第十八話 真夜と明乃



 罪業衆の壊滅からしばらく過ぎたとある夜。真夜は、彼の下宿先の自宅からそれなりに近い高級料亭の個室で明乃と向き合っていた。


 この件に関する事後処理や六家の会合などで、中々話し合いの時間が取れなかったがようやくの対話となった。


 後のことは真夜はすべて明乃や朝陽に丸投げである。あの二人ならば悪いようにはならないという判断であるし、策略や政治方面は明乃や朝陽の方が得意であろう。


 真夜とてこの方面がまるっきりできないわけでは無いが、年期やコネクションの差などでどう足掻いても太刀打ちできない。


 ついでに言えば今までの意趣返しの意味も込めて、面倒事は全部気兼ねなく明乃に押しつけてやった。


 目の前に用意された料理を真夜は遠慮無く口に運ぶ。高級料亭だけあってどれもこれも美味である。


 この場は秘密の会話が出来るように結界も張られている。


 明乃は朝陽や結衣、真昼や楓と共に罪業衆壊滅後、星守の本邸に戻っていた。その後、会合などに出席するなど多忙であったが、明乃だけある程度事後処理が落ち着いたタイミングで、一人真夜の元へやって来た。


 朝陽も結衣も真夜と明乃の二人だけを会わせる事を心配しなかったわけでは無いが、二人を信じて二人だけの話し合いの場を作った。


 しかし渚や朱音も別室でこの料理を振る舞われている。何でも先日の一件のお礼もかねて、星守として場を設けたようだ。万が一の場合は、二人に介入してもらおうと朝陽達が考えたのかは定かでは無い。


「……腕の方はどうだ?」

「ん? ああ、もうほぼ完治したぞ。流石に降魔天墜は撃てないが、通常戦闘には何の支障もないほどには回復した」


 食べながら真夜は明乃の言葉にそう返した。どこまでも平然とした真夜の態度に明乃の方が緊張していた。


「そうか。……だがあまり無理はするな」


 自然とそんな言葉が口から出るが、何を今更と自分自身で思う。これまでの自分の真夜への態度や言動を鑑みれば、落ちこぼれの孫が優秀になった途端、掌を返した軽薄な言葉ではないかと。


 真夜もおそらくそう思っているだろうと明乃は考えた。


「まあそうさせてもらうさ。しばらくは俺の出番も無いだろうからな。親父からの連絡待ちだが、俺が全力を出さないといけないような相手もすぐには出ないだろ」

「今のお前が全力を出さねばならない相手など、いるかどうかすらも疑問だ。国内最大級の罪業衆が潰えた今、懸念すべき敵など、それこそ厳重に封じられている妖魔ぐらいしか思い浮かばん」

「どうかな。六道幻那みたいな奴もいたんだ。案外、知らないだけで隠れた実力者がいるかもしれねえぞ」


 たわいない世間話のように話す真夜と明乃。星守にいた十五年でこのように二人が話をしたことが今まであっただろうか。


「……割と不思議な感覚だな。俺が婆さんと食事しながら普通に話をしているなんてな」

「……そうだな」


 明乃自身も自覚はあった。星守で皆が食事を摂る際は、会話はあったものの真夜が明乃と気軽に話をするなどあり得なかった。


 真夜自身、祖母を毛嫌いし、苦手意識を持っていた。その場には朝陽や結衣、真昼もいたが、当時の真夜からすれば明乃や真昼と同じ空間で食事をするなど苦痛でしかなかった。


 特に守護霊獣の契約と召喚に失敗して以降など、明乃の視線や言動、真夜の真昼への敵愾心などで愉快な食卓ではなかった。


「……お前は私が憎くないのか?」

「憎いかどうかって言えば憎くはないぞ。俺自身、強くなったのもあるが、色々と異世界で吹っ切れた。婆さんのやり方や言動は思うところはあるが、間違っちゃいなかったからな」


 弱ければ何も守れない。それだけではない。自分のせいで大勢を危険にさらすことになる。異世界で実際に経験することで理解した。


「とは言え、それはそれ、これはこれで、俺を誰かと重ねてたのは正直言えば腹が立つ。で、婆さんは俺と誰を重ね合わせていたんだ?」


 嘘は許さないと言う視線を真夜は明乃に向けると、ここまで来て隠し立てもしないと、彼女は正直に真夜に話した。


「私の幼馴染みだ。星守晴太。それがそいつの名前だ。弱いくせにいつも私に張り合って、強くなると息巻いて、私よりも強くなって当主になるんだと言っていた」


 手に持った日本酒の入った器を眺めながら、明乃は過去を思い返しているようだった。


「誰よりも努力していた。誰よりも必死になって強くなろうとしていた。昔のお前のようにな。だが晴太は死んだ。他家の騒動に巻き込まれる形で、自分よりも強い相手と戦って……」


 ぐっと器の酒を一気に飲み干す。酒の力でも借りなければ、上手く語れないとでも思ったのだろう。


「愚かな話だ。私は無意識にお前と晴太を重ねていた。言い訳にしかならないし、何を今更と思うかも知れないが、私はお前に晴太のように死んで欲しくは無かった。だが同時に晴太が果たせなかった事をお前に期待していた」


 だからこそ、明乃は矛盾した行動を取っていた。思い返してみれば何と滑稽で愚かで救いようのない事か。


「だが期待していると言いつつ、私は朝陽や結衣の様にお前を手助けしようとはしなかった。また死んで欲しくないと思うなら、お前を星守から遠ざけるべきだった。そのための退魔師とは無縁の世界で生きられるような道も用意する事もしなかった。結局どっちつかずの中途半端な考えで、お前に八つ当たりしていただけに過ぎなかったんだ」


 それはまるで懺悔するかのようであった。このような祖母の姿を真夜は今まで一度として見たことは無かった。


 真夜の記憶にある明乃は、常に張り詰めた空気を纏った恐ろしい相手だった。自分にも他人にも厳しい人間。一族の先代当主として弱音も弱みも見せることの無い人物だった。


(ったく。兄貴の時もそうだったが、調子が狂うよな)


 飲み物を口に運びつつ、どうしたものかと考える。


 真昼と同様に明乃に対する恨みはすでに無い。思うところが無いわけでは無いが、ガキのように癇癪を起こす気も無い。それは異世界で済ませてきた。


 それに何となく気恥ずかしいと言うか、祖母の前でそんな醜態を見せたいとは思わなかった。


 嫌みの一つや二つは言ってやっても良いかとも考えたが、どうにもしっくりこなかった。


「お前にとって甚だ迷惑と言うよりも酷く腹立たしい話だろう」

「そうだな。割と腹立つ話だな」


 真夜の言葉にそれも仕方が無いと明乃は思った。真夜も腹立たしいのには間違いない。


 もう真夜はかつての落ちこぼれと呼ばれた少年では無い。朝陽を超える星守でも歴代の使い手になっただろう。その能力の希少性と応用力を考えれば歴代でもトップと言えるだろう。


(もう真夜はどのような道にでも好きに生きられる。朝陽の言う通りだ。真夜は退魔師としても大成した)


 異世界召喚というあり得ない事態によるものではあったが、真夜は退魔師としても活動できるだけの力を得た。他家に行くのも、新たな新興勢力を立ち上げることも不可能では無いだろう。


(真夜に何かを言う資格も権利も私には無い。寧ろ、この場で絶縁を突きつけられても可笑しくは無いだろう)


 朝陽や結衣、真昼がいるので星守と完全に縁を切ることは無いだろうが、もう二度と顔を見せるなと言われるくらいの覚悟はしていた。


 明乃は一言、すまなかったと真夜に謝罪すべきだと思うと同時に、それは所詮は自己満足であり、真夜をより腹立たせることになるだろうと考えた。


 間違っていたから謝罪するのは正しいことだろう。だが明乃が謝罪してもただ彼女自身が許しを請うているとしか思えないだろうし、口先だけの事だと捉えられるだろう。


 それでも、真夜にどう思われようともケジメは付けなければならない。


「真夜、すまな……」

「待った、婆さん。謝罪はいらねえよ」


 しかしそんな明乃の行動を真夜は制止させた。


「婆さんが本気で俺に対して悪かったと思ってるのは何となく分かる。けどな、俺は別に婆さんに謝って欲しいわけじゃ無い」


 真夜は本気で嫌そうな顔をしていた。


「俺は知りたかっただけだ。その理由も分かった。八つ当たりもされてムカつくが、まあそれもいいさ。終わったことをいちいちぐちぐち言うつもりもない。逆に謝られる方が腹立つ」


 だからこう言っておく。兄とは違う対応。兄の場合はケジメの意味もあって一発殴ってすっきり出来たが、まさか祖母を殴り飛ばすわけにもいかない。


 なら以前自分がされたように言葉で明乃を攻撃するか? 同じ事をしてどうする。


「水に流すってのも違う気がする。わかりました、じゃあ許しますってのもしっくりこない。婆さんもそれじゃ納得しないだろ?」


 確かにそうだ。今まで真夜に対して行ってきたすべての態度や言動をただ一言許すと言われても自分自身が納得しない。真夜も同じだ。すまなかったの一言で終わらせるのも納得できない。


「……お前の言うとおりだ。ならばお前はどうする?」

「でかい貸しにしといてやる」


 ニッと真夜は悪ガキの様な笑みを浮かべると明乃にそう宣言した。


「俺が困った時に無条件で手を貸してもらう。それで手を打ってやる。婆さんは親父以上にコネとかもあるだろ。俺じゃあどうしようもなく、親父や母さんに頼みにくい面倒で厄介な案件を解決してもらう」


 色々と星守にいた頃から朝陽と結衣には迷惑をかけている。今後、面倒な案件が出てこないとも限らない。


 武力での解決ならば真夜でどうにかなるが、それ以外だとまだ高校生の子供に過ぎない少年では対応できない事の方が多いだろう。


「親父や母さんにはこれ以上迷惑をかけたくない。だから気兼ねなく迷惑をかけられる相手が欲しかったんだよな」


 真夜の言葉に明乃はぽかんと珍しい表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。


「……ふん。随分と大きく出たな、真夜」

「別にいいだろ? それに俺は星守の危機も救ってるんだ。古墳の一件と罪業衆の件でも婆さんには俺から大きな借りがあるんだ。このくらいは許容範囲だろ?」


 真夜の言うとおり、今回の罪業衆の件は明乃自身真夜に助けられたし、下手をすれば星守が滅亡していた可能性が高い。古墳の件でも真夜が動かなければ真昼を含め参加者全員が死ぬか妖魔となり、大きな被害をもたらしたあげく星守と火野の権威は失墜し、火野との関係も悪化していただろう。


 前回の件は朝陽から報酬が出ているが、それも秘密裏にであり、明乃は真夜に何の報酬も払っていない。


「……お前の言うとおりだ。私個人としてもお前には多大な借りがある。良いだろう。お前の要求を呑もう」


 確かにただ許されるよりもよほど良い。ある意味罪滅ぼしも出来る。もしかすれば真夜なりに気を遣っているのかも知れない。もっとも言葉通り、面倒事を気軽に押しつける相手を欲していただけかも知れないが。


「だからせいぜい長生きして俺の迷惑を解決してくれよ、婆さん」


 憎たらしく笑う真夜がとても子供っぽく見えた。精神年齢では十九歳と言っていたが、今の真夜からは年相応か、それよりも子供っぽく感じられた。


 朝陽や結衣に負担をかけたくないが、明乃になら気兼ねなく迷惑や負担をかけても良いと本気で思っている顔だ。


「まったく憎たらしく可愛げの無い孫だ」

「可愛げのある孫は兄貴が担当してくれるだろうよ。俺は可愛げの無い孫で十分だ」


 呆れたような顔をする明乃だが、真夜も昔から言われていることの意趣返しの意味も込めて言い返す。


 明乃も真夜との関係はこれがちょうど良いかもしれない。


「それと会合での話し合い、事前にお前に説明したとおり、あの堕天使を謎の覇級妖魔とすることで周囲に危機感を持たせることに成功した。あとはこれで謎の存在や罪業衆の残党も含めて六家も真面目に対応するだろう」


「了解。これで暗躍してる奴がいれば動きにくくなるだろうな」

「加えてお前が実力を明かす際にも利用できる」

「星守の落ちこぼれが覇級妖魔と契約ね」


 真夜は明乃や朝陽が提示した案に苦笑いをしている。


「そうだ。公式にはお前は星守の秘術の習得、つまり守護霊獣との召喚と契約に失敗したままだ。逆に言えばお前にはまだ守護霊獣と契約できる余地が残っている。実際、お前は異世界であの堕天使と契約を結んでいる。星守の秘術は力量が離れていても、それこそ覇級妖魔と言えども契約できる可能性がある。これを周囲に認識させておけば、言い訳もしやすくなる」


 明乃や朝陽は真夜の契約した堕天使をどう扱うかを考えていた。


 普通に考えれば、異世界で堕天使と契約したなどと説明したところで信じられるはずも無い。またいきなり覇級妖魔クラスの堕天使を従えたと言ったところで、いつそんな存在を召喚したのだと疑問視される。


 だが予め、そのような妖魔がいると認知させておけばどうだろうか。


 真夜の実力を明かした後、星守が報告にあげた覇級妖魔を発見し、交戦。その際に真夜が契約に成功したとすればまだ違和感は少なくなるだろう。


「けどそうなると俺が罪業衆を襲った黒幕だと疑われるんじゃ無いか?」

「そこは私と朝陽がどうとでもしてやる。時系列さえ失敗しなければ、周囲には疑われる可能性は低い。疑われたとしても、お前に害が及ばないようにする」


 もし指摘を受けたとしても明乃とは不仲とは言え、朝陽との関係は良好だった真夜の実力を隠す意味は無い。


 大々的に喧伝し、罪業衆壊滅の手柄を星守だけの物としていたと言えば他家もあまり多くは言ってこないだろう。


 ただでさえ星守は発言力を高めているのだ。それに火野、氷室も協力的だ。あともう一つでも六家のどこかが星守側についてくれれば、政治的にも京極や雷坂を抑え込めるのだが。


「あんまり一強は好ましくないと思うけどな」

「そこも心配するな。私も朝陽も星守だけが飛び抜けることは懸念している」


 下手をすれば京極と雷坂がさらに頑なになる可能性があるため、二人もその辺りの舵取りに気を遣っている。どこの一族にも面倒な人間はいるのだ。


「お前は自分の事だけを考えていろ。面倒事は私と朝陽が処理してやる」


 ふんと鼻を鳴らす明乃に真夜はじゃあ頼むと返して改めて食事に戻る。


 そのまま食べ進めいてた真夜だが、ふと明乃の手元に目をやると食事を止め、箸を置き祖母の前に置かれていた日本酒の入った徳利を手に取って、心持ち傾けて明乃の方に差し出した。


「……お前に酌をされる日が来るとはな」

「これでも異世界では酒飲みの年上に注いだ経験があるんでね」


 まさかお前は飲酒していないだろうなと問い返すとさあどうだろうなと笑って返す。だが異世界の事ゆえに明乃はそれ以上は追及しなかった。


「こちらでは二十歳までは飲酒をするなよ」

「心配しなくてもする気はねえよ」

 

 この後も明乃と何気ない会話を続けるのだった。


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