第十五話 吸血鬼


「……なんだ? 今、ものすげえ霊力の高まりを感じたぞ」


 雷坂彰は謹慎している部屋で外の異変を感じ取った。意識を集中していたことで逆に感覚が研ぎ澄まされていたため、離れていてもその霊力の高まりを知ることが出来たようだ。


「あのボンクラの霊力の質に近いような気がするが……。あいつも謹慎中だし、下手すりゃ俺以上の霊力を出せるとは思えないが」


 だが嫌な胸騒ぎがする。霊感も危機を訴えかけてる。


「ようやく封印を解く目処が立ってきたって言うのに、ここで一時お預けか。まあ外で何か合ったとしても仁が対応するだろうし、俺は謹慎中の身で霊術も使えないから、駆り出されはしないだろうが……」


 だが霊感がどんどん強まっていく。この場にいることを否定し、逃げるように促している。


「……おいおい。どうなってやがる?」


 建物の入り口や中から叫び声や悲鳴が聞こえてくる。大きな霊力がここに向かって近づいてくる。


 その気配は彰もよく知る光太郎の物。だがその質や大きさが明らかに異なっている。封印される前の自分に匹敵する程の霊力である。


 彰のいる部屋の扉が大きな音共に蹴破られた。


「見つけたぞぉ、彰ぁっ~!」


「……本当にやばい薬でもキメやがったか?」


 右手に巨大な戦斧を持ち、血走った目で彰を睨みつける光太郎。扉の向こうを見れば仁や雷坂の関係者が倒れている。いつもの光太郎ならこんなことまではしないはずだ。


 それに相対して感じたのは、光太郎の力が何があったのか、昨日までとは段違いに上がっていると言うことだろう。


「俺の邪魔をしたからぶちのめしただけだ。それに仁の奴も雷坂の跡取りの俺に意見しやがったからな!」


 ドンと、戦斧の柄を床にたたきつけると、霊力が周囲へと広がり、部屋の壁に亀裂が走る。


「てめえ、それは……」

「俺の霊器だ! これで俺は誰にも侮られない! あの星守の封印も俺は自力で解いた! そうだ! 俺が、俺こそが雷坂の後継者なんだよ! もうお前にだけでかい顔はさせねえ!」


 光太郎の言葉に彰は表情を変えた。何があったか分からないが、先ほどの言葉に嘘が無ければ光太郎は星守の封印を自力で突破し、あまつさえ霊器を手に入れたと言う事で、その事実に驚きを隠せなかったからだ。


「で、その力を使ってお礼参りって話か?」

「ああ、そうだ! それにお前に会わせたい人がいるからよぉ!」


 不気味に口元を吊り上げ、片手で持ち上げた戦斧を彰へと向ける。


「はっ! いいぜ! やってみろや!」

「強がるんじゃねえ! 霊術がまともに使えないお前なんて雑魚以外の何者でもないだろうが!」


 確かにその通りだった。悔しいが光太郎の言うことは間違っていない。


 だが……、彰は笑っていた。この程度の逆境など何でもないとばかりに。


 それが光太郎を苛立たせる。霊器を顕現できるようになり、より高みへと昇ったというのに、現状の彰ではそんな光太郎に手も足も出ないであろうに、弱音を吐くことも、許しを請うこともしないいつもと変わらない彰の態度に、苛立ちが頂点に達した。


「その態度がムカつくんだよ! その見下したような目が! 態度が! お前のすべてが気に入らねえんだよ!」

「だったら力尽くで認めさせてみろよ! 言っとくが、簡単に勝てると思うんじゃねえぞ!」


 霊器を顕現した光太郎と霊術を封印されたままの彰。その結果は、覆ることは無かった。


 それでも彰は善戦した。しかしその事が光太郎をより一層苛立たせ、必要以上に彰を痛めつけることになった。彰の身体は切り裂かれ、返り血を光太郎は浴びる。


 それでも彰は一切の泣き言も言い訳もしなかった。最後の最後まで不敵な笑みを浮かべたまま倒れる。


「はぁ、はぁ、はぁ……。ああっ! イラつく! この狂犬がよぉっ!」


 倒れた彰の頭を足蹴にする光太郎。彰を倒したというのに、その苛立ちはおさまらない。


 このまま殺してしまえればと思うが、エルベからの命でそれもできない。


「……ちっ、さっさとこいつをエルベ様に引き渡して、星守の野郎をぶちのめしに行くか」


 意識を失った彰を光太郎はエルベの元へと連れていくのだった。


 ◆◆◆


「ふふふふ。また美味しそうな匂いの血ですわね。ここには本当に食欲をそそる人間が多くて嬉しい限りですわ」

「ほらよ。ご所望の退魔師だ。こいつなら、お眼鏡に適うだろうよ」

「ええ、とても素晴らしい働きですわ。褒めて差し上げますわ」


 彰を倒した後、エルベの術で瞬時にこの場へと移動してきた光太郎の舌には、ある刻印が刻まれていた。


 眷族とは違うが、それに準ずる証である。この刻印により、エルベと繋がることで、任意に彼女の元へと空間を繋ぐことが出来るようになったのだ。


 さらに霊地から得た霊力をそのまま光太郎へと送ることもしており、その効果で光太郎は血を大量に吸われたにも関わらず、すでに万全に近い状態にまで回復していた。


 エルベはそのまま彰に近づくと、傷口に舌を這わせ、そして彼の血を飲み出した。


「ああっ……。なんて美味しいのかしら。本当に最高だわ」


 うっとりと恍惚の笑みを浮かべるとエルベは、彰が死なないように術で最低限の処置を施す。このまま眷族にしようかとも思ったのだが、光太郎以上に上質な彰の血をもっと吸いたいがために何とか自制した。


 生かしたまま、しばらくの間は楽しもうと決めたのだ。


「おい、どう言う事だ!? 雷坂の人間が吸血鬼と組むって言うのか!?」

「お前は確か風間の女か……。確か風間凜って言ったか? それでそっちは星守真昼か」


 凜の指摘に対して、光太郎は否定をせず、逆に二人の名前を口にする。その事に二人は顔をしかめた。


「あらあら。カザマ・リンにホシモリ・マヒル。良いお名前ですわね」

「……もしかして君は彼を操っているのか?」

「厳密には少し違いますが、概ねその通りですわ。まあ貴方達もすぐにそうなりますわよ」


 質問に気分良く答えるエルベに真昼は警戒を強める。


「僕が彼女の相手をする。前鬼は鎧武者を、後鬼は僕を援護して。凜は彼を頼む」


 もう名前を隠す意味はない。真昼は覚悟を決め、凜達にそう告げる。


「おい、真昼! いくらお前でも後鬼の援護だけであいつの相手は無茶だぞ!?」

「でもこれが一番いい方法だよ。それに倒す必要は無いよ。時間さえ稼げば、お祖母様達が来てくれる。そうなれば僕達の勝ちだ」


 特級の鎧武者ならば前鬼だけでも十分に対応できる。真昼も後鬼の援護を受ければ、何とか時間稼ぎを行えるだろう。光太郎の強さは未知数だが、凜ならば簡単に遅れを取ることは無いだろうという判断だ。


(十五分も時間を稼げれば、たぶんお祖母様や真夜が来てくれる。それまで立ち回ることが出来ればいい。無理に相手を倒すことも消耗させる必要も無い)


 凜に焦りがあるのは、超級のエルベの存在だろう。明乃や凜の祖母の莉子が合流しても勝てるか分からない相手と思っているからこそ、動揺している。


「凜、大丈夫だから。僕を信じて。僕も簡単にはやられないし、これでも前よりも強くなったんだから」


 安心させるように凜に言うと、霊器が真昼の心に反応するかのように輝きを増す。以前はこの力を忌避していた。だが今は違う。これは自分の罪であると同時に真夜との絆でもあると思っている。


 真夜が繋いでくれた命。真夜が与えてくれた才能と力。強くなった弟にこれ以上、不甲斐ない所を見せたくない。そんな弟の力に、助けに、頼られる存在になりたいという想い。


 霊器とは術者の心を映す鏡であり、心持ち一つで強くも弱くもなる。


「素晴らしいですわ! ああ、何て強く美しい霊力ですの!? 貴方の血もとても美味しいのでしょうね!?」

「残念だけど、僕は君に屈するつもりは無いよ!」


 霊力による身体能力強化による全力の疾走。まるで一瞬で間合いを詰めたかのように、エルベの眼前に躍り出ると、真昼は全力で右手の刀を振り下ろした。


 斬!


 エルベを敵と認識した真昼は躊躇無く、彼女の身体を縦に真っ二つに切り裂いた。普通ならばこれで決着のはずだが、真昼はこの程度で終わりはしないと分かっていた。


 二つに別れた彼女の身体が突如、無数の黒い蝙蝠へと変化し一斉に飛び散り始めた。真昼はそれらを冷静に右手の刀からは炎の霊術を、左手の剣からは風の霊術を解き放ち一掃しようとする。


 かなりの数が焼かれ風により細切れにされたが、残った蝙蝠が別の場所で一カ所に集まると即座に元のエルベの姿になった。どんな力か服までも再生している。


「ふふふ。先ほどとは違い、情熱的な攻撃ですわね。でも満月の下での吸血鬼の再生能力は伊達ではありませんわよ? 心臓や頭を潰してもそれこそ細切れにされようが再生しますわ」


 誇るように語るエルベ。すべての吸血鬼が満月の下でここまでの再生能力を発揮するわけでは無い。特級以上の吸血鬼に限るだろうが、彼女はその中でも格別の再生能力を有している。


「なら、これならどうかな!?」


 かつて真夜との戦いの時にも見せた、霊力を風と炎と雷の三つの属性に変換し、一匹の龍のように解き放つ。巨大な龍の顎がエルベに迫ると、そのまま彼女を飲み込む。


 燃えさかる炎と雷の電撃とそれらを増幅する風。特級クラスでさえもただでは済まない一撃をまともに受けるが、まるで効かないとばかりに左手を軽く振るうと纏わり付いた龍を吹き飛ばした。


「……凄いですわね。満月で無ければ手傷を負っていたかも知れませんわ。ですが、残念ですわね。わたくしを滅ぼすには足りないようですわ」

「くっ……」


 真昼は悔しそうに顔を歪める。あたかも焦りを見せているかのように。


(予想通りとは言え、かなり厄介だね。吸血鬼の不死性が満月の影響下でかなり強化されてる。でも僕の役目はあくまでも時間稼ぎ。このまま彼女の意識を僕に向けさせることが出来れば……)

「ですが、わたくしも攻撃されるだけではつまらないので、そろそろ反撃させて頂きますわね!」


 鬱憤と破壊衝動が抑えきれなくなったのか、エルベが攻撃に転じた。恐ろしい速さで振るわれる腕により、地面が爪で切り裂かれたような跡をつけ、衝撃波が周囲にまき散らされる。一撃でも受ければ人間など粉々にされるだろう。


 さらに翻弄するかのように蝙蝠に姿を変えて位置を変えたり、数匹の蝙蝠で真昼を襲おうとする。それらは後鬼の水の霊術が激流となって蝙蝠を押し流す。


「あははははははっっっ!」


 エルベは右腕を巨大な狼に変化させると水の壁を突き破った。先ほどのお返しとばかりに腕が伸び狼の顎が真昼に向かい襲いかかる。真昼はその顎をすれ違いながら剣を振るい、縦に切り裂く。


 本体より切り払われた狼はドンと地面に落ちるが、今度は無数の狼に変わる。


「あはははははっ! アハハハァッ!!! アヒャヒャヒャヒャッ!」


 タガが外れたかのように高笑いするエルベは狂気を放っていた。破壊衝動に見舞われたかのごとく、彼女は真昼へと襲いかかる。


 当初の目的の真昼の確保などどうでも良くなっていた。ただ目の前の少年を壊したい。壊して、苦痛と恐怖に染め上げ、思う存分その血を浴びて飲み干したい。


 配下にすれば強力な手駒になるかもしれないが、それよりもこの場の誰よりも美味であろう真昼の血を取り込みたい。そうすることで、エルベの力はさらに高まる。


 エルベは暴走していた。満月と久方ぶりの解放、光太郎と彰の血を取り込んだことと戦いによる高揚で、彼女の理性は完全に崩壊した。


 真昼の攻撃は当たるし、エルベの身体を削る事もできるが、そのたびに再生されるイタチごっこである。


 苛烈に迫る攻撃を真昼はただ受け流し続けるのだった。


 ◆◆◆


「真昼!」


 エルベの攻撃を受け流す真昼に心配の声を上げる凜は、即座に駆け寄ろうとする。


「おおっと! お前の相手は俺だ!」


 彼女の眼前に光太郎が立ちはだかった。


「ちっ! 雷坂の跡取りのくせに、吸血鬼の僕になるなんて情けねえ奴だな!」

「あ”あ”っ!? お前もあいつらと一緒で俺を見下すつもりか!」


 光太郎がエルベに施されたのは暗示であった。舌に刻まれた刻印により、思考力が低下しており、敵対する相手や自分に向けられる言葉に過剰に反応するようになっていた。


「俺は手に入れたんだ! 霊器をよ! もう誰にも俺を馬鹿にさせねえ! 俺を見下す奴は全員こいつで分からせてやる!」


 巨大な戦斧が振り下ろされると刃の部分から雷が波のように地面を駆ける。凜は風を纏って身体を浮かせることで回避すると、扇を振るい反撃の風を光太郎に殺到させる。


(くそっ! こんな奴に構ってる暇はねえんだ! 早くこいつを倒して真昼の援護に行かねえと!)


 真昼が強いことは凜も知っている。霊器を二つも顕現できる上に、後鬼の援護もある。だが相手は超級妖魔とおぼしき吸血鬼。ここまで伝わってくる妖気は尋常では無い。


(ババア達が来ても勝てるのかよ、これ!)


 六家であっても一族が総出で挑むほどの覚悟がいる相手。凜は超級妖魔についてそう聞かされている。


 下位程度ならばまだいい。だが上位は当主を含め一族の腕利きを総動員しても勝てるかどうか分からない相手であり、満月の恩恵を受けている今のエルベは超級上位にふさわしい力を有している。


(この高野山にいる腕利きすべてを結集しても勝てるかわかんねえぞ!)


 それに目の前の光太郎も厄介だ。霊器を顕現できない男であったはずが、いつの間にか霊器を顕現している。どういう理屈か、今の光太郎の力は凜をも上回っている。


 凜の戦闘スタイルは、実のところ力押しが多い。なまじ天才であり、単純な力で他を圧倒できてしまったがゆえに、技術を磨くことが疎かになっていた。


 無論、これは一概に彼女が悪いわけでは無い。まだ凜も十五歳の成長段階であり、これから技術を学ぶ段階であり、本人も前向きに鍛錬を行っていた。


 だが現時点での彼女は自分と同格かそれ以上の相手をうまくいなす技術を習得していない。とはいえ、一対一で何の不安要素もなければ、今の光太郎が相手でも凜は勝利を収めていただろう。


 しかしエルベと真昼の戦いに意識を割かれ、初めての超級妖魔の存在に心を乱されている。


 焦りや不安は時として思いがけないミスを招く。


(こんな奴相手に、いつまでも時間をかけてなんて……)

「また俺を見下したな!? 風間のくせに、女のくせに、生意気なんだよぉ!」

「!?」


 光太郎の霊器が輝きを増す。霊器を起点として数メートルにもなる巨大な雷の斧を作り出した。


「なっ!? っうっ!?」


 相手のことばかりに意識を傾けすぎ、周囲への警戒が疎かになっていた。凜の首筋に痛みが走る見ればいつの間にか黒い蝙蝠が噛みついていた。


(こいつ!? アタシの風の防御を突破して!?)


 本体のエルベが強さを増したことで、その使い魔の蝙蝠も強くなり、凜の身体を守っていた風の防御を容易く突破したのだ。


 身体が硬直してしまった。毒か何かを流し込まれたのか、身体が思うように動かない。


「くたばりやがれ!」


 巨大な雷の斧が振り下ろされる。


「あっ……」


 目の前に迫る斧を前に何も出来ない。凜は自身の死を覚悟した。


「凜っ!」


 だがその直前に凜の眼前に真昼が躍り出た。


 そして眩い光が周囲を包み込むのだった。


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