第八章 星守一族 前編

プロローグ


 異界。


 それは人ならざるモノ達が住まう世界。


 広大な広さを誇り、どれだけの広さがあるのか、現世に住まう人間達は把握し切れていない。


 そして地球のように世界地図があるわけではなく、どんな形をしているのかさえもわかっていない。


 しかしもしこの世界を天より見ることが出来れば、口々にこう言うだろう。


 ――鏡に写った地球そのものだ――と。


 反転した地球。それがこの異界であった。


 この世界は妖魔達の世界。この地に元々いた妖魔や現世で生まれたが、この世界に移り住んだモノ達が暮らす彼らだけの世界。


 この世界は天から見れば鏡に映った地球のような大陸や島が存在するが、その生態系や土地はこの世界独自の物である。


 また異界には現世でも存在した絶滅生物が、妖魔として存在していた。


 人間により、絶滅に追いやられた生物。突然の非業の絶滅を遂げた恐竜などのような生物。進化競争、生存競争に破れ絶滅した生物。


 それらの無念や怨念がこの異界に流れ着き、妖魔としてかつての姿を取り戻し存在し続けている。


 当然、それら以外にも妖怪と言われる存在や悪魔や魔物、あるいはUMAと呼ばれる存在までいる。


 現世で希に目撃情報が上がる絶滅動物などは、異界より迷い出る妖魔の類いであった。


 この世界には群れのような集団は存在するが、人間のように国と呼ばれるような社会構造は存在しない。


 知恵ある高位の妖魔は無数に存在するが、覇を唱え、この世界を手中に収めようとして行動したりはしない。


 そのような存在はほとんどが消滅しており、せいぜい群れなどの小さな集団を率いる程度で満足していた。


 また現世において、神話に連なるような世界を滅ぼすほどの化け物は、すでに封印されているか、あるいはかつてほどの力を失い、この地でひっそりと生きているからでもある。


 この世界での争いも、現世に侵攻することも彼らは頭の片隅に追いやっていた。それは唯一神の存在もあるからだろう。


 この世界を創ったと言われている創造神にして破壊神。


 人々が信じる一信教の神や数多の神話に登場する神々とも隔絶した力を持つ、まさに神の名に恥じぬ力を持った存在。


 ただその姿を見た者は一人もおらず、凄まじい力を持ち、野望を持った力ある幻想の存在を現世から駆逐、あるいはこの異界へと追いやったと言われている。


 神々も別の世界へと送られたか、あるいは封じられたか、それとも消滅させられたか。異界でさえ、見ることができなくなっていた。


 その結果、世界は変貌し、現世は人間達の楽園となり、神や悪魔、妖怪、妖魔、魔獣など類いのほとんどは現世から消え失せた。


 ここは箱庭。人ならざる者達の、彼らのために創られた楽園。


 生き残った魔の存在達はこの地でひっそりと生きている。君子危うきに近寄らず。現世や人間への欲望はあるが、大規模侵攻などを画策する存在は今のところ現れる兆候はなかった。


 異界はある意味で無秩序に見えて、ある意味で調和が取れた平和な世界だった。それはさながら、人類が進化し、知恵を持つ以前の自然のままの世界のように。


 ゆえに現世のように国同士の戦争も無い。テロや絶えず争いを繰り広げる泥沼の戦闘もない。


 縄張り争いはあるし、弱肉強食の理に従い、生存競争は各地で起きているが、大規模な物は無く世界大戦や戦国の世のようなことは起こってはいなかった。


 しかしその均衡は一部ではあるが、崩れかけようとしていた。


 ここ最近、立て続けに覇級妖魔が消滅する事件が発生した。


 一体は何者かの手によって、もう一体も現世からと思われる攻撃を受けて消滅した。


 共に下位とは言え覇級妖魔クラス。本来であれば、立て続けに消滅するはずの無い存在だ。


 覇級妖魔自体、広い異界全体を見せてもそう多くは無く五十体にも満たないのだ。


 その中の二体、それもこの世界から見れば狭い日本の中に存在した二体の消失が立て続けに起こった。


 突如発生した空白地帯。


 また日本列島のあちこちで境界が不安定になっていた。通常であれば、一年に数回程度、小規模の境界の歪みが発生する程度であったが、ある日を境に規模の変化こそほぼ無かったが、その頻度が増した。


 意図して境界から出るモノ、迷い出るモノ。低級以下の妖魔達を中心に、その数は境界の出現頻度によって増えていった。


 そしてその存在は偶然見つけてしまった。これまで発生していた境界とは明確に違う、まるで壁が壊れたかのような現世との狭間を。


 その存在はゆっくりと現世へと這い出る。細心の注意を払い、自らの存在を抑え、誰にも気づかれないように。偶然と必然に導かれ、それは現世へと赴くのだった。


 ◆◆◆


 人里からそう遠く離れていない森の中。日は出ているが、木々で大部分の光は遮られている。


 数多の動物が住まう森の中だが、その一角にて異変は起きていた。


 何かを威嚇するうめき声が聞こえる。それは一つではない。無数に木霊している。


 それは鹿だった。


 だがその数が尋常では無い。通常ではあり得ない個体数がひしめいていた。


 そしてその内の何頭、あるいは何十頭かは普通ではない。大きさであったり角の長さであったり、明らかに一般的な姿ではないモノまでいる。


 通常の個体を従えるのは、妖魔化した個体であった。それぞれが数十の配下を従え、群れのボスはさらに二回りも大きな体躯をしている。


 近年、日本各地で獣害事件が増えている。森の伐採などによる、彼らの住処の破壊。廃村や限界集落の増加。また生態系の変化や彼らを捕食する捕食生物の存在が無くなったことにより、加速度的に個体数を増やしていた。


 妖魔以上に、彼らは人間の身近に姿を現すようになり、物的、人的被害も急増していた。


 さらにこの森には、妖魔に率いられた通常の個体が群れを成して集結していた。


 彼らはあちこちを渡り歩き、この森や周囲に住まう同族を集め、およそ三百頭にも上る群れを形成した。


 妖魔の影響か、通常の個体も体躯が優れ、妖魔となった個体は幅はある物の中級中位から上位までおり、さらに率いるボスは上級上位という有様だった。


 本来であれば、野生動物が妖魔になったとしても、その絶対数はそこまで多くなく、これほどの数が一カ所に集まるなど通常ではほとんど起こらない。


 妖魔化するにしても、同じ場所にいた動物が一斉に妖魔になるには、かなり特殊な条件が重ならなければ起こりえないはずだった。


 だが現実に起こっており、彼らは餌を求め森を渡り歩き、近いうちに人間の領域へと向かい、農作物を荒らし回る。これだけの数が一斉に人里に降りれば、その被害は計り知れない。


 また妖魔化した生物は人間に対して、必要以上に攻撃的になる。そのため死人が出る事も珍しくない。


 そのため人里に降りれば、大勢の人間が犠牲になる可能性が高かった。


 しかしそんな彼らを狩る者達が、この世界には存在していた。


「……ピャッ!」


 何頭かの鹿達が警戒するような声を上げた。


 ざわめきが起こると共に、彼らはある方向を見据える。


 次の瞬間、彼らのいる一帯を見えない壁がドーム状に展開された。


 外周部にいた鹿達は混乱と興奮で暴れ出す。


 ザシュ。


 その直後だった。外周部の何頭かの鹿の首や身体が切り裂かれた。


 そこにいたのは白刃に輝く日本刀と西洋刀を持つ少年だった。


「このまま一気に殲滅する! 妖魔はもちろん、可哀想だけど通常の個体も駆除の対象だから、一頭も逃がさないで!」


 少年――星守真昼の号令と共に、彼の背後から多数の人間が飛び出し、この群れへと一斉に襲いかかった。


 星守一門。それがこの集団の名だ。


 この群れの存在をいち早くキャッチした自治体が、星守一族に討伐と駆除の依頼を行うこととなった。


 当主である朝陽はこの依頼に対して星守真昼を筆頭に、星守の若手達を集結させ、この討伐を遂行するように命じた。


「ふはははっ! この程度の奴ら、俺の敵では無ぁーい!」


 高笑いをあげながら、星守家の分家の星宮大和が守護霊獣の雷獣と共に、周囲の鹿を駆逐していく。


 彼の得意な雷の霊術が鹿達を焼き、雷獣もその力を持って、妖魔もろとも敵を蹂躙していく。


 他にもあちこちで戦闘が起きている。


「せやっ!」


 真昼の近くで気合いの入った声を上げながら、木刀を振り下ろす栗色の髪をショートカットにした活発そうな少女。今年中学に入ったばかりの真昼と同じ、星守の直系である星守空(ほしもり そら)である。


 彼女を守るように鹿の群れに突撃するライオンに似た獣がいた。沖縄地方に伝わる守護獣であるシーサーである。シーサーは鹿を文字通り獅子奮迅の活躍で仕留めている。


 他にも数名の退魔師が使役した守護霊獣と共にこの場の敵を殲滅して回る。


 この場にいるのは、星守一族の宗家、分家の若手であり、全員が守護霊獣との契約を済ませている。


 分家の者には個人技量では上級と単独で戦うには力不足でも、守護霊獣と一緒ならば上級上位をも葬り去る事が出来、中には最上級をも倒せる若手がいる。


 彼らをサポートするように門下生達が結界の維持などを行い、敵が逃走しないようにしている。


「空はそのまま掃討を続けて! 大和は右の集団を優先して!」

「はい、真昼さん!」

「いいだろう! 見ておけよ、真昼!」


 空は素直に、大和も古墳の事件や星守襲撃事件で真昼に助けられたこともあり、尊大な態度ではありながらもしっかりと真昼の指示に従っている。


(一番強い個体は上級上位。他の妖魔も中級がせいぜい。今のところ問題なく進んでるかな)


 今回真昼は、現場指揮を任されていた。彼は次期当主候補として自らの強さだけでは無く、人を使う事も覚える必要があると明乃や朝陽に言われていたからだ。


 当主としての采配はもちろん、現場での指揮も経験するべきだということと、一族の分家、宗家をまとめる立場で在ることもあり、この際、若手全員を集めそれらを上手く使い依頼をこなすように指示された。


 無論、万が一の事を考え、後方には明乃なども待機しているが、よほどの事が無い限りは手を貸すことは無い。真昼の功績や実力もあり、宗家、分家の者は皆、その指示に従っている。


 そんな中でひときわ強く存在感を示している者がいる。


 ブルルルッ!


 カッと周囲に光が漏れる。光が周辺にいた鹿や妖魔を貫き、絶命させていく。


 そこにいたのは、巨大な漆黒の馬だった。体躯は大型の馬よりも二回りは大きく、頭には鹿のような角と背には翼が生えており、尾もかなり長い。


 龍馬(りゅうば)と呼ばれる龍と馬、あるいは麒麟と馬が交わった存在と言われている。


 この龍馬の力は最上級上位クラス。それも特級に近い力を有している。


 それを使役しているのは、短く切った黒髪と切れ長の目が特徴の少年。細身ですらりとした身体ではあるが、よく見ればしっかりと鍛えられているのがわかる。


 星守陸(ほしもり りく)。空の双子の弟にして、龍馬を守護霊獣にしている星守宗家でも有望株の少年である。巧みに霊術を操り、龍馬と共に敵の数を減らしている。


「陸! そのままボスに向かって!」


 真昼の声に反応し、そちらを一瞥すると表情を変えること無く「……わかった」と短く答えると、龍馬の背に飛び乗り、そのまま上級妖魔へと突貫していく。


 右手で剣印を結びながら、その指を妖魔へと向ける。指先に収束した霊力がそのまま矢のように放たれる。


 一点に収束された霊力の矢が上級妖魔の身体を貫く。


 ピィー!


 小鳥のようなか細い鹿らしい声を放ちながら、その巨体が地面に倒れていくが、陸は追撃とばかりに鹿に何本かの矢を打ち込みとどめを刺す。


 最初の一発で致命傷を与えており、その威力はかなりのものだ。最上級妖魔の下位にならば通用するであろう威力だ。


 ほかの場所でも分家の者が守護霊獣とともに鹿の群れを壊滅させていく。


(みんな危うげ無く敵を殲滅してる。妖魔も数がそこまで多くなく中級がほとんどで上級も一体だけ。それをこの人数で事に当たってるんだから、うまくいかないと問題なんだけどね)


 真昼はすでに特級妖魔ならば単独で倒せるだけの強さを持っている。彼から見れば他の者達はまだまだ未熟に見えるが、世間一般からすればかなりの強さを誇る。全員が守護霊獣と契約していることを考えれば、強さだけ見れば一流の退魔師と言っても過言では無い。


(指揮と言っても細かな指示も必要ない。式神も飛ばして監視はしているけど、大和も空も陸も、ほかも問題なし。このまま押し切ろう)


 式神を通じて、他のメンバーにも改めて指示を出す。


 彼らの攻勢は凄まじく、三百頭もいた群れは星守一族によりあっさりと駆逐されることになるのだった。


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