第六章 六道幻那編
プロローグ
それは遠い日の記憶。まだ平和で幸せだった頃の記憶。
「何でそんなにあっさり成功するの!? ひどくない!?」
「いや、そんな事を言われても……」
「この術、めちゃ難しい妖術のはずなのに、一発で成功なんて。くぅっ、グレてやる!」
二人の、まだ年若い十代半ばの黒髪の少年達が言い合いをしていた。片方は半泣きで、片方はそんな彼に対して困ったような顔をしている。
「何下らないこと言ってるの。目障りだわ」
ぽかんと、軽い音が響く。半泣きの少年の頭を一人の少女がハリセンで叩いている。その少女は長く美しい艶のある黒髪を腰まで伸ばし、黒い巫女服に身を包んでいた。身長は百六十半ばほどで顔立ちも整っており、芸能人にもこれほどの美貌はいないのではと思われる程であった。
「いてっ! ひでぇ! いきなり叩くなんて、那月(なつき)の鬼! 妖魔! 人でなし! この妖術師!」
「ふふっ。面白いことを言うのね、一刀(かずと)。そんなに私の特訓に付き合いたいのね」
「ひぃぃっ! 助けて!」
一刀と呼ばれた少年はもう一人の影に隠れてガタガタと震えだした。
「情けないわね。これが私の許嫁なんて。兄さんもこんなのと親友なんて、一族始まって以来の天才と言われているのに残念ね」
「こんなのって言うなよな! お、俺だってお前と許嫁なんて……」
「あら、何か言ったかしら?」
「何も言ってないです!」
蛇に睨まれた蛙のように身体を硬直させ、直立不動の体勢を取る一刀。
「二人ともそれくらいにしておかないか。それに一族と言ってももう生き残っているのは、私達を含めて殆どいないんだ」
「最強と謳われた妖術師の一族のはずなのにね。諸行無常、盛者必衰のことわりと言ったところかしらね」
「いや、うちらの爺ちゃんや曾爺ちゃんの代がやらかしたからじゃ無いの?」
「ん。みんなで面白い話をしてる」
話し合う三人の所へ、もう一人黒い巫女服に身を包んだ少女がやって来た。こちらは那月と違い、ショートカットで短く切りそろえられ、身長も百四十半ばほどであった。
「千影(ちかげ)。もう今日の修練は終わったのか?」
「ん。私も優秀だから、すぐ終わる。そう言う二人は新しい術の習得?」
「ああ。私はすでに習得済みだ」
「俺はまだなんですけどぉっ!」
「一刀は焦らない。今習ってる術は難しい。私も覚えるのに一日かかった」
「私は二日よ」
「俺、三日目なんですけど!」
またも半泣きになる一刀に那月はため息をつき、千影はよしよしと慰める。
「でもまあ、焦ることは無い。時間はたっぷりある」
「仕方が無いわね。私がそんな貴方の修業に付き合ってあげるわ」
「えっ、俺は那月よりも姉ちゃん達に……」
「つべこべ言わずに付いてくる」
「イヤァァァァッ! 助けてぇ、姉ちゃん! 幻那ぁっ!」
一刀は首根っこを捕まえられ、ずるずると引きずられていった。
そんな二人を少年――幻那は苦笑しながら見ている。
「相変わらずだな、あの二人は」
「そうだね。でも仲が良い。許嫁同士だし。それは私達も同じだけど」
「まったくだ。しかし未だに千影と許嫁というのは実感がわかないな」
「仕方が無い。六道一族の直系は私達の他には大爺様以外には生きていない。だから六道の血を絶やさないためにも必要なこと」
困惑しているのは千影の見た目もあるのだが、この少女、幻那よりも年上である。
「姐さん女房」
ブイとピースサインをした勝ち誇った千影の顔を幻那は一生忘れないだろう。
「それとも私とは嫌?」
「そんな事は無い。こんな私で申し訳ないが、こちらこそ宜しく頼む」
「ん。任された」
どこか安心したような千影の顔に幻那も思わず顔をほころばせる。幻那はこの世話焼きで優しく、しっかりしているようで、どこか抜けている年上の少女の事が好きだった。物心つく頃から四人は一緒だった。
共に遊び、学び、生活をしている。本当の家族のようであり、親友で千影の弟である一刀も、その許嫁であり自分の妹である那月の事も大切に思っていた。
素性を隠し、地方のこの地に隠れ住むような生活をしていたが、こんな時間がずっと続けば良いと思っていた。
しかしそれが泡沫の夢であったと、儚い願いであったと幻那は思い知らされる事になる。
あの日、幻那は三人と永久の別れを迎えることになったのだから。
◆◆◆
「……まさか昔の事を今更、夢で見るとはな」
六道幻那は拠点の一室の椅子の上で眼を醒ました。異界から帰還し、調整を終えて身体を休めていた幻那だったが、どうにも肉体的にも精神的にもかなり疲労が溜まっていたようだ。
幻那の表情が微かに明るく、そして優しい物になった。だがそれもほんの僅かな時間だった。
直後に見せるのは憤怒の形相。憎悪がわき上がり、全身より妖気と霊力を迸らせる。
部屋に備え付けられていた調度品が粉々に砕け散っていく。数秒の放出の後、幻那は力の解放を抑える。
「くかかか。荒れておるのう。なんじゃ、ようやく京極への復讐が出来ると言うのにどうした?」
「……いや、下らぬ感傷だ。昔の夢を見た。……我ながら情けない。感情を抑えきれぬとは」
部屋のドアを開け、入ってきながら訝しげに訪ねるのは幻那と行動を共にしている大妖怪であるぬらりひょんである。幻那はぬらりひょんに謝罪すると、微かにため息を漏らした。
「お主にしては珍しいが、まあそう言うこともあろうて」
「お前にそう言われるのは複雑だな」
「くかかか! まあ儂としてはお主の新たな一面が見れて良いがな」
高笑いするぬらりひょんに幻那は何とも言えない表情を浮かべるが、頭を振るとすぐに引き締める。
「下らぬ話はここまでだ。準備はほぼ調った。切り札の方も問題ない。京極を滅ぼす最低限の妖魔の調達も終わった」
「儂の方も準備を整え終えたからのう。京極も悲惨よな。今のお主だけでも大概じゃというのに、それに匹敵する化け物とそれ以外の凶悪な妖魔達を同時に相手にせねばならぬとはな」
始まれば、ぬらりひょんの知る限りでは、過去に無いほどの戦力の一極集中による蹂躙劇になると予想していた。例え星守真夜を含めた星守一族が参戦しようとも、かなりの数の退魔師が犠牲になるだろう。
だが星守が参戦しない場合、オーバーキルも良いところだ。碌に抗う事も出来ずに、京極は滅ぼされるだろう。
「それで、件の星守真夜や星守一族に対してはどうするつもりだ?」
「以前にも言ったはずだ。私の目的は京極一族を根絶やしにする事であり、星守真夜や星守一族を相手にするつもりは無い」
「だが京極一族の血を引く京極渚という娘が、奴の庇護下にあるのであろう?」
「ああ。無論見逃すつもりは無いが、小娘一人殺すのなど、どうとでもなる」
幻那は京極の血を根絶やしにするプランは入念に、幾通りも考えている。渚を後回しにして、ぬらりひょんが手をくださなければならなくなった場合、よほど上手くしなければ、自分が地の果てまで追いかけられる可能性があるので、若干顔をしかめたが、それをうまくするのも面白いと笑みを浮かべる。
「京極渚は最後だ。他の京極一族を滅ぼしさえすれば、星守真夜にも集中できる。例え星守真夜やあの堕天使以外に星守一族が動いたとしても、隙を突きさえすれば、京極渚を亡き者にするのは難しくないだろう」
真夜も四六時中、渚と一緒にいるはずはない。京極を滅ぼした後では警戒されるかも知れないが、その時は己がどうなろうとも、使えるものは全て使い総力を以て真夜と事を構えるつもりだった。
京極を滅ぼした後、星守一族に渚を匿われれば面倒なことになるが、京極一族そのものよりも先に京極渚を亡き者にした後の、星守真夜の報復の方が厄介だと幻那は考えた。
その場合、京極一族を根絶やしに出来ず取り逃がす可能性が高い。
「ままならぬものよな。京極渚を殺した後、即座に京極一族を根絶やしに出来れば良いのだが、復讐者というのは厄介極まるからのう」
「自分自身に置き換えれば、想像に難くは無い。あの力が復讐という強固な意志の下で解放されれば、それこそ古の魔王と呼ばれた存在や邪神を相手にするようなものだからな」
絶対に勝てないとは今の幻那は考えていない。だが五分に届くかと言われればその限りでは無い。
「しかし星守真夜が介入する前に、その他大勢の京極一族と一緒に葬り去るのがベストだな。京極一族自体数が多い。出来れば一カ所に纏まっている時に襲撃したいと私は考えている」
「とすれば決行日は……」
「ああ。京極一族が一堂に揃う大祭。その日が奴らの終焉の時となろう」
◆◆◆
母の記憶は無い。物心ついた時には、すでにいなかった。
どんな顔だったのか、どんな声だったのか、一切覚えていない。父に母の事を訪ねた事があった。
だが写真も何も無いとにべもなく告げられた。
父は私を見ているようで見ていなかった。必要最低限の事は与えられた。衣食住も世話をしてくれる女中も与えられた。けど誰も自分自身を見ようとはしてくれなかった。
言われるままに修練にも打ち込んだ。最初は嫌だった。辛かった。才能はあった。一族の名に恥じない力は有していた。
一つの術を覚え、練度を上げ、次々に課題をこなした。
ただ父に褒めて欲しかった。認めて欲しかった。自分を見て欲しかった。声をかけてもらいたかった。興味を持ってもらいたかった。
強くなることが、父の子に恥じないようになることこそが、その一歩だと考えた。
だからひたすらに努力した。父の言いつけを守り続けた。
でもあの人が笑いかけてくれることは無かった。褒めてくれることはなかった。認めてくれることはなかった。
逆に周囲に疎まれることになった。愛人の子なのにと言われ、生意気だと言われ、才能があることに嫉妬された。
自分の周りには誰もいなかった。助けてくれる人なんていなかった。褒めてくれる人も、認めてくれる人もいなかった。
昔はよく泣いていた。小さな頃は、本当に人前でも、隠れて影でも一人で涙を流していた。
一族内では無理でも他家の子とならと淡い希望を抱いたこともあった。
しかしそれも叶わなかった。一族間のしがらみもあったからだ。自分はいつも独りぼっちだった。
あまりに辛くて、苦しくて、誰も寄りつかない本家の敷地内の一角でその日も一人で涙を流していた。
―――こんなところで、何泣いてんだよ―――
その時、声をかけられた。見れば自分と同じ歳くらいの少年がそこにいた。
―――誰? どうしてこんなところにいるの?―――
ここはあまり人が寄りつかない場所であったし、その少年を今ままで一度も見たことがなかったので、疑問をぶつけた。
―――お、俺はその……いいだろ、別に! それよりもお前は誰だよ!―――
後から知ったことだったが、少年は父親と一緒に本家へと来ていたのだが、時間を潰すために散策していたら、迷ってしまい、ここに来たらしい。気恥ずかしさもあったのか、少年は顔を真っ赤にして大きな声で叫んだ。
普通ならそんな相手には名乗らないのだが、不思議と自然に自分の名前を少年へと告げた。
―――……私は渚。京極渚だよ―――
これが彼との出会い。彼がすっかり忘れている、でも渚の心の支えとなる大きな出会いであった。
◆◆◆
「……懐かしい夢ですね」
自室のベッドで渚はゆっくりと目を覚ます。知らずに頬をほころばせながら、ベッドの棚に置かれているいくつかの写真立てを見る。
そこには先日晴れて恋人になった星守真夜や、友人の火野朱音と撮った写真が飾られている。
「ふふっ。本当に夢みたいな話ですね」
昔からは想像もしてなかった。あの出会いがあったから、今の自分がある。真夜はすっかり忘れているが、あの出会いとその時の彼との会話に救われた。
「まさかそんな真夜君と再会して恋人同士になれるなんて」
心が温かくなる。まあ普通の恋人関係とは少し違い、朱音と一緒のW彼女と言う、人から見れば二股をかけられている状態なのだが、当人達は納得しているので何ら問題は無い。
「さて、今日から新学期ですし、転校初日ですから急いで準備をしなければいけませんね」
渚は元々真夜達とは別の学校だったが、京極本家の思惑で真夜達と同じ学校に通うことになった。
本家には未だに真夜との恋人関係は報告していない。朱音の方も同じだ。
これは様々な思惑があり、この関係を知っている全員が秘密にしている。
だがそれはそれ。渚としては以前より心配していた事が解消したことで、文字通り青春を謳歌していると言う状態だった。
真夜と朱音と同じ学校。それも本家が上手く手を回したのか、同じクラスという渚にとっては嬉しい限りである。
「真夜君や朱音さんを待たせるのも悪いですからね。急ぎましょう」
渚は今日からの学園生活を思い浮かべながら、新しい制服に袖を通すのだった。
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