第九話 雷坂彰


 真夜達はいつもならここまで接近される前に気づくのだが、昼間の疲れと告白という真夜だけでなく三人にとって一大事だったため、気づくのが遅れた。


 声をかけてきたのは、一体どこの誰なのか。思わず真夜だけでなく朱音も渚でさえも睨むように相手を見た。


「ああっ? 何だ、その目はよぉ!? 落ちこぼれの分際で!」


 この場合、落ちこぼれも何も無いのだが、どういうわけか頭に血が上っている目の前の男は真夜の視線を受けてさらに激高した。


「……誰かと思えば、雷坂当主の息子じゃねえか」

「雷坂光太郎だ! まさか忘れたとは言わせねえぞ!!」


 真夜のぼやきに乱入者は自らの名前を名乗る。雷坂家当主の息子・雷坂光太郎。真夜や朱音とは些か因縁のある相手であった。


 何故ならかつて、朱音が真夜に恋心を抱くきっかけになった事件を起こした人物だからだ。


 しかしどうして雷坂光太郎がここにいるのか、三人は疑問に思った。恐山ならばまだ雷坂の当主の息子である光太郎が修業目的で来ていても不思議では無いが、ここは彼らの住む北海道からは遠く離れた関西の高野山だ。


「はっ! 落ちこぼれの身でいい身分だな。女を囲って一流退魔師気分か? 反吐が出るんだよ!」


 いきなり現れて、この男は何を言っているのだろうか。人間性を疑うと同時に危ない薬でもキメているのではないのかと本気で思ってしまったのだが、真夜としてはそんな事は割とどうでも良かった。


 今一番、真夜が腹に据えかねていることは朱音と渚との貴重な時間を潰された事だ。


 真夜は実の所、珍しく本気でキレていた。隣の朱音とあの渚でさえも怒り心頭なのだが、真夜の場合はその比ではなかった。


(人が一世一代の告白をした直後の良いところに、何乱入してくれてんだよ、こいつは)


 静かに、それでいて深く怒り狂っていた。ここまでの怒りを覚えた事があっただろうか。


 真昼や明乃にさえ向けたことも無く、異世界での数多の悲劇を目の当たりにし、理不尽な事への怒りと同等にまで高まっていた。


「ちょっとあんた! 雷坂の嫡男だからって、何であたし達の事に関わってくるわけ!? 部外者でしょうが! ちょっとは空気読みなさいよね!」

「はい。なぜここにいらっしゃるのかという疑問はおいておくにしても、いきなりの罵倒は正直に申し上げて、非常識と言わざるを得ません」


 朱音も渚もあまりにも品性の欠片も無い光太郎の言葉や真夜に向ける態度に怒りが収まらない。


「あ? 俺は身内の大事な見合い話を、どこかの落ちこぼれのせいで不意にされそうだったから、声をかけただけだよ」


 声をかけたと言うよりもただ因縁を付けてきただけだろうがと三人は言いたかったのだが、気になるのは彼の言い放った事だ。


 光太郎はどこか意地の悪い笑みを浮かべているが、三人はその内容に困惑した。見合い話とは何のことか。この場合、朱音か渚の事だろうがその相手は誰なのか。


 いやそんな疑問よりも、真夜はいい加減にしろとさらに怒りが高まった。


(……話が余計にややこしくなってるんじゃねえのか、これ?)


 真夜は辟易しつつも、後で婆さんに確認だなと心のメモ帳に書き込む一方、いい加減目の前の男が目障りになってきた。


「お前も残念だったな! そもそもお前みたいな落ちこぼれで真昼に助けてもらわなきゃどうにも出来ない奴なんかが良い思いなんて出来るはずが……」

黙れ・・

「あっ、がっ……!?」


 ただ一言、真夜が言葉を発しただけで、光太郎は身体がガタガタと震えだし、言葉を発せられなくなった。


 脳裏に浮かんだのは、自分が八つ裂きにされて殺されるイメージ。今までどんな妖魔と敵対した時にも抱くことが無かった明確な死の予感と恐怖。


(な、なんだ、こいつ。な、何しやがった!? まさか言霊か!?)


 言霊。言葉に霊力を込めて発し、現実に実現させてしまう霊術である。


 現在において、そこまで万能性は無く自己や他者に一種の暗示程度の影響を与えるものでしか無い。


 別段、真夜は言霊の術を使えるわけではないのだが、今回は殺気を上乗せして相手を萎縮させることに成功していた。


 霊力が枯渇しかけていようが、真夜にとって光太郎は格下でしか無い。万全とはほど遠いとは言え、この程度の相手ならば本気の殺気をぶつければ動けなくする事など難しくなかった。と言うよりもここまでの本気の殺意を抱いたのは初めてかも知れない。


 両隣の朱音も渚も真夜が本気で怒り狂っている気配を感じて、逆に冷静になっていく。


 光太郎は両膝を地面につき、顔を青ざめさせ大量の汗を流しながら荒い呼吸を繰り返している。


 真夜はその姿に多少溜飲を下げることに成功した。


 出来れば今すぐ目の前の男をボコボコにしたいが、それをすると雷坂と事を構えることになり余計に面倒事が増えるのでするわけにはいかない。殺気をぶつけただけならば、そこまで大きな問題にならないだろう。


 もしこちらから先に手を出せば朝陽や結衣に迷惑がかかる上に、明乃には朱音と渚の件で面倒事を片付けてもらわなければらないので、向こうから絡んできたとは言え回避できる面倒事は回避するに限る。


「……行くぞ、朱音、渚」


 逃げるようで業腹だが、失せろと言って失せるような相手では無いだろう。それにこれ以上、この男に関わりたくも無ければ、姿を見たくも無い。


(聞きたいことや言いたいことは山ほどあるが、関わってやるほどこっちも暇じゃ無いんだよ)


 せっかく最高の気分だったというのに、全て台無しである。


 朱音と渚も関わるのも嫌とばかりに、真夜の言葉に従い立ち上がる。


「はっ、中々に面白い光景じゃねえか」


 そんな彼らに別の声がかけられた。


「情けねえな、おい。光太郎さんよ」

「彰(あきら)、お前ぇっ……」

「一人で勝手に出歩いた上に、相手に絡んで情けない姿さらしてたら世話ねえわな」


 あきれ果てた様に言う新たな乱入者・雷坂彰。光太郎は必死に彰を睨むが、未だに身体が思ったように動かない。


「次から次へと。俺達はもう行くから、後はそっちでやってくれ。それと後から雷坂の方に抗議でもいったら、そいつのせいだと思っとけ」

「まあ待てよ。少しばかり話に付き合えよ。一応、名乗っておく。雷坂彰(らいさか あきら)だ」


 真夜は付き合ってられないとばかりに、二人を連れて早々に立ち去ろうとするが、彰が待ったをかけた。


「お前らに付き合う義理は無いし、理不尽に絡んできた奴らに付き合うほど俺達も暇じゃ無いんだよ」


 いい加減にしろと真夜は彰にも殺気を解き放つ。ビリビリとした刺すような霊気が彰に届くが、当の本人はニィッと唇を吊り上げた。


「ははっ、はははははっっっ!」


 いきなり高笑いを上げる彰に真夜は怪訝な顔をする。


「てめえ、いいじゃねぇか! 霊力は大したことがないが、そんな殺気が出せるってことは、それなりに出来るんだろうな! 確か星守真夜だったか? 落ちこぼれって言われてるようだが、思ったよりは強そうじゃねえか。そこでへたってる奴よりはよ!」


 大型の肉食獣のごとく、獲物を狙い定めたように真夜を見据える彰。狂犬と言わんばかりの姿に真夜はちっと舌打ちした。


「俺はやり合うつもりは無いし、退魔師同士が場所も考えずに理由も無く戦えば警察沙汰になるぞ。いくら星守や雷坂でもおとがめ無しにはならないはずだ」

「なら、理由があれば良いんだろ?」


 どこか挑発するように不敵な笑みを彰は浮かべた。


「その様子じゃ知らないだろうが、俺に見合い話が来ててな。相手はそこの火野朱音だってよ」

「はぁっ!? ふざけんじゃ無いわよ!? そんな話、あたしは聞いてないわよ!?」


 彰の言葉に一番に反応したのは朱音だった。真昼との噂話でも迷惑なのに、見合い話が来ているなど青天の霹靂と言っても差し支えなかった。


 叫んだ朱音は「あたしは知らないわよ! 知らないんだからぁ!!」と半ば涙目になって真夜にすがりついていた。


「そこは疑ってないから心配するな。それにそんな話があったところで、もう関係ないだろ?」


 真夜の言葉に朱音は顔を赤らめつつ、「そうよね。それもそうね」と少し落ち着いたようだった。しかし小声でお父様に確認しないととか、もし知ってたらしばらく口を利かないようにしようとか、本当ならお母様に告げ口してやるなどとと呟いている。


 朱音の様子に苦笑しつつも、真夜は彰へと再び視線を向ける。


「で、朱音の見合い相手がお前だとして、それが俺と戦う事とどう関係あるんだ?」

「てめえも退魔師は霊力が高かったり、強い相手との子供の方が優秀って話は聞いたことがあんだろ? だから最近名前が売れてて霊器も顕現できるそいつを雷坂は取り込みたい。そうなるとそいつと星守真昼の婚姻は邪魔だ。ならどうすりゃ良いか。それは俺の方が強いって証明するために、その女を賭けての勝負が成立するって話だ」


 半ば無茶苦茶な理論だが、かつてはこのような話が退魔師達の間では普通に存在したし、現在でも一部残っている。


 優秀な相手を伴侶に迎え入れてのお家繁栄は退魔師だけの話では無いが、退魔師界ではその考えがより根深かった。


 霊力が高く、霊器持ちの女性ともなればその価値は跳ね上がる。


 雷坂としては星守と火野との婚姻を潰せて、一族の繁栄にも繋がると一石二鳥の策を考えたようだ。


「朱音を賭けての勝負ね。だがここじゃ見届け人もいなけりゃ、双方の同意もないだろうが。この勝負自体成立しないぞ」

「ああ、そうだな。けどそれは星守真昼の場合だ。てめえはその限りじゃ無いだろ。お前らが惚れあってるからって、落ちこぼれのてめえが星守真昼や俺を差し置いてそいつと婚姻を結べる道理はねえだろ?」

「脈絡がないな」


 雷坂はほかの六家に比べてかなり問題児が多いようだ。こんな奴らを野放しにしているのはどうかと真夜は思う。


「そうでもねえ。てめえはその女が好きなんだろ? なら俺よりも優秀だって示す必要がある」

「前時代的な考えだな。今時、流行んないだろ」

「まあごちゃごちゃ御託を並べたが、ただ俺はてめえと戦いたいだけだ。そんで証明してみろよ。自分の方がふさわしいってな。理由は出来ただろ? 見合い相手のいる女に告白したからその見合い相手を追い返すために手合わせをしたってな」

「……時系列が逆だ。間男はてめえのほうだろうが」


 真夜としては雷坂はどいつもこいつも自分の都合を押し付けるだけの迷惑なやつしかいないのかと思いつつ、ここまで来たら仕方が無いかと戦闘態勢を取る。


「ちょっと、真夜!? こんな奴の挑発に乗るつもり!?」

「無茶です! 今の真夜君では危険すぎます!」


 朱音も渚も真夜の行動を止めようとする。いつもの真夜ならば何の心配も無いのだが、昼間のルフとの戦闘が尾を引いており、六家の宗家の人間を相手にするにはリスクが高すぎると思ったようだ。


「心配すんな。すぐ終わらせる」

「はっ! すぐ終わらせると来たか。言うじゃねえか! じゃあせいぜい、すぐにやられんじゃねえぞ!」


 こう言った手合いは力尽くで分からせる必要があると真夜は経験上理解していた。


 それに朱音の事で絡まれたのだ。朱音の事に関して、他の男に譲るつもりは無い。


 下らない意地であり、別のもっとスマートなやり方があるだろうが、そろそろイライラも頂点に達しており、二度と自分や朱音、渚に関わらせないようにするためにも、真っ向から叩き潰すことにした。


 光太郎とは違い、彰は手を出そうとしてきたし、正当防衛も成立する。


 それに相手をしないといつまでも絡み続けるだろうし、この場も素直に退いてくれないだろう。


 真夜が臨戦態勢を取ったのを確認すると、彰が周囲に結界を展開し、この場を隔離させる。彰は真夜がそれ相応の実力者であると本能的に理解していた。


 自分から仕掛けておいてなんではあるが、靴こそ履いているものの、浴衣姿の真夜と尋常な勝負と言うのは些かどうかと思わなくもないが、彰は今回を逃せば真夜と一対一で戦う機会は二度と訪れないのではと危惧していた。


 いや、それもあるが目の前の相手と戦いたい言う欲求が止められなかった。


(こいつ、霊力はあんまり高くは無いが、俺の勘が告げてやがる。さっきからこいつと向き合ってると、五月蠅いぐらいにがなり立ててる。こんなことは今まで無かった!)


 霊感が告げているのは、油断するな。甘く見るな、と言う警告では無い。戦うな。逃げろと言う警告なのだ。


 つまり目の前の存在は自分よりも圧倒的に格上と言う事になる。口角が吊り上がるのが止められない。


 今までに無い緊張感が彰を包み込む。同年代の相手でこんな感覚を味わったことは無い。


 だから無理にでも勝負を成立させたかった。己の全力を出すために霊器も顕現する。右腕に出現する雷を纏った相棒。並の相手なら霊器の余波だけで蹴散らせられるし、これまで対峙してきた同年代の術者は霊器を見せるだけで戦意を喪失した。彰と同じ宗家の光太郎や仁でさえ霊器を出せば、勝つことは困難なのだ。


 しかし真夜は違う。どこまでも落ち着き払い、だからどうしたと言わんばかりの態度であり、どれだけ殺気を飛ばそうが柳に風とばかりに受け流している。


(たまらねえな、おい。星守真昼にちょっかいかけに来て、それと同じかそれ以上に強そうな奴がいるなんてよ!)


 光太郎、彰は雷坂の意向を受け、高野山にやって来た。仁も一緒に来ていたが、済ませなければならない用事があるために別行動を取っている。


 くれぐれも勝手な行動は慎んでくれと念を押されたが、光太郎が宿から出たことで彰も暇つぶしを探して出歩いた。


 そして見た。光太郎が何者かに絡み、そして無様な姿をさらしている。その相手はどうやら星守の関係者で、また写真で見た自分の見合い相手までいた。


 だから好都合と彰は仁の頼みを無視し、また雷坂本家に飛び火する可能性がある問題行動を取った。


 先に問題行動を起こしたのは光太郎なのだ。彰は彼がどう言った心境で彼らに絡んだのかは知らない。


 先日から罪業衆の残党狩りでは彰に先を越されたばかりか、本家が用意した見合い相手にフラれると言う失態をやらかしたらしい。


 また当主の息子であるのに、霊器も顕現できず、他の六家では若手で次々に霊器を顕現させている事でストレスと怒りを溜め込んでいたのかも知れない。


 その結果、たまたま見つけた彼らに絡んだのだろう。


 彰としてはどこまでも器の小さな男だと思った。しかしそのおかげで、目の前の相手と戦う状況を作れたのだ。その点は感謝しよう。


「いくぞ、おらぁっ!」


 雷を纏った彰は、尋常ならざる速度で真夜へと迫るのだった。

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