第十話 封印術

 

(身体は重いし、霊力は殆ど残ってない上に相手はそこそこの使い手。まあ何度も経験した事だけどな)


 雷を纏って高速で接近する彰の動きと姿を真夜は完全に捉えていた。


 一流の使い手でも何とか反応できる速さ。若手の中ではこれほどの速さを出せる術者は殆どいないだろうし、対応できる者も限られてくるだろう。


 しかし真夜に取ってみれば、驚愕する程の速さでは無い。彰の速度を出せる敵は異世界でもそこそこ存在していたし、武王や剣聖に比べれば圧倒的に遅かった。


(……いや、あの二人と比べるのは酷か)


 極限まで集中することにより時間や意識が引き延ばされるような感覚の中で、真夜の思考も引き延ばされた。万全の状態ならば力任せに真っ正面から打ち破るのだが、現在の霊力では増幅したところで打ち負けてしまう。


 彰の霊器により高められた霊力は一流の退魔師を凌駕し、右手に収束された雷の霊術の一撃は朱音の最大級の一撃には劣るだろが、並大抵の防御は切り裂き、雷により相手を焼き尽くすだろう。


 しかしそれはまともに受ければの話だ。真夜は十二星霊符を左右の手に一枚ずつ顕現させる。


 さらに真夜は光太郎に向けた殺気を今一度、彰に向けて解き放った。


(っ!? 止まるかよ!!)


 身体が硬直しそうになるが、彰は殺気を物ともせず、さらに加速した。止まれば真夜の餌食になると理解していたからだ。だがそれさえも真夜の罠であった。突撃を強制された上に、殺気を打ち消すためにそちらにも意識を取られた。


 接近し、突きの構えで迫る彰に対して、真夜が取った行動は受け流すことである。


 迫る彰の右腕を真夜はわずかに体を左にずらし、右手に展開した霊符で、相手の腕と雷にそっと添えるように触れると、そのまま自らの身体を右側へと移動させた。


(こいつ!?)


 彰も回避される可能性は考えていた。受け止められる可能性も考えていた。しかし渾身の一撃を巧みに受け流されるという展開は想定していなかった。


 右腕に纏った雷の力はどういうわけか、真夜に影響を与えていない。触れれば腕どころか身体も無事で済むはずが無いのに、霊符により完全に防御される。


 同時に真夜の左手が自分に向かいって伸ばされているのが彰にはスローにで見えていた。実際には並の相手では見切ることが出来ないほどの速さで迫る真夜の霊符。


(ちっ!)


 真夜と同じく極限まで集中力を高めていた彰は、体勢を崩されながらも無理やり右足に霊力を集束させて勢いよくその場から真夜のいる方向とは逆の方へと跳躍する。


「はぁ、はぁ、はぁ……やべえな、おい。まさか受け流されるとは思わなかったぜ」


 彰は真夜から一定の距離を置きながら、呼吸を落ち着けようとする。たった一瞬の攻防なのに、汗が溢れてくる。


 対する真夜は涼しい顔だ。しかし真夜もあの状況から回避するとは思っていなかった。それだけ彰の身体能力や判断力、集中力が優れていると言える。


 おそらく反撃を受けていれば、彰は終わっていた。いや、そもそも霊感を無視して突っ込んだ時点で劣勢に立たされることは確定していたのだ。


「けど、まだまだだぜ。てめえが強えことはこれで確信した。だが俺もそう簡単には」

「いや、もう終わりだ」

「なに? ……これは!?」


 真夜の言葉に怪訝な顔をした彰だったが、すぐにその意味を理解する。いつの間にか、彰の右手の霊器に真夜の霊符が張り付いていたのだ。


 霊符が光り輝き、描かれていた霊符の紋様が彰の霊器に刻まれると、すぐに薄らと消えていって見えなくなった。


 直後、彰の霊器が光の粒子のようになり、消失していく。彰はすぐに自分の身に起こった変化に気がついた。


(右腕が重い上に霊器が出せねえ!? それに霊力を上手く扱えねえだと!?)


 霊力自体は感じることが出来る。だが身体の中で何かが邪魔をしているかのように、霊術を使うことが極端に難しくなっている。霊力の循環とでも言うのだろう。それが非常に悪くなっている。


 霊器を顕現させようと霊力を集束させようとするが、右腕に集まらずにまた身体の彼方此方へと分散していっている。


「てめえ、何しやがった!?」

「封印術の一種だ。俺は攻撃系の霊術が使えないが、こう言うのは使えるんでな。お前の右腕と霊術を使う身体の一部を一時的に封印させてもらった。その影響で霊術自体、まともに使えないだろ?」


 彰の右腕に張り付いていた霊符を消し、そのまま手元に戻した真夜はあえて彰に説明してやった。


「なっ!?」

「二、三日はまともに霊術が使えないだろうよ。その状態じゃ、今の俺とも兄貴ともまともに戦えないだろうな」


 封印を施せば戦闘力は半減するどころではない。あとは煮るなり焼くなり好きに出来る。もし逆上し襲いかかってくるなら、それこそ鴨に出来る。


 本来なら、真夜は敵にこのように自らの手の内を晒すことはしないのだが、一応相手は雷坂の宗家の人間なので殺す気はないし、あとあと霊術が使えなくなった事で後日襲撃されても面倒なので、術と効果時間をあえて説明してやったのだ。


 それにこの封印術は未完成だった。本来の用途は、自分よりも格上の相手の完全封印。聖女が得意とした術を自分も使えないかと試行錯誤していたのだが、四年間では完成までには至らなかった。


 それ以外にも優先的に習得しなければならない術が多く、敵を倒すことを主眼においていたため、この術の完成は後回しになっていた。


 これは小手先の技にあたる。圧倒的な力で相手を打ち倒すのに、このような術は必要ない。そのため今まで使う機会はあまりなかった。


 この術が完成すれば相手の霊力だけを生涯完全に封じ込める事も可能になるだろう。


 彰の場合は右腕の霊力の流れ道の封印とエネルギーの循環を司る丹田の一部に影響を与えることで、霊術を使えなくする程度の効果に留まっている。


「くっ、くっ、くははははっ!」


 と、いきなり彰は笑い出した。その様子に真夜は勿論のこと朱音や渚も不思議そうに彰を見る。


「まさかこんなやり方をされるなんてな」


 そんな呟きをする彰を真夜は今度こそ、完全に叩き潰すかと構えを取るが、その前に彰は両手を上にした。


「俺の負けだ。悪かったな、無理やり絡んで」


 いきなり謝罪し始めたことに、真夜は目を丸くした。


「急に謝罪して、どう言うつもりだ?」

「どうもこうも、気が済んだだけだ。霊術を封じられた状態で、てめえとまともにやり合えるなんて思っちゃいねえ。例えあのまま霊術を使えたとしても勝てなかったのは間違いねえだろうが、この状態じゃなおさら何もさせてもらえず、瞬殺されて終わりだろうからな」

「ちょっと、あんた! それって自分勝手すぎない!?」


 横から朱音が指摘するが、彰はどこ吹く風であった。


「はっ! なら詫びに俺はお前の見合いから辞退するって宣言してやる。ついでにお前らの仲も報告して、星守にお伺いを立てなって言ってやるよ。その方がてめえらも都合がいいだろ?」

「彰! お前、何勝手に話を!」

「お前は少し静かにしてろ。つうか、お前も念のために封印させてもらうぞ」


 真夜は光太郎にも霊符を飛ばし、封印術を施した。


「星守ぃっ! お前、俺にも封印を!?」

「当然だろ? こいつと違ってそっちは一週間はまともに霊術が使えないんじゃ無いか? 封印期間は術者の力量にも左右されるからな。あと抗議は婆さんにでもしてくれ。まあ星守の落ちこぼれに霊術を封印されましたって言えるのならな」


 屈辱きわまりない言葉に光太郎は顔を真っ赤にするが、すぐに真夜にもう一度睨まれ殺気を向けられた事で押し黙った。


 これで光太郎が騒げば騒ぐほど、明乃や朝陽が有利に動けるはずだし、このような雷坂の明らかなミスや隙を見逃すことは無いだろう


「これが同じ雷坂の宗家だと思うと情けなくなるな」

「真夜に絡んで何も出来ないまま、霊術封印されたあんたも十分情けないわよ」


 朱音の言葉に彰はそれもそうだなと肩をすくめる。


「違いねえな。だが俺的にはそこそこ満足してるぜ。もっと戦いたかったが、どう足掻こうが勝てないってのは理解したし、上も知れたんだ。もっと強くなってからまた挑ませてもらうぜ」


 彰は敗北した上、戦いも中途半端で不完全燃焼のはずなのにどこか楽しそうだった。


「……意外ですね。先ほどからの貴方の言動を見る限り、もっと悔しそうにして真夜君に強引に襲いかかると思っていましたが」

「あっ? 敗者が勝者に難癖付ける気はねえよ。それによ、戦って確信した。今の俺じゃどう足掻いても勝負にすらならねえ。俺も覚えがあるが、雑魚と戦うのは面白くもねえし面倒くせえんだよ。今の俺はそいつにとってそんな状態だ。雑魚が粋がって突っかかっても鬱陶しいだけだからな」


 渚の質問に彰は素直に自らの内心を吐露した。


「俺がやりたいのは、やりたかったのは強者との死闘だ。それもギリギリの戦いだ。勝つか負けるか、そんなギリギリの戦いをしてえんだよ」


 だからこそ彰は素直に敗北を認めた。霊感もそうだが、彰自身が真夜との力の差を完全に理解した。


 これ以上は無意味。力の差がありすぎて、今の自分では力不足も甚だしいと。


 世界は広い。自分よりも強い相手は多くいるだろうと彰は思っていた。


 しかし身近にはいなかった。雷坂のベテラン勢とはそこそこに戦いになったが、霊器使いは少なく多忙のため、彰の望む戦いなど受けてくれるはずも無かった。妖魔にしても今の自分ならば最上級クラスでも無ければそんな戦いを望めない。だから彰は真昼などの強者との戦いを望んだ。


 だが彰は見つけた。自分を圧倒する強者を。その力の一端に触れた。まるで太陽に恋い焦がれるイカロスのように彰の心は躍った。雷坂のどんな術者よりも、今まで遭遇したどんな妖魔よりも強い。


 この男と死闘を行いたい。心の底から湧き上がる渇望。だが今のままではダメだ。自分は星守真夜の前では今まで蔑んできた弱者達と同じだ。もっともっと強くならなければならない。


 獣のような笑みがさらに深くなる。それを見ていた渚も朱音も思わず後ずさってしまいそうになるほどだった。


「……わかった。お前が強くなったら相手してやるよ」

「真夜!?」

「真夜君!?」

「っ! いいぜいいぜ! 最高だな、てめえはよ!」


 まさかの真夜の言葉に朱音と渚は驚愕し、彰は歓喜した。


「だが条件がある。俺達がここで修業している間は、雷坂やその関係者が一切接触してこないようにすること。それと戦う場合は、正式に星守を通すこと。それ以外の場合も俺達へのいかなるちょっかいもかけないこと。それが守れるなら、戦ってやるよ」

「はっ、約束は守るぜ。その時が楽しみだ」


 気分が良くなったのか、彰は動けなくなっている光太郎を肩に担ぎ上げた。霊術がまともに使えなくても身体能力は高いようだ。


「彰! お前、何しやがるんだ!?」

「あっ? 腰抜けて動けねえまぬけを運んでやるんだ。感謝しろってんだよ。それとも引きずっていってやろうか?」


 めんどくさそうに言う彰だが、先ほどの真夜との約束を守るためにも光太郎を連れて行こうという魂胆だろう。


「じゃあな。星守、強くなったらてめえに勝負を挑むから首洗って待ってろよ」


 それだけ言うと上機嫌で彰はとっとと姿を消した。まるで嵐みたいな奴だなと思いつつ、これで面倒事は去っただろうと真夜は一安心した。ついでにあとあとあの二人には今回の件の詫びをきっちりしてもらうと内心で黒い笑みを浮かべていたりもする。


「ちょっと! 真夜もあんな奴とあんな約束していいの?」

「朱音さん。それもありますが、まずは真夜君の身体の方です。大丈夫ですか? また無理をして負担がかかったのでは?」

「そうだな。念のために残しておいた霊力を半分以上は消費したし、身体の方もだるさが増した。ついでにせっかく風呂に入ったのに、また汗まみれだから入り直しでめんどくさい」

「そうじゃないでしょ! ああ、もう! 早くまたベンチに座る! 何か飲み物でも買うからそれを飲む!」

「そうですね。本当に真夜君は無茶をします。また倒れますよ?」


 二人に怒られ、心配され真夜は苦笑するしかなかった。だが二人の言うとおり、身体の方はせっかくある程度回復したのに、また逆戻りである。霊符の霊力も消耗したので、帰ってから寝る前に瞑想してある程度回復させる必要が出来た。


「そもそもあいつらが絡んでくるのが悪いのよ! しかもタイミング悪く! ほんと、最悪よ! せっかく良い気分だったのに!」

「本当ですね。私も流石にあの方々には怒りを覚えました」


 珍しく渚が昏い笑みを浮かべており、腹に据えかねているのが良く分かる。朱音も怒り心頭で、宿に戻ったらいの一番に父である紅也に抗議の電話をすると息巻いている。


「俺もあれには腹が立ったからな。あとで婆さんにチクって、それなりの対応をしてもらうさ」

「それにしても良かったの? さっきも言ったけどあんな約束して?」

「構わねえよ。あいつは戦闘狂で狂犬みたいな奴だったが、まだ理性的な部分があったし俺との実力差も感じ取ってた。俺との力の差が埋まるまではちょっかいかけてこないだろうし、雷坂への牽制も出来るだろうからな」

「あの方が信用に値しますでしょうか? それに雷坂を抑えられるとは到底思えませんが」

「どうだろうな? けど俺と戦うためにも本人は守ろうとするだろうよ」


 あの手のタイプは口にした約束を守ることについてはどこまでも実直な事が多い。少なくともこの合宿中は大人しくしているだろうし、自分という標的を見つけたからには真昼にも絡んでいくことも無いだろう。


「それに、俺自身強くなりたいからな。あいつが強くなってくれるなら、俺にとってもメリットはある。もし次に相手をするなら全力で戦ってやるさ」


 ある意味で真夜もストイックに強くなろうとしているので似たような物かも知れない。


「けどまあ、そうだな。この埋め合わせじゃないが、今度三人で出かけるか。俺が奢るし、二人の行きたいところにエスコートさせてもらうさ」

「ふふ、デートのお誘い? 良いわね。でも言っとくけど、高く付くかもよ?」

「大変嬉しい申し出ですね。場所はこちらが指定してもよろしいのですか?」

「ああ。何なら高級レストランでも良いぜ? 懐は割と潤ってるからな」


 朝陽からの報酬はまだ残っているし、明乃からもこっそりと少なく無い報奨金をもらっている。


「あとは夜景とか綺麗な所も良いかもね。渚は遊園地と水族館だったらどっちがいい?」

「どちらも魅力的ですね。真夜君のエスコートも楽しみにしてますね」

「責任重大だな、こりゃ」


 三人は先ほどの嫌な出来事を忘れるかのように、今後の予定話に花を咲かせるのだった。

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