第十六話 境界
「どうしたの、真夜?」
朱音は真夜が山頂の方へと意識を向けていることに気づき声をかけた。
「……いや、一瞬嫌な視線というか気配を感じた気がした」
「まだ山頂に何かいると? 式神の探索ではそれらしいものは何もありませんでしたが」
山頂には渚も式神を飛ばしていたが、特に気になるようなものは発見できなかった。
「俺の勘違いかもしれないが、ちょっと気になってな」
「念のため確認にいく? でもこういう時ってやばい奴とかに遭遇するパターンなのよね」
朱音がげんなりとしながら嫌な予想を口にする。確かに真夜もその可能性も考えていた。
万全の状態の時ならばまだしも、今の弱体化した状況では特級ならばまだしも、超級以上となればかなり厳しい。覇級ならば勝ち目は無いだろう。
「朱音の懸念も尤もだが、そうだった場合放置した後が厄介だ」
「そうですね。なぜ気づかなかったのかと責任を問われても面倒ですね」
暴論かもしれないが、もし強大な妖魔が隠れていた場合、放置すれば甚大な被害をもたらすかもしれない。
「幸い朱音の親父さん達もいるし、霊符も人数分ある。万が一の場合は逃げればいい」
楽観的だが覇級が出現する確率はかなり低い。出現する場合は何かしらの兆候があるし、潜んでいたとしてもそれならばもっと霊感が警鐘を鳴らすはずだ。
「何も無いならそれに越したことはねえけどな。幸い、依頼もそこまで時間をかけずに終わらせたから時間はまだある。さっさと調べて終わらせるぞ」
警戒しつつ、やばそうならその前に引き返す。真夜の言葉に二人は同意しつつ、紅也達に説明を行うと彼らは山頂へと足を運ぶ。
山頂はそこそこに広い丘になっていた。あたりには何も無く、妖魔の気配もない。
真夜達は警戒しつつ、あたりを探索する。
「特に変わった物はありませんね」
「妖気も感じないわね。どう、真夜?」
「……いや、俺も何も感じないな。気のせいだったか?」
山頂に近づいても何も感じず、また着いても何もなかった。隠形で隠れているにしろ、視線を向けられれば僅かながらの違和感を感じるはずだ。だがそれすらない。
「こっちも調べたけど何もないよ」
「ああ。私も探知能力は低いが、この周辺くらいは感知出来る。残留妖気もないし、何かが隠れている気配もない」
美琴も紅也も真夜の懸念を確認するために山頂を探索したが、同じく何も見つけられなかった。
この五人で何も見つけられないのであれば何も無いのだろう。
もしなにかいるなら、それは真夜達の想像を絶する何かと言うことになってしまう。
真夜も弱体化していても、感知の面に関してはそこまで衰えていない。
(勘違いならそれでいいが、一瞬だけだが気配を感じた気がしたんだがな)
それともここに何かいて、すでにいなくなったのだろうか。
考えてもわからないが、何もないのならそれでいい。別に事件や敵を求めているわけでは無いのだ。
今回は紅也達に依頼された討伐を無事終わらせれば問題ない。
「すいません。俺の勘違いみたいでした。足を運ばせてすみませんでした」
「いや、構わんよ。霊感など気になることは確認するに限る。もっともあまり過信したり、危険すぎる場面に飛び込むことは論外だが、先ほどまでの真夜君を見ていれば警戒もきちんとしていたからな」
物見遊山で対処できない場所や場面に飛び込む退魔師は、若手ではそれなりにいる。自分の力を過信したり、状況をきちんと把握できていなかったりと理由は様々だが、それによって命を落とした者が何人もいる。
紅也も真夜がそんな増長した態度を見せるならば咎めるつもりだったが、熟練と何ら変わりない態度で臨んでいたことで、より評価が高くなった。
「うん。真夜君も凄く強くなってたし、ここまでの対応も熟練の退魔師と同じくらいにしっかりしていたもの。連携も悪くなかったし、指摘するところがほとんどないよ」
紅也も美琴も真夜の評価を上方修正してくれたようで、真夜としてはありがたかった。当初の目論見通りにいっているようで朱音も渚も胸をなで下ろしている。
「ありがとうございます。総評は山を下りてから、反省会の時にでも聞かせてください。帰るまでは何があるかわかりませんので」
異世界での経験でも終わったと思った後にトラブルが発生することはしばしばあった。終わった後こそ、注意すべきだ。
「そうだな。わかった。では引き続き真夜君にこの場は任せよう。戻るにしろ、このまま周囲を調べるにしろ、真夜君の好きにするといい」
「わかりました。ではもう少し周囲を渚に探ってもらって……!?」
これからの行動を話そうとした瞬間、ばっと真夜はある方向を凝視した。
「真夜君? っ!?」
「紅也、あれ!」
真夜の行動から遅れる事数秒、紅也も美琴もそれに気づいた。
「空間が歪んでる!?」
「はい! 異界との道が開かれる兆候です!」
朱音も渚も同じようにその場を見る。その場の空間がねじ曲がるように景色が歪んでいく。しかもかなり範囲が大きい。
歪みの中心部から僅かに向こう側が見えた。そして向こう側から、何かがこちらを見ている。
向こう側から覗く目を見た瞬間、ゾワリとこの場の全員に悪寒が走った。
向こう側にいるのはどんな妖魔かは全体像が見えないのでわからない。だが少なくとも超級クラス。いや、もしかすれば覇級の可能性まであった。
(マズい! あんなものに出てこられたら!)
紅也は即座に霊器を顕現し、全力で力を込める。この場の面子だけで超級を相手にするのは危険すぎる。
いや、超級ならばまだいい。だが覇級であったならば全滅の可能性が高い。
「美琴! 合わせてくれ! 朱音! 渚君! とにかく全力で放て! 出てこられる前に押し返す!」
紅也は声を張り上げ指示を出す。まだ境界は広がりきっていない。覇級や超級クラスが出てくるにはまだ小さい。ここで押し戻し、即座に境界を塞ぐ。
ぬるりと巨大な人の手のような物が境界から出てくる。手だけでも恐ろしい妖気だ。もし全体が出てくればかなりの被害をまき散らすかもしれない。
(この相手だと紅也と私でも対応しきれないかもしれない。この攻撃で押し返せないなら、最悪の事態もあり得る。その時は何とか朱音達だけでも逃がさないと)
美琴もあまりの妖気に冷や汗を流していた。
とにかく紅也と美琴はこの攻撃で相手がひるんでくれることを期待した。隙さえ出来れば何とか境界を結界術で押さえ込むことが出来る。
(でも私の術でこの境界を完全に塞ぎきれるかわからない!)
美琴は表面上は冷静を装っているが、内心はかなり狂騒状態だった。紅也は補助系の術はあまり得意では無いし、朱音も同様だ。渚が協力してくれても、覇級妖魔が境界を無理矢理こじ開けようとすれば、境界を消滅させるのは困難だ。
しかしこの場で一人、さらなる動きを見せる者がいた。
紅也達が全力の溜めを行っている瞬間、境界の周辺に五枚の霊符が展開された。霊符が光り輝くと霊符同士を霊力の線がつなぎ合わせ、五芒星を描き出した。
五芒星が浄化の力を放ち、一瞬だが巨大な手がびくりと驚いたように震えた。
「今だ!!」
真夜が言葉を発すると朱音と渚が全力の一撃を放った。朱音は巨大な炎を。渚も朱音の力を増幅するように風の塊を。
「っ! 美琴!」
「うん!」
僅かに遅れるように紅也と美琴も攻撃を解き放つ。四人の最大規模の攻撃が境界に殺到する。
四人の攻撃は五芒星に触れると、その力を増幅させた。
巨大な手は攻撃に触れると、驚いたように境界の向こう側へ手を戻した。同時に攻撃も境界を突き破り向こう側へと通り抜ける。
そしてそのタイミングで、真夜が次の行動に移った。
真夜は五芒星の近くまで移動すると右手で剣印を作り、左手を五芒星に押しつける。
不気味な声が周囲に響く。境界の向こう側で巨大な何かがうなり声を上げているようだった。
それは断末魔の声にも聞こえた。しかし怒り狂っているような声にも聞こえた。
だが真夜はその声に臆すことも無く、霊符を使い境界を小さくしていく。相手は再び手を伸ばそうとするが、間一髪その前に境界は塞がりきった。
しかし力業で出てくる可能性もある。だから真夜は更なる術を展開する。
展開していた霊符を動かし、五芒星の位置を変え今度は逆五芒星を描いた。
この場の力場を反転させる術を行使する。相手が力押しで出てこようとすれば力が反転し、向こう側に反射される。
続けてこの周辺の地脈を安定させ時間をおいても、境界がまた開かないように水平に五芒星を展開して封印術を応用した大規模霊術を施していく。
「……ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、はぁ、はぁはぁ……」
術を施し終わった真夜は両手で膝をつき、荒い呼吸を繰り返し額からは滝のような汗を噴き出させていた。
一気に霊力の解放と霊術の連続使用は肉体に相当の負荷がかかったようだ。
肉体は回復したとはいえ、瀕死の重傷だったのだ。あれからまだ二週間ほどで、まだ完全に身体が元通りとはいかないようだ。
弱体化した今、総霊力が三分の一程度にまで落ちている状態では、立て続けに強力な霊術を展開するのはかなり消耗が激しかった。
「真夜! 大丈夫!?」
「真夜君! 無茶はいけません!」
朱音と渚は急ぎ真夜に駆け寄る。
「大丈夫だ。一気に霊術を使ったから少し疲れただけだ。少ししたら回復する」
ふぅっと大きく息を吐くと、そのまま身体を伸ばす。
「もう! 無茶しすぎ! 何かあったらどうするのよ!?」
「本当です。心配する私達の身にもなってください」
状況が状況だっただけに仕方の無い部分はあるが、二人ともかなりご立腹の様子で真夜は「悪ぃ悪ぃ」と平謝りする。だがそれでも無茶をした甲斐はあった。
「境界は完全に塞がったし、この一帯の地脈も安定した。封印術の応用で向こう側でどれだけ暴れてもここからこっちに出てくることはねえよ」
術は完全に作用した。弱体化していても封印術などの効果は極端に落ちていない。そもそも封印術自体、倒すことの出来ない相手を閉じ込めたり無力化したりする術である。
今の真夜では妖魔本体は無理でも、境界やこのあたりの空間を封じることならば十分に可能である。
「にしてもさっきの違和感は境界の乱れで、そこから一瞬だけ相手の視線を感じたんだな。もしかしたら猿鬼達も異界からさっきの境界を通じて出てきたのかもな」
幸いだったのが先ほどの妖魔が覇級クラスでも知能が低かったことだろう。
異界からこちらの世界に通じる境界と呼ばれる穴は希に発生する。昔から伝えられている神隠しとは、偶然発生した境界に人間が入り込むことであった。
現在でも希に発生し忽然と人が消え去る事件は世界中で報告されている。大半はこちら側の事件や事故であるが、実際に異界に迷い込む人間もいる。
だが境界の穴は大きさも小さい。上級クラスなら出てこれても、それ以上の存在が通れるほどに広がることはほとんど無く、また特級クラス以上は中々通ることが出来ない。
これは大きさと言うよりも力の問題であり、妖気の大きさや質によって影響を与え、安定性の無い境界がさらに不安定になり、力ある妖魔が通ろうとすれば消滅したり異界の別の場所に飛ばされたりするからだ。
こちらの世界で生まれた個体で無い場合に、希に出現する最上級や特級はその個体が境界を操作したり、発生した境界が霊地や霊脈付近であることで一時的に安定し通れてしまうからだ。
ただ一度そんな高位の妖魔が境界をくぐれば、そこで安定性が消失し境界は小さくなり消滅する。だからこそ継続して異界から強大な妖魔がこちら側に這い出ることはほぼない。
また異界においても特級以上は個体数も少なく、覇級に至っては極端に少ない。自らの意思で境界を開ける個体もいるかもしれないが、そんな事をすればこちらの世界への影響が大きくすぐに気づかれることになる。
彼らはこちらの世界に自分達を脅かす力を持つ存在がいることを知っている節があり、往々にして向こう側で大人しくしている。下手に現れれば自分達も手ひどい反撃を受けると理解しているのだ。
先ほどの存在は穴を指や手でいじっていて、それで境界が不安定になり消滅するのでは無く逆に安定してしまったようだ。
ただあの妖魔はそこからどうやって出ようか考えていたのか、あるいは近くにいた自分達を見つけたことで観察していたのか、すぐに境界を大きく広げようとしなかったのが幸いだった。
「まあしばらくは要監視だが、簡単に破られはしないと思うぞ。これで破られたら、覇級でもぶっちぎりの上位種だろうよ」
霊感は危機を告げていない。視線も嫌な気配もない。無論、相手がルフのように境界を破壊してやってこないとも限らないが、そんな事が出来る相手ならすでにやっているだろうし、真夜の霊符で増幅され浄化の力まで付与されたあの攻撃をまともに浴びたのだ。即座に行動に移れるとは思えない。
「……びっくりしたけど、何とかなってよかったわ」
「そうですね。念のため、下山してからもしばらくの間は監視の式神を残します。もし何かあればわかると思います」
朱音も渚も警戒しつつも過度な緊張を解く。出来れば覇級妖魔はまだ戦いたくない相手だ。
いつかは戦うだけの強さを身につけたいが、今はまだ手も足もでないことはわかりきっていたからだ。
「ああ、けどもう一個また問題が出来たな」
「ええっ。もうそろそろ大きなトラブルは勘弁して欲しいんだけど」
「いや、おじさん達への説明をどうするかなって……」
真夜につられるように、朱音達も紅也達の方を見る。
そこには何とも言えない表情を浮かべ、真夜を見つめる二人の姿があるのだった。
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