第八話 九曜壊滅

 


 妖魔の力をその身に宿した妖術師の占部一と阿久津陣の能力は飛躍的に高まっている。


 霊器持ちでも易々とはいかない程の力を有する二人だが、彼らが相手をしなければならない真夜の前には、その力を持ってしても太刀打ちできなかった。


 圧倒的とも言えるほどの霊力の高まりと共に躊躇も容赦も無い一撃が二人を襲う。


「うわぁぁぁぁっ!?」


 迫り来る真夜の拳が一には酷くスローに見えた。だがそれは意識が加速し、死を前にした走馬燈のような時間が引き延ばされた感覚故のものだった。


 回避は間に合わない。全力の防御を試みる。しかし防げる気がしない。六本の腕を身体の前に展開し、差し込むことで腕を犠牲にしてでも身体を守ろうと画策した。


 外見が小学生の一に対して、真夜は関係ないとばかりに拳をその身体に叩き込んだ。


 甲殻系の硬い外皮の防御力は、完全に防御に徹すれば一流と言われた退魔師の攻撃や六家の上位者、あるいは霊器持ちの一撃すら防ぎきることが可能だが、今振るわれようとしている拳はそれを遥かに凌駕している。防げるのならハサミのようなその腕をすべて犠牲にしても構わない。


 しかし、ガードした腕はすべていとも簡単に粉砕され、その勢いをほとんど殺せないまま直接拳を身体に叩き込まれる結果になった。


 身体が四散し、もはや再生さえもできないだろう。


 霊符による全身の強化と右手へもさらに一枚、霊符を付与することでさらに威力を底上げした一撃の前に、一は他の九曜同様、一撃の下に倒されることになる。


「てめぇっ!?」


 一が一撃で倒されたことに動揺を隠せない陣だったが、真夜と目線が合ったことで、その底知れぬ強さを完全に感じ取ることができた。


 身体が震える。蛇に睨まれた蛙のように、陣は自分が喰われる獲物であると理解させられてしまった。


 だがそれを受け入れる事など到底できるはずもない。


「うおぉぉぉぉぉっ!!」


 妖気を高め、右腕に収束する。腕がさらに膨れあがり、丸太のように太くなる。狒々の豪腕をさらに強化した一撃は霊器持ちの上位者の最大の一撃にも比肩する威力を誇るだろう。


 受け止める、あるいは防御するなど不可能な一撃であろうが真夜にとってはその限りでは無い。


 霊力がさらに高まると真夜の右腕が膨大な霊力の高まりに輝き出す。


(な、何なんだよ、こいつは!? この霊力、化け物かよ!?)


 感じたこともない程の霊力に戦慄する陣だが、もはややけくその破れかぶれで腕を振り下ろす。


 真夜の右手と陣の右腕が激突する。


 刹那の拮抗。だが威力は真夜の方が上だった。陣の腕が粉砕され、そのまま真夜の拳が陣の頭部に向かい振り抜かれた。


(ふざけんな。こんなガキに俺がぁっ!?)


 迫り来る真夜の拳の前に何も――己の敗北と死を受け入れることすらも――できぬまま陣はその生を終わらせるのだった。



 ◆◆◆


(なんだ、これは……。あれは本当に真夜なのか?)


 明乃は目の前で起こっている光景を半ば呆然と眺めていた。突然、真夜の身体から溢れ出した霊力。それは自分どころか息子であり最強の退魔師と謳われる朝陽を上回るほどの霊力量だった。


 さらに一流の退魔師とも互角以上に戦えるだけの力を持った九曜の二人が、僅かな時間にほぼ何の抵抗もできないままに討たれた。


 隣にいる結衣も明乃と同じように信じられないというような目を真夜に向けている。


(あり得ない。真夜の霊力がこれほど強いなど。それに今の真夜の纏う気配は経験を重ねた熟練の退魔師が持つものだ)


 真夜がただ強い事だけに驚愕しているわけではない。その姿に目を疑った。体術のみだが、その動きは洗練されており、また自分の強さや力に酔うのではなく、相手を侮ることも無く淡々と敵を粉砕している。


 また明乃達が驚いているのは真夜だけでは無い。


「お義母様、私は夢でも見ているんでしょうか? 真夜ちゃんが私が苦戦した相手をあっさり倒しました。それにあっちには、もの凄い力を持った堕天使みたいな存在もいるんですけど」

「……いや、夢では無い。現実逃避はやめろ。私も同じものが見えている」


 真夜が九曜の二人を討伐(殺害)したことについては、二人はそれほど大きな衝撃は無い。確かに一般人が見れば人殺しと言われるかも知れないが、六家や星守などの有力な一族や国家に登録されている退魔師には、妖術師に対しての超法的措置が存在する。


 罪業衆や政府機関が認定した妖術師に関しては、一般人のテロリストに比べても圧倒的に危険な存在と認識され、生殺与奪権は退魔師側にあるとされている。


 無論、生け捕りできるのならばそれに越したことは無いが、罪業衆の幹部に関してはあまりにも危険なため抹殺も止む無しと定められている。


 かつて高位の妖術師が捕縛・逮捕されたことも幾度かあったが、その結果、大勢の人間を巻き込み自爆した、あるいは隙をついて逃げだし、その際に甚大な被害を警察関係者に与えた事件が幾度か起こった。


 そのため警察各所や政府としては、そんな危険な存在を無力化できないのならば抹殺してくれた方がいいと判断し、そのように定めているのだ。


 結衣としても十五才の真夜が何の躊躇も無く、妖術師とは言え人間を殺す事に思うところが無いわけではないが、それでも受け入れている部分がある。


 彼女も退魔師として生きる人間だ。それに相手は罪業衆の九曜。こちらを殺そうとしてきている相手を殺すななどと言うつもりはない。


 明乃にしても真夜の精神性に驚きを隠せないでいた。真夜は別に相手を殺すことを楽しんではいない。だが別段苦悩しているようにも見えない。ただ必要だからと割り切っているように感じられた。


(一体、真夜に何が起こった? あれが本当にあの真夜なのか?)


 疑念が尽きない。訳が分からないと言うのはこの事だろうと明乃は思った。だが彼女が注視しなければならないことは真夜だけでは無い。


「向こうも圧倒的だな」


 突如として乱入してきた堕天使もまた、警戒しなければならない相手だった。


「Aaaaaaaaaaaa!!!!」


 ルフの声が周囲に響き渡ると、彼女は明乃が散々苦戦した牛頭と馬頭を相手に、一切歯牙にもかけない程の強さを見せていた。


 右腕と左腕に霊力が収束すると、黒紫色の霊力が刃のごとく伸びていく。どれだけの霊力が込められているのだろうか。真夜の霊力の収束すら上回るのではないかと思ってしまう。


 漆黒の三対の翼がはためくと、ルフは牛頭と馬頭に襲いかかる。


 ――モォォォォォォォォォォ――

 ――ヒヒィィィィィィィィン――


 迎撃のため迎え撃つ牛頭と馬頭はそれぞれに風と雷を身に纏い、そのままルフへと特攻していく。


 交差する三者だが、激突の結果はすぐに判明することになる。


 三者の位置が逆転し、お互いに背を向けた状態であったが、牛頭と馬頭の胴体が傾くとそのままゴトリと地面へと上半身が落ちた。ルフの攻撃に二体は胴体の真ん中から上と下に切り裂かれたのだ。


 対してルフは一切のダメージを受けていない。その身体に纏う膨大な霊力と真夜の霊符が彼女の身体を完璧に防御したのだ。


 二体の妖魔はそのまま砂のように身体が崩れ落ち、最期には光の粒子になって消滅していく。見れば先ほどルフが最初に仕留めた狛犬も同じように消えて無くなっていた。


「私が苦戦し、勝てないのではと思った妖魔二体を難なく葬り去るか」


 明乃の額には一筋の汗が流れる。目の前の堕天使が何者かは分からない。明乃達への敵意が無いことから敵ではないとは思うが、もし戦いになれば自分も結衣も何もできないまま即座に敗北するだろう。


(それは真夜に対してもだ。あまりにも強すぎる。一体、真夜に何があった)


 明乃は目の前で繰り広げられる信じられない光景に驚愕しながらも、先ほどより落ち着いて状況を把握できるようになった。だからこそ自分や結衣とは逆に落ち着いてこの状況を見ている朱音と渚に気づくことができた。


 二人は真夜の強さやあの堕天使を見ても別段驚きもない。どこまでも冷静に状況を見ている。


 自分や結衣が動揺していたのに、年若い二人が一切の動揺を見せないのはあり得ない。


 とすれば二人は知っていたと考えるのが自然だ。


(この二人だけではない。朝陽は知っているのか、真夜のことを?)


 先日、朝陽は真夜に会っている。そして嬉しそうな顔をしていた。さらにここ最近の鍛錬の入れ込み様。無関係と考えることはできなかった。それは朝陽の母親としての勘もあった。


(問い詰めなければならないな。朝陽にも、そして真夜にも……だがその前に)


 明乃は自分達以上に狼狽している導摩と闇子へと視線を向ける。九曜二人があっさりと倒されただけではなく、切り札であり自慢の使い魔を一蹴されたのだ。当然と言えば当然だろう。


(……形勢は逆転した。ならば後すべきことは)


 明乃はぐっと拳を握りしめると静かに霊力を研ぎ澄ますのだった。



 ◆◆◆



「ば、馬鹿な。こんなことが!?」

「何なのよ、あれは!? 聞いてないわよ!?」


 導摩と闇子は混乱の最中にあった。先ほどまで明乃達に対して優位に立っていたのにも関わらず、新たな乱入者の前に一転して窮地に陥った。


 二人の目の前には特級妖魔三体を無傷で倒した化け物と九曜二人を瞬殺した少年がいるのだ。さらに星守明乃も健在である。


(マズいわ。いいえ、マズいどころの話じゃ無いわよ! わたくしの使い魔を倒したあの堕天使みたいな奴はどう低く見繕っても超級の上位クラス! そんな相手、四罪様やその使役獣である鵺でもなければどうにもできない!)


 闇子だけではない。導摩もまた目の前の相手が尋常ならざる者であると理解している。


(何とかこの場を切り抜けなければ。だがどうやって。いや、こいつを利用して)


 導摩は闇子を囮にして逃げられないかと思案する。だが逃げるにしてもどうやって逃げるか。転移の術はあまりの高等技術のため、習得が極端に難しく長距離になればなるほど求められる能力も段違いに高くなる。


 九曜でこの術を習得している者は才蔵だけであった。


(そもそも他の連中は何をしている!? 才蔵が来ればまだ可能性が!)


 残りの九曜が合流すればまだ可能性がある。一縷の望みに賭ける二人は何とか時間稼ぎをと考える。それぞれに真夜とルフへと警戒を強める。


 しかし彼らはもう一人警戒すべき相手に意識を向けることを疎かにしてしまった。


 強大な力を持つ二人に対処するために思考をまとめ、対応を練っていた二人の身体にスッと何かが突き刺さった。


「あっ……」

「がぁっ……」


 見ればそれは短刀だった。飛来した方を見れば、明乃が二人に対して短刀を投擲していた。短刀は導摩と闇子の心臓に深々と突き刺さっていた。


「私の存在を失念していたな」


 明乃はそう言うと立て続けに短刀を再び投擲すると、額や人体の急所へと的確に突き刺さっていく。


 術を行使しようにも、短刀に帯びている霊力が阻害している。一般人ならばすでに意識を失い死んでいるだろうが、なまじ妖術師として力量が高く生命力が高いため、未だに意識を失っておらず、死にも至っていない。


 しかしこの状況では無駄に生きながらえているだけであり、待ち受ける結末は何も変わることは無い。


「あ、けの……」


 闇子が憤怒の形相で明乃を睨むが、当の本人はどこまでも醒めた目を向けている。


「終わりだ」


 短刀から霊力が流れだし、導摩と闇子の身体へと浸透していく。


 どさりと彼らの身体が倒れ込むと二人はそのまま絶命した。追い打ちをかけるようにその死体をルフが燃やし尽くした。


 その光景を明乃は何とも言えない表情で眺める。


「これで、終わったのか?」


 あまりにも呆気ない幕切れ。討ち滅ぼすと気炎を上げ、いざそれが成された後に残ったのは空虚な思いだけだった。


「婆さん」


 不意に明乃は声をかけられた。振り返れば真夜が近くまで移動してきていた。


「真夜……」


 何かを言いたかったが、問い詰めたいことが多すぎるのと闇子達を倒したことで気が抜けたのか上手く言葉が出てこなかった。


「まっ、色々と言いたいことはあるだろうけど今はここから移動しようぜ」

「……そうだな。残りの九曜がいつくるかもわからない。ここに留まるのは得策ではないな」

「いや九曜は全滅させたから追っ手もこないぞ」

「なっ!?」


 思考が追いつかない中、真夜から放たれる衝撃的な言葉に明乃は目を見開いた。


「ここにいない九曜は片付けた。他の罪業衆が動いているなら話は変わるが、九曜だけならこれで全滅だよ」

「馬鹿な。残りの九曜をお前が一人で倒したと言うのか? それも五人も」


 真夜は明乃に事実を打ち明けた。どのみち真夜は明乃達にその力を見せたのだ。もはや隠しておく必要も無い。


「俺一人じゃなくてあいつとだけどな」


 視線の先にはルフがいる。彼女はすべての九曜の遺体を完全に消滅させた。そしてゆっくりとその姿が蜃気楼のように消えていく。真夜は心の中で礼を述べるとルフは微笑を浮かべたままその姿を完全に消し去った。


「お前に聞きたいことが山ほど増えた」

「婆さんからすればそうだろうな。俺もちょうどいい機会だとは思ってる」

「朝陽は知っているのか、お前のその力のことを」

「まあな。と言っても俺が強くなった事やルフ……あの堕天使の事は知ってるだけで、どうやって強くなったのかやあの堕天使が何なのかは話してない」


 けどと真夜は前置きをしながら言葉を続ける。


「ちょうどいい機会だ。婆さんや母さんも知ったことだし、そろそろ話してもいい頃合いだろ。親父もこっちに向かってるらしいからな」


 母である結衣や朱音や渚もいる。朝陽も来るならば打ち明けるのは頃合いだろうと考えた。


「全部話すさ。だから婆さんも正直に答えてくれ。さっきの俺の問いかけにな」


 そう言われ、明乃はただただ押し黙るしか無いのだった。


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