第六話 父と娘

 

「あれは渚が生まれて一年目の事だ。私は澪と渚を連れ、初めて三人で出かけることを考えた。澪の体調もあるので、そう遠くへ行くことは出来なかったが、近場の京極の傘下が運営する宿泊が出来る場所を選択した」


 他の妻や子供へも同じかそれ以上の対応をしてから、清彦は澪達を連れ出すことが出来るようになった。


 一泊二日の短いものだったが、話をした時の澪の喜び様は今でも清彦は覚えている。


「澪はとても喜んでくれた。私も舞い上がっていた。それがマズかった」


 長老衆や先代への対応も、他の者への対応も完璧にこなしたつもりだった。


 三人で家族水入らずで過ごそうと、直属の護衛も付けずに出かけた。京極の傘下が運営しており、霊的な防御も施された場所だった。霊力の高い澪を狙う妖魔への対策も行っていた。


 だが悪意があるのは妖魔だけでは無かった。近年、妖魔を生み出すのはその大半が人間だった。


 人の底知れぬ悪意を清彦は甘く見ていた。


 宿泊した夜、一人の男が澪達を襲った。


 その男は京極家に恨みを持つ者だった。大ぶりの鉈を持ち、血走った目をして澪達を襲撃した。


 どこからか清彦がお忍びでここに宿泊すると漏れたようだ。あるいは澪達を快く思わない京極内部からのリークだったのかも知れないが、まさか清彦も人間に襲撃されるとは考えてもいなかった。


 清彦が少し席を外した隙に、彼女たちは襲撃された。


 澪も式神で周囲を見ていたが、初めての旅行で浮かれていたのと、渚への世話に意識を取られていたこともあり、発見が遅れてしまった。


 幸い、男はさほどの使い手でもなかったので、澪の式神でも時間稼ぎは出来た。


 嫌な胸騒ぎと異変を察した清彦が即座に駆けつけ、男を取り押さえることに成功したため、澪も渚も無事であった。しかしこの時の心労と無理な式神の行使で、澪は体調を著しく悪化させることになった。


 男に関しても連行される途中であらかじめ仕込んでいた毒を服薬し自ら命を絶ったため、真相は闇の中へと消えた。宿にも手引きした者がいたと思われるが、調査の結果、それらしき人物はいないと結論づけられた。


 そんなはずが無いと再調査しようにも京極家当主とその妾が、旅行の最中に襲撃を受けたなど醜聞になりかねないため、再調査は長老衆の判断で中止され事件は闇に葬られた。


 あるいは、長老衆の中にこの件を画策した者がいて手を回したのかもしれない。


 独自に裏を探ろうとしたが、それも思った以上の成果を挙げられなかった。


 清彦としては犯人や手引きした者を自分の手で八つ裂きにしてやりたかった。襲撃犯にしても背後関係を調べるために生かしておいたと言うのに、この結末では清彦で無くても納得できないだろう。


 だがそんなことよりも、清彦は澪の身を心配した。出産でのダメージや慣れない子育てのストレス、清彦の他の妻達との関係もあり、彼女は自分自身でも気づかない以上に肉体的に疲労していた。


 そこへ今回楽しみにしていた家族三人での旅行で他者の悪意をまともに受けた上に、渚共々命の危険に晒されたことで、澪はほとんど寝たきりになってしまった。


 清彦も何とか時間を取り澪の下へと足を運ぼうとした。しかし周囲がそれを許さない。それでも清彦はできる限りの時間を作った。


「……すまない。私があんなことを計画したばかりに」

「いいんです。もう気にしないでください」


 身体がかなり弱くなったことで、式神も満足に扱えなくなり、彼女はほとんど周囲の様子をうかがうことが出来なくなっていた。


 本邸の離れの一角で、布団に横になりながら澪は弱々しく清彦の手を握りながら答えた。


「……ねえ、清彦。今度、私が元気になったら渚と一緒に旅行に連れて行ってください。今度こそ、三人で楽しんで良い思い出にしましょう」

「……ああ、そうだな。次はあんなことがないようにして、皆で良い思い出にしよう」

「その頃には渚も色々とわかるようになってるはずですから」


 そう言って笑う澪の顔に清彦は死相を見てしまった。もう、彼女は長くは無い。この約束が決して果たされることはないと、心のどこかで理解してしまった。


 澪も内心ではわかっているのだろう。彼女は自分の感情が他者に伝わる。隠そうとも隠せない、彼女の悲しみ、苦しみ、辛さが清彦に伝わってきた。


 だがそれ以上に清彦や渚への愛や感謝が浮かんでいた。彼女は清彦の事を恨んでなどおらず、彼の事を心配していた。


「私の事はいい。澪は自分と渚のことだけを考えるんだ」

「はい。清彦、約束です。古風ですが、指切りげんまんでもしましょうか。この間の旅行の続きは次の楽しみと言うことで」

「ふふっ。この年になってそんなことをすることになるとは」


 清彦は気恥ずかしくもあったが、この場には自分達と近くですやすやと眠っている渚だけだったので、すんなりと澪と小指を結んだ。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」


 嬉しそうな顔をしながら指を切る澪。その時の彼女はこれを生きる糧としたかった。清彦との約束を守るために。生きる気力を出すために……。


「だが澪はその一月後に亡くなった」


 病死だが妾と言うことで大々的な葬儀は行われず、一部でのみの密葬となった。


「その後、私は渚をできる限り遠ざけた」

「……理由は渚を守るため。渚の母と同じような目に遭わせないようにするためですね」

「……そうだ」


 真夜の指摘に清彦は僅かにためらいを見せたが、肯定で返した。


「澪や渚を襲った犯人は、京極家へと恨みを抱いていたが、当主の私にも大きな憎しみを向けていた。奴を取り押さえた時、その男は言っていた」


 ――俺の家族はお前らのせいで苦しんだんだ! 俺はお前らのせいでその家族を失ったんだ! お前らにも教えてやる! 家族を失う苦しみを! ―――


 その男は三流退魔師で京極家に仕事を奪われていたのだが、そこまで激しく京極家を憎む理由まではわからなかった。


 あるいは男に誰かが何か吹き込んだのかもしれない。


 清彦が澪や渚を大切にしていたと知っている人間だとは思うが、それでも澪を気に食わない者達が京極の中に複数いたし、清彦の地位を狙った輩が先導した可能性も捨てきれなかった。


「今更何を言っていると思うかも知れないが、澪を失い私は渚まで失うのが恐ろしくなった」


 だから敢えて清彦は渚を遠ざけた。渚に興味が無いような振る舞いをした。


 澪の血を引き、優秀な事も努力していたことも理解していた。だが少しでも渚への危険を減らすために、褒めることも認めることもしなかった。


 清彦の弱点と思われぬために。自分のせいで、渚に危害が加わらないようにするために。


「京極から遠ざけることもあまり好ましくなかった。京極の庇護が無くなれば、それだけで危険が増す可能性が高かった」


 澪の件もあり京極に恨みを持つ者が、当主の血を引く渚に何かしらの危害を加えるか、利用しようとする危険性もあった。。霊力も京極一族の直系と変わらず、妖魔達にも狙われる可能性もあった。


 だから最低限、手元に置き守ると同時に経験を積ませ、自分の身を守れる強さを身につけさせる必要があった。


 理由として無理が無いように興味はないが、優秀で使い勝手が良く、他の兄姉の役に立つから手元に置くとした。娘が可愛いからと周囲に悟らせないために、清彦は澪が死んでからその態度を貫いた。たとえ渚と澪に恨まれる事になろうとも。


 その際の功績も邪魔になる。下手に功績を積み重ねれば一族内でも反感が募る。他家に嫁がせるにしても優秀すぎれば京極家ということもあり足かせになりかねない。


 だからこそ、清彦は渚への対応に苦慮しながら、彼女にとって周囲から見れば酷い扱いをとり続けた。


 清彦は渚が成人した後は、折を見て信用できる他家に嫁がせるか、政府とのパイプを強くするためという理由でSCDに送り込むつもりだった。


 嫁がせる相手は清彦が厳選するつもりであったし、SCDに送り出せば京極家の影響力はあるものの、必要以上に干渉を減らせると考えていた。


 しかし実際には星守家への養子が決定し、京極家から合法的に出ることが出来た。


 だが今度は問題として星守の落ちこぼれと言われた真夜との関係が発覚した。


 真夜の立ち位置は星守家ではかなり悪い。それこそ渚と同じか能力がない分、余計に悪い。


 そんな者と結ばれれば、せっかく京極家の呪縛から解放されたというのに、星守家でも大変な苦労をすることが目に見えている。


 自分にとっての澪のように、渚にとって真夜が最大の弱点になり得る。


 そのこともあり渚への話と理由を付けてここに来た。もし真夜がいなければ、渚に探りを入れて呼び出す腹づもりでもあった。


「しかしこの私の話も口からの出任せかも知れないとは思わないのか? それにこの話が事実だったとしても、私が渚にしてきたことは褒められた物では無い。非難されて当然のことだ」

「そのことに関して何かを言えるのは渚だけです。俺も朱音もそれについてこれ以上、あなたを非難するのは違うでしょうし」


 真夜もそれについては同意するが、清彦の話を聞く限り一方的に非難するのも憚られた。


 もっと良いやり方があったかもしれないが、京極家の内情をよく知らぬ真夜では想像も出来ないような自縄自縛の状況があっての苦肉の策だった可能性もある。


「あたしも真夜と同じです。あたしがこれ以上怒るのもお門違いですし。それと渚と一緒に真夜と付き合っているのはいい気はしないかもしれませんが、私も渚と真夜ときちんと話し合って、納得した結果です。渚のこともあたしは大切な友人だと思っています」


 朱音も先ほどの怒りはなりを潜め、真夜の言葉に同意している。また渚との関係も誤解されないように自分の思いを伝える。


「先ほども言いましたが、私はお父様の言葉を信じます。仮に嘘だったとしても優しい嘘だと思います。お母様の件も同じです。教えて頂けて嬉しく思っています」


 渚は今の話を聞いて、清彦への怒りはない。やり方は問題あるかも知れないが、むしろ自分の事を大切に思ってくれていたことを嬉しく思ってさえいた。


「真夜君と朱音さんの件は、重ね重ね言わせて頂きますが、三人での話し合いの結果です。私もこの選択が一番良かったと思っています。朱音さんは京極での六道幻那の事件でも、危険を顧みず助けに来てくれました。お父様と同じく行動で示してくれています。私にとって真夜君と同じくらい大切な人です」


 渚に言われ朱音はどこか照れており、真夜もニヤニヤと朱音を見るので余計に気恥ずかしいようだ。


「俺のことはそちらの懸念も当然ですしね。そこまでの覚悟で渚の事を考えていたのに、ポッと出の星守の落ちこぼれなんかに大切な娘を任せられるはずがないですからね」

「……しかしそれは私の勘違いだったようだ。先ほどの威圧は私がこれまでに出会ってきた退魔師達の中でも上位のそれだった」


 清彦はすでに真夜を侮っていない。威圧だけではない。衰えたとはいえ京極家当主を前に真っ正面から対話でも一方的な物言いではあったが、臆せず清彦の内心を推察してきた。


 最初に清彦が相手を怒らせるためにした話の際に、感情任せに反論してきた時は年相応だと思ったが、その直後の切り替えには流石に面喰らった。


 今もそうだ。この落ち着きよう。こちらの思惑を察する能力は、自分の渚以外の子供達よりも優秀かもしれないと清彦は考えていた。


「俺としては及第点を頂けると幸いですね。あなたにも俺と渚の関係を認めてもらいたいですから。京極家当主ではなく、渚の父親としてのあなたに。改めてお願いします。渚を俺にください」

「私からもお願いします。真夜君はとても頼りになる人です。真夜君と朱音さんとの事を認めてください」


 真夜が頭を下げると渚も同じように頭を下げる。朱音も同じだ。


 数秒程度の沈黙。その時、唯一顔を上げていた右京は清彦を見て驚いた。


 一瞬だが、清彦の顔に優しげな笑みが浮かんだのだ。右京でさえ、清彦が表情を崩した所をずっと見たことがなかった。


「……こんな私に頭を下げる必要はない。私は渚の父親として何一つまともにしてやらなかった最低の親だ。そんな事をされる価値もない男だ」


 清彦は三人に頭を上げるように言うとそれぞれの顔を改めて見る。


「だが私からも許されるのなら、言わせてもらいたい。渚を……娘を頼む。渚、これまですまなかった。澪の、母さんの分まで幸せになってくれ」


 そう言うと清彦は席を立つと床に座り、三人に対して土下座で深々と頭を下げるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る