エピローグ

 

 深い森の奥深く。人が立ち入る事の無い場所にその存在はいた。


 煌々と輝く真紅の瞳。四足歩行の黒い獣。体躯は大きく五メートルを超え、その身体には瞳と同じく赤い痣が無数に点在している。


 人間が見ればこう言うだろう。黒い巨大な犬、あるいは狼だと。


 その狼は足下の何かを喰らっていた。それは猪だった。だが一頭どころではない。数え切れないほどの猪の死骸があった。


 グルルルルルゥゥゥゥ。


 周辺では低くうなる声が無数に響いている。周囲にも猪の死骸が散乱し、それらを貪り喰らう存在がいる。


 野犬だった。夥しい数の野犬がいる。死骸は猪だけではなかった。鹿や兎、果ては熊までいる。


 彼らは皆、この集団の犠牲になった物達だ。


 黒い狼は異界よりこの世界に這い出た存在であった。


 かつて日本に生息していたニホンオオカミが神格化された、大口真神(おおぐちまがみ)と言う存在がいる。作物を守護し、人語を解し、善人を守り悪人を罰する存在とされている。


 だがそんな真神に対して、この狼は明治以降人間の身勝手さや病気の蔓延で絶滅する事になった、ニホンオオカミの怨念の集合体が異界で妖魔となって復活した存在であった。


 名を大口禍神(おおぐちまがみ)。


 神では無く魔の存在。本来は白い真神が黒く染まり、人間に対する恨み辛みを抱えた災禍をもたらす存在。


 禍神は偶然、異界から現世への穴を見つけた。かつてニホンオオカミが暮らし、生きてきた日本という土地。帰巣本能に導かれるように、禍神はこちらの世界へやってきた。


 神と言う名はあるが、妖魔としての力は神級と言うわけではない。しかしその力は超級へと至っており、さらに成長している。


 本能の赴くまま、獲物を狩り捕食していった。同時にこの世界の野犬を配下に加え、勢力を拡大していった。


 野犬達は禍神の妖気に触れ、妖魔化が進んでいた。狼と類縁の犬ならば親和性は高く、禍神の中の無数のニホンオオカミの怨念が野犬に取り憑き、急速に力を増していった。


 さらに現在の日本では急速に増える鹿や猪、狸の他にも外来生物のキョンやアライグマ、ツキノワグマなども禍神にとって福音だった。


 餌に困ることはなく、禍神はそれらを無数に喰らいさらに力を付け始めていた。さらに禍神に取って好都合だったのが、餌となる動物達に妖魔化した物達が混じっていたことだ。


 だからより早く、配下共々強さを増すことが出来た。


 しかも禍神は慎重で狡猾だった。ニホンオオカミを絶滅させた人間を、禍神は侮っていない。


 ニホンオオカミの中には、通常個体よりも強い妖気や霊力を使える個体もいた。だが人間の退魔師と呼ばれる者達によって駆逐されてしまった。


 だから禍神は人間の臭いを嗅ぎ、気配を探り、人間に見つからないように森の奥深くで力を蓄えていた。


 現世に来る前も、どういうわけか瀕死の状態の覇級妖魔を見つけ、それを喰らったことで急速に力を上げた。


 だがまだ足りない。もっと、もっと喰らわなければならない。忌々しく恨み骨髄の人間共に復讐するためにはもっと力を蓄え、仲間を集めなければならない。


 そのために配下にした犬共をあちこちに走らせている。人間に見つかる心配はあるが、その土地で仲間を集め、そこで力を蓄えてから合流するように言い含めている。あるいは一斉蜂起を起こし、人間共を混乱させることに使う。


 こうすることで人間達に見つかる危険を減らしている。


 また彼らは狩りをすることから、気配を消すことにも隠すことにも長けていた。


 ―――ミテイロ、ニンゲンドモメ―――


 神や聖獣として崇め奉りながら、自分達の都合でニホンオオカミを絶滅に追いやった身勝手な人間。赦すことなど決して出来ない。


 禍神は空を見上げ、僅かに咆哮を上げるのだった。


 ◆◆◆


 暗い、昏い、冥い闇の中で、鎖に繋がれた彼女は徐々に覚醒していく。


 深い眠りに落ちていたが、今は僅かにだが意識がある。そう長く眠りに落ちていたわけではないのだが、思った以上に早く目覚めた。


 まだ完全ではない。もう少し時間がかかる。この世界に適合するのも、先の完全解放の影響を抑えるにもだ。


 だが何か嫌な予感がする。彼に、彼の大切な者達に危機が迫っている。


 そんな気がする。


 杞憂であればいい。何も起こらない方がいいのだ。自分が喚ばれない状況こそが最善である。


 しかしもしもの時、彼の手助けを出来ないのは嫌だ。幸いな事に、彼の霊力を取り込み続けていた事で、色々な目処が立った。


 契約者の少年は気づいているかはわからない。彼の力が一定以上に戻らないのは、彼自身が新たな力を発現する前触れでもあるが、大部分は自分が取り込んでいるためだ。


 彼には悪いと思うが必要な事であった。何もしなければあの少年に更なる負担をかけることになりかねないから。


 いかに彼の特殊な血と才能を持ってしても、異世界の神クラスをその身に宿し、封じ続けるにはリスクがありすぎる。何も無ければそれでも問題なかったが、彼女の封じられた力を解放し、世界の制約を受けることにより、より多くの負担を彼は背負うことになった。


 それを少しでも減らすために、回復を早めると共にこの世界から受ける制約や影響を抑える意味があった。


 また彼の力になるために、彼女自身の新たな力を創り上げる事も目的としていた。


 この世界へ影響を与えないためにも、自分というあまりにも強すぎる力を知れ渡らせないためにも。


 何よりも彼の手助けになるようにと。彼と彼の大切な者達を守るためにと。


「Aaaaaaaa~」


 彼女は再度、構築を早める。自らの周囲に霊力の円環を無数に展開する。ここからは時間との勝負かも知れない。すぐに必要とされなければそれに越したことはない。


 だが準備だけは進めよう。


 自分が喚ばれてもいいように、自分を喚べない状況でも彼に力を貸せるように。


 堕天使ルシファーは新たな力の構築に心血を注ぐ。


 それが彼のためになると信じて、彼女はこの空間で成すべき事を続けるのだった。


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