第十六話 内心


 海と流樹は鍛錬場の中央で対峙した。


 すでにお互いが霊力を解き放ち、牽制し合っている。


 しかし真昼と彰の後であるために、どうしても一段以上劣る。あの二人は規格外のために比べる方がおかしいのだが、水波の天才児と呼ばれている流樹と、真昼が居なければ星守の天才児と称されるはずだった海の手合わせは、星守一族からすれば重要な物だった。


「では始めましょう! 私も最初から全力で行かせてもらいます!」


 宣言と共に海は自らの守護霊獣を喚び出す。それは体長五メートルを超える蛇に似た存在。


 蛟竜(こうりゅう)と呼ばれる龍の一種であり、龍の幼体と言われている。真っ直ぐで短めの角。短い手には四本の爪を持っている。


 しかし海の使役する蛟竜は龍の幼体とはいえ、龍である事に変わりなく、周囲を圧倒する威圧感を放っている。


 特級クラス。大多数の術者では相対した瞬間に震え上がり、腰を抜かすだろう。以前、流樹が敗北した強化された赤面鬼には劣るが、それでも特級下位の力がある。


 流樹は京極の事件では特級上位クラスの五虎の一体を倒しているが、それは父である流斗や氷室氷華と連携してのことだ。一人で特級と相対したことは赤面鬼以来である。


 流樹は海と蛟竜をじっと微動だにせずに観察している。


「海も成長したな。守護霊獣も特級クラスに至っている」


 明乃は海の蛟竜を見ながら、感嘆するように呟いた。星守の守護霊獣は他の式神と違い術者の成長に伴い、その影響を受け強くなりやすい。


 他の式神では術者が成長しようとも、式神自体が多数の格上を倒し、強い妖魔を喰らったりしなければ強くなれない。それも絶対に強くなれるわけでも無く、その成長速度も遅い上に、使役者よりも強くなることは希だ。


 彰が使役している雷坂の雷鳥も、北海道開拓の過酷な環境と強者との戦いや数多の敵を喰らう事で力を付けたし、雷坂当主も超級クラスと互角以上に渡り合えるほどの強さを持っていたためあれだけの強さになった。


 例外として式神の使役に特化した術者ならば別だが、ほとんどの場合、退魔師として個人の戦闘能力が高ければ高いほど、式神が術者よりも強くなることはない。


 しかし星守は違う。守護霊獣は使役者よりも強くなる。蛟竜は下位とは言え特級に至った。海自身も霊器使いでもないのに、すでに最上級中位となら守護霊獣が無くとも互角に戦えるほどだ。


 彼女達ならば並大抵の相手には余裕で勝てるだろう。


「ええ。お兄様や真昼には劣りますが、海も十分に優秀ですわ」

「うむ! 流石は俺達の娘だ! 海自身、並の退魔師どころか霊器使いとも互角に戦える。そこに特級の守護霊獣もいる。さて水波の次期当主相手にどう戦うかも見物だな!」


 明乃の言葉に夕香も大河もどこか誇らしげに答える。


「お姉ちゃん、大丈夫かな」

「海姉は強い。そう心配することはないはずだ。水波の次期当主がどれだけの使い手かはわからないが……」


 空の心配するような呟きに、陸は簡単に負けることはないと言うが、彰という規格外を見た後では、流樹もどれだけの強さがあるのかわからないので、僅かに不安を抱いているようだ。


「真夜はどう見る?」


 彰と別れ、真夜の近くに座っている真昼が真夜に問いかける。身代わりの術式が肩代わり出来なかった傷の方は、彰共々真夜がすでに完全回復させている。


「どうだろうな。流樹も強くなってるだろうから、見物だとは思うぜ。まあ兄貴や雷坂には流石に届かないだろうけどな」


 普通なら下位とは言え特級クラスを相手にするのはかなり厳しい。そこに海も加われば実質二対一。流樹に彰のような強力な式神がいなければ、流樹が圧倒的に不利だろう。


 それでも今の流樹からは気負いや焦燥感のようなものは感じない。


「そうだね。海も今どれだけ強くなってるのか興味があるしね」

「兄貴達の後だとやりにくいだろうけどな」


 真夜の言葉に真昼は苦笑していると、試合開始の合図が審判から出された。


「行きますよ、蛟竜!」


 グロロロロロロッッッツ!


 蛟竜が一気に流樹に迫る。流樹は鞭型の霊器を顕現させると、それを巧みに操り蛟竜へと攻撃を行う。


 中・遠距離に対応した水の鞭は以前よりも収束され威力を上げている。叩きつけるだけでは無く、ウォーターカッターのように切断力をも有しており、迫り来る蛟竜に打撃と斬撃を与えるが、体表に多少の傷を付け、僅かに勢いを殺す程度しか出来なかった。


 突進してくる蛟竜に流樹は膝を曲げ、地面に左手を押しつけ前方に水の壁を出現させると、蛟竜を防ごうとする。強力な水の壁は最上級クラスでも突き破るのは至難であろう。


 だが相手は特級。多少の時間は稼げたが蛟竜は水に耐性があり、難なく水の壁を突破すると流樹の身体に噛み付き、浮き上がらせるとそのまま彼をかみ砕いた。


 しかしかみ砕かれた流樹の身体は水に変化し、ザバンッと蛟竜の顔に降りかかる。かみ砕いたと思った蛟竜の口内にはボロボロになった一枚の霊符が残っていた。


「霊符を核にした水の分身ですか」

「その通りだ」


 先ほど流樹がいた場所から少し離れた場所に無傷の流樹が立っていた。


「水の高等霊術ですね。本人と寸分違わぬ分身を作るのはかなり難しいはず。それをあっさりとしてのけるとは」


 蛟竜を近くに戻した海が賞賛するように言うと流樹は特段自慢するでも無く、あっさりと同意した。


「分身と言ってもそこまで万能でもなく、出来ることも限られている。特殊な霊符を使用する上に目くらまし程度しか意味は無い」


「それでもです。それに蛟竜の身体に傷を付けたり、突進に耐える障壁の展開。流石は天才と言われる水波の次期当主です。しかし私も星守宗家の人間。星守の人間として、たとえ次期当主とはいえ負けません!」


 両手を腰に当て、自慢する海。確かに霊力は一流の退魔師に比べても遜色ない。特級の守護霊獣も驚異だ。


 海は霊力を高め、懐から霊符を取り出し攻撃を繰り出す。彼女は属性に変換する事はあまり得意では無いが、持ち前の霊力量に任せた霊力を霊符に込め、それを投擲して相手を攻撃する事に長けていた。


 妖魔に張り付けば、浄化の力と霊力の放出で相手に大きなダメージを与える。一枚でもまともに浴びれば、上級は一瞬で消え去り、最上級でさえも手痛い手傷を負わせられる。


 海は心の中で決して負けられないと叫ぶ。流樹へと無数の霊符を投擲すると共に、蛟竜も口から水の塊をいくつも放った。流樹は鞭で牽制し、時には打ち落としながら回避行動を取る。


(そうです。私は負けてられないんです。星守宗家の一員として。私は他の退魔師とは違うんです!)


 彼女は星守の宗家において、真昼や真夜よりも先に生まれた。


 生まれた時にはすでに霊力も高く、将来を期待されていた。


 だが一年後に真昼が生まれてから、彼女は二番手に成り下がった。


 霊術の習得や体術を含め、一年先に生まれた海が努力を続けてきた事を真昼はすぐに、それも海よりも早くに習得した。海が出来ないことすらも、真昼はどんどん習得した。


 周囲の期待は女の海よりも男の真昼へと向けられた。


 頑張った。努力した。強くなった。だが真昼はそんな海よりも早く強くなっていった。


 守護霊獣も蛟竜という最上級の強大な竜の一種と契約を結んだ。なのに真昼は同等の存在を二体も従えた。


 父も母も褒めてくれる。流石は自分達の娘だと。周囲も海は凄いと言ってくれる。当主の朝陽もだ。


 だがわかっていた。両親二人も朝陽も真昼の方に高い関心があると。それはわかる。真昼は天才という範疇には収まらないほどの鬼才なのだから。


 どれだけ頑張っても真昼には勝てなかった。周囲も星守の若手と言えば真昼の名を口にする。


 祖父の時雨はそんな海に常々言っていた。真昼に勝てと。お前ならば勝てると。


 父も母も真昼に勝てとは言わなかった。ただ真昼は凄いと常々口にしていた。真昼のように頑張れと。


 それが海には辛かった。自分は本当は期待されていないのではないかと思ってしまった。


 いや、期待していたが、真昼に追いつけないことで失望されているのでは無いか。そう思ってしまった。


 だから必死に努力した。


 唯一真昼に勝てると期待してくれている、時雨の期待を裏切りたくなかったから。尊敬する父と母に失望されたくなかったから。


 でもダメだった。真昼との差はどんどん広がっていった。特にここ数ヶ月は著しかった。守護霊獣の成長度合いも比べものにならなかった。


 そんな中、昔から真夜の存在が海にとっては救いだった。


 屈折した、最低な事だとは海も思っていた。だが真昼の双子の弟の真夜は海よりも、いや、比べものにならないほどの落ちこぼれで、常に真昼と比較され続けていた。


 真夜がいるだけで、海は真昼に勝てなくともそこまで比較対象にならずにすんだ。祖父も真夜を蔑み、海はまだマシだと厳しい言葉を言われる事は少なかった。


 海も真昼に勝てなくとも、同じ宗家の人間でありながら圧倒的に劣っている真夜がいるという事実が、彼女の自尊心を僅かながらでも満たし安心感を与えていた。


 その後ろめたさか、あるいは別の思いか、海は真夜の鍛錬を手伝ったり、真夜を鍛えようとした。


 真昼に勝てない者同士、慰め合おうと無意識で思ったのか、真夜に同情し、少しでも強くなれるようにしようとしたのか、または自分に劣る真夜を近くで見て優越感を持とうとしたのか、それとも……。


 今回の顔合わせや手合わせで、落ち着いた雰囲気を纏い、強くなった真夜を見て、海は賞賛すると共に言い知れぬ不安に襲われた。


 あの真夜が大和を圧倒した。そしてその強さがどこまでのものか、わからなかった。覚醒し、霊器使いとなったことで、真夜も真昼のように急速に強くなるのではと思ってしまった。


 そして海の不安を増大させたのが、真昼と彰の戦いだ。


 理解させられた。気づいてしまった。自分ではあの領域に行けないと。いや、届くかも知れないが真昼はさらに先に進むだろう。その確信があった。だから心が折れてしまった。真昼には永遠に勝てないと。


 そして真夜の言葉。真夜はどこか達観していたようにも見えた。受け入れ、諦めたような言葉を言っているようにも聞こえた。


 周りは真夜の言葉に安堵していた。だが海は真夜が諦めていないのではと思えてしまった。


 そしてどこか大人びた真夜の雰囲気と先ほどの戦いから、もしかすれば真夜は自分よりも上に行っているのでは無いか。そうでなくても真夜にも先に行かれてしまっては、今までの自分のすべてを否定されるのではと恐ろしくなった。


 だから勝たなければならない。示さなければならない。自分は強いのだと。六家の次期当主にも負けない強さなのだと。


 霊符だけではない。右手で霊符を投擲するのと、左手の人差し指と中指だけ伸ばし、霊気を収束させて弾丸のように打ち出す。そこまで連射は出来ないが、溜めには五秒もかからないし、大きさも拳大で威力も上級を一撃で倒せる。並の退魔師ならば切り札にしてもおかしくない攻撃だ。


 だがあくまで牽制用。本命は別にある。


「このまま決めさせてもらいます!」


 防戦一方の流樹に海は声高らかに宣言すると、懐からさらに別の霊符を取り出して左手の人差し指と中指を突きつける。海の血を使い、霊力を蓄積した彼女だけのオリジナルの霊符。


 指先に集まった霊力が、さらに霊符に集まると霊符に蓄積されていた霊力と合わさり、渦を巻くように中心に収束していく。


 ―――二指霊光砲―――


 収束した霊力が一気に解き放たれると、光の光線のように解き放たれた。


 一直線に流樹に向かい解き放たれた一撃を流樹はギリギリで躱すが、後方の着弾地点では巨大な爆発を起こした。


「よく躱しましたね! ですが今ので終わりではありません! まだ放てますよ!」


 大和と雷獣の最大級の攻撃をも凌駕する攻撃。霊符はまだあり、海の霊力的に一日に三発は撃てる。


 さらに今は見せつける形で放っており、確実に当てようとはしていなかった。


 まだ蛟竜もほとんど消耗していない。だから次は蛟竜との連携を持って確実に仕留めると海は宣言する。


「……なるほど。確かに言うだけはあって中々の使い手だ。水波でも勝てる者は限られてくるだろう」


 流樹は海を賞賛する。特級の守護霊獣を難なく従え、これだけの霊術を駆使する退魔師はそう多くないだろう。霊力のコントロールや収束も上手い。努力を感じさせる。


「だが、あまり僕を舐めるなよ。観察の時間は終わった。ここからは僕も全力で行かせてもらう」


 流樹は海と同じように懐から無数の霊符を取り出しながら、宣言するとそれらを地面にばらまいた。


 すると霊符が光り輝き、符から勢いよく大量の水が溢れ出し、流樹の周囲に巨大な水たまりを形成する。


 スッと流樹が左手の中指と人差し指を立て、剣印を作るとそのまま膝を曲げてかがみ、右手を地面に突き立て祝詞を唱える。水が震動し、符の位置が変化すると符を起点にして巨大な水柱が四方から伸びた。


 水柱は数秒の内に変化する。それは水で出来た龍だった。


 ―――術式・水龍四方陣―――


 全長十メートルはあろうかという四体の水の龍が、海と蛟竜を睨むかのようにその顔を向けたのだった。


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