第四話 願い

 

 渚との事を宣言した真夜と告げられた清彦は、互いに視線をそらさずにしばらく無言であった。


「……星守の落ちこぼれ風情が大きく出たものだ」


 どこか侮蔑するかのように清彦は真夜に告げる。


「この場でどれだけ威勢よく吠えたところで、現実的に考えて達成不可能な事を口にするのは愚かなことでしかない。いくら渚を欲しようが実力が伴わなければ絵に描いた餅。くだらない子供の妄言だ」


 刺すような鋭い視線。衰えたとは言え京極家の当主の眼光は鋭かった。さらに身体から殺気にも似た威圧感が放たれる。並の退魔師では震え上がり、一流の退魔師でも息を飲む気配。だが真夜はそれらを軽く受け流す。


「……確かにその通りだ。実力が無いのに大切な娘を寄越せってのは、父親としては認められないだろうからな。だから……」


 今まで受け流していた清彦の威圧を真夜は真っ正面から受け止めた。同時に自らも抑えていた力を解き放つ。


「なっ!?」


 清彦の放った威圧を押し返す程度の力。だが海千山千の相手と交渉をし続けた、他家の超一流の術者達を見続けてきたことで培われた清彦の観察眼は一瞬で理解した。目の前の少年は、ただの落ちこぼれなどでは無い。超一流と呼ばれた退魔師達と同じ領域にいる存在だと。


 逆になぜ今まで気づかなかったのかと不思議になるほどの力を内包している。隣に座る右京も目を見開いていた。


「失礼。ですが、これで理解してもらえましたか? 俺の実力を」


 威圧を消し、口調も丁寧なものへと戻す。いきなりの差に清彦は面を喰らっていた。


「それと先ほどからの失礼な物言いを謝罪します。申し訳ありませんでした。ですが渚に関することはすべて、嘘偽り無い本心です」


 真夜は先ほどとは打って変わった落ち着いたしゃべりで清彦に言う。清彦だけでは無い。右京も、そして渚も朱音も真夜の態度の変化に驚きを隠せないで居る。


(まあ驚くだろうな。けど話し合いっていうか交渉は、戦いと同じで舐められたら終わりだからな。それに感情の落差を見せて相手の動揺を誘うのも有効な手っていうからな)


 先ほどの真夜の激昂もわざとである。相手の感情を揺さぶるためにも、必要な一手だった。


 異世界において、勇者パーティー以外との交渉や折衝などは聖騎士が一手に担っていた。だがその傍ら、真夜もかなりの頻度で随伴させられた。


 曰く『もし俺に何かあった場合に備えてだな。俺以外でうまく交渉が出来ると思える奴がシンヤしかいないんだ。すまないが頼む。それにこう言うのはその場にいて見聞きするだけでも経験になるし、きっとこれはどこかで活かせるはずだから』


 村長から果ては王侯貴族まで幅広い交渉の場に真夜は連れて行かれた。場違いとも思われたが、偶に異世界人と言うことで意見を求められたり、聖騎士が不在の時の一時的な交渉をすることもあった。


 聖騎士の薫陶を受けた真夜は、彼ほどでは無いが相手に物怖じせずに交渉をすることが出来るようになり、それなりの成果も出せるようになっていた。


 無論、清彦のような京極家で政財界や一族の魑魅魍魎達を相手にしてきた超一流の相手には及ぶべくもないだろう。


(今回は普通の交渉とは違う。確かに相手に本音を話させるっていうのが一番の目的だが、無理にそこまでさせなくてもいい。必要なのは俺の推測が間違ってなかったって言う確証だ)


 真夜は激高し感情的な態度を見せた後、即座に冷静な態度を取ることで清彦を一時的にでも動揺させようとした。


 相手も先ほどまで感情を露わにしていた高校生が、急に冷静に丁寧な口調で話し直すとは思っても居なかったのだろう。いや、真夜の威圧もそれに一役買っている。


 これで真夜に得体の知れなさを抱いてくれれば儲けものだ。相手は迂闊な事が言えない。思考を巡らせているだろうが、前準備も無く突発的な状況下の交渉では、自らが望む展開へ進めるための取れる最善手は限られてくる。


 いくつもの要因が重なり僅かながらでも動揺している今こそ、最大のチャンスだ。


「これで最低限、娘さんを預けるに値すると思って頂ければ幸いです」


 穏やかな笑みを浮かべる真夜だが、威圧こそ消しているが存在感は先ほどの比では無い。清彦は知らず知らずのうちに、汗をにじませていた。


「さっきの話の続きですが、発信器を付けていたと言うのなら、なぜ俺と行動を共にしていると気づいた時点で盗聴器も仕込まなかったのです? 監視は渚に釘を刺されていたかもしれませんが、星守や火野に対して有益な情報を仕入れる事が出来たはずです」


 犯罪行為だからしていないと言われればそれまでだが、政財界と長年にわたり交渉を続け、京極を大きくしてきた当主にしてはあまりにも稚拙な策である。


「渚に対してもそうです。あまりにも色々な事が中途半端であり、京極家当主の策としてはあまりもお粗末と感じます。それに今回の話も別に言う必要もなかった。こんな事を話せば、渚があなたにどういう感情を向けるかなんてわかりきっているし、俺達の印象も最悪になる。もし星守当主や先代がこの事を知れば、京極家への対応も悪くなる可能性が高い」


 清彦の行動や言動からその意図を考えようとした。長年京極家の当主をし、多くの人間と交渉をしてきた清彦がそんな事をわからないはずも無い。もしわからないのならば、長年京極家の当主など務まらないだろう。


 だからこそ、そこには何かしらの意図があるはずなのだ。限りなく可能性の低い事でも、あり得ないと否定してしまいそうな事でもだ。


「あなたは敢えて真実では無く、起こった事象である事実を告げることで渚や俺達から憎まれ、嫌われ、恨まれようとしている。俺にはそうとしか見えない。理由は渚に完全に京極を見限らせるため、と言ったところでしょうか? でなければ、未だに厳しい状況の京極家がさらに不利になるような対応をするはずがない」


 ある程度の混乱は収まったが、未だに京極家は星守の後ろ盾が無ければ立て直しも困難な状況である。星守へと養子に行く渚の機嫌を損ねても何もメリットなど無い。それを理解できないとは思えない。


「それにさっきの俺が渚をもらうと言った時も、あなたの言葉には侮蔑が含まれていたが、それは落ちこぼれの俺では渚を幸せにするどころか、守ることも出来ないと思ったからではないのですか?」


 矢継ぎ早に真夜は清彦に問い詰める。清彦には何も言わせない。完全に主導権を真夜は握ろうとしていた。


「そして渚を泳がせていたというのも、渚の好きにさせたかったから。京極以外の居場所を自分で創らせようとした。あなたは本当は渚を自分の娘として見て愛している。俺はそう考えましたが、違いますか?」


 愛しているからこそ、大切だからこそ近くにおいておくことが出来ないという話は異世界でもあった。


 死が身近にあり、魔王の軍勢によりいつ命を落とすかも知れない場所は多々あった。一般人だけでは無い。王侯貴族でも、策謀や様々な事情で一緒に住むことが出来ないような親子は多く居た。


 愛しているからこそ、大切だからこそ敢えて遠ざける。相手に自分の事を忘れられるように、嫌われることで害が及ばないようにするように。


 真夜は清彦の行動や言動がそれと同じように感じていた。いや、これは真夜の願望もあったのかもしれない。渚も自分や朱音のように両親に愛されていて欲しいと。それを証明して見せたいと。


「違うというのなら、俺の推測を否定する証拠や考えを教えてください。あと煙に巻こうとするのも、こちらを丸め込もうとするのもやめてください。あなたも長年交渉をしていた身ならば理解していると思いますが、嘘は嘘を積み重ねるしか無くなります。必ずどこかで矛盾が生じます。あるいは嘘の中に真実を混ぜるのならば、一定の効果はあるでしょうね。ですが、そうするなら俺はその嘘を指摘してあなたを追い詰めましょう」


(この少年は一体……)


 清彦は真夜を甘く見ていた事を悟った。先ほどは感情任せの発言をした時は、落ちこぼれという前情報と併せて、所詮はこの程度の男かと落胆した。


 だが蓋を開けてみればどうだ。今、清彦は追い詰められていた。


 先ほどの威圧感もそうだ。落ちこぼれ風情の出せる物でも無い。今の清彦への指摘も感情では無く、発言の真意や矛盾点を再度指摘し、補足して逃げ場を無くそうとしている。


 真夜はじっと清彦の目を見ている。自分の推測は正しいと自信を持ち、さらに虚偽は許さないとばかりにプレッシャーを与えてくる。


 政財界の者達は確かに話術に優れ、権力もあり難しい常に難しい交渉だった。だが退魔師でもない一般人であり、どれだけ凄もうが恐怖を感じたことは無い。京極家でもそうだ。確かに油断成らない相手ばかりであり、実力も高い者が多いが、清彦がまったく敵わないと思った相手はいなかった。


 しかし目の前の少年はどうか。まるで他家の当主がそこにいるかのような存在感。そして年齢からは考えられないほどの落ち着きを持ち、まるで今まで幾度となく論争をしてきたかのような指摘をしてくる。


 喉がカラカラと渇いてくる。今まで交渉ごとで追い詰められた事は幾度もあったが、こうまで反論できないことがあっただろうか。


「あなたは渚の父である前に京極家の当主であり、俺達では想像もできないようなしがらみや苦悩があったと思います。妾の子と言うことでこれまでの京極家での渚の扱いも、そうしなければならない事情があったのかもしれません」


 続けて真夜は相手に寄り添う形で意見を述べる。


「もし渚を愛していたとしても、大切に思っていたとしても、妾の子と言うことで当主の立場からそれを表に出せなかった。また先ほどのあなたの言葉にもありましたが、今更本心を告げたところで渚に伝わるかわからない。嘘と言われるかもしれない。それで過去が変わるわけでも無いと渚が言うかもしれない。いや自分自身でそう思うからこそ言うことも出来ない。違いますか?」


 この指摘が的外れならば、清彦は反撃をしてくるだろう。交渉はお手の物ならば、真夜も言いくるめられる。


 だがもしこの指摘が当たっていれば、清彦が出来ることは沈黙か感情を爆発させ、知った口を聞くなと激怒するか。あるいは真夜も思いつかない、第三の選択をするか。


 そして清彦が取った選択は沈黙だった。表情こそ変わっていないが、その握られた手がよく注視しなければ気づかない程度だが、僅かばかりに震えているのを隣に座る右京は見た。


「言えないのならば沈黙でも構いません。ありがとうございます。それで十分です」


 ですが、と真夜は改めて清彦に語りかけた。


「余計なお節介や若造の戯れ言と言われるかもしれませんが、あえて言わせてください。話して後悔するかもしれないし、話さなければよかったと思うかもしれない。でも話し合うことに意味はあると思います。本音をぶつけ合うのはきっと無駄では無いはずです」


 異世界で本音を吐き出したからこそ、真夜は前に進めた。だからこそ清彦と渚にもお互いに本音を出し合って前に進んでもらいたいと思った。


「未だに京極家のしがらみがあるかもしれませんが、すでに京極家の力は衰え、渚も星守の養子になる。あなたが本心を偽り、隠している必要はもう無いはずです」


 真夜は清彦相手に深々と頭を下げた。


「だから俺も本音で話します。改めて謝罪を。俺は不誠実この上無いですが、渚だけで無く後ろにいる朱音とも付き合っています」


 ここで真夜は自分が不利になる情報を出した。もしかすれば把握されているかも知れないが、知らないならば相手に何らかの感情の揺さぶりを与えられるはずだ。


「二人とは将来の約束もしていますし、二人に納得してもらっています。朱音の両親にもすでに了承済みですが、渚の父親であるあなたからすれば不愉快な話でしかないはずです」


 真夜は顔を上げると清彦の表情を確認する。僅かに驚いたような顔をしている。


「ですがそれでももう一度言います。渚を俺にください。渚は俺が必ず幸せにしますし、守ります。武力以外が心配と言うのなら、俺は使える伝手をすべて使います。星守当主も俺の味方をしてくれていますし、公にはなっていませんが、先代当主も味方してくれていますし、渚と俺の事も承知してくれています。疑うようでしたら、当主や先代に確認して頂いても構いません」


 手札を惜しみなく切る。明乃との和解はまだ公になってはいないが、朱音の両親にも告げたことであり、広まったところで問題ない。


 それにこの二人ならばこの情報を広めずに、利用しようとするのでは無いかと考えたからだ。


「それでもまだ何かを成せと言うのならできる限りの事をします。これが俺が今示せる最大限の誠意です」


 二股をしておいて誠意も糞も無いが、優秀な退魔師は一夫多妻制が認められているし、清彦自身二人の妻と妾がいるのだ。京極一族としてそうしなければならない理由があったのかも知れないが、妾を作るのは違うはずだ。実力さえ示せばこの件に関して、清彦は真夜に強く言えないだろう。


「話し合いが出来るのはお互いが生きている間だけです。死んだらもう、どれだけ望んでも話など出来ない。仮に死者の魂を口寄せしても、それはお互いのためにはならない。きっと後悔する。一寸先は闇。未来なんてどうなるかわからない。もう二度と話す機会を持てないかも知れない。だから俺は今、この場であなたに渚との事を伝えた」


 この世界よりも命が簡単に散る異世界で、真夜は不本意な別れをした者達を何人も見てきた。あの時、もっと話しておけばという後悔に苛まれる者達。真夜自身もそうだ。まだ弱かった頃、あるいは魔王との最終決戦までに真夜達のためにその身を犠牲にした者達は大勢居た。


 守れなかったことを後悔した。もっと話をしたかったと思う相手も多かった。


「先ほどから偉そうな事を言いましたが、結局は俺からはあなたにお願いするしか出来ない。あなたと渚のためにも、渚ときちんと向き合って欲しい。そして俺達の事を認めて欲しい。多分、今を逃せば二度と話をする機会は来ないかもしれない。こざかしい駆け引きも裏の読み合いも無しです」


 紅也や美琴の時のように、正直に誠意を以て相手と話し合う。


「だからもう一度お聞きします。京極家当主では無い、父としてのあなたの言葉を聞かせてもらえませんか?」


 真夜は改めて、だが先ほどとは違う穏やかな口調で清彦にそう告げるのだった。


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