第十八話 乾杯

 

「今日はごちそうよ!」


 真夜のマンションのリビングにて、エプロンを着た朱音が手料理を振る舞っていた。仕事を終え、紅也達と分かれた後、朱音は帰り際に色々と買い物をして料理しだした。


 仕事の疲れもあるだろうに、それを感じさせないまるで我が世の春を謳歌するかのごとく、元気で上機嫌である。朱音自身が調理した料理は時間も無くそれほど多くは無いが、ケーキやお寿司なども買って用意しており、浮かれ具合が半端なかった。


「いや、嬉しいのはわかるが浮かれすぎだし、やり過ぎだろ」


 朱音の機嫌の良さに少し呆れ気味に呟く真夜だが、それでも当の本人はウキウキと料理を小皿に移したりしている。


「いえ、でも朱音さんの気持ちもわかります。私もあんな風に言われれば、おそらく舞い上がってしまうと思いますから」


 僅かに羨ましそうに言う渚だが、自分の方が先に朝陽達に優遇してもらったし、真夜にもきちんと渚を娶るために努力を惜しまないと言われているので不満には思っていない。


「お父様もお母様も認めてくれたし、火野の方からもこれで面倒な話も来ないでしょうしね♪」


 婚姻の件はもう少し時間がかかるかと思っていただけに、こうもスムーズに話が進んでくれたので朱音としても言うことは無い。


「けど真夜君も凄かったですし、かっこ良かったですよ」

「ほんと。漫画とかドラマのワンシーンみたいだったわ」


 渚も朱音も真夜の行動に乙女心を刺激されたようだ。


「あれでもかなり緊張してたんだぞ」


 平静を装っていたが、異世界でもあんな事を言う機会などあるわけ無かったので、内心ではかなり緊張していた。半ばノリと勢いで言っていた部分もあるのは真夜だけの秘密である。


「まあ上手くいってよかったのは間違いないな。正直に誠実に対応するのが一番だってことだ。親父には悪いことしたかもしれないが……」


 あの後、秘密裏に朝陽に一報を入れたのだが、電話の向こうで朝陽は苦笑いしていた。おそらくこれから起こるトラブルを想像していたのだろう。


 渚の件で奔走してくれた朝陽には本当に申し訳なく一応謝っておいたが、どうなるのかはあまり想像しないでおくことにした。


「あたしもお父様に口添えはしたし、お母様にもお願いしたから大丈夫とは思うけど……」

「朝陽様には良くして頂いているので、出来れば穏便に済むと良いのですが……」

「まあそれも親父に任せようぜ。俺達は出来ることはしたし、後は親父達の問題だ」


 真夜も暗くなりそうな空気を変えようと勤める。今回は美琴もいるし、母である結衣にもお願いしているので、そこまで酷い事にはならないだろう。


「俺としては朱音の親父さん達に認めてもらって万々歳だ。朱音の件はこれでほぼ問題ないだろ」

「そうね。ほんとお疲れ様、真夜。ありがとう。あっ、そう言えばあの後お父様と個人的に少し話をしてたわよね。やっぱりお小言言われたの?」


 五人での話し合いの後、帰る間際に少しだけ真夜は紅也に手招きされ、男同士の話をすると言われて話をしていた。


「……ああ、いや。まあ言われたと言えば言われたな。学生だからあまり色々と現を抜かしすぎるなってな。羽目を外しすぎるなってよ」

「ふーん。そうなんだ」


 どこか何かを探るような視線を向ける朱音だが、真夜はそれを無視するかのように朱音が作った料理をつまみ食いする。


「あっ! ちょっと真夜! 行儀が悪いわよ」

「腹減ったんだから少しくらいいいだろ? 俺好みの味付けだな」

「そりゃ真夜の好みは把握してるもの。ふっふっふっ! すでに胃袋は掴んだわ!」


 朱音の言葉に苦笑するが悪い気はしない。


「じゃあそろそろ乾杯でもして食べようぜ」

「そうね。渚、そっちのジュース入れて、ケーキ切ってくれる?」

「わかりました」


 真夜がそう言うと二人はいそいそと準備を進める。


(何とか話題は逸らせたな)


 真夜は帰り際に紅也に言われたことを思い返す。


「真夜君。あまりこういうことは言いたくは無いし、聞きたくは無いだろうが一応……」


 どこか難しい顔をしているので真夜は、おそらく結婚するまで朱音に手を出すなと言いたいのだろうと思った。


「……結婚するまで朱音に一切手を出すなとは言わん。だが節度を持つように」


 その言葉に真夜は目が点になった。


「いや、普通そこは結婚するまで手を出すなとかじゃないんですか?」

「父親としてはそうだろうし、真夜君ならおそらくそう言っておけば守ってくれるとは思うが……。後々、朱音達に恨まれても困るんだ。それに若い男女で住んでる所も隣同士で親の目も無い一人暮らし。付き合っていて結婚の約束までしていて親の許しもすでにある。これで一切手を出すな、出さないという方が無理だろうし、今時の若者に数年も我慢しろとは流石に言えん」


 俺だったら確実に反発するし、我慢できないと思うとどこか遠い目をしながら言う紅也。もしかすれば昔何かあったのかもしれない。


(聞いてみたいような気もするけど、やぶ蛇になりそうだからやめておこう)


 真夜としても何があったのか気になるところだが、ここは我慢して静かに紅也の話を聞く。


「とにかくだ。俺もこんなことは言いたくは無いし、恋人の父親からこんな話を聞きたくも無いだろうが、妊娠させることだけはするな。流石にそれはまだ早すぎる」


 紅也としても妥協できるギリギリの範囲のだろう。結婚は認めたし、将来的には構わないが、せめて三人が高校卒業するまでは作るべきではないと紅也は思っている。


「……はい。わかりました」


 真夜は重々しく返事をする。紅也の言葉は尤もだし、自分もまだ子供は早すぎると思っている。


 紅也の言葉を思い出しつつ、真夜は言いつけをしっかり守る決意を改めてする。


 だがそれはそれとして、真夜としてはもっと深刻な問題があった。


(朱音と渚を平等に扱えって言われてるし、俺もどっちかを優遇しすぎるつもりはないんだが、この場合、手を出すにしてもどっちからにすればいいんだ……)


 二人を恋人にしたことでの弊害。どちらも大切であるからこそ、どちらから行為に及ぶべきなのかと真夜は真剣に悩んでいた。


 真夜もお年頃。精神年齢十九歳とはいえ、健全な男子でそういう欲求も人並みにある。


 その前にキスもまだだ。朱音には以前、頬にキスをされた事があるが、付き合いだしてまだそう言ったこともしていない。もしこれがどちらか片方とだけ付き合っていた場合なら、すでにキスも済ませてその先にも進んでいたかもしれないが、どちらも大切であるがゆえに手を出せない状況だった。


(やばい、割とへたれかもしれねぇ……)


 真夜の目の前で朱音と渚は仲良く料理を小皿に移したり、ケーキを取り分けたりしている。どちらも魅力的で、自分にはもったいないくらいの二人だ。


 一気に二人同時に押し倒すか? などとかなり強引な考えも浮かぶが、それもどうなんだろうかと本気で悩む。


(まあそれは今後次第にするか)


 今すぐにと言うわけでは無いし、付き合いだしてまだ二ヶ月も経っていない。


 精神年齢的にも年上なのだ。がつがつと食い気味にいくのも問題だ。


 紅也の許しは得ている。渚の方はまだだが、誰にも渡すつもりはないので彼女に関しても筋を通していくが、別に焦る必要も無い。


(まだ渚の方も完全に片付いてないからな。渚の件を片付けてから改めて考えるか)


 自分の欲求を抑えつつ、まずは成すべき事をしてからと理由を付けて後回しにする。


「何はともかく。二人とも、これからもよろしくな」

「ええ! こっちこそよろしく! じゃあ、今日の依頼達成お疲れ様! それで改めて真夜の回復と渚の無事を祝って!」

「私の方こそ、よろしくお願いします。では朱音さんと真夜君の婚姻の承諾を祝って」

「なんだかんだと、諸々を祝って!」


 三人がそれぞれグラスを手に取り、頭上に掲げる。


「「「乾杯!」」」


 カチャンとグラス同士がぶつかり、小気味いい音を出すと三人は笑顔で晩餐を楽しむのだった。



 ◆◆◆



 真夜達が依頼を達成してから数日後。


 紅也はいつもの行きつけのバーに朝陽を呼び出していた。


 ただ前回と違うのはこの場に美琴と結衣がいることだろう。


 前回同様個室での秘密の会話であるが、紅也は朝陽達が見たことも無いような笑みを浮かべている。


「朝陽。今回の件はよくもやってくれたな」

「はははっ。いやそれほどでもないさ」

「わかって言ってるんだろうが、一応言っておく。全然褒めてないぞ、この野郎」


 紅也は席を立ち、朝陽に近づくとチョークスリーパーをかけた。もっとも本気では無くじゃれ合っているような物で、相席している美琴も結衣も微笑ましく見ている。


「結衣もご無沙汰だね。最近会ってなかったけど、調子はどう?」

「美琴ちゃんもお久しぶりですね。私は元気ですよ。最近は良いことばかりあって、毎日幸せですよ」


 この四人、学生時代の学友であり当時も中々に濃い学園生活を送っていた。修行の名目で高校時代一人暮らしをしていた時に、奇跡のような偶然の、あるいは必然の出会いをした。


 美琴と結衣は当時から仲が良く四人で色々な事件に関わったりもした。


「お前、少しは俺達にも言えよ! 朱音と真夜君の件で、こっちがどれだけ苦心していたと思ってるんだ!」

「ギブギブ。紅也、降参だ。それに関しては済まなかったと思っているが、こちらにも色々と事情があってね」


 パンパンと紅也の腕をタップして、やめてもらうように懇願する。紅也も多少は溜飲を下げたのか、朝陽の首から腕をどける。


「……まあこっちとしては今の真夜君の実力も知れたし、朱音の望むような結果に落ち着いたからよかったが、少しくらいは教えろよな」

「そうだね。朝陽君もだけど結衣もだよ。星守として秘密にしないといけないことはあるだろうけど、真夜君だけじゃなくて朱音も関わってた事なのに」

「ははっ、それは本当にすまなかったね、二人とも」

「紅也君も美琴ちゃんも本当にごめんなさいね」


 親友同士と言ってもいい間柄ゆえに、秘密にしていたのは本当に悪かったと朝陽も結衣も二人に平謝りする。


「はぁ。まあいい。個人だけで無く家の事情も関わることだ。迂闊に言えなかったのはわかっている」

「私達も色々と苦労したし、昔は紅也も朝陽君も家の方から色々と言われてたよね」


 晴太のこともあり、当時の明乃は他家と連む事を良く思っていないどころか否定的だった。


 無論、必要最低限の付き合いは認めていたが、紅也との関係を認めていなかった。


 また火野も朝陽や美琴に関して否定的だったので、割と当時から面倒な事は多かった。


「まあ私達の学生の頃とは時代が違う。母様も最近はそのあたりは寛容になったしね」

「そういえば聞いたぞ。真夜君、明乃殿と和解したそうじゃないか。真昼君に続いてとなると、お前や結衣も肩の荷が下りたな。本当に真夜君は立派になった」

「うん。凄い術も習得していたし、方向性は違うけど凄さは真昼君にも負けてないよ」

「そうなんですよ、紅也君! 美琴ちゃん!! 真夜ちゃんもすっかり大人びて、真昼ちゃんとも仲直りして、お義母様とも凄く良い感じなんですよ!」


 真夜を褒められた結衣は上機嫌に語る。今まで真昼ばかりが評価され、真夜が蔑ろにされていた。結衣はそれに心を痛めており、今回の騒動で真夜の実力が表に出ることへの問題が大幅に解消された上に、紅也や美琴に評価されたのが嬉しかったようだ。


「ああ。二人からそう言われて私も鼻が高いよ。それと今回の依頼の方もすまなかった。いらない手間をかけたみたいで」

「いや。こっちこそ真夜君に助けられた形だからな」


 境界の発生の件を真夜や紅也は朝陽にもすぐに伝えていた。真夜の実力や実績が伝わるのは良いが、早い段階から真夜の能力をすべて開示するべきでは無いと朝陽や明乃は考えていた。


 それに紅也も境界から覇級クラスかもしれない存在が出現しかけて、それを真夜が押し返し境界を閉じたと言っても火野を含め多くは信じないだろうと考えた。


 ゆえに朝陽と相談し、真夜達の猿鬼討伐の功績はそのまま報告し、境界に関しては一部事実を伏せて報告するようにした。


「幸いあの辺りは真夜君のおかげでかなり安定したようで、境界が再び開かれる兆候はないようだ」

「それは何よりだ。けどしばらくは監視は続けるべきだろうね」

「しかし本当に今でも信じられん。個人であんな術を立て続けに使うとは。しかも霊器まで顕現して」

「本当にどうやってこんな短期間で強くなったんだろうね? 結衣達は……その様子だと知ってそうだよね」


 美琴は結衣や朝陽を見ながら、苦笑しながら言うと朝陽や結衣も苦笑いをする。


「おい、こら。また俺達には隠し事か?」

「本当にすまないね。方法や内容は私達の口からは言えないが、すべて真ちゃんの努力の賜物だよ」

「真夜ちゃん、本当に頑張ったみたいですよ」


 真夜の事でこれまで誰かに自慢することが無かった二人は、朱音や渚と同じように紅也達に自慢をする。


「いや、わかった。これについても聞かない」

「真夜君が話してくれるまで待つしか無いね。でも本当に朱音が幸せになれそうで良かった。昔から真夜君の事が好きだったもんね、あの子」

「真ちゃんも隅に置けないね。紅也もありがとう。真ちゃん達の事を認めてくれて」

「確かに二人同時に付き合ってるのも、二人を妻にするのもどうかと思うが、真夜君は実力を示した上に、正面から娘さんをください、幸せにすると俺に啖呵を切ったんだ。生半可な気持ちでも覚悟でも無いだろうに、それを反対できるかよ。お前はどれだけ俺を悪者にしたいんだ」


 紅也のぼやきにあはははと他の三人が笑う。酒も入っているので、そこそこに皆できあがっている。


「それと朝陽。火野の方は俺が何とかする。兄者にも全部じゃ無いが話を通して上手いことやってもらう」


 真夜の実力が知れ渡れば、火野の長老衆は朱音を残して真夜を婿にと言うかも知れない。それだけ真夜の能力は希少性もあり、あまり補助系の術に優れていない火野からすれば、喉から手が出るほど欲しいはずだ。


 しかも星守という、飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、京極が衰退した今、間違いなく退魔師界の頂点に君臨する一族の血筋。これを欲しがらないはずがないだろう。


「俺としては連中の言うことを聞いてやるつもりはないがな!」


 散々、美琴との結婚の時や朱音が生まれた後も色々と心ない事を言われ続けてきたのだ。誰が連中の思惑通りにしてやるものかと紅也は鼻息を荒くする。


「だから星守の方は任せるぞ」

「ああ。母様もこの件に関しては乗り気と言うよりも、必ず達成させると意気込んでいたからね」

「意外だな。いや、真夜君の今の実力を考えれば、下手に機嫌を損ねて星守から出て行かれても困るか」

「それもありますが、最近のお義母様は真夜ちゃんを溺愛してますからね。もちろんそれを表には出していませんが、私から見れば一目瞭然です。本当にお義母様はツンデレさんですよ」


 結衣の言葉に朝陽は確かにそうだねと同意するが、紅也と美琴はそうなのか? と疑問符を浮かべている。


 ちなみに同時刻、星守の本邸で留守番しながら真昼や楓と鍛錬をしていた明乃が、くしゅんとくしゃみをしたとかしなかったとか。


「とにかくこれで朱音と真夜君の問題はほとんど解決したんだね」


 話を切り替えようと美琴は本題に戻すように促す。


「ああ。星守の方も私達で何とかするから。紅也、美琴さん、これからもよろしく」

「よろしくお願いしますね!」

「ああ、俺達の方こそ」

「うん、結衣も朝陽君もこれからもよろしくね」


 四人は示し合わせたように酒の入ったグラスを掲げる。


「これからの私達や真夜達の未来に」

「「「「乾杯!」」」」


 四人は学生の頃のように和気藹々と、だがあの頃とはまた違う自分達以外の未来を思いながら一時を過ごすのだった。


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