第八話 浄化の儀


「本日は遠路はるばるお越し頂き、誠にありがとうございます。皆様のご案内を務めさせて頂きます京極渚と申します。準備が整いましたので、皆様を会場までご案内いたします」


 丁寧に告げられ部屋に響く巫女装束の渚の声。思わず真夜は見惚れていた。


 赤い袴の半分を隠す長い白衣と僅かに見える赤とのコントラスト。千早と呼ばれる貫頭衣を羽織り、顔もうっすらと化粧をしているのかいつもより綺麗に見えた。


 惚れた弱みでは無いが、思わずドキリとした。立ち振る舞いも完璧であり、朱音とは全く違う魅力をまとっている。


(やべっ、俺ってこんなに巫女属性強かったか?)


 一瞬、本気で思考が停止していた。朱音も同じように見惚れていたようだが、真夜の態度に気づき僅かに嫉妬の視線を寄せている。


 真昼のパートナーの楓も巫女服姿ではあるが、別に真夜は彼女に見惚れることはなかったと言うのに。


(やっぱりあれか。渚だからだろうな。それにしてもよく似合ってるな)


 出来れば写真にでも撮りたいが、場所が場所なので何とか自重する。今度頼んでみるかと割と本気で思っていたのは、真夜だけの秘密だ。


 渚の巫女姿を見れただけでも、真夜は参加してよかったと思うあたり、相当だなと自分でも苦笑するしか無い。また渚も渚で真夜の視線に気づいていた。


(驚いてもらえたようでなによりです)


 くすくすと内心で渚は笑みを浮かべる。案内役に関して渚は退魔師側を、清羅は政財界の方の案内となっていた。


 案内役は女性が主に務める事になっているのだが、清羅が政財界の担当になっているのは当人が希望したからでもある。


 清羅としてみれば政財界の大物に自分の顔を覚えてもらい、後に自分を売り込む意味でも都合がよかった。同じ六家の人間達に顔を売ったところで旨味は少ない。


 京極家こそが至上。他の五家を下に見ており、そんな連中の相手をする必要は無いと考えていたのもある。


 だからこれ幸いと渚に押しつけた形だ。


(ある意味で清羅さんに感謝ですね)


 渚としては逆に真夜や朱音が参加すると聞いており、退魔師側の案内の方がいいと思っていたので、清羅には淡々と承知しますと言っておいたが内心では喜んでいた。


 真夜の珍しい表情も見れて大祭の準備の疲れも吹き飛んだようだ。


 しかし喜んでばかりいてはいけない。真夜ばかりに気を取られて、他の招待客に失礼があってはいけない。


 あくまで自分は京極家の一員で、他家の代表達をもてなす立場としてこの場にいるのだ。


 役目を果たすために渚は気を取り直し、皆を会場まで案内するのだった。



 ◆◆◆



 京極家の浄化の儀は実際に浄化の霊術を使用し、周辺を浄め一時的に範囲内を神聖な霊域とすることで、敷地内の強化を行う。


 京極家の私有地の一角に設置された巨大な祭壇には、幾重もの陣が台座に刻まれており、それを京極家の者達が起動させる。


 五人の術者を五芒星の起点として、その周囲に八人の術者が補助として配置されている。


 今回の儀式に伴い、当主たる清彦とその子供達である四人が術を発動させる役を受け持ち、全員が白い神職服か巫女服に身を包んみ、大規模儀式と呼ぶにふさわしい様相となっていた。


 先代当主の清丸の開催の挨拶と宣言の後に、清彦達五人が同時に祝詞を唱えると陣が薄く光り輝きだした。


 周囲の術者達はシャンシャンと手に持った神楽鈴を鳴らしていく。


 六家や星守、政財界の者達は、陣から数十メートル離れた場所に設置された正反対の別々の観客席から、また抽選で選ばれた一般人の見学者は、さらに百メートルほど離れた場所からその様子を眺めている。


 淡い光が周囲へと広がっていくと人々に多幸感に包まれていく。


 この場にいた者は浄化の術により癒やしを与えられる。肉体的な疲労感の回復や精神的な安定をもたらすだけではなく、身体の不調まで整えてくれる治癒術の効果まで付随していた。


 効果範囲は広く、京極の広大な敷地全域を覆い尽くすほどだ。


 大規模霊術であり地脈を利用して行うために十年単位となってしまうが、他の六家であっても早々行うことが出来ないほどの規模と術式である。


(なるほど。十年前も体験したが、これは中々だな。あの時はよくわかっていなかったが、今ならある程度はわかる。それにしても俺の十二星霊符の十枚展開と似たような効果だな。効果範囲はこっちの方が圧倒的に広いけど)


 真夜は十年前にはただ驚くしか出来なかったが、今ではこの術式の事を深く理解できる。


 以前真夜が高野山で展開した結界と同じく、上級妖魔でも一瞬で滅び、最上級もかなりのダメージを与えるだろうし、特級妖魔でも無事では済まず、超級妖魔でさえもその力は大きく制限されるだろう。


 一般参加者や政財界の者は、神秘的な光景に目を釘付けにされると共に、体と心が癒やされていく。他の六家の面々も京極の術に内心で感嘆しており、一般人と同じようにその恩恵に一部ではあやかっている。


 京極が六家で最も優れているというのも、あながち彼らのうぬぼれでも間違いでも無い。


 長い歴史と継承し守り続けてきた知識と技術。その一つにこの浄化の儀の大規模霊術が上げられる。


 他の六家が同じ術式を用いたところで、発動させることも難しいだろう。


 今の真夜も同じで、異世界での全盛期の状態でも全力で望んで何とかと言ったところであろうか。


 よく観察していればわかるが、人数を増やしているため一人一人の負担は軽減しているのだろう。どの術者達にもまだまだ余裕が見れる。


 どれだけの時間が経過しただろうか。光が段々と収まっていく。陣の輝きは失われていないが、先ほどまでとは打って変わり、落ち着いた物となった。


「これにて浄化の儀は終了となります。皆様、ご参加ありがとうございます」


 清丸は儀式が終了したのを確認すると、厳かに宣言する。儀式自体は三十分ほどで終了した。


 この儀式だけでも見事な物だったし、参加者には大きな恩恵があった。


 しかしこれだけで京極家は終わりにする事は無かった。


「この後は京極家の術者による演舞や模擬戦などをご覧頂けますので、どうか引き続きお楽しみください」


 これからは京極家の敷地をあちこち開放してのお祭り騒ぎである。敷地内にはすでに出店が立ち並んでおり、京極の鍛錬場の解放や時間ごとに模擬戦や演舞を披露していく。


 ここでの演舞や模擬戦は京極家の実力を他家に見せつける意味や、招待した政財界に実際の京極の力を知ってもらい、さらに繋がりを強くすることを目的としている。


 ほかにも貴重な品の観覧できるように一部の建物を開放している。無論、結界も張られ監視も付いているので一般人による盗難の危険性は皆無。


 妖魔などの悪しき存在は先ほどの浄化の儀により、敷地内が浄化されたことで紛れ込んでいたとしてもすでに消滅している。


 退魔師の同業者の犯罪者がいたとしても厳重な警備もそうだが、罪業衆が壊滅した今、個人や少数集団では国内最大規模の京極家に喧嘩を売ろうとは考えないだろう。


 六家や政財界のお歴々にはそれぞれに案内役をつけ、京極家を案内して回る予定となっている。


 演舞や模擬戦、また京極家が所有している霊具などにはどの六家も興味があり、今の自分達との差を図る意味でも、貴重な時間と言えた。


「ここからは六家もそれぞれに別行動となる。私達も適当に案内してもらうとしよう」


 明乃の言葉に他の三人も異論は無かった。


 十年も経てば世代交代も進む。若手の実力者も入れ替わり始めたり、頭角を現す者も出てくる。前回明乃は参加していなかったが、朝陽から当時の報告は受けている。


 そこから十年。合宿に参加した渚で多少は推し量れるが、今の京極がどれほどのものか実際に目にするいい機会であり、星守としても今後の対応を決めるためにも重要な情報源となる。


「では星守の皆様方、これより敷地内をご案内させていただきます」


 今度の案内役は渚でなく京極家に仕える女中であった。京極の本家や分家はそれぞれに案内では無く、催しの方が忙しく、また他にも挨拶回りもしなければならない関係上、信頼の置ける女中にそれぞれの案内を任せるようだ。


 真夜達は女中に連れられ、京極家の中を観覧していくのだった。



 ◆◆◆



 京極家の敷地内では、各所でお祭り騒ぎが広がっている。


 元々広大な敷地面積を有し、道場や歴史的価値のある古式の建物も多く残っておりそれを一目見ようとやってきた一般人も多い。


 霊地と同じように、退魔師によるお祓い(と言ってもすでに浄化の儀に参加したり、その後に参加した者はこの敷地に足を踏み入れた際に消滅してしまう)や霊障相談なども行われたり、実際に霊術のお披露目や修行風景の一部の公開、演舞や模擬戦の観戦などお祭りも同様であった。


 雷坂の一門は京極家の清貴や清治が他のベテランとの模擬戦をしている様子を観戦したり、氷室家は志乃が屋台に目を輝かせて理人があちこちに連れ回されたり、流樹は流樹で付き人の水葉と共に京極の保管されていた貴重な資料や霊具の展示に興味津々で眼鏡を光らせていたり。


 風間凜は叔母や祖母とともに、演舞などで披露される霊術を用いた舞に目を釘付けにされていたり、朱音は従兄弟の火織や赤司などと一緒に京極一族の一部と歓談したり。


 星守一族は政財界の者達との偶然を装った接触の対応に追われたりと、それぞれに大祭の時間を過ごしていた。


 だがそれは今だけの平穏。この場にいる者達全員が、一人の復讐者が巻き起こす惨劇の前の京極家の最後の平和な光景だと言うことを知るよしも無かった。



 ◆◆◆



「見事なものじゃのう。流石は京極家が誇る儀式と言ったところか。並の妖魔どころか超級でさえも弱体化させられかねないとは」


 京都で最も高い京都タワー。その展望台の中では無く屋根の上に陣取る人影があった。


 六道幻那とぬらりひょんである。彼らは術で姿を隠し、何食わぬ顔で京極家の敷地を眺めていた。


「ああ。聞きしに勝る大規模霊術だ。あれに巻き込まれては、私の用意した手駒達でもひとたまりも無いだろう」


 ぬらりひょんの言葉に幻那も同意する。


 発動からしばらく経つが、その効力は健在であり、高位の妖魔であろうとも中で暴れることはおろか、侵入すらままならないだろう。


「しかし、それでも何とかなるのであろう?」

「無論だ。でなければ今宵、京極家を滅ぼすことなど出来はしないのだからな」


 幻那はこの日を決行日と定めてからは、その対策も念入りに用意した。


 浄化の儀に関してはかなりの情報が出回っており、対策を考え用意することは難しくはあったが不可能ではなかった。秘中の儀の内容においてもおおよそ把握しており、今の幻那とその手勢ならば問題ないと判断したのだ。


「京極家は浄化の儀を終わらせた。だからこそ秘中の儀は必ず執り行う。しかも日付が変わるまでにな。さらに儀式自体も最低一時間は必要となるというのは調べが付いている。ゆえによほどの事が無い限りは京極家はあそこから動かん」

「しかもお主にとって幸いなことに、直系や本家、分家などにいたるまでもが勢揃いと言うおまけ付き。もっとも星守家の主力が揃っているのは厄介だろう。まあ予想の範疇ではあるが」

「そうだな。しかしだからこそ策の成功率も上がる。リスクは伴うが、分の悪い賭けでは無い」


 すでに布石は打っている。あとは実行に移すだけだ。


「せいぜい今は大祭を楽しませておこう。夕暮れを待って、計画の第一段階を開始する。星守の動き次第で、早々に第二段階に移行するとしよう」


 もし策に星守が、いや真夜が乗らなければ計画は中止だ。あの場に真夜が留まっている状況では、さしもの幻那も計画を成功させるのは限りなく困難だからだ。


 しかし真夜が幻那の策に乗ったときは……。その結果が導く結末は……京極家の滅亡。


 復讐を誓う妖術師は不気味に嗤い、その時を静かに待つのだった。



 ◆◆◆


 日が傾き、段々と周囲が薄暗くなっていく。


 関東に拠点を置く星守の本邸も夜のとばりが降り始めている。


「楓ちゃんもごめんなさいね。私の手伝いをさせて」

「いえ構いません、結衣様。私も暇を持て余していたところですので」


 本邸の中では留守番組の結衣と楓が事務仕事をこなしていた。屋敷には他にも星守一族の人間が分家を含めているのだが、今彼女たちが行っているのは朝陽や真昼が行う仕事の一部であった。


「でもでも私達だけ留守番なんてひどいですね。今度朝陽さんと真昼ちゃんにはうんとわがままを言ってあげましょう!」


 結衣は楓を気遣ってか、それとも本心なのかわからない冗談を口にする。


「私は気にしておりません。それに真昼様に我が儘なんて」

「もう。本当に楓ちゃんは良い子ですね~。でももう少し真昼ちゃんに甘えて良いと思いますよ?」


 真夜と和解する前ならばともかく、今の真昼は人間的にも成長してきており、精神的にも大きな余裕が生まれている。楓が何かを頼めば、それこそ我が儘や甘えても受け入れるどころか、より嬉しく思うだろうと結衣は考えていた。


「いえ! そんな恐れ多い!」


 困惑し、あたふたする楓に結衣はニコニコと優しい笑みを浮かべる。


 だがそんな空気に水を差す声が響く。


「た、大変です、奥様!」


 星守に仕える女中の一人が慌てた声を上げ、二人がいる部屋へと入ってきた。そのただならぬ様子に結衣と楓は表情を変える。


「何がありましたか?」

「よ、妖魔です! それも強力な、おそらくは特級以上の力を持った妖魔の襲撃です!」

「なっ!?」


 女中の言葉に二人は言葉を失うのだった。


 ◆◆◆


「ひひひひ。これで第一段階は発動じゃ」


 星守本邸から少し離れた場所に身を隠しているのは、幻那に仕える山姥だった。彼女は幻那の命を受け、星守へと妖魔をけしかけた。


「守りの薄い星守への襲撃。これで星守の連中も急ぎ戻ってくるしかあるまい」


 特級妖魔三体が星守の本邸へと攻め込んでいた。星守も常時結界を張っており、今は警備の術者が侵入されまいと強化を行い拮抗させているが、破壊も時間の問題だろう。


 しかし特級妖魔三体と言えども、星守朝陽が鞍馬天狗と共に戻れば問題なく倒せる敵でしか無い。そうなれば真夜をここへとおびき寄せるなど不可能だろう。


「ひひひひ。幻那様の悲願を達成するため、このオババ、何としてもやり遂げて見せましょうぞ」


 だがそんなことは幻那も理解していた。この特級三体は捨て石に過ぎない。そして捨て石であるならば、それなりの使い方をして、目的を果たすだけのことだった。オババの手には野球玉くらいの黒紫色の宝玉が握られていた。


「さてさて。では次の手じゃ」


 オババは宝玉を持つ手とは別の手で今度はスマホを取りだすと画面を操作し、通話ボタンを押す。


 電話がコールされる。その画面には星守真夜という名前が映し出されているのだった。


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