エピローグ

 

 一夜明けて、高野山は昨日の一時的な喧騒が嘘であったかのように静謐に包まれていた。


 明乃が強引に莉子を引き連れ結界の強化を行ったことと、真夜の結界霊術がエルベの影響をギリギリで最低限に抑えた上に、高野山の結界にも好影響を与えたことで、封印されていた妖魔は解放されず、活性化しかけていた妖魔達は沈静化されたためである。暴れそうになっていた妖魔も消滅や無力化され即座に討伐された。


 警察や一部の退魔師達が現場検証や、新たな危険の発生などが無いかを再度調べているが概ね問題なしと判断された。


 一時的に騒ぎは起こったがエルベやそのほかの妖魔による一般人への直接の被害も報告されていない。


 しかし退魔師側ではその限りでは無かった。


「まったく、面倒ったらありゃしないよ。まあ被害が無かった上に、こっちの依頼も無事に遂行できたからよかったものの、そうでなきゃやってやれないよ」

「だがそちらも雷坂への手札を手に入れたのだ。悪くは無いとは思うが?」

「涼子の奴が喜ぶだろうねぇ。これ幸いに雷坂へ嫌みを言ってるのが目に浮かぶよ」


 風間莉子と星守明乃は昨日から、関係各所への対応に追われていた。今も二人は高野山に設置されているSCD管轄の警察署の一室で報告書の作成などを行っている。


 一般人に被害が及ばなかったとは言え、特級妖魔(・・・・)クラスが雷坂光太郎により解き放たれ、その影響が高野山全体に及び、危うく大きな被害が出るところだった事を考えれば、些細な事件として終わらせることは出来なかった。


「雷坂の跡継ぎ候補も終わりだろうねぇ。特級妖魔の解放に、一般人相手じゃないだけマシだけど身内相手に刃傷沙汰まで起こしちゃ、庇いきれないだろうね」

「だろうな。身内で処理するにしてもこれだけの騒ぎを起こしたのだ。刑務所暮らしの上に、出てきてからも肩身が狭い事になるだろうな」


 光太郎がエルベに操られていたとは言え、雷坂仁を含めて、何人も負傷させた。全員が命には別状が無いのが幸いであったが、妖魔解放の件も合わせて内々で処理することが出来なくなっていた。


 いや、妖魔を自ら解放した事による自業自得な事態なので、擁護もできないだろう。


 雷坂としてもこれだけの失態を犯した人間を何のお咎めも無しとはいかない。司法の裁きを受け、その後に雷坂でも処分を下す。そうすれば、対外的にも内部的にも示しは付くだろう。


「せっかく霊器を顕現させたってのに、残念な結果だね」


 莉子や明乃は凜や真夜達から事情を聞いてる。事情聴取も受けたが、しっかりと口裏を合わせたので、そこまで問題になるようなことは無かった。


「……お前さん、あの子達の話をどう思ったんだい?」

「……どう言う意味だ?」


 唐突な莉子の言葉に明乃は思考を巡らせながら言葉を選ぶ。明乃は莉子が何を言いたいのか、何となく察していた。


「なにね。今回の妖魔、本当に特級だったのかと思ってね」

「何を根拠にそう思う? まさかもっと下のランクだと言うのか?」

「逆だよ。身内びいきじゃないけどね、凜はかなり優秀な部類だよ。感性も探知能力も優れているあの子が、超級かも知れないって言ってたのが気になってね」


 凜が特級と超級を見誤るだろうか。妖魔の階梯は一つ上がるごとに強さもその質も隔絶した物となる。そのため妖魔の強さの質を誤れば、大惨事になり得るため、六家では特に相手の強さや階梯への理解を深めるために、相手の強さを計る訓練をしている。


 方法としては、かつて討伐した妖魔の妖気の質を一部封じこめた特殊な札で、質を感じ取り相手の階梯を読む訓練を行っているため、六家などは妖魔の階梯を感覚的に掴むことが出来るのだ。


「なるほど。お前の言うことも一理ある。真昼も同じ事を言っていたからな。だが超級ならば如何に真昼がいてもあの子達だけで勝つのは不可能とまでは言わないが、無傷で終わらせるなどそれこそあり得ないだろう」


 明乃は真夜達から話を聞いており、口裏合わせで妖魔のランクも落とすと聞かされていた。出来れば最上級まで落としたかったが、莉子の言うとおり凜と真昼が超級の可能性を伝えていたこともあり、あまりにもランクを落としすぎると莉子に感づかれると危惧したため、やむなく特級としたのだ。


「報告にもあったが、真昼が霊器の力を覚醒させた。それは全員が証言している。その場にいた雷坂彰も同じように報告を上げている。誤認したと言うには些か不自然だが、特級ならば守護霊獣もいたならば無傷で勝つのもおかしくは無い」


 それに超級であったならばそれを隠す意味も無いだろうし、自分達の到着前に無傷で勝負が付くはずも無いだろうと明乃が莉子の疑問を一部では同意しながら指摘した。


「まさかお前は雷坂と共謀して事実を隠蔽し、雷坂光太郎を庇って嘘の証言をしたと考えているのか?」

「あの子にそんな優しさはないさね。あるとすればあんたのとこの真昼関連だろうね。それともう一つ、凜から聞いたよ。お前さんの孫二人、和解したそうじゃないか。それも関係してるんじゃ無いのかい?」


 じっと探るような眼で明乃を見据える莉子。明乃もそれは想定内である。如何に莉子が鋭く、疑念を抱いていようが真夜まではたどり着けないだろう。


(真昼に秘密があるように誤認している間は構わん。真夜に関してもいつかは公にすることだ。この件で追求を受けようが、どうとでも出来る。今は下手に騒がれても困るが、露見した場合の策もすでに朝陽と構築済みだ)


 絶対的優位は星守側にある。だからこそ明乃も強気でいられた。


「はぁ~。まあいいさね。何かしらの秘密があるのはあんたの態度からもわかったよ」

「ほう。私が何かを隠していると言うのか?」

「見くびるんじゃ無いよ。こう見えてわたしゃ、あんたとは長い付き合いなんだ。あんたの変化も合わせて考えると、こっちにはあんまり面白くない話になりそうだね」


 やれやれと肩をすくめ、年寄りにはもっと楽をさせてもらいたいもんだと莉子は愚痴を零す。明乃はそんな莉子やはり侮れないと改めて認識した。


「言っとくけど、うちの凜を泣かせたら承知しないからね。あれはああ見えて繊細なのさ」

「なんだ、風間家の心配で無く孫の心配とは、お前も歳を取ったな」

「やかましいよ。まあ一昨日も言ったけど、風間家は罪業衆の件で借りがあるからね。それと今のあんたも似たようなもんだよ」

「ほう。私が孫が可愛くて仕方が無いように見えるのか?」

「見えるね。あんたも可愛くなったもんだよ」

「……ふん」


 明乃は軽く鼻を鳴らし、報告書の作成に戻った。明乃は雷坂に対する手札を新たに手に入れたとは言え、せっかくの合宿を一日無駄にされかねないことに苛立ちを覚えていたので、雷坂に対して手を緩めるつもりもなかったし、早く終わらせてスケジュールの調整を行うつもりであった。


 そんな様子を莉子は面白そうに眺めながら、自らも報告書の作成へと取りかかる。


(明乃の奴、そこまで隠し立てする秘密でもないけど、時期を見計らってるって感じかねぇ。凜もあの程度の話でわたしを丸め込めると思っているのなら甘く見られたもんだよ)


 莉子は明乃や凜が何かを隠していることに薄々気づいていた。内容こそ分からないが、真昼かあるいはそれに付随した真夜に関するものであろうことも。


 昨日の件でもそうだ。明乃が高野山全体の被害を懸念していたとして、超級妖魔かも知れない相手よりも先に結界の強化を優先したのも不可解だ。


 確かに結界の強化が成されれば、真昼や凜が戦っていた場合、計らずとも援護を行えることだったが、それでも二人が殺される可能性もあった。


 それに援軍として先に楓はともかく、足手まといになりかねない落ちこぼれの真夜や他家の人間である朱音や渚を行かせたのも不自然だ。それならば逆の方がまだマシだろう。


(昨日はわたしも焦っていたし、高野山全体の事を優先して、先に結界の強化をして合流するのが最善だとは考えたけど、超級妖魔だった場合、暴れればそれどころじゃないはずだよ。それだけ真昼を信用してたってことだろうかね?)


 昨日の明乃はそこまで焦った様子は無かった。あの状況なのに寧ろ余裕まで感じられた。だからこそ、一晩経って冷静に考えるようになってから違和感や疑念が生まれたのだ。


(とは言え、昨日は結果論だがあれで正解だった。それに凜も意識こそ低いが風間の人間だって言う自覚はあるし、こっちが極端に不利益を被るって話でもなさそうだね。あるいは秘密にすることが利益になるか。どっちみち、今の星守とは敵対しない方が得策だからね)


 現在の星守はある意味では、歴代でも類を見ないほどの力を得ている。明乃も歴代当主の中では上位に位置する力と政治力を持っており、その息子の朝陽は最強の退魔師として名高い。


 また孫の真昼も現在でも若手最強と言われ、霊器を顕現したことで退魔師全体でも上位に躍り出る強さを持っている。


 また権力や名声においても、罪業衆の件で大きく躍進している。


 しかし、それだけではない。


 莉子が先の会合の話を聞いた限りでは火野と氷室も星守に協力的であり、今回の雷坂の件が合わされば、六家の中で規模や発言力が最も大きな京極でさえも手に負えない存在となっている。


(星守真昼が次期当主になるのは確定したようなもんだ。凜が懇意にしていれば、そう悪いことにはならないだろうからね)


 孫娘次第だが、真昼に嫁ぐ事も莉子は視野に入れている。今の星守と血縁関係になれば風間に取っても大きなメリットになる。凜には幼馴染みというアドバンテージがあり他家よりも優位に進められる。


(明乃の変化も気になるところではあるし、こっちも独自に探りを入れるかね。取りあえず、今はこっちも仕事をしようかね)


 しばし無言のまま、お互いに腹の中では多くのことを考え、牽制し合いながらも優秀な二人は仕事を完璧にこなすのだった。



 ◆◆◆



「うん、中々いけるな」

「ほんと。抹茶と合うわね」

「できたてを頂けると、やはり違いますね」


 真夜や、朱音、渚は高野山の茶店で、テーブルに座りながら、ご当地デザートをお茶と一緒に堪能していた。


「お前ら一夜明けたつってもあんな戦闘の後なのに、よく食べるよな」


 それを横から見ていた凜は呆れたように指摘する。


「別にいいじゃねえか。そう言いつつ、そっちだってソフトクリーム食べてるじゃねえかよ」

「アタシだって甘い物が食べたいんだよ」

「凜は昔から甘い物が好きだったからね。僕も好きだけど」

「真昼様、お口にクリームが付いてますよ」


 真夜達の隣の席には凜だけでなく真昼と楓も座っていた。昨日のこともあり、修業は一時中断。瞑想を行い、体調や霊力をある程度整えてから、皆で観光と食べ歩きに出ていた。


 凜が同行しているのは、昨日の件もあるが彼女も依頼の浄化も終えたものの、莉子が忙しくなってしまいメドが立つまで待たなくてはならなくなったので、その空いた時間を使い真昼達と出かけてこいと言われたからでもある。


 明乃も真夜達もそれに異論はなかったので、こうして皆で束の間の休息を取っていた。


「それよりも真昼は大丈夫なのか? 昨日、あんだけ力を酷使したのに」

「大丈夫だよ、凜。少し寝たら大分楽になったし、真夜にも治療してもらったから」

「まっ、動ける程度だけどな」


 時間をおいて、真夜は真昼を霊符で少しだけ回復させた。まだ真夜の霊力を弾いたが、多少なりとも回復が行われたので、出歩くくらいは問題ない。


「それにしても真昼と真夜がこうやって仲良くしてるのなんて、何というか感慨深いよな」

「あっ、それはあたしも思ったかも」


 凜の指摘に朱音も同意する。それぞれの昔からの幼馴染みであった二人は、どことなく共感する物があった。


「あー、それと一昨日は悪かった」


 凜はばつが悪そうに朱音に謝罪した。朱音を真昼の嫁候補と勘違いしていたことが気恥ずかしいようだ。


「気にしてないわよ。それに今回はそのおかげで結果的に真夜と付き合える事になったし♪」

「そうですね。噂を流してくれた方には感謝してもいいかもしれませんね」


 嬉しそうに語る朱音と渚と、少し照れている真夜を見ながら、凜はえっと驚きの声を上げた。


「えっ? 真夜、まさか二人と同時に付き合うのか?」

「……あー、まあな。俺にとって二人はどっちも大切だからな。不誠実って思われてもしかたがないが、誰に何て言われようが、自分の意思を曲げるつもりはねぇからよ」

「あたし達はそれで納得してるからね」

「色々考えた結果ですし、私達は真夜君の意思を尊重します」


 これには凜も目が点である。真昼は良かったねと微笑ましく見ており、楓は我が事のように喜んでいた。


「……その、なんだ。当人達がいいなら、アタシからは何も言うことは無いけど」

「まっ、俺はこんな風に落ち着いたから。兄貴もこれからこう言う事で色々苦労するだろうが、俺は何があっても兄貴の味方をするから。取り合えず、自分の周りの相手は大切にすることだな」


 そう言いながら真夜は真昼と、続けて楓と凜を見る。話を振られた楓は少し悲しそうな表情を浮かべ、凜は顔を真っ赤にした。


「真夜、僕は……」

「兄貴次第だ。大丈夫だって。俺の事も何とかなったんだ。兄貴のことも、これから絶対何とかなるさ。だから後悔だけはしないようにしろよ」


 上から目線で余計なお節介かも知れないが、これくらいは良いだろうと真夜はアドバイスをする。


「なんだか、本当にどっちが兄かわからないね。でも不思議と真夜の言葉って説得力がある気がする」


 真昼は楓とそして凜の顔を交互に見る。


「ありがとう、真夜」


 まだ自分の気持ちが分からない。いや、整理出来ていないだけかもしれない。それでも明乃に言われたこと、凜に言われたこと、そして真夜に言われたことを胸に、後悔の無いような選択をしよう。


「気にするなって、兄貴」


 真夜はそう言うと再びテーブルに置かれた和菓子を征服にかかる。彼らの束の間の安息の時間はこうして過ぎていくのだった。



 ◆◆◆


 闇がどこまでも広がる空間。濃厚な妖気が満ちあふれ、人間が足を踏み入れれば即座に気を失い死に至る程の場所。


 そこには強大な覇級妖魔がいた。そう、いたのだ。だがその妖魔はすでに討ち滅ぼされていた。


 その場に佇むのは、この場には似つかわしくないスーツを着た白髪に紅と蒼の瞳を持つ男。


「くかかか! 流石じゃな、幻那よ。元の姿に戻ったばかりだと言うのにもはや覇級妖魔をも下すか」


 面白そうに笑う声が響く。闇の向こうから、着物を着た老人――ぬらりひょんが姿を現した。


「……ようやくこの力にも慣れてきたな」


 ぬらりひょんの言葉に男――六道幻那は微かに笑みを浮かべながら答えた。その姿は先日までの少年の姿では無く、真夜と相対した時の姿に戻っていた。だが身体から放たれる力はあの時の比ではない。


「順調のようだのう。しかし相変わらず恐ろしい男よ。異界へと個人で自由に行き来できるだけではなく、下位とはいえ覇級妖魔をこうもあっさりと仕留めるとは」


 彼らは今、異界へと足を踏み入れていた。一般人どころか退魔師達でも長く滞在すれば命を落とす場所に、彼らは散歩にでも出歩く感覚で足を踏み入れていた。


「ああ。転生の秘術にて覇級上位の力を手に入れたとはいえ、使いこなせなければ意味は無いからな。だがようやく慣らしも終わった。お前の方はどうだ?」

「良い感じじゃよ。お主にもらった新しい玩具の出来はなかなかじゃ」


 ぬらりひょんは己の懐をさすり、幻那にもらった新しい玩具にご満悦だった。


「ならばいい。さて、私とお前の調整も終わった。そして最低限の戦力も整った」


 覇級上位の力を使いこなすのは、少々時間がかかったが問題なく制御できるようになった。そして望んだ戦力も手に入れた。


「ではいよいよ始めるのか?」

「……ああ」


 ぬらりひょんは邪悪な笑みを浮かべ、幻那もまた笑みを浮かべる。


 ついに悲願が達成される時が来たのだから。


「時は来た。我が悲願を成就させる」


 顔を上げ右腕を頭上に掲げると、開いた手を強く握りしめる。幻那の悲願―――それは。


「必ずや討ち滅ぼし、根絶やしにしてくれる」


 京極一族の滅亡。


 復讐を誓った最強の妖術師は敗北を経て、更なる力と強力な配下を得て、再び動き出すのだった。


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