第八話 告白


 温泉から上がり、浴衣姿になった真夜達は明乃を含めた六人で夕食を摂った後は自由時間となった。


 夕食は精進料理であり、料理人のこだわりと優しい味付けが、今の疲れきった身らにはありがたく、全員が完食するに至り大変満足した。


 ただ真夜や女性陣は悩み事があるため、どこかぎこちない雰囲気になっていた。


 その後、明乃は自分の宿泊部屋に真夜と真昼を呼び出し、対面しながら酒を嗜んでいた。


「なんだよ、婆さん。俺は疲れてるんだけどな。この間みたいに晩酌しろとかじゃないだろうな?」

「真夜、そんな言い方は……」

「わかっている。晩酌をさせるつもりで呼んだのでもないし、そう時間は取らせん。それと真昼、構わんさ。真夜のこう言う物言いの方が、私としても気を遣わずに済む」


 真夜は急な呼び出しに、若干不機嫌そうであり、真昼は何故自分達が呼ばれたのか疑問に思っているようだった。


「話は他でもない。あの三人の事だ。何があったか知らんが、夕食の場では少々ぎこちなかったのが気になってな。まあそれは真夜、お前もだがな」


 明乃の言葉に押し黙った真夜はよく見ていると内心思った。と言うよりも、自分は明乃に気づかれるほどに態度や雰囲気に出ていたのかと苦々しく思った。


「えっ、そうなの、真夜?」

「真昼。お前はもう少し他人の機微を察せられるようになれ」

「いえ、朱音さんや渚さん、楓がいつもと違うとは気がついていましたが真夜のことは……」

「あの三人はお前でも気づくか。真夜の方は気づかれまいとしていたようだが、あの二人を意識していたのが丸わかりだったぞ」


 明乃の指摘により一層表情を変え、まるで苦虫を噛み潰したような顔になっている。


「婆さんに気づかれるとはな。俺もまだまだだな」

「おそらくあの二人は自分達の事で手一杯で、お前のそんな意識に気づいていないだろうがな。それと私はこれでも一族の長として観察眼は磨いてきたつもりだ。今の動揺している状態のお前を見抜けないほど耄碌してはいない」


 あまり侮るなよと明乃は言うと、真昼には観察眼をもっと磨いていけとお叱りのお言葉を投げた。


「で、俺達にどうしろと?」

「明日からの事もあるので、できる限り懸念は潰していこうと思ったまでのこと。夜は自由にして構わん。明日の修業に響かず公序良俗に反しない限りは、ある程度の事に目を瞑ってやる」


 酒をあおりつつ、明乃は真夜達に好きにしろと言い放った。


「真夜、私の手を借りたければそう言え。私はお前に借りがあり、そう言う約束をしていたからな」

「……いいのか?」

「構わん。どう転ぼうが、星守には得になる事だろうからな」


 真夜の考えを明乃はほぼ正確に読んでいた。他人の恋愛感情に敏感と言うわけでは無いのだが、真夜の実力を知って以降、朝陽とも色々な話し合いを行った事で見えてきたことや、今後の真夜や星守の未来への布石についても考えるようになっていた。


「無論、学生の間は節度を持て。まあお前のしようとしている事は節度あることとは言えないだろうが、私はそこに口を挟むつもりもない。お前のやりたいようにしろ」


 明乃にも当然、思惑があった。明乃も朝陽もだが真夜には星守に残ってもらいたいと考えている。


 真夜があの二人を娶ろうと考えるならば、星守の後ろ盾はあった方がいいだろう。


 独立して二人と添い遂げると言う選択肢もあるだろうが、それをするには法律に定められた要項を満たす必要があり、達成するには時間と労力がかかる。それに火野も京極も自分達の商売敵になる可能性のある存在が生まれるため認めない可能性もあり、妨害工作が仕掛けられるかも知れない。


 だが星守にいれば、それらの問題の殆どをクリアできるし、火野、京極も星守との関係を重視して寧ろ、肯定的になるかもしれない。


 独立したとしても真夜は明乃に協力を要請は出来るだろうし、明乃もできる限りの事は行うつもりであった。朝陽も結衣も真昼も真夜を様々な形で手助けはするだろう。


 しかしそれでも星守の中にいるのと外で独立するのでは、真夜達に降りかかるであろう苦難の数が段違いである。だから真夜の心証を考慮し、メリットとデメリットを提示することで真夜自身に選ばせることが重要であり、そのための布石をいくつも用意する。


(尤もこんな小細工など真夜はお見通しだろうがな)


 明乃は今の真夜の能力を高く評価している。戦闘面だけではない。精神面もそうだが、その思考や戦術、戦略眼も明乃は朝陽に近い物を有していると見ている。


 退魔師としての実力を抜きにしても、真昼よりも真夜の方が当主としての適性が高いのではと思う時もある。


 もちろん、真昼が素質として劣っていると思っているわけではない。これは現時点での評価でしかない。


 だがこれはそんな損得勘定無しの祖母としての助言だった。今まで真夜を貶めるだけで彼の手助けを何もしなかった、してやらなかった事への罪滅ぼしでもあったのかもしれない。


「お前のやりたいようにしろ。ついでに言えば、お前の父の朝陽も割と好きなようにしていたぞ」


 昔を思いだし、どこか面白そうに明乃は笑った。酒も入っていたからだろうが、当時は思うところもあった話ではあるが、今思えば笑い話だなと過去を懐かしんだ。


 明乃の言葉にしばらくの間、何事かを思案した後、真夜は徐に立ち上がり部屋の入り口まで向かう。


「婆さん、わりいな。じゃあ好きにさせてもらう」


 それだけ言うと急ぎ足で部屋を後にする真夜に明乃は微かに、だがどこか満足そうな笑みを浮かべると空いた器に再び酒を注ぐ。


 次いで真夜の出て行った扉を呆然と見ている真昼へと視線を向ける。


「さて、次はお前だ真昼。今回はお前の婚姻についての憶測から生まれた噂。しかしお前ももう高校生だ。将来を見据えた話はしておく時期なのかもしれん」

「お祖母様。ですが僕はまだ未熟であり、そう言った話は……」

「今すぐと言うわけではない。それにお前にも多少なりとも懸念事項がある」


 明乃はこの件に関して真夜以上に真昼の事を心配していた。彼には真夜以上に懸念すべき存在が身近にいるのだから。


「楓、のことですか?」

「そうだ。あの子は半妖だ。今はまだお前のパートナーでいさせられるが、今後はどうなるかわからん」

「お祖母様! それは!」


 目に見えて表情を変え、反発するかのような声を上げる真昼に明乃はどこまでも平坦な声色で話を続ける。


「お前とて理解しているはずだ。それに……、いやこれはお前達の問題でもあるか。私から告げることではないな」


 何かを言いかけるが、明乃はあえてそれを口にせず、逆に真昼へと問いかけた。


「良い機会だ、真昼。この機会に一度考えて見ろ。お前が楓と今後、どう向き合っていくのかをな」

「……僕は」


 真昼は明乃の言葉に答える事はなく、ただ沈黙だけが部屋に訪れるのだった。



 ◆◆◆


 コンコンと朱音達が泊まっている部屋がノックされた。彼女達は部屋で今日の反省会をしていたのだが、突然の来客に首を傾げた。


「誰だろう?」

「私が確認してきます」


 一番入り口の近くにいた楓が立ち上がると、そのまま扉の方へ向かいのぞき穴から外の様子を確認する。


「真夜殿です。開けますね」

「真夜が? なんだろう、こんな時間に」

「わかりません。朱音さんに用事でしょうか?」


 楓が扉を開けると、真夜が疲れてるのに悪いな、少し入らせてもらうぞと前置きして部屋の中へと入ってきた。


「どうしたのよ、真夜?」

「……ああ、その悪い」


 どこか言いづらそうに視線を逸らす真夜だったが、何かを決めたかのように表情を引き締めると一度深呼吸してから言葉を切り出した。


「朱音、渚。疲れてるところ悪いが、少し時間をくれ。話したいことがある。外に来てもらっても良いか?」


 楓もいる場では話しにくいと思ったのか、真夜は躊躇いがちに二人に聞いた。


「あの。もしよろしければ私は席を外させて頂きますが」

「いや、楓はここにいてくれ」


 もしかすれば真昼が来るかも知れないと口に出しかけたが、もし下手に期待させて来なかったら悪いので、言うことは無かった。


 朱音と渚も疲れているとは思うが、真夜としても大切な話であり早くしなければならない問題のため、事を急ぐことにした。


「……うん。いいわよ。渚は?」

「私も大丈夫です」

「悪いな。んじゃ、外にでも行こうぜ」


 真夜は二人を伴って旅館の外へ出て行く。旅館のロビーや真夜と真昼が泊まっている部屋で話をしても良かったのだが、何となく気分が乗らないのとムードもへったくれもなかったので却下した。


 それに開放的な外での方が話もしやすいだろうし、少し歩きたい気分でもあった。


 真夜自身、どこか緊張しているようだった。


 何か目的地があったわけではない。ただ霊地であり、霊力密度が高く歩いているだけでも少しは回復してくるような気がする。


 実際は大した回復量ではないし、身体も全身筋肉痛張りに痛いのだが、室内にいるよりも気休め程度にはなる。三人は無言のまま、落ち着かない様子であった。


(真夜、何の話なのかな……、あたしだけじゃなく渚もなんて)

(真夜君の意図がわかりません。私もというのは……)


 どんな話なのかと心配する二人を余所に、真夜も平静を装っているが今までにないほどに緊張していた。異世界でもこんな経験はしてこなかった事だ。


(……ああ、くそっ。いつまでもぐだぐだ行くのはやめだ。さっさと言いたいことを伝えるだけだろうが)


 ともう一度、決意を強める。


 師匠曰く、男は勢いも重要だ。俺について来いと言えるくらいの男になれと言われた。


 行動した結果、今の関係が崩れるかもしれない。だが何もしなくても状況は良くならず悪化するだけかもしれない。今の朱音と渚の雰囲気を鑑みれば、あながち間違っていないだろう。


 だから何を置いても行動しろ。行動しないことも選択の一つだが、その結果で得られるものなど高が知れている。それは甘えでしかないのだと。


 自分で選び、行動すればすべての責任は自分にある。何も行動しないと言うのは、責任のすべてを他者に押しつけることであると。


 大切な者を失わないように、手放さないように、誰にも渡さないようにするために。


 いつだって、どこだって、なんだって、自分が本当に欲したものは、自らが行動しなければ手に入れることは出来ない。


 どれくらい歩いただろうか。虫の声が聞こえる中、三人は道の傍らに備え付けられているベンチに座った。


 少し横道に入った場所だったので周囲に人影はいない。電灯と月灯りと民家などの灯りが灯っているだけだ。


 真夜を中心に、左右に朱音と渚が座り落ち着かない様子で真夜を見ている。


「昼間言ったことだけどな」


 真夜が言葉を発すると、二人はビクリと身体を震わせた。そんな様子に真夜は苦笑しながらも、言いたいことを口にする。


「もう一度言う。俺は朱音を誰かに渡す気は無い」


 どちらの顔も見ずにただ前だけを見つめながら真夜は言う。その言葉に朱音の心臓はドクンと跳ね上がった。顔も紅潮し、真夜の横顔さえ見れないようになった。


 だが渚はその言葉に深い絶望を抱いた。改めて聞かされる真夜の決意にやはり自分は選ばれなかったのだとうつむき落胆した。


「もう一つ宣言する。俺は渚も誰かに渡すつもりはない」


 バッとその言葉に俯いていた渚は目を見開き、勢いよく顔を上げ真夜の方を見る。朱音も驚きの表情を浮かべた。


「二人からすればあんまり気分のいい話じゃないだろうが、俺の正直な気持ちだ。俺は二人との時間が楽しかった。心地よかった。あっちでの仲間達といる時と同じかそれ以上にな」


 星守で父と母から与えられていた愛情とはまた違う感情。自分の中から生まれるどうしようもない感情。


「俺は、二人が好きだ」


 言った。自分の素直な気持ちを。二人の息を飲む声が聞こえる。


「悪いが、どちらかを何て選べなかった。ずっと考えてたが、俺にはこの答えしか選べなかった。俺はこの時間を壊したくない。失いたくない。二人を誰かに渡したくもない。これは俺の我が儘だし、自分勝手な考えだってのはわかってる。けど俺は二人にはずっと一緒にいて欲しいって思ってるし、そのためだったらなんだってする」


 二人に幻滅されるかもしれないと言う不安はある。それでも嘘偽り無い気持ちを二人に告げる。


 この答えは二人からすれば受け入れがたいと言うのはよくわかる。自分が同じ立場に立ったなら、ふざけるなと言うはずだ。それでも真夜は二人を離したくなかった。


 しばしの沈黙。真夜はどちらの顔も見れなかった。気配からして怒っているようではないのだが、何の返答もないのは逆に恐ろしかった。


「ずるいですね、真夜君は」


 最初に口を開いたのは渚の方だった。


「そんな言い方されては、何も言えません。私も真夜君と朱音さんと過ごした時間は今までにないほど充実していて、楽しい時間でした。私自身、これがずっと続けばと思っていました」


 だが朱音と真昼の婚姻の噂でそんな時間が永遠で無い物だと突きつけられた。いつかはこの時間も終わってしまう。その時、自分は彼の側にいられるのだろうかと。


「私は朱音さんほど長く真夜君と一緒にいたわけじゃありません。それに私自身、真夜君には朱音さんの方がお似合いだと思っていました。だからいつかこの時間にも終わりが来るんだと覚悟はしていたんです」

「そうだな。渚もそう思ってくれてたんなら、俺も嬉しい限りだ。だからこそ俺は終わらせたくなかった」

「ありがとうございます、真夜君。では私からも言わせてください。朱音さん、申し訳ありませんが、私が先に言わせてもらいます。……真夜君、私も貴方のことが好きです」


 ようやく言えましたと渚はそれまでに無い程の笑顔で真夜を見ると彼も同じように渚を見つめる。


「ずっと前から好きでした。覚えて無いかも知れませんが小さい頃、私は真夜君に会っていて、助けてもらっているんですよ?」


 朗らか言う渚に真夜はそうだったのかと疑問を浮かべる。


「はい。この話はまた今度させてもらいますね? 私は、真夜君が私達を選んでくれて凄く嬉しいです。たぶん私も、どちらか片方が選ばれていれば、それが私でもきっと今ほど喜べなかったと思います」


 だから真夜の言葉が嬉しかった。世間一般では褒められた話では無いが、自分は彼の選択を尊重するし、支持する。


「それよりも次は朱音さんですよ?」


 話を振られた朱音が「ふえっ!?」と変な声を上げる。


「あ、あたしは! その……!」


 二人の視線を受け、朱音はしどろもどろになるが、何かを決意したかのようにすぐに表情を改めた。


「もう、二人ともずるいわよ。そんな風に言うなんて。言っとくけど、真夜を好きになったのはあたしの方が先なんだからね!」


 言いながら、一度深呼吸をすると、朱音も意を決して真夜へと告白する。


「うん。あたしも真夜が好き。ずっと前から、それこそ初めて会った時から。ずっとあたしを守ってくれてた真夜の事が好きだったの」


 朱音はあたしもようやく言えたと、嬉しそうな顔をする。


「それとあたしも渚と同じ。そりゃ、思うところが無いわけじゃ無いけど、たぶんあたし達にとってこれが一番良い結果だと思うから」

「……ありがとうな、二人とも。こんな俺を好きになってくれて。俺の我が儘を受け入れてくれ」


 ふぅっと真夜は大きく息を吐くと、緊張の糸が切れたかのようにベンチに背中を預ける。


「思った以上に緊張した。けどすげぇ嬉しいもんだな」


 頬がどこまでも緩みそうになるのを真夜は必死に抑える。


「もう。あたし達だってそうよ。でもまさかこんな告白のされ方をされるなんて思ってなかったわ」

「ふふ、そうですね。それでも真夜君じゃありませんが、凄く幸せな気分です」

「ああ、もう! 今更だけど顔が熱くなってきたじゃない」


 そう言いつつも朱音も今までに無いほどの多幸感に包まれていた。


 少しだけ変わった三人の関係。三人は幸せな時間を噛みしめていた。


 だが……。


「はっ。落ちこぼれが随分と楽しそうにしてるじゃねぇか! 相変わらず、弱いくせに調子に乗ってる奴だな、お前はよぉっ!」


 突然の乱入者により、その時間は中断されることになるのだった。


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