第十七話 流樹と海
流樹は幼い頃から、天才ともてはやされた。霊術の習得において、他の追随を許さず、霊器も若くして顕現させた。一族内でどんどん頭角を露わにし、十五歳で次期当主に内定した。
彼自身の優秀さもあったが、十年前の黒龍神の事件で多数の実力者が殉職した影響もされていた。
彼を超えるだけの術者が、水波には少なくなっていた。
しかし当時の流樹には天才と言う称号が自慢であり、誇りであり、矜持であった。それに恥じぬ努力も続けていたし、それだけの力と実績も上げていた。
しかし赤面鬼や黒龍神の事件で、そんな物は見せかけであり、何の価値もない物だと思い知らされた。
持っていた物すべてが、粉々に砕かれ、自分の無力さを、至らなさを、考えの狭さを突きつけられた。
――ならば強くなりなさい――
最強と呼ばれた退魔師にそう言われた。次期当主としても、人としても強くなれと。
――君が諦めなければ、必ず強くなれる――
その言葉を受け、自らを省み弱さを認め、今まで持っていたくだらない矜持も捨てた。
上には上がいる。自分はまだまだ未熟者。そう受け入れ事ができると、自分がまだ成長できる気がした。
しかし鍛錬は続けていたが、誰かに教わると言うことをすることが少なくなった。父である当主は忙しく、そしてベテラン勢も忙しく、さらに流樹とまともに戦える者は多くなかった。
そんな時、氷室氷華から妹の志乃と一緒に鍛錬をしないかと持ちかけられた。
以前からもだが黒龍神の事件以降は、水波と氷室の結びつきはより強くなった。
それに氷華はあれ以降、恐ろしく強くなっていた。鍛錬で忙しい父の手を煩わせるのは気が引けたので、氷華に相手をしてもらおうという考えもあった。相手も忙しいだろうが、こちらから出向くのだし、仕事を他に押しつて志乃と一緒に鍛錬しているようなので、それくらいは大目に見てもらうつもりだった。
だが結果的に氷室の鍛錬に参加したことが、流樹をさらなる高みへと登らせることになる。
「水の霊術による水龍の顕現ですか」
「そうだ。式神とは違い、常に霊力を消費もせず、霊符の補助もあるので維持するのにかかる消耗も少ない。これが僕の切り札だ」
四体の水龍の中心に立つ流樹は、淡々と海に説明を行う。
「なるほど! 最上級中位程度の力を感じますね! それが四体。しかし特級の蛟竜には届かず、また水の属性では蛟竜にそこまでの手傷は与えられません!」
海の言うとおりである。確かに最上級中位程度の力の水龍が四体同時に操作できるのであれば、並大抵どころかかなりの上位者でも倒せるだろうが、いかんせん、蛟竜には力もだが相性も悪い。
「ならば試してみるがいい!」
前方の水龍二体が水の身体を伸ばし蛟竜に襲いかかる。蛟竜も負けじと突進する。接触と同時に一体の水龍を粉砕する。もう一体も同じように尾で弾き飛ばす。周囲に水が飛び散るが、ほとんど時間をおかずして元通りの水龍になると、再度蛟竜に襲いかかる。
「再生能力ですか! 水ならではと言うことですね! そしてそのまま蛟竜を消耗させると。ですが、その程度で蛟竜が倒せると思わないことです! そして私も攻撃は出来ますよ!」
再び左手の中指と人差し指を構え、流樹に向かい霊力弾を放つ。この陣を維持しているかぎり、流樹は動けないのではと考え、切り札ではなくまずは確かめるために牽制を行う。
だがそれは他の水龍が流樹を庇うように水の身体を盾にして防ぐ。
(少し厄介ですが、貫けないことはないでしょうね。それに蛟竜もあの程度では倒せない。こちらもそろそろ決着をつけるとしましょう!)
海は油断をせずに、それでも決着を付けようと術を発動しようとする。
だがその前に流樹が動いた。一体の水龍が蛟竜に絡まりつくと、僅かに動きを止める。それに合わせて残りの三体の龍が蛟竜に殺到すると形を変え、巨大な水の牢獄を形成し蛟竜を中へと取り込んだ。
「水の牢獄ですか! しかし無駄です! 水の中に潜む蛟竜には効果がありませんし、圧力を増したところで蛟竜なら耐えられます!」
数分は閉じ込める事が出来るだろうが、その間で窒息させるのも押しつぶすのも無理だと海は叫ぶ。
しかし様子がおかしい。
流樹が作り出した陣と繋がる水牢の中で、僅かにゴボゴボと音がし始めると、水牢から水蒸気が立ち上った。
「なっ!?」
水牢の中で無数の泡が発生している。中の蛟竜が苦しみもがいている。
「あれはただの水じゃない。沸騰した熱湯だ」
流樹は氷室での鍛錬の時、自身の水の霊術が氷華に悉く凍らされ、無効化される展開が続いた。力量差や氷華自身の霊術によるものではあるが、凍らされた水は氷となり、流樹は操作できなくなった。
悔しい思いで対処方法を考えている時、氷を溶かし片付けをする修行を行っていた志乃が不意に「お湯をかければすぐ溶けるのに」とぼやいたのを聞き、流樹ははっとなった。
氷華相手では自身の操作する水は凍りやすい。だが熱湯なら? お湯も突き詰めれば水である。水の霊術の水の温度など意識したことなどなかった。だがもし温度を操作できれば?
そこから流樹は改めて水について科学的に調べ、沸騰や電子レンジなど原理を詳しく理解し術に落とし込もうとした。
出来る出来ないでは無い。やってみる価値があるという考えからのもとだ。
流樹自身、鍛錬に行き詰まりを感じていた。彰や真昼、真夜のような異常な才能や経験が無ければ、霊力は簡単に急速には伸びない。体術においても流樹はそれなりに出来たが、あくまでそれなりにである。これも一朝一夕ではどうにも出来ず、水波に伝わる多くの術は習得済みであった。
今はさらに高等霊術を習得しようとしていたが、いかに天才といえどすぐにできるわけではない。
氷華にあしらわれ続け、中々強くなれないことに焦りを感じて居た時、これが出来れば氷華にも勝ち越せるのではと思った。
ただの負けず嫌いの気質もあった流樹だが、彼は紛れもなく天才だった。
彼は水波の誰もがすることも、または考えることさえしなかった事をやり遂げた。
すなわち、自身の水の霊術の温度変化という離れ業を。
「水属性に耐性があっても、常に煮立つ熱湯の中でどれだけ耐えられるかな。さらに浄化の霊術も同時に発動している。温度は炎には劣るが、炎と違い質量があり常に触れている状態で自らも熱せられる。煮沸消毒では無いが、このような攻撃はあまり受けたことはないだろう」
単純な炎などの熱エネルギーや、電子レンジなどのマイクロ波での振動に頼らない、水の水分子そのものを操作し摩擦を起こして温度を上げる。
水龍四方陣はただ水の龍を四体喚び出すのでは無い。これを大規模霊術の一種として、陣と霊符の補助の下に大量の水分子を摩擦させるための補助だ。
流樹はいつかは陣の力が無くとも水の温度を変化させるように研鑽を積んでいる。
そこまで強力な術には見えないかもしれないが、対人戦には効果が高いし、妖魔であろうとも常に沸騰している熱湯の中に閉じ込められてはただでは済まない。
現に蛟竜ももだえ苦しんでいる。ただの熱湯では無く浄化の力もあり、煮沸され続けてるのだ。水属性であろうとも堪った物では無い。
守護霊獣は星守の人間と契約することで、恩恵として浄化などの術に耐性が付くようになる。そのため妖魔であっても浄化を含め霊術への耐性が高くなるのだが、これはまた別の話だ。
「それにこれだけでは終わらないぞ!」
流樹が叫ぶと、水が散弾のように陣から無数に海に向かい放たれる。
「くっ!」
何とか回避し、霊符を展開して防御を行う。威力も高い上に高温であり、ただの水よりも厄介だ。いや熱湯は高温であるために、霊符への負担がかなり大きくなっている。
さらに地面に落ちた蒸気が周囲を熱する。全身を常に防御していなければ蒸気の熱で火傷をするか、しないまでも隙を生むことになりかねない。
「蛟竜! 全力でその水をふき飛ばしなさい!」
海の言葉に全身から力を解放し、水を吹き飛ばした。だが吹き飛ばされた熱湯はそのまま周囲へとまき散らされ、海の方にも大量の熱湯が降り注ぐ。
「くぅぅっ!」
周囲にまき散らされる熱湯。海は浴びてはマズいと全力で防御する。地面に叩きつけられる熱湯から蒸気が立ち上がり、周囲がまるで霧に包まれたようになり、視界が遮られる。
「っ!?」
ドンと激しい衝撃が胸に走る。いや、何かに貫かれたと言っても過言ではなかった。
「勝負それまで!」
と、審判から声が上がる。審判の男は流樹が大規模霊術を発動させたのを見て、真昼と彰の時のように一目散に結界の外に出ていたのだが、勝敗が決まったため試合を止めた。本当にこんな奴らの試合の審判はもう嫌だと審判の男は心の中で叫ぶ。
結界の身代わりの術式が発動した。その結果が意味するのは……。
蒸気が消え、視界が鮮明になるとそこには霊器の鞭を伸ばし、海の心臓を付近を貫くような流樹と茫然自失としている海がいた。
蛟竜は拘束を吹き飛ばしたあとは、一旦距離を取ろうと上空に待避していた。
「蛟竜は龍とはいえ幼体の子供に過ぎない。強いがこんな攻撃の経験などないだろう。それに君も慣れない攻撃や状況への対処で気が逸れていた。そこを突かせてもらった」
鞭を退き、説明を行う流樹。連携が取れず、視界も遮られ、防御しては居たが集中が出来ておらず、流樹の水の霊術での蒸気なので、霊器の接近の気配も探りずらかった。
鞭の先端が槍の穂先のように鋭くなり、海を一瞬のうちに貫いた。正確無比の一撃で実戦なら心臓を貫かれ死んでいただろう。
身代わりの札が発動したことで、勝負はついた。流樹の勝利、海の敗北という形で。
「そんな……」
海は両膝から崩れ落ちた。勝てなかった。敗北した。星守宗家の自分が。涙が出そうになるのを海は必死で我慢した。
「すまないが、勝たせてもらった。修行の成果を確かめられた。そちらも星守に宗家の名に恥じない素晴らしい使い手でいい手合わせだった」
いつの間にか近くにやってきていた流樹が海に賞賛の言葉をかけた。
「わ、私は勝たなければならなかったんです。星守の宗家の一員として……」
だが負けた。真昼以外にも負けた。自分も星守の一員として、負けるわけには、無様を晒すわけにはいかなかったのに。
「……君の気持ちがわかる、などと言うつもりはまったくない。しかし僕も苦い敗北を味わったことがある」
眼鏡を触りつつ、流樹は海に語りかける。
「僕も水波では天才と言われ有頂天になっていた。だが敗北や挫折を経験した。僕は決して、そこまで持ち上げられる存在でも無かったと思い知った。悔しく、惨めで、父や一族に顔向けできないと思った。だが僕はある人に言われた。人はどこまでも強くなれると。君が諦めなければ、必ず強くなれると」
朝陽に言われた言葉を流樹は海に告げる。これで奮起できるかどうかはわからない。
言葉の重みは、語る人間によって変わる。同じ言葉でも言う人物が違えば意味を持たなくなる。それでも流樹は言わずにはいられなかった。
流樹は海がどこか追い詰められているのに気がついていた。観察力が優れているわけではないが、海にはどこかかつての自分を重ねてしまった。
家の名に恥じぬように。天才と言う周囲の期待に応えたいと努力していた自分に。
だが彼女はどこかその名に押しつぶされているようにも思えた。だから何となく、自分が言って欲しいと思う言葉を海に投げかけた。
「君は決して弱くは無い。君の術も強さも才能だけに頼った物では無い、鍛錬の積み重ねが感じられた。敗北は辛いだろうが、僕はそこから前に進んだからこそ強くなれた。君は水波家次期当主の僕に全力を出させた。そして僕は君を認めよう。水波次期当主としても一人の退魔師としても」
黒龍神の事は言えないが、赤面鬼の件は公になっている。自分は倒れ、朱音や真夜の時間稼ぎで難を逃れたことになっている。その件を自分の失敗として語る。
「一族の名の重さは僕も理解している。それに押しつぶされるならば簡単では無いだろうが、捨ててしまえばいい。君はそんな物が無くとも強い。それは僕が保証しよう。星守だから強いのでは無い。君が努力してきたからこそ強いのだと。とやかくいう奴には言わせておけ。誰が何と言おうが、僕は君を認める」
その言葉に海は僅かに目を見開くと顔を俯かせる。
流樹は言いながらも、重みの無い安い台詞だと内心では思った。自分は名実ともに最強の退魔師である朝陽に言われたからこそ奮起できた。
しかし今の自分は水波の次期当主という肩書き以外、さして特筆する物が無い。退魔師としての強さも真昼や彰の戦いの後では誇れるものでもない。
戯れ言と、上から目線の言葉を言われても反論できない。
それでも流樹は自分への怒りで奮起してくれるなら、それでも良いと思う。彼女は特級の守護霊獣を従え、退魔師個人で見ても、優れている。ここで潰れるにはあまりにも惜しい。
朝陽のように誰かを立ち直らせるような、誰かを導くような、そんな当主になりたいという感情からの言葉だった。
「……言ってくれますね」
海は顔を上げ、流樹を見る。その顔はどこか笑っていた。
「当たり前です! 私はこれまでずっと努力してきたのですから! ええ、敗北を認めましょう! 今回はあなたの勝ちです! ですが次は私が、私達が勝ちます!」
立ち上がり、海は力強く宣言する。その顔に先ほどまでの悲壮感はなかった。心配そうに見守っていた蛟竜も海の側にやってきてふんすふんすと鼻息を荒げている。次はこうはいかないと、目で流樹に訴えかける。
海自身、ショックを受けた。今までの自分がまた揺らいだ。今までの努力が無駄だったと突きつけられた気がした。
それでも続く流樹の言葉が胸に響いた。なぜだろう。どうしてこんな言葉で救われた気になっているのだろうか。
自分が認められた。星守の宗家の一員としてではなく、海自身の努力と強さを流樹は認めると言った。顔を俯かせたのは、思わずにやけてしまいそうになったからだった。
海も自分自身でも安い女だと思うが、それでも信じられないくらい心が穏やかだった。胸がすく思いだった。
最初は褒めてもらいたかっただけだった。頑張って頑張って、両親や周りに褒めてもらうのが嬉しくて、誇らしくて……。
でももっと凄い真昼がいた。自分よりも天才で、何でも出来る年下の少年が。
みんなが真昼を見ていた。ただもっと自分を見て欲しかっただけだった。
両親は自分達の娘だと褒めてくれた。嬉しかった。でも心は満たされなかった。
子供っぽい考え方だが、大河と夕香の子供だからでも、星守の宗家の娘だからでもないなく、ただの海として見て欲しかった。
しかし自分に勝った水波の次期当主が肯定してくれた。
ただそれだけの事が、どうしてこんなにも嬉しいのだろうか。
だがそれはそれとして、他家の次期当主でも年下にこうまで言われては情けない。
虚勢を張る。自分は真昼達を見て折れてしまった。今でも彼らに届くとは思えない。流樹はどうだろうか。自分と同じく諦めるのかそれとも彼らを目指すのか。
海は少なくとも目の前の流樹には負けたくないと思った。自分を認め、肯定ししてくれた相手に不甲斐ないところを見せたくないと思った。
「私も蛟竜もまだまだ成長途中です! 次はこうなるとは思わないことです!」
「それは僕も同じだ。僕もまだまだ強くなる。その時はまた手合わせ願おうか」
二人はどこまでも不遜に、だが笑みを浮かべながらそう宣言し合うのだった。
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