楓であろうとも凜はここまで怒りを露わにしなかっただろう。
真夜と大和の戦いは別にして、真昼と彰、流樹と海、朱音と渚。それぞれが全力を尽くし、相手に勝つために最善を尽くした。
だが楓はどうか。余計な事を考え、途中から諦めを見せていた。
不幸な生い立ちや境遇、真昼との関係など同情すべき所は多々ある。だが今は違うだろう。今すべきは諦めることでは無く、死力を尽くすこと。それが現在、真昼のパートナーである楓のすべきことのはずだ。
それさえせず、悲劇のヒロインを気取っているように見える楓が、凜は我慢ならなかった。
「真昼のパートナーでいるなら、いたいなら、アタシくらいは認めさせて見ろよ!? 今のお前が、真昼の隣に立つなんて、アタシは絶対に認めないからな!」
凜も感情的になっていた。楓に言いたい放題だ。
「ああ、アタシも八つ当たりだってのはわかってる! だからそっちもアタシに八つ当たりしてもいいさ。その気があるならだけどな。無いなら、これで終わらせる!」
凜は再び扇に霊力を込め、全力の一撃を放つ。
―――風刃乱舞―――
扇の先から放たれる七つの刃。先ほどの風の刃とは比較にならないほどの威力。
刃は動きを止め、俯く楓に向かい、無慈悲に襲いかかるのだった。
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