第七話 それぞれの苦悩

 

「ってて。やっぱり前と同じ感覚で戦ってたらダメだな」

「本当に大丈夫なの真夜?」

「問題ねえよ。こんなもん、筋肉痛と一緒だ」


 真夜と真昼は現在。旅館の温泉に浸かっていた。あの後、全員がある程度回復し、簡単な反省会をした後、旅館に戻ってきた。


 身体も汗と埃まみれだったので、先に風呂に入ることになった。


 真夜と真昼は久方ぶりに兄弟二人で並んで温泉に浸かっている。他の利用客はおらず、貸し切り状態だった。


「あー、生き返るな」

「そうだね。それと今日は良い経験になったよ。ありがとう真夜」

「俺もだ。思った以上に兄貴と連携が取れたことにも驚いたけどな」

「はは、そうだね。でもまだ真夜の足を引っ張ってたから、もっと修業あるのみだね」


 ルフの猛攻に晒されながらも、真昼は多少は粘ることが出来た。今の真昼ならば特級クラスが相手でも単独で討伐可能だろうし、超級クラスでも下位ならば守護霊獣が一緒なら十分渡りあえるだろう。


「婆さんもやるもんだ。指示も的確だったし。まあルフに完全に対処されたが、それは俺も同じだしな」

「うん。本当に彼女は強いね。そんな彼女を守護霊獣にしてる真夜も凄いけど」

「俺もまだまだだよ。ルフに頼り切りじゃ話にならないし、俺自身に弱点も多いからな」

「……ごめん、真夜。僕のせいで」

「もうそれは言うなよな、兄貴。今更だし、それを克服したり、何とかするのがカッコいいんだよ。無い物ねだりしても時間の無駄だし、無いなら無いでやり方はあるさ」


 今回の戦いでやはり一番の問題となったのは、遠距離攻撃の手段がないことだ。


 真夜は攻撃系の霊術と霊力の属性変換も出来ず、霊力の放出に関しても欠陥を抱えている。だからどうしても距離を置かれては対応が遅れてしまう。


 真夜の戦闘スタイルは圧倒的な防御力で、相手の攻撃を無効化して接近し仕留める事なのだが。格上相手で、ルフのような相手には通用しないことが浮き彫りになった。


「空も飛べないしな。向こうじゃ、そう言ったのはフォローしてもらってたんだよな」


 空への攻撃は大魔導師を始め、遠距離攻撃できるメンバーが行っていた。遠距離攻撃の手段がないのは真夜くらいなものだった。武王や剣聖の二人でさえ、拳に纏った氣や魔力、あるいは斬撃を飛ばしたりしていた。


 真夜も体内の氣を扱うことは出来るが、未だに修業不足で攻撃に用いれるほどの精度はない。


「とにかく兄貴の云うとおり、修業あるのみだな」

「そうだね。僕も早く追いつけるように頑張るよ」

「楽しみにしてるぜ、兄貴」


 真夜は肩まで湯船に浸かると、天井を見上げながらいくつかの懸念事項について考える。


(俺一人で戦い抜く戦術をもう一回再構築だな。十二星霊符の使い方についてもそうだが、まだ実戦レベルで使えない術の練度を上げるのと、俺が使える可能性があって習得できてない術を覚える事も考えないとな)


 四年の歳月で真夜は強くなったが、それは彼が限界まで強くなったかと言えばそうではないのだ。習得した術に関しても、攻撃系の術の習得は不可能かもしれないが、まだ覚えていない術も存在する。


 真夜は今後、それを習得する修業を行うつもりだった。


(あとは朱音の件と……渚の事だな)


 朱音が今回の噂で色々と動揺している事に気づいていたからこそ、修業前にあんな事を言ったりもしたのだが、その事に関しては早急に対処する必要がある。


(朱音はこう言う話とかには結構敏感なんだよな。まあ昔から俺に無視されてたらすぐ泣きそうになるし、俺関連だと異様に怒ったりしてたからな。……俺も鈍いな。最近になって気づくとか、兄貴のことは笑えないか)


 自嘲するように笑う真夜だが、身近な人物から好意を向けられて悪い気はしない。思い返せば、昔から自分に期待してくれていた相手は、両親以外だと身近には朱音だけしかいなかった。


 あの日、帰還し幻那との戦いを終えた夜に、朱音に頬にキスされてから彼女の事をなおさら意識するようになった。同時にかつてとは違い、周囲へと意識を向ける事で見えてきた事もある。


 だがそうなると別の問題も発生する。


(渚の方も、フォローしとかないとやばいよな)


 もう一人、真夜に好意を寄せてくれている少女のことを思い浮かべる。彼女の事も真夜は朱音と同じくらい大切に思っている。


 何度も自分を助けフォローしてくれた。彼女がいなければ古墳の一件では、朱音を助けることは出来なかっただろう。


 真夜のために甲斐甲斐しく尽くしてくれる彼女に対して何も思わないわけがない。また時折、渚が自分と朱音が気安い会話をしていると悲しそうな表情を浮かべることがあるのに気づいていた。だから余計に心配している。


(しかし我がことながら、他人の好意に弱いな……)


 昔の反動だろうか。落ちこぼれと蔑む者達の悪意に晒され続けたことで、逆に自分に向けられる好意を人一倍心地よく感じる。


 異世界に行く前の余裕がなく自分のことだけで精一杯だった真夜ならともかく、今の真夜はようやく周囲に目を向けることが出来るようになったし、素直に好意を受け入れることも出来るようになった。


 異世界でも仲間達に良くしてもらった。そんな彼らだったからこそ、守りたいと思い強くなった。


 同じように朱音や渚の事も守りたいと思っているし、好意を向けてくれるからこそ真夜も好意を抱くようになった。


(退魔師は一夫多妻制が認められてるとはいえ、男としてこれはあんまり褒められたことじゃない気もするけどな)


 男の甲斐性と言う者もいるだろうが、都合の良い言葉なのは間違いない。世間体的には悪いだろう。


 いくら退魔師とは言え、学生が二股をするのは褒められたことではないだろう。


(親父や母さんはともかく、婆さんは何て言うかな)


 退魔師として独り立ちした後ならば明乃も何も言わないだろうが、学生のうちからとなるとあまりいい顔はしないだろう。


(けど朱音も渚も誰にも渡したくない)


 三人でいる時間が楽しかった。二人がいてくれる事が嬉しかった。真夜にとって二人は掛け替えのない存在になっていた。


(どちらかを選ぶのは出来ないし、このまま成り行きに任せていくのも不義理だよな。くそっ、どこの誰かしらねえが、面倒な噂を流しやがって)


 我がことながら度しがたいとは思うが、どちらかを選ぶことは出来ない上にしたくなかった。


 ならば二人を一緒にと思うが、自分は良くても朱音や渚が何と言うか。


 こちらの方が数多の妖魔や学校の試験なんかよりもよほど難敵だなと思いつつ、どうするのが一番良いのか湯船で悩み続ける真夜だった。



 ◆◆◆



 同じ頃、女湯の方でも朱音や渚、楓が湯船に浸かっていた。明乃は彼女達とは別の自室に備え付けられている風呂に行っている。自分がいれば気が休まらないだろうと言う配慮と彼女自身、弱っているところを見せたくないという真夜に似た意地もあった。


「あー、温泉ってほんと疲れた時はいいわよね~」

「そうですね。疲れが消えていくようです」

「はぁ~、生き返ります」


 身体と頭を洗い、三人は大きな檜風呂で手足を大きく伸ばしたり、肩を揉んだりと各々で疲れを取るように努めていた。


 こちらも貸し切り状態で、他の利用客はいない。三人にとってはありがたいことであった。


「朱音さんも楓さんもお疲れ様です。一時間とは言え、とてもよい経験が出来ましたね」

「そうね。でも課題ももらったし、もっと頑張らないと」

「お二方は以前にも言いましたが、十分お強いですよ。私なんてもっと頑張らなければ、真昼様のパートナーであり続けられません」


 三者三様にそれぞれ悩みを持っており、ルフから指摘された問題点と課題を克服することをしなければならない。そうしなければ上には行けず、想いを寄せている人はさらに遠くへと行ってしまう。


「真昼も凄かったわね。あれだけルフさんの攻撃に晒されてもある程度は耐えてたんだもの」

「はい。真昼様はここ最近は真夜殿に負けまいと前以上に努力されていましたから」


 自分が褒められたかのように笑顔で答える楓に朱音と渚も笑顔で返す。


「ほんと、あたしも負けないように明日からも頑張ろっと」


 朱音はそんな事を考えつつ、ちらりと横目で渚と楓を盗み見る。


 湯船の中に浸かっているが、たわわに実った二つの大きな胸が浮かんでいるように見えた。


 渚もそこそこに大きいが、楓はさらに大きい。従姉妹の火織も大きいのに何で自分だけと改めてコンプレックスが刺激された。


「どうかされましたか、朱音さん?」

「えっ、ううん、何でもない! 何でもないわよ! あはははは」


 と笑ってごまかそうとしたのだが、不意に昼間に真夜に言われた言葉を朱音は思い出した。


(……あれって、どう言う意味で言ったのかな? やっぱり、そ、そう言うことなのかな?)


 鼻付近まで顔を湯船に沈め、ぶくぶくと息を吐く。


 ―――お前を誰かに渡すつもりはねえよ―――


 思い出して顔を真っ赤に染める。思わずバタバタと足を動かしてしまった。


「ど、どうされましたか!?」


 突然の事に楓も驚いて朱音の方を見る。


「あっ、その、ごめんなさい」

「……昼の真夜君の言葉ですか?」


 何かを察したのか、渚は少しだけ躊躇いがちに訪ねた。


「……渚も聞こえてたんだ」

「……はい」


 僅かに表情を沈ませた渚に朱音はどう言って良いものか思案する。


「いきなりあんな事言われて驚いたって言うか、どう言う意味だったのかなって……」

「……真夜君は朱音さんの事を大切に思っています。古墳の時もそうでしたし、日頃からの朱音さんへの態度でそれは感じます」


「それは渚も同じだと思うわよ。それに真夜はあたしよりも渚の方を頼りにしてるし……」


 最近の日常生活の中で、勉強のことであったり、退魔師関連の事だったり、朱音よりも渚を頼りにしてる事を朱音は理解していた。蔑ろにされているわけではないが、朱音と渚を比べどちらを頼りにしているかと言えば渚であろうと朱音は思っている。


「そうでしょうか?」

「そうよ。それに真夜って渚の方が好きなんじゃないかって偶に思うし」


 今まで言えなかった本音を吐露する。渚は大切な友達で間違いないが、同時に恋のライバルであると思っている。


 しかし今の渚の表情を見て、朱音は自分が選ばれればそれでいいと思えなくなっていた。


 違う。朱音自身も真夜と渚の三人でいる時間を大切に思っている。だからそれが壊れることを恐れていた。


「どうでしょうか……。私はそうは思えません」


 悲しそうな表情を浮かべる渚は普段の気安い間柄の真夜と朱音の方がお似合いだと感じる時が多々あった。


 最近は渚も真夜との距離を大きく縮めているとは思うが、それでも朱音には勝てないと何度も思わされることがあった。また渚も朱音と同じように今の関係が壊れてしまう事を恐れていた。


(真夜君と朱音さんは私から見てもお似合いだと思います。でも……)


 あの心地よい時間が、空間が無くなってしまう。渚は言いようの無い不安を抱いた。


 二人が付き合いを始めれば自分はお邪魔でしかない。二人はこれまでと変わらないように自分に接してくれるのだろうか。くれるかも知れないがその場合、渚自身が耐えられない。二人の仲睦まじい姿を想像すると胸が締め付けられる。


(……ああ、何て嫌な考えなんでしょうね。朱音さんに対して最低な)


 暗い思考が頭に浮かぶ。また最低最悪な考えまで思い浮かんでしまう。朱音はこんな自分に対しても良くしてくれている。なのに、そんな自分が朱音に嫉妬し、邪な考えを抱いてしまう。


 ここ最近は抱くことがなかった浅ましい考えに自己嫌悪を抱く。どうして自分はこうなのだと、膝を抱え朱音と同じように鼻までお湯に浸かる。


「あ、あの! 差し出がましい上に色々とお二人に失礼な事ではあるかも知れませんが、その、今の真夜殿であれば、お二人一緒に結ばれることにあまり障害がないかと」


 そんな二人の様子に何となく事情を察した楓はおずおずといった感じで控えめに一番問題が解消される可能性がある方法を口にする。


「……まあそうなんだけど。でもね」

「……真夜君がそう考えているかもわかりませんし」


 どうにもネガティブな思考になっている二人には、あまり楓の言葉は響かないようだった。


 二人もその方法を考えていなかったわけではない。ただ何となく真夜はそんな事しないような気がしていたし、婚姻を結ぶのもまだまだ先と思っていたからこそ、できる限り考えないようにしていたのだ。


「ですがお二人にはその資格があります。私にはそれがありませんから」


 困ったように笑う楓に今度は二人が困惑する。


「真夜殿は真昼様以上のお力を得られました。だからそれが公になれば、お二人を迎え入れるのに反対する者はいないでしょうし、お二人も火野と京極の血筋で反対意見も少ないはずです」

「でも楓さんは真昼のパートナーでしょ? それに結衣さんもこの間……」

「私は半妖ですから。真昼様と結ばれることはありません」


 先ほどよりも悲しそうな顔で笑う楓は、二人に事情を説明した。


「結衣様がお認めになられても他はご納得しないでしょう。歴史ある星守の、それも真昼様は歴代でも最高のお力を持たれている方ですので、その伴侶が半妖では示しも付きませんし、血を汚すことになります。絶対に認められることはありませんし、私自身、真昼様を困らせたくありませんから」


 退魔師の一族が血を重んじる事を朱音も渚も痛いほど理解していた。


 朱音はクォーターと言うことで、渚は愛人の子と言うことで一族の中で浮いた存在となっていた過去がある。


 同じ人間でこれなのだ。もし半妖とは言え妖の血が退魔師の一族の、それも星守の直系の中でも最高位の実力と才覚を有している真昼と交われば醜聞になるのは間違いない。


 いや、妖の血を一族に取り入れるなど有ってはならないと、星守の分家やご意見番達が猛反対するだろうし、朝陽は認めても、今の明乃でも必ず反対するだろう事が目に見えていた。


 正室どころか側室でも愛人でも認められない可能性が高かった。


「それに真昼様には凜様もおられます。私がどれだけお慕いしても叶わぬ願いです。ですからお二人はそんなに落ち込まないでください。お二人には十分に可能性があるのですから」

「楓さん……」

「すいません。私は自分のことばかり考えていました」

「いえ! お気になさらないでください! 私も余計な事を言って、お二人に気を遣わせてしまったようで申し訳ありません。ですが、私はもう諦めていますし納得もしています。真昼様のパートナーでいることが出来る事が幸せですから」


 そんな楓の言葉に朱音と渚は黙り込む。それぞれに抱えている物は違えど、似たような苦しみを持つ彼女達はどこか共感を抱いた。


 三人はそのまま、無言のまましばらくの間、湯船に浸かり続けるのだった。


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