第九章 星守一族 後編

プロローグ



 ――どうして!? どうしてなんですか!?――


 狐の耳と尻尾を生やした少女は必死に叫んだ。周囲を取り囲む大人達。少女は必死に訴えるが、誰一人として彼女の言葉に耳を傾けようとはしない。


 味方を探し、大人達を見渡すが、彼女の味方をしてくれる人は、誰も居なかった。


『お前は存在してはいけないんだ』

『だがせめてもの情けだ。殺しはしない』

『しかしお館様の奥方はお前を決してお許しにはならない』

『だからお前は封印する』


 大人達の言葉に少女は青ざめる。嫌だ。やめてと叫ぶが彼らが止まることは無かった。


 父と母の名を叫ぶが、父はここに居ない。


 人間の父と妖魔の母の間に生まれた半妖。それが少女の事実。


 目の前の男達は退魔師と呼ばれる集団。父は高貴な身分の人間であったのだが、妖魔を愛し子を授かった。


 しかも正室がいたにも関わらず不義を働いたと正室が激怒したのだ。


 男は高貴な血筋であったため、側室を持つことも赦されてはいたが、相手が妖魔となれば話が違ってくる。


 しかも正室の知らぬ間に子を設けていた。当時は正室との間に子がいなかった上に、子供が出来たのはさらに後になってから。正室がその事実を知ったのは、少女が十五を数えてからであり、そのことを知った正室は怒り狂った。


 だが高貴な血筋であるため、妖魔との子を認めるわけにはいかない。妖魔とは人間に取って敵なのだから。


 だから正室は懇意にしている退魔師を集め、母子を殺そうとした。


 しかし彼女の父の懇願で娘は殺すこと無く、封印されるだけで済まされる事になった。それは殺されるよりも辛い責め苦だったのだが、父親は知ることはなかった。


 札を貼られ、身体を霊力のこもった縄で縛られ、彼女は抵抗できなくされとある祠に封印される。


 長い年月を彼女は意識を保ったまま封じられた。精神が狂うことも出来ず、寝ることもできない。


 長い拷問のような時間を、彼女は一人耐えた。どれだけ時間が過ぎたかもわからない。いっそ殺されていた方が良かったと彼女は考えていた。


 だが何事にもいつの日にか終わりはやってくる。封印の祠に一人の少年が足を踏み入れた事で、彼女の運命は変わる。


 そして彼女は――楓は出会う。星守真昼と言う少年に。


 ◆◆◆


 朝陽に告げられた次の手合わせの人選。


 朱音と渚はお互いに笑みを浮かべ、鍛錬場の中央で向かい合っていた。


「いつも手合わせはしてるけど、こういう全力では初めてよね。言っとくけど、渚が相手でも負けるつもりはないわよ」

「それは私もです。私も負けるつもりはありませんから」


 気合いも十分であり、お互いの闘志を燃やす。二人は示し合わせたかのように手をかざし、自らの霊器を顕現する。真紅に輝く槍と、柄と鍔だけの刀が、それぞれの手に握られる。


「渚さんのあれって、もしかして霊器?」

「ん? ああ、兄貴もまだ知らなかったのか。京極での事件で顕現できるようになったらしいからな」

「そうなんだ。朱音さんも凄いけど、渚さんも霊器使いになったんだね」


 真昼の質問に真夜が答えると、それを聞いていた周囲が驚きの声を上げる。


 朱音が霊器を顕現できることは知れ渡っていたが、渚の事はまだほとんどの者が知らずにいたためだ。


 霊器を顕現できた平均年齢は二十代半ば。すでに現在の六家の若手では十代半ばで顕現できる者が多数いる中でも、新たな霊器使いの登場は注目を集めるには十分であり、これだけで養子入りした渚の評価は上がることになる。


 見た目は柄だけで刀身のない刀のようにも見えるが、一体どんな力を秘め、どんな戦い方をするのか皆が興味を持つ。


 対する朱音も気後れしていない。すでに六家の中では名を馳せている朱音だが、彼女もまだまだ成長期。霊力も上がり、すでにベテラン勢どころか退魔師全体の中でも上位の力を有していた。


「うんうん。朱音ちゃんもだが渚ちゃんも随分と成長しているね。この一戦もだが、先が楽しみだ」


 朝陽もまだ戦いが始まっていないが、前の手合わせと同じように二人の戦いも十分に見応えがあるだろうと漏らす。


 ちらりと朝陽は来賓席に座る紅也達に目をやると、紅也はどうだと言わんばかりにどや顔をしているし、美琴も誇らしそうにしている。


 二人も渚の事は知っているし認めているが、朱音が勝つと思っているようで、自信満々であった。


 ある意味で真夜の将来の嫁同士の戦いであると二人は思っており、それはあながち間違いでは無い。


 ビリビリと両者が気配を強める。先の二戦とはまた違う雰囲気に周囲が固唾をのむ。


 カッとお互いが目を見開いたかと思うと、両者は一気に距離を詰めお互いの武器をぶつけ合った。


 渚の刀には水色の刀身が現れている。


 横薙ぎに振るわれた槍を渚は刀で受け止める。ジュッとまるで炎に熱せられた水のように、渚の霊器の刀身から水蒸気が出る。


 朱音が突きではなく打撃を選択したのはただの牽制だから。朱音の背後にはすでに炎で作られた無数の槍が展開していた。


 一斉攻撃。まともに受ければ即座に敗北する火力。だが渚は冷静に後ろに飛び退き、懐から霊符を取り出し、前方に投げて防御の障壁を展開すると同時に風、水、氷の霊術を同時に発動させ壁を作る。


 炎の槍が障壁に触れるたびに大爆発を起こす。


 圧倒的火力を誇る火野の霊術を渚は霊符以外の三つの霊術で何とか防いだ、しかし朱音もこれでどうにかなるとは思っていない。これも牽制。本命は別だ。


「はっ!」


 爆煙に紛れるかのように、裂帛の気合いと共に朱音は槍を突き出す。見えなくても気配は感じるし、おおよその位置は把握している。


 穂先に力を収束させた一撃は並どころか上位の術者の障壁すらも簡単に打ち破り、相手に致命傷を与えるだろう。


 だが煙の向こうから迫ってきた槍に対して、渚はギリギリで刀で受け流すと、そのまま身体を回転させ朱音に斬りかかる。


 刀身の色も変わっている。今度は無色の揺らめくような刀身である。


「甘いわよ!」


 朱音はすばやく槍を構え直し完全に防御すると、そのまま前に押し出して渚の体勢を崩そうとする。だが渚はその前に後ろに飛び退いて朱音に向かい刀を幾度か振るい、見えない風の斬撃を無数に打ち出した。


「しゃらくさい!」


 朱音は槍を振るうと、迫る不可視の刃をすべて迎撃した。


「……流石ですね、朱音さん」

「戦いでも渚に遅れを取ってたら、ほんとあたしの立つ瀬がないのよね」


 僅かに肩で息をする渚に対して、ほとんど息の乱れがない朱音。体力的にも朱音の方が優れており、霊力総量でも渚が不利だった。


 油断なく相手を観察する二人。


 お互いに認めてあっているが、朱音は渚に戦いでだけは負けたくなかった。自分には退魔師として強さしか取り柄が無いと朱音は思っている。


(ほんと、渚は凄いわよね。あたしも結構成長してると思うんだけど、押し切れないなんて)


 渚は戦いも出来るし、式神の操作にも長け、数多くの霊術を使いこなすだけで無く、交渉や裏方の仕事も難なく出来る。自分にない物をたくさん持っている。嫉妬してしまう。


 真夜と恋人関係になり精神的に朱音も落ち着いた。渚と一緒だが、彼女の事は好ましく思っているし、真夜だけで無く自分にも世話を焼いてくれるし、三人でいるのが楽しい。真夜も二人を平等に扱ってくれる。


 それでも真夜を多く支えることが出来るのは渚だろう。強さで渚に勝っていようと朱音は真夜に及ばず、今回の交流会で同年代でも自分の上を行く術者が多数いることを再認識した。


 真昼に彰はもちろん、流樹や海でさえも朱音は確実に勝てるとは言えなかった。


 悔しかった。情けなかった。もっと強くなりたい。真夜の隣に立てるように。頼ってもらえるように。


 そして何よりも渚に負けたくない。ここで負けては、自分は真夜にも渚にも顔向けできない。隣に立つことさえ出来ない。


 だから……。


(絶対に負けない!)


 朱音の決意に答えるかのように、霊器が輝きを増す。槍を構え、炎を槍に収束していく。そんな彼女の姿が、あり方が渚にはまぶしく見えてしまった。


(やっぱり朱音さんは強いですね。それに……)


 朱音が渚を羨んでいたように、渚もまた朱音に憧れていた。


 強さもそうだが、明るく真っ直ぐな性格で、多くの人に好かれている。こんな自分を友達と言ってくれて色々と良くしてくれる。真夜との関係もそうだ。もし自分が彼女の立場だったなら、果たして同じような行動が出来ただろうか。


 あんな風に、恋人関係になる前から世話を焼いたりしようとしただろうか。醜い嫉妬心や独占欲で、彼女を排除しようとあの手この手を使っていたかも知れない。


 京極家で友人や心許せる存在がいなかった渚にとって、真夜と同じく朱音もかけがえのない存在となっていた。学校でも彼女は大勢に好かれ、いつも皆を笑顔にする。真夜も朱音といる時は自然体で、何でも言いあえる関係だ。渚では真夜もあんな風に気安くはしないし、できないだろう。


 あんな風に自分も成りたいと思った。本当に同性の自分でも見惚れてしまう女性だと思う。


 だからこそ……。


(私は朱音さんに勝ちたい!)


 単純な攻撃力では朱音には勝てない。ならばどうすればいいか。真夜が朱音にアドバイスしていたように自分の強みを伸ばす戦い方をする。


 渚は祝詞を唱えると周囲に複数のツバメ型の式神を展開する。その数はなんと十二体。古墳の時よりも数が増えている。


 それらは個々の意思を持ち、渚に付き従うように周囲を飛び回る。すべて中級程度であり、彰や星守の守護霊獣どころか、大和に比べても遙かに見劣りするがその数は驚嘆に値した。


 式神は維持に霊力をそれなりに使う。戦闘と同時ならば使役者の消耗と負担はかなりの物だ。


 しかし渚は母親譲りの特異体質か、はたまた彼女の才能かその消耗と負荷がかなり低かった。


 一般的な退魔師ならば戦闘中ならば一、二体。数体も操れれば上位の使い手である。だが霊器使いでは一体、二体でも驚嘆されるところを、渚は十二体も展開して見せた。


 もっとも高位の式神との契約は父である清彦が止めていた。京極家にも雷坂と同じように、かつての当主や上位の術者が使役していた式神が何体か休眠状態でいるのだが、渚の負担が増えることと、あまりに強い式神との契約は京極内で渚が周囲のやっかみを買うことになり、将来への懸念もあってさせなかったのだ。


 渚自身、高位の式神との契約は考えていない。数は力であり、偵察など真夜や朱音が不得意とする所をカバーするためでもある。


 それに実戦に置いても、渚にはこの戦法は理にかなっていた。


 周囲を飛び回る式神達。弱いと言ってもこれだけの数が飛び回られれば気が散るし、何よりも牽制用であり戦うのはあくまで渚だ。


 式神を前面に出し、後方から攻撃するタイプの術者で無く、自分自身が積極的に前に出る戦い方だ。


「朱音さん、勝負です」


 渚の霊器に霊力が収束していく。それは柄だけの刃の無い霊器。だが霊力を通すことで刃が生まれる。その力は各属性の刃を生み出す事。風、炎、氷、水、雷。本来の霊器であれば一属性か、各属性を増幅される単純な武器としての霊器しか生み出せないが、渚は秘中の儀の影響からか、特殊な霊器を生み出した。


 相手や場所、状況によって属性を変える事が出来る利点がある。だが今回は単純な霊力の刃だ。


 中途半端な練度の攻撃では朱音は倒せない。だからこそ通常霊力での一撃にすべてを込めるつもりだった。


「上等よ。それにあたしだって成長してるんだからね! 出でよ、式神・火鼠!」


 渚の式神に対処するために自らも小型の両手に刀を持ち、鎧を纏った鼠を召喚する。朱音の式神で、戦闘力は上級中位程度の力がある。十二対一では分が悪いが牽制にはなる。


「はあぁぁぁぁぁっっっ!」


 朱音は自らの霊力を高め操り、全身に薄い炎の霊力の膜を展開する。自らを燃やすことの無い炎の鎧。中級程度の式神の攻撃では突破は困難。そして触れれば火傷では済まない。


 また残りの霊力を槍に集中させる。


(あたしは渚みたいに器用な事は出来ない。あたしに出来るのはただこの槍で相手を貫くことだけ。難しいことは考えない。ただ全力でぶつかるだけ!)


 自分には渚のような手数や多様で多才な術も、真昼のような霊器の特殊能力も、彰や海のような式神や守護霊獣も、ましてや流樹のような特殊な術も使えない。


 自分の強みとは何か。朱音はそれがまだ何か掴み切れていない。だが自分の戦い方は大火力を持っての制圧か槍での攻撃しかない。


 ならばどうするか。それは自分の信じる槍を極めるだけだ。最速の突き。一撃の威力を、重さを、速さを。


 避けられるかどうかなど考えない。避けられないように当てればいいだけだ。


 小難しい事は考えず、自分の持てるすべてをこの一撃に乗せる。


 二人の決着は近い。

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