第十六話 覚醒
真昼が凜の危機に気づいたのは、偶然に近かった。
蝙蝠など変則的に襲い来る敵を相手に全方位に集中していたからと言うのもあるのだろう。
エルベの使い魔の蝙蝠が一羽だけ、彼女の方へと向かったのに気がついた時には遅すぎた。それを止める事が出来ずに、凜を危険にさらした。
(間に合え!)
エルベを牽制し、後鬼に援護を指示すると、真昼は即座に彼女の方へと駆けた。真昼は迫り来る巨大な雷の斧の前に躍り出ると、その攻撃に対処しようとする。
光太郎の一撃は、生半可な防御では、それごと切り裂かれてしまうほどの高威力を誇っていた。
(凜は絶対に守る!)
真昼にとって凜は幼い頃からの知り合いで、真夜の事で昔から相談に乗り励ましてくれた。楓を除けば同年代の退魔師関係では一番仲が良い友人であろう。
今回も悩んでいる真昼の事情を深く聞かずに、それでもアドバイスをくれた。大切な人だと思っている。
(守るんだ。真夜みたいに、大切な人を!)
自分はまだまだ弱い。真夜にも朝陽にも明乃にも及ばない。いつか彼らの領域にたどり着きたい。でもそれは何故?
最強になりたいから? 弟や父に祖母に誇れる人間としてありたいから?
違う。誰かを守れるようになりたいからだ。
ドクンと真昼の心臓が脈打つ。いや、心臓だけでは無い。左手に握った剣が脈打ったかのようだった。
真昼の感覚がどんどんと研ぎ澄まされていく。音が消え、時間の経過が遅く感じられる。
左手に霊力が集束していくと、白銀に輝く剣がさらに眩い光を放つ。
真昼はそのまま左手の剣を横薙ぎに振るう。雷と剣が触れると、眩い光が周囲を飲み込むのだった。
◆◆◆
凜が真昼に惹かれ始めたのは、いつの頃だったか。
おそらく気になりだした切欠は幼い頃、朱音を庇い暴行を受けていた真夜を助ける真昼を見た時からだろうか。
真夜と朱音の事件の際、凜もたまたまその近くにいた。近くと言っても遠目で見る程度には距離が離れていたのだが、凜は誰かが暴行を受けているのに気づいた。
彼女は助けに入ろうとした。けど自分よりも体格がいい年上の数人の少年達を前に、足がすくみ彼女は躊躇してしまった。半ば、容赦なく暴行を受ける真夜の姿に、幼い凜は恐怖してしまった。
(う、動けよ。助けないと……)
すでに才能の片鱗は現れていたが、当時の彼女はまだそこまで精神上強くなく、霊術を用いて助ける事もできず、見ていることしか出来なかった。
そんな時、颯爽と現れ、自分よりも体格の大きな少年達を物ともせず真夜を助ける真昼の姿に、驚きと感動と憧れを覚えた。
自分に出来なかった事を平然と行った。それだけならば同い年の強いだけの相手としか思わなかっただろう。
けどその後の真夜と真昼の会話と打ちのめされた彼の姿を見た時に、凜は今までに無い想いを真昼に抱いた。
強いことをひけらかすでもなく、ただ弟を心配する兄の姿。拒絶されてもそれでも弟を思い続け、真夜を一度として悪く言うことも無かった真昼の優しさ。
交流を続ける内に、凜はどんどん真昼に惹かれていった。
強さと優しさと同時に弱さを併せ持っていた真昼。弱音や自身の苦悩をはき出す数少ない相手が凜だった。
真夜との関係に苦悩し、それでも兄として、退魔師として努力していた真昼だったが、凜にはその弱さを見せてくれた。
凜は真夜に対しても、真昼への複雑な感情を持ち、それでもひたむきに努力する彼に見下すことも嫌うことも出来なかった。
積極的に二人の仲を取り持つことこそ出来なかったが、朱音などの例外を除けば真昼と真夜に普通に接した数少ない同年代の人間だろう。
久しぶりに再会した真昼は以前に比べ、目に見えて明るくなっていた。兄弟の仲も改善され、かつて真昼が望んでいた普通の兄弟のような関係になっていた。
そんな真昼に縁談の噂が立ったことに、凜は言いようもなく不快になった。考えるだけでもイライラしてしまった。だから朱音にもキツイ態度を取ってしまった。
幸い、それはただの噂話で終わったが、今度は真昼が楓の件で悩んでいた。
楓の事は凜もよく知っている。真昼のパートナーとなった彼女に思うところが無いわけでは無い。
でも凜にとって一番大切なのは、真昼が笑っていること。辛い思いをしないでいることだった。
偶にしか会えない凜では、真昼を常に支えきることはできない。その点、悔しいがパートナーの楓ならば常に真昼を支えることが出来ると。
だから凜は自分が出来ることを、自分にしか出来ない事をしようと努力した。
(だからアタシは……)
強くなって、自分の我が儘を通すために。
◆◆◆
「真昼ぅっ!」
眼前に現れ、光太郎の攻撃を受け止めようとする真昼の姿に、凜は思わず叫んでしまった。自分のミスだ。自分が集中力を欠いて、危険に陥ったばかりに。
凜の脳裏には雷の斧の直撃を受ける真昼の悲惨な未来がよぎった。今の光太郎の攻撃は並大抵の術では防げない。真昼であろうともまともに受け止められるはずがない。
しかしその現実が実現することは無かった。
真昼の剣が雷に触れると、雷が一瞬で霧散し光が周囲を包み込んだ。
「なっ!?」
何が起こったのか、光太郎にも理解できなかった。ただ分かったのは、自分の攻撃が防がれたと言う事実。
「くそがぁっ!」
光太郎は再び斧に雷を纏わせると、もう一度真昼に攻撃しようとするが、剣が斧に触れると雷が霧散したばかりか、霊器までもが形を失い、霊力へと還元され周囲へと霧散した。
「俺の霊器がっ!?」
光太郎だけでは無く、凜もその光景に驚くばかりだった。真昼は光太郎が驚愕している隙を突くと、凜を抱えその場から飛び退いた。
「ごめん、凜。僕のミスだ」
真昼は凛に謝罪すると、浄化の霊術を彼女へと施す。エルベの使い魔の毒は強力で、即座に完治させられないが、痛みや進行を抑えることは出来る。
「アタシの方こそ悪い。完全に油断した。けど真昼、今のは……」
「説明は後で。今はこの場をどうにかすることを考えよう」
敵が健在の中、手の内を明かすべきでは無いと考えた真昼は、凜にそう告げる。
真昼自身、驚くほどの効果があった。
(僕だけの力じゃない。これはたぶん、真夜の力も混ざってる)
かつて、真昼に出生の秘密を告げた化け狸曰く、剣の方には別の、真夜の力が混ざっていると言った。
つまりこの剣は真夜の力をベースに、真昼の力を取り込んで具現化した物である。
だがそれだけならば特殊な力など備わっていなかっただろう。だが異世界から帰還した真夜の霊力に触れることで、この力は活性化した。
先のルフとの模擬戦の折り、真昼も他のメンバーと同様に真夜に回復をされ続けた。受けたダメージの大きさや頻度からすれば、一番回復を施されていたかもしれない。
真夜の霊力による回復は傷を癒やすだけでは無く、真昼の中に溶け込んでいた本来の真夜の力に影響を与える結果となった。
異世界帰りの真夜の膨大な霊力に触発され、真昼の中の真夜の力が更なる進化を遂げた。
(これは霊術を切り裂いたり、単純に相殺しているんじゃ無い。多分霊術の構成を破壊して、元の霊力の状態に分解しているんだ)
霊術による炎や雷も元を正せば霊力で構成されている。真昼の剣はその構成を乱し、霊力へ戻したのだ。
(けどこれは現状だと相手の霊術につぎ込んでいる霊力の半分ほどの霊力をこちらも消耗する。それに霊力だけで無く、体力も思った以上に使う……。触れただけで発動できるみたいだけど、あまり多用できないかな)
自分の霊力と体力の消耗が大きい。光太郎だけならばまだしも、エルベは慣れない力を行使し続けて勝てる相手では無い。
真昼はエルベへの警戒も怠っていない。後鬼が全力の水牢を展開してエルベを足止めしてくれたが、激しい音を立てて、牢獄は砕け散り水を周囲へとぶちまけている。前鬼の方も互角に戦っているが、若干押されている。凜の方の毒も進行は遅らせているが、完治させるにはほど遠い。
光太郎の方もかなりの霊力を消耗したようだが、再び霊器を顕現して油断無く構え直している。
現状は後手に回ってしまっている。
「クヒヒヒヒヒッ! ああっ! 貴方の甘美な血をそろそろ頂きますわね!」
エルベは禍々しい気配をさらに高めつつ、どす黒い妖気を身体から吹き上がらせる。
凜を庇いながら、エルベと光太郎を相手にするのは、いかに真昼と言えども至難の業であろう。
「くそっ、アタシが足を引っ張るなんて……!」
悔しそうに表情を歪める凜だがまだ真昼は希望を失っていない。
(もう少し、もう少しだけ持ちこたえれば必ず真夜やお祖母様達が来てくれる。それまでは絶対に凜を守るんだ)
真昼は時間稼ぎに再び徹するために、武器を構え直す。
「くそがっ!! その何とかしてやるって顔がムカつくんだよ! お前も彰みてぇにみっともなく俺にやられればいんだよ! そうだ! 俺はそこで死にかけてる奴よりも強いんだよ!」
「……誰が誰よりも強いって?」
だがそんな中、光太郎の叫びに割り込む形で別の声が聞こえた。驚き、光太郎が声の方を見ればそこにはゆっくりとだが確実に立ち上がる彰の姿があった。
「お前っ!?」
「はっ! 随分好き勝手やってくれたな。けどまあ、おかげで少し休めた。それに何となく分かってきた」
光太郎に半殺しにされ、エルベに血を吸われた彰だったが、最低限の治療はされていた。だがそれでも自力で起き上がることなど出来ないはずだった。
「ここが霊地で助かったぜ。それにさっきの霊力を取り込めたんで、そこそこに回復できた」
彰は霊地の霊力と真昼が霊力に変換した霊力を取り込む形で自らを治癒した。光太郎の霊力は同じ一族の血を引いていることからも親和性が高かった。そのため自らの身体に馴染みやすく、身体の自己治癒を高めることが出来た。
「死に損ないがっ! まともに霊術が使えないのに、どうするつもりだ!」
光太郎の言うとおり、立ち上がれる程度には回復したものの戦闘など出来る状況では無い。さらに霊術は未だに封印されたままだ。
「ああっ? んなもん、これから破るんだよ。時間がかかったが、てめえにやれて、俺に出来ない道理はねえだろうが」
彰は目を閉じ、意識を集中する。死にかけた事で、彼の中で何かが変わった。自らの中を流れる霊力の道筋が強化された。
確信があった。今の自分ならば出来るという確かな確信が。
自分の中に打ち込まれた異物を深く感じ取る。自らの奥底の力の源に絡みついた真夜の封印の術式へと干渉していく。パリンと何かが壊れるような音が彰の脳裏に響いた。
瞬間、彼の身体から今までに無いほどの霊力が吹き出した。
「なっ!?」
「ははっ、はははははははっっ!」
今までと比較にならないほどの力が自分自身から湧き上がるのを彰は感じた。高揚感が止まらない。
光太郎や凜は勿論、真昼でさえも驚くほどの霊力。下手をすれば真昼に匹敵しかねない。
変化はそれだけでは無い。無意識か、それとも意識的か彰は霊器を顕現する。
しかし光が集束したのは右手だけでは無い。左手にも霊力が集束していく。彼の力の象徴である霊器が今まで
右手だけだった物が、左手にも顕現した。
「あ、彰ぁっ!? お前っ! それはっ!?」
「……安直だが、雷爪双牙(らいそうそうが)って所か。これであいつに少しは近づけたな」
自らの両手に出現する霊器を興味深げに眺めながら、彰は光太郎とエルベを見据える。
「よう。お前は星守真昼だな? 俺も交ぜろよ」
「……傷の方は大丈夫なの?」
「まあ万全とは言えねえが、この程度の逆境でつまずいてたんじゃ、あいつには近づくことなんて夢のまた夢だからな」
声をかけられた真昼はあいつとは誰のことか、何となく察しがついた。真夜が雷坂と事を構えた経緯は本人や明乃から聞かされている。
ある意味では親近感が湧いた。自分と同じように真夜の強さに憧れ、焦がれているのだ。
真昼自身、知らず知らずの内に笑みを浮かべる。
「助かるよ。二人なら、何とか彼女も止められるかな」
自分に匹敵する強者の援護があればエルベとも互角に戦えるかもしれない。時間稼ぎに徹するつもりが、少しだけ欲が出てきてしまう。
「くっ、うふふふふふっ! わたくしも舐められたものですわ。いかに貴方達が強くても、今のわたくしに勝つつもりなどと、身の程を知るべきですわね」
エルベは彰が参戦したと言っても、自身の勝利を疑っていなかった。満月で無ければ負ける可能性が高かったが、この状況では吸血鬼たる自分が圧倒的に優位である。
しかしその優位は一人の男の参戦により、彼らの方に傾くことになる。
カッと周囲が光り輝く。エルベが展開していた結界が何かに包まれる。世界が暗転する。光が溢れると、周囲の邪気を浄化していく。
大地と天空に出現する巨大な五芒星の方陣。圧倒的な浄化の力がこの周辺を飲み込んだ。
「な、なんですの!?」
慌てふためくエルベとは対照的に真昼は勝利を確信した。
新たな乱入者にして最強の弟である星守真夜がこの場へと参戦するのだった。
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