第十二話 前兆


 二日目の夕刻。一日目とは打って変わり全員が余裕を持って鍛錬を終了することが出来た。


 日中の個別の課題への取り組みと話し合いも有意義なものとなった。


 しかし与えられた課題を一朝一夕で改善できるかと言えばそうではない。取っ掛かりやアプローチの仕方や、皆の意見交換で全員が確かな手応えを感じたのだが、すぐに改善できることでも無い。


 それでも全員が成長できる可能性を感じたのは得がたいことである。


 そんな中、浮かない顔をしているのは真昼であった。


 昨日の明乃から言われたことに対しての明確な答えが出せなかったからだ。


(楓とどう向き合うか、か……)


 修業の合間は集中できていたが、それが終わった後は楓の事が頭に浮かぶ。


 昨日と同じように風呂に入り夕食を終えた後、真昼は一人、ぶらりと旅館の外へと向かった。


 真昼にとって楓は大切なパートナーである。彼女の封印を偶然解いたことで、パートナー関係が始まった。


 星守一族は守護霊獣と契約を結ぶため、人間に味方をする妖魔や半妖については、他の六家に比べればある程度は寛容であった。半妖であり、高い能力と知性を有した楓は明乃や朝陽の許可と後ろ盾を得て真昼のパートナーになった。真昼自身が楓を自分のパートナーにと強く二人に進言したのも大きいだろう。


 パートナーになってからは、幾度も二人で妖魔退治を成功させた。相性も良く真昼は彼女以外のパートナーを考えられなかった。ずっと彼女と共にいると思っていた。


 だが……。


 ―――お前は星守を背負う身だ。お前は真夜の方がふさわしいと言うかもしれんが、様々なしがらみを考えれば、当主はお前しかいないだろう―――


 明乃が真昼に告げた言葉。明乃は一族の事を考えれば真夜ではなく真昼が当主に立つことで、安定が保たれると考えている。


 ―――その時にはお前は一族の繁栄のためにも嫁を娶らねばならない。最大限、お前の希望を考慮するが、残念ながら、楓は候補にすら入れることは出来ない―――


 半妖の血を一族の中に入れるわけにはいかない。確かに歴史を見れば、安倍晴明の母も妖狐であり前例が無いわけでは無い。


 しかし退魔六家から見れば、妖魔を狩る退魔師の一族の中に妖の血が混ざるのを極端に嫌悪している。


 真昼の嫁が半妖で出来た子供にもその血が受け継がれては、今後、他家から星守へと娘や息子を出したいと思う一族は皆無となるだろう。


 それでも真夜がいるため星守の直系の血は守られるであろうが、周囲への醜聞を気にして星守の分家やご意見番などは大反対することは目に見えている。


 ―――お前には辛い選択をさせることになるだろう。だが星守の嫡男として生まれた限りは、その義務が付きまとう―――


 明乃の言葉に反論など出来なかった。嫁を取れば、相手次第では楓とのパートナーを解消しなければならなくなるかもしれない。楓もその相手に気を遣うだろうし、今まで通りの気安い関係でいられなくなるだろう。


 真夜に当主の地位を譲る事も出来ない。出生の負い目などもあるうえに、真夜自身が当主になることに難色を示している以上、自分が真夜に対して我が儘を述べるなどあってはならない。


「……なんだろう、この気持ち」


 分からない。胸がざわざわし、言いようも無い不安と不快感が真昼の中で広がっていく。


 気づけば真昼は一人、目的地も無く歩いていた。


「真昼?」


 不意に、そんな中、真昼に声がかけられた。


「……凜?」


 声の方に視線を向けると、そこには浴衣姿の真昼の幼馴染みである風間凜の姿があったのだった。



 ◆◆◆



「本当に光太郎さんと彰さんは……」


 雷坂仁は雷坂が管理する建物の中で、大きなため息をつく。二人と似たような年齢の自分が、二人の保護者というか監督者に近い扱いを受けている。暴走しがちな二人を放置しておけないし、面倒見の良い仁は適任でもあった。面倒事を押しつけられているとも言うが、仁自身諦めている。


「霊術を封印する術。信じられないけど、ある意味では恐ろしい術だな。あの二人レベルでも封印するなんて」


 彰が嘘を言うとも思えず、光太郎の態度からそれが事実なのはわかったが、それが余計に問題になってくる。


「こちらも早く解決させないといけない案件だって言うのに」


 彼らがここに来た目的は、高野山で発見された曰く付きの物品を祓う事が目的だった。仁は手元にあった詳細が書かれた書面に目を通す。


「……妖刀村正の一振り。それも記録に残っていない強力な力を秘めた物か」


 妖刀村正。血を見るまでは、決して鞘におさまらないとも言われる刀である。江戸時代に多くの犠牲者を出し、あの徳川一族に災いをもたらした刀としても有名である。


 村正とは特定の刀を指した物ではなく、伊勢国桑名(現在の三重県)の刀工一派が作った刀の事である。


 凄まじい切れ味を誇り、当時の三河武士達に絶賛された刀である。


 だがこの村正と名の付く刀はその切れ味もさることながら、いつしか呪われた妖刀として名を馳せることになる。


 人を斬れば斬るほどにその力を増していく。


 血を好み、吸えば吸うほど切れ味を増し、妖気を纏うようになり、いつしか自我を確立するまでになったのだ。ただしすべての村正が妖刀となり自我を確立したわけでは無い。


 だが他の刀に比べ、自我が生まれる確率が高く、中には持ち手を取り込みそのまま妖魔へと変貌した事例まで存在する。


 村正はその殆どが破壊されるか、浄化され厳重な封印を施して展示物として扱われている。


 だが今回、そのいずれにも当たらない新しい村正が一週間ほど前に発見された。それも最初期の物と思われるものが、高野山の雷坂が懇意にしているとある寺院の屋根裏から見付かったのだ。


 改修作業をしていた作業員がたまたま発見したのだが、埃をかぶった箱に入っており、どれだけ放置されていたかも定かでは無い。いや、そもそも何故こんな場所に放置されているのかさえも謎であった。


 しかし中身を確認するために箱を開けた作業員が、何者かの声に呼ばれたかのように刀を手にした瞬間、彼は妖刀に取り込まれた。


 幸い、一般人であり霊力が殆ど無かったのと、近くに退魔師がいたため、即座に対処され、作業員の手から村正を叩き落とした事で、事なきを得たのだが、その妖刀は作業員の手から離れた時点でも上級下位程度の妖気を放っていた。


 この新たな村正はそのまま、その場から動かすことをせず、結界を張って隔離された。


 並の退魔師では対処できず、触れれば退魔師であろうとも万が一にも取り込まれる可能性があったため、このような処置を施した。


 報せを受けた雷坂は、即座に動ける腕利きの派遣を決定。同時に真昼と朱音の婚姻話の噂の事もあり、過剰戦力とは思われたが、光太郎、彰、そしてお目付役の仁の三人に白羽の矢を立てた。


 昨日は到着したのが夕方だったため、仁が先に挨拶と様子を確かめに向かい、その間に光太郎と彰には待機してもらうことにし、翌日に村正の対処を行う予定だったのだが……。


「まさか勝手な行動をして、霊術が使えない状態で戻ってくるなんて、本当に何してるんですか、お二人とも」


 愚痴しか出てこない。仁一人でも対処は可能ではあるとは思うが、雷坂は貴重な村正を出来ればできる限り損傷させずに確保したかった。


 村正は武器としてだけで無く、美術品としての価値も高く、妖刀としても名も広まっており、現在では国宝として国が買い上げる事もあるのだ。かつては危険とみなされてきたが、きちんとした措置を行えば、美術品として扱える。


 雷坂と懇意にしている者の中に、古美術商やそう言った物に目がない人物がおり、そう言った相手との取引に使えるため、できる限り無傷で確保を目指していた。


 宗家の三人で浄化を行えば、それが可能と思われていたのだが、彰も光太郎も浄化どころかまともに霊術を使えないのでは話にならない。


 仁が確認したところ、村正は結界で抑えられており、妖魔化の兆候も見られなかった。誰かが手にしさえしなければ、今すぐにどうにかしなければならないほど、切迫した状況というわけでは無かったのが幸いだった。


「本家の方には遅れると連絡して、もう一度結界を張り直して封印を強めないと。……どうにも何かに共鳴しているみたいだし」


 村正が霊脈を通じて、何かと共鳴しているのを仁は感じ取っていた。だがその相手がどこの何なのかまでわかっていない。そちらの調査も進める必要があるし、万が一の事を考えれば、早く対処するべきなのだが、あの二人が無理なら他の術者では不安が残る。


「ううっ、胃が痛い。胃薬、胃薬……」


 雷坂仁。雷坂宗家の常識人で苦労人として、若いながらも今日も薬のお世話になるのだった。



 ◆◆◆



「で、相談というのはなんだ、真夜。雷坂の事か? それともこれからのお前の将来のことか?」

「違う。いや、違わなく無いが、大切なことだ。兄貴のことだよ、兄貴の」


 真昼が一人出かけた後、真夜は明乃の下を訪れていた。


「俺の方はおかげさまで上手くいったが、兄貴の方が色々と心配だからな。お節介って言えばお節介だが、このままにしておくのもマズいだろ?」


 先ほど見た真昼の様子を見て、早目に手を打つべきだと真夜は懸念したのだ。


「兄貴に当主になってもらわないと困るのは、婆さんも同じだろ? 俺も兄貴には悪いけど、当主になってもらわないと面倒なことになりそうだからな。それに当主になれば、ある程度なら無理を押し通せる」

「お前の言っている事はわかる。だが現実問題、真昼がどうしたいかによって変わる。お前の場合は、実力を明かせば障害はほぼ無くなるが、真昼が楓を娶るとなれば、反発は必至だ。周囲を黙らせるにしても、楓で無ければならない絶対の理由が無ければ不可能だ」

「婆さんの言うとおりだ。それを踏まえて聞くが、もし楓が人間であった場合、兄貴が楓を嫁にするのは問題ないのか?」

「問題ないとまではいかないが、これまでの真昼とのパートナーとしての経歴もあるので、正室は無理でも側室は可能だろうな。それで? このような事を聞くということは、お前は楓を人間にする事が可能なのか?」


 明乃はすでに真夜が非常識な存在であると理解している。昨日の雷坂の一件でも、相手の霊術を封じる術を使ったり、霊符により他者の能力の底上げを行ったり、信じられない程の防御や回復術を扱えたり、覇級クラスの守護霊獣と契約を結んでいたりと枚挙にいとまがない。


 どれ一つとっても、驚愕すべき能力であり、それをすべて一人で扱えるのだ。そこに真夜が変化の術などの人化では無く、妖怪や半妖を人間にする術が使えたとしても多少驚きこそすれ、真夜ならばと納得しただろう。


「俺が行おうとしているのは、厳密には人間にするのとは少し違うけどな。あっちの世界じゃ、魔物にされた人間を元に戻したりする術は一応存在した。俺の知る限りじゃ、使い手は数人もいなかったが、魔物化が出来るんだ、人間化が出来ない道理はないだろ? そして俺の霊符でも同じようなことが出来る」

「なるほど。確かにこちらの世界でも浄化の術で妖魔になった人間を元に戻すことは可能だからな。だがそれは時間が経っておらず、初期の段階でのみ可能だ。楓の場合は元々生まれ自体が半妖だが、そこのところはどうなのだ?」

「それは問題ない。逆に半妖だからこそ、完全に能力を消失させずに人間に出来るはずだ。ただ今のところ、俺は完全に魔物化した、あるいは妖魔化した人間を元に戻す術や、妖魔を人間にする術は習得できてない。今後の修行次第で妖魔化した人間を元に戻す術は可能かも知れないが、妖魔を人間にする術は習得は難しいだろうな」


 妖魔を人間に出来る可能性があるのは、ある程度の自我や知性がある存在だけである。しかし真夜はもちろん、ルフであっても成功させることは難しかった。


「問題は俺だけの力じゃ無くてルフの力も借りるが、絶対に成功するとは限らないしリスクもある方法だって事だ。最悪、成功しても霊能力が無くなったって事にもなりかねない。だから兄貴達に先に言わず、婆さんに相談したんだよ。親父達にも相談するべきなんだろうが、まずは婆さんの見解からだと思ってな。親父や母さんの場合、多少の懸念を抱いても賛成するだろうからな」


 失敗し、霊能力を失い一般人となった場合の結婚を明乃が許すかどうか。許す場合、尽力するのかどうかを確認したかった。真昼や楓に話してぬか喜びさせるわけにはいかないし、二人がリスクを取ってまで選択しない事もある。


「……その術の詳細にもよる。だがもしお前の言うとおり、楓が力を失わず人間になったのなら、真昼との婚姻は本人達が望むのなら、確実に推し進める。霊能力を失った場合も、出来うる限りの事はする」

「婆さんの後ろ盾があるんなら、兄貴も安心だろ。あとは親父と母さんに相談して、その後に当人達の意見を聞いてからだが……」

「どうした? 何か他にも懸念事項でもあるのか?」

「あー、まあこれは後々の問題だし、俺が口を挟むのもなって思っただけだ」


 真夜は真昼の幼馴染みの凜の事を思い浮かべ、どうしたものかと悩んだ。昨日の凜の朱音への態度を見て、彼女が真昼に惚れているのは間違いないだろう。


 真夜自身、朱音と渚の二人には受け入れてもらえたが、凜や楓がそうとは限らない。無論、退魔師のお家事情を鑑みれば、二人が納得はしないでも理解はするだろうし、その場合は受け入れるだろう。


 だがそれでも凜の性格上、割り切ってくれるかはわからない。


「とにかく、今すぐにできることでも無いし、高校卒業ぐらいの時期になるだろうとは思う。俺も術の成功率を上げるためにも、身体が出来上がった後の方がいいからな」

「わかった。それまでにこちらは根回しを含めて、できる限りの事を行う。真昼と楓への説明は、朝陽と結衣を交えて話し合いを行った後だな」


 明乃も真夜の提案は渡りに船だった。これで真昼も精神的に安定するだろう。


「しかし精神面では真昼はまだまだだな。今後は精神修業をより一層積ませるか」

「兄貴も大変だな」

「逆にお前の精神面は、異世界での経験を加味しても、二十歳にも満たない若造の物ではないな」

「褒め言葉として受け取っておく」


 軽口を叩きながら、真夜は明乃と詳細について、できる限り詰めるのだった。



 ◆◆◆



 高野山のとある寺院の中で、結界により閉じ込められた妖刀・村正は何かに呼びかけていた。


 封印されていた箱を開けられ、目覚めた時、近くにいた人間に語りかけ、自分を手に取らせた。これでようやく、自由を手に入れられると歓喜した。


 しかしそれも僅かな時間だった。宿主は脆弱であり、霊力も殆ど無かったため、さして力を回復させることが出来なかった。


 そして退魔師とおぼしき人間に宿主から引き離された。怨嗟のごとく妖気を解放したが、何も出来ぬまま、結界に阻まれた。その後霊地であったため、霊脈を通じて自身の妖気を流し、共鳴できる相手を探した。


 遠くまでは無理でもこの付近ならばと藁にも縋る思いだったが、幸いなことに近くに通じる存在がいた。しかしその共鳴も気づかれたのか共鳴した相手側も即座に動きを封じられた。


 このままではマズい。自分はこのままでは何もできずに祓われてしまう。


 だから村正は自身の妖気の大半を使い、自分と共鳴できる別の相手を探し求めた。


 そして、ついに声が届いた。


 ―――我を使え。さすればお前は誰にも負けぬ。お前を馬鹿にした相手も、見下した相手も、誰にもな―――


 悪魔の囁きのごとくそれは、とある人間を狂わせることになるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る