第五章 修行編

プロローグ


「くそっ、くそっ、くそっ!」


 夜の街を男は必死で逃げていた。街の中の人気の無い裏路地を転がるように走り抜けていく。


 彼は妖術師だった。しかも国内最強最悪の集団と謳われた罪業衆と呼ばれる組織に所属する一人だった。


 だがその組織はすでに存在しない。組織は一夜にして崩壊した。


「はぁ、はぁ、はぁ……何でこんなことに」


 罪業衆に所属していることから、彼はこれまでもある程度は好き勝手にやってこれた。


 無論、極端に目立つことや自由気ままに行動することは出来なかったが、それでも在野の妖術師に比べれば、羽振りのいい生活をしていた。


 やくざや半グレの用心棒や妖魔を捕まえて、それを物好きな金持ちや海外、あるいは他の妖術師に売り払うなど小遣い稼ぎもしていた。


 しかし現状はどうだろうか。彼は惨めに逃げ回っていた。


「ちくしょう。他の連中とも連絡が取れねえし、スポンサー共もやられたんでなけりゃあ裏切りやがった!!」


 罪業衆に所属していた妖術師は百八人。そのうちの半数以上は本拠地である青木ヶ原樹海で討ち取られている。生き残ったのは本拠地にいなかった人間や地方を拠点とする者達だけである。


 最高幹部クラスの九曜に次ぐ幹部も何名かは生き残っていたが、それらは積極的に六家や星守などの退魔師の襲撃を受けていた。


 今までの六家は自分達のお膝元に罪業衆の拠点があったとしても、大きな事件でも起こらない限りは野放しのままであった。理由は九曜や四罪を含めた罪業衆の組織としての報復を警戒していたからだ。


 だがその九曜や四罪はもういない。組織だっての行動も、ほぼ取れない状態だった。


 残った幹部や妖術師達は地方に分散していたので連携は皆無。逆に六家は自分達の管轄地域ならば余所を気にせずに対応できた。


 彼らも星守にばかり出し抜かれているわけにはいかず、罪業衆の残党とはいえ討伐の功績が欲しかった事に加えて、これまで目障りに思っていたが手を出せずにいた相手を何の気兼ねなく排除できるのだ。


 今回の一件では公的機関であるSCDも関係各省庁と連携し、罪業衆と繋がりがあった大物の排除を行っていた。


 この男が懇意にしていた者もその対象になっており、逆にトカゲの尻尾切りのごとく売られる羽目になった。


「何とかして拠点に戻らねえと」


 この男も妖術師としての能力は低くはない。上級妖魔クラスの力を有しており、一般的な退魔師達から見れば脅威であった。


 このまま何としても逃げ切る。男は誰にも見つからないように、そっと裏路地から出ようとして……。


「見つけたぜ、くそ妖術師」


 背後から男に声がかけられた。驚き、振り返るとそこには十代半ばの少年の姿があった。身長は百七十後半ほど。逆立った短く切りそろえられた短髪。まるで獲物を狙う肉食獣のようなどう猛な笑みと吊り上がった三白眼で男を睨みつける。


「ちっ、追っ手か」

「鬼ごっこはここで終わりだ。おら、抵抗してみろよ。何もねえなら、このままぶっ殺すぞ」


 男は少年が追っ手の退魔師であると察した。


 罪業衆の妖術師の生死は見つけた退魔師に委ねられている。下手に捕らえても危険が伴うため、現場の判断が優先される。しかしこの少年は最初から男を殺す気でこの場に来ているようだ。


「ガキがっ! 舐めるな!」


 男は臨戦態勢を取ると同時に懐から呪符を取り出し妖気を注ぎ込む。妖気に反応するように呪符が光を放ち、何かが呪符の中から這い出てくる。


 それは体長三メートルを超える巨大なオオサンショウウオだった。ハンザキと呼ばれる妖怪。口からは瘴気を吐き出している。


「上級上位の妖魔だ! てめえごとき丸呑みにしてくれる!」


 ハンザキは極端に恐ろしい妖怪というわけでは無い。ただし厄介な妖怪である。それはこの妖怪が高い再生能力を持っている点だろう。半分に切り裂かれても再生する。真っ二つにされて二体になることは無いが、それでもその再生能力は脅威だ。


「はっ、その程度の妖魔かよ」

「粋がるな! こいつはただのハンザキじゃねえ! 通常よりも高い再生能力と刀剣類の攻撃を通さない粘液を体表に纏っている! 霊術もこれで半減させられる!」


 ヌメヌメとした粘液は刀剣類を滑らせ、さらに弱点の霊術も半減させる。よしんばダメージを与えても即座に再生する。


 ―――ヌボボボボボボッッッッ!!!―――


 鈍重な見た目とは裏腹に、その動きは中々に早い。少年に向かい、ハンザキは突進する。あまり広くない裏路地だ。横に回避するなども難しい。


 しかし少年は動じることはない。それどころか動く必要がないとばかりに笑みを浮かべたまま、右腕を振るった。放たれるは雷の力。眩い光が周囲を染め上げると雷は、まるで無数の刃のごとく地面を切り裂きハンザキに殺到した。


 ―――ヌボボォォッッッ!!??―――


「はっ! 良い声で鳴くじゃねえか! けどな、とっととくたばれ!」


 少年が右腕を頭上に掲げると、雷が帯電していく。そして雷が肘近くまで覆う金属製の手甲の様な物へと変化した。五指は鋭く長い嘴のような爪であった。


「なっ、それはまさか霊器!?」

「その通りだぜ、おっさん! 冥土の土産にしな! この俺の霊器・雷爪牙(らいそうが)であの世に送ってやるよ!」


 少年が右腕を振るうと、再び雷の刃が放たれる。雷はハンザキを切り裂き、その身体を焼き焦がしていく。


「ば、馬鹿な!? 俺のハンザキがこうも簡単に!?」


 霊術を減衰させる粘液もろとも切り裂かれた上に、帯電しているからか再生もおぼつかない。ハンザキはすでに二発の攻撃で虫の息だった。


「上級の上位ってもこの程度かよ。はっ、興ざめも良いところだ。とっとと死ねよ」


 空間が爆発したかのように右腕から雷が放たれるとハンザキもろとも男を呑み込む。ハンザキは消滅し、男は黒焦げになり絶命した。


 ドサリと倒れる男に興味を失った少年は、ちっと舌打ちする。


「罪業衆の妖術師って事でもっと愉しめると思ったのによ。これじゃ期待外れも良いところだ」


 霊器を消し、少年は不完全燃焼も良いところだとぼやいた。


「彰(あきら)! お前、何勝手に一人で終わらせてんだよ!?」


 と、路地裏の入り口から大きな声が少年にかけられた。そこには十代後半くらいの巨漢の男がいた。


 短く切られた短髪に白いバンダナを額に巻いた丸顔。手足は太く、お腹は出ており、身長は百七十半ばも無いのに、体重は百キロを超えていそうである。


 その後ろには黒いスーツ姿の男性が数人控えていた。


「ああっ? てめえらが遅いからだろうが、うすのろ」

「んだとぉっ!? お前、それが雷坂の当主の息子の俺に言う台詞か!?」

「はっ! 俺より弱え奴が粋がんなよ。それと生憎だが次の当主の座は俺がもらうぜ。霊器も顕現できない光太郎さんよぉ」

「お前!?」


 彰と呼ばれた少年は年上の光太郎と呼ばれた少年に対して、歯に衣着せぬ物言いを行う。


 雷坂彰(らいさか あきら)と雷坂光太郎(らいさか こうたろう)。彼らは退魔六家の一角である雷坂家の宗家の人間であり、従兄弟同士の関係であった。


 しかしその仲はあまりよろしくないどころか、険悪その物だった。


「お前こそ、霊器を顕現出来たからって調子に乗ってんじゃねえ! 俺だってすぐに霊器を手に入れてやる!」

「そういう台詞は手に入れてから言いやがれ。まっ、せいぜい頑張れや」


 相手を見下す彰と顔を真っ赤にして怒る光太郎。歳は光太郎が上なのに、身長は彰の方が高いため、見下されていると光太郎は感じており、事実彰もそれを隠そうともしなかった。


「二人ともやめてください。俺達の仕事はこの地域の罪業衆の残党の捕縛か討伐です。身内で争うことではありません」


 そんな二人を見かねて止めに入る少年がいた。年の頃は二人と変わらない十代半ばから後半の間。少しくせっけのある黒髪の細い顔立ちの中肉中背。彼は雷坂仁(らいさか じん)。二人と同じく雷坂の宗家の人間であった。


「仁か。ちっ、お前の顔に免じてこの場は引いてやる」

「お前、待てこらぁっ! 今日という今日は許さねえ!」

「待ってください! 光太郎さん! すいません! 彰さんには俺の方から言っておきますから、お怒りを鎮めてください」


 何とか宥める仁に光太郎も、ちっと舌打ちする。


「次は無いぞ。おい、お前ら、他の残党を狩るぞ。こいつに構ってる暇はねえ!」


 そう言うと部下達をまとめ、早々にこの場を後にする。去り際に彰に向かい、憤怒の形相を向けていたが。


「はっ、雑魚とその金魚のフンが」

「彰さん。貴方も自重してください。確かに貴方は強いかも知れませんが、それだけで六家の当主にはなれませんよ」


 窘めるように言う仁に彰はどう猛な笑みを浮かべている。


「だったら、実力で分からせてやるだけの話だ。当主ってのは一番強い奴がなるべきだ」

「今の時代、強さだけじゃダメですよ。政治とかも出来ないと」

「んなもん、出来る奴にやらせりゃ良いんだよ。適材適所。お前がそれを担えば良い。それともお前はあのうすのろが当主になる方がいいのか?」


 仁は彰の言葉に押し黙った。


「……俺から言うことではありません」

「はっ! これだから良い子ちゃんはよ! まあいい。今日はもう終いだ。思った以上に歯ごたえがなさ過ぎて拍子抜けだったからよお」

「……わかりました。俺は光太郎さんのフォローに回ります」


 頭を下げ、仁もその場を後にする。そんな彼を見送った後、彰は空を見上げた。


「ああ、もっと強い奴とやりあいてぇなぁ。例えば星守真昼とかなぁ」


 くくくと彰は以前六家の会合で見た真昼の姿を思い出す。仁に似た、良いとこのお坊ちゃんという印象でしか無かったが、感じられる霊力は確かに高かった。それに星守の歴史でも前代未聞の二体の守護霊獣と契約を結び、さらに二つの霊器を顕現させた若手最強の術者。


「やり合えたら楽しいだろうな。それで俺はさらに強くなる。そして俺は最強の名を手に入れる」


 右手を伸ばし、空に浮かぶ星を握りつぶすような仕草をする彰。


 彼の瞳には野望の光が宿るのだった。



 ◆◆◆



 星守一族の本邸では毎日のように一族や門下生が修練に明け暮れていた。


 彼らは罪業衆の残党狩りには積極的には関与していない。地域が近い火野だけでなく、六家に華を持たせるために、積極的に動こうとしなかった。


 勿論SCDからの要請には応じていたが、大きな動きをしていなかった。


 そんな中、当主である朝陽達が何をしていたかというと、端的に言えば修行である。


「はっ!」

「何の!」


 本邸の中でも特に大きな修練場で朝陽は息子の真昼と修行に明け暮れていた。


 お互いに霊器を顕現させての修練だ。霊力のぶつかり合いは凄まじく、結界を張っていなければ周囲にかなりの被害が広がっていることだろう。


 ここにはギャラリーはいない。危険と言うこともあるが、周囲を気にせずに鍛錬したいと言うことで二人以外にはいない。真昼のパートナーの楓も今は自主鍛錬でここにはいない。


「随分と霊器の扱いに慣れてきたようだね、真昼」

「はぁ、はぁ、はぁ……。はい、ようやくですけどね」


 刀と剣という全く異なる武器を扱うので、感覚がとにかくズレてしまう。扱い方も違うので、最初は戸惑ってしまった。しかし今では十全とは言えないものの、上位者相手でも十分立ち回れるようにはなってきた。


 朝陽と真昼はここ最近はずっと二人で鍛錬を続けている。朝陽は当主としての仕事があるため、常日頃とは言えないが、それでもできる限りの時間を取っている。


「しかしまだ霊器に振り回されている。増幅も甘いし、霊力も無駄に垂れ流しているようだ。あと収束が剣と刀でまちまちな所が問題かな」

「そうですね。霊術を使う時もどうしても無駄が出てます。圧縮も弱いですし、これじゃあただの力押しだ」


 真昼も今の自分がまだ未熟だと痛感し、あの古墳の一件以来、朝陽と本気の鍛錬を行っている。以前は自分の力を忌避していたが、今はこの力を早く自分のものにしようと躍起だ。


 弟の真夜から譲渡と言うよりも奪った力。許してはもらえたが、それでも何も思わないわけでは無い。だが前を向いていけるのは真夜に負けたくないという想いと真夜の助けになれるようにとの想いからだ。


 先日の罪業衆の一件では足手まといのため、現場に付いていくことが出来なかった。


 だから一刻も早く強くなりたかった。


「真昼。焦らないことだ。強くなりたいと言う気持ちはわかるが、すぐに真夜の領域にたどり着くのは無理だ。真夜は四年異世界で過ごしたと言ったが、逆に言えばあの領域に行くには四年の際月が必要だったということだ」


 最初のスタート時点が違うのだが、それでも真夜は師や戦いに恵まれたとは言え、ほぼ戦いの日々を過ごしてなお四年の月日が必要だった。真昼の才をもってしても、一ヶ月や二ヶ月で届く領域では無い。


「それはそうなんですけど……それでもやっぱり悔しいかな」


 真昼も理解してはいても、早く強くなりたいと思ってしまう。


「朝陽の言うとおりだ。焦ったところで、逆に身体を壊すだけだ」

「朝陽さんも真昼ちゃんもお疲れ様です。飲み物でも飲んで休憩してください」


 二人が鍛錬していた所へ、今度は先代当主の明乃と朝陽の妻であり真昼の母である結衣がやって来た。何食わぬ顔で入ってきたのは、ここの結界は元々明乃が展開していたもののため、彼女ならば出入り自由だからである。


「ありがとう、結衣。母様もお疲れ様です。次は母様が相手ですか?」

「ああ。お前が問題ないのならな。少しの休憩の後に、私が相手になろう」


 ここ最近、明乃も積極的に鍛錬に参加するようになった。彼女も先日の一件で思うところがあったようで、その腕を磨き直している。


「お祖母様、次は僕とお願いします」


 真昼も朝陽とだけで無く、明乃とも手合わせをするようになっていた。明乃の戦い方は参考になる事が多い。刀剣の扱いではないが、術の運用や使うタイミング、発動の速度などは朝陽もまだ及ばないらしく、二人にとっても勉強になる。


「わかった。だが容赦も手加減もしないぞ。私自身の鍛錬でもあるからな」

「望むところです」


 明乃の言葉に真昼も異存は無いと闘志を新たにする。


「ふふ。みんなやる気満々ですね。これも真夜ちゃんのおかげですね」

「おかげというよりは奴を調子に乗らせないためだ。奴が道を間違えた時は力尽くで止める必要があるからな」

「もう、お義母様は。そんな事、欠片も思ってないでしょうに」

「……ふん」


 結衣の指摘に明乃はそっぽを向く。真夜を信用していないというよりは、明乃も頼れる祖母でありたいと思っている節があるのを結衣は気づいていた。政治力などでは頼りになるが、退魔師として真夜に頼りにならないと思われるのが嫌なようだ。


「はは、これは私も負けてられないな」


 最強と言われた朝陽が更に強くなっている。真昼もその実力を急激に伸ばしているし、明乃も術のキレに磨きがかかって円熟の度合いを増している。だが、結衣はそんな事よりも家族の仲が修復され、より深まった事が喜ばしかった。


(ここに真夜ちゃんもいれば最高なんですけど)


 そこだけが結衣の不満であったが、それは今後の楽しみにしておく。いつか、また家族が揃う日を。


(でも家族が揃うだけじゃ無くて増えるのも楽しみなんですけどね)


 むふふふと内心で未来図を想像して結衣は楽しそうに妄想する。真夜が朱音か渚、それとも両方を連れて星守に帰ってくる未来を想像するだけで嬉しい気持ちになる。


「それと朝陽、例の件はどうなった?」

「問題ありません。手配は完了しましたし、真ちゃんの方にも連絡していますし、紅也の了承も得ました。京極の方も何とかなりそうです」

「あっ、その件ですか。私と朝陽さんが参加できないのは辛いですが、仕方が無いですね。真昼ちゃん、頑張ってきてくださいね」

「うん、母さん。僕も凄く楽しみなんだ。真夜と手合わせ出来るのが」

「私達がいない間の委細はお前達に任せる。こちらも上手くやる」

「はい。任せてください、お義母様。お義母様も皆のことを宜しくお願いします」

「ああ。では真昼。今度の長期休み、私とお前、そして真夜達で強化合宿を行うぞ」


 真昼は明乃の言葉に力強く頷くのだった。

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