第四話 九曜の力

 

 明乃は靴下を穿いているとは言え、裸足のままで道を疾走し常世闇子を追いかけていた。


(逃がさんぞ、今度こそは!)


 罪業衆はこの国の裏に潜み暗躍を続ける集団。トップの四罪は殆ど表に出る事は無く、もっぱらの実行部隊は九曜から下の妖術師が大半である。


 しかしその九曜にしても中々に狡猾に暗躍し、退魔師側にも中々尻尾を掴ませず、掴んだとしてもすぐに身を隠してしまう。退魔師側が手を焼くのはそう言った背景もある。


 また実力に関しても最上級妖魔クラスの実力を有しており、霊器持ちでも一対一でも下手をすれば敗北してしまう程の相手である。


 そんな九曜の一人がのこのこと目の前に現れてくれた。危険ではあるがチャンスでもあった。


(確実に罠を用意しているだろう。あるいは他の罪業衆がいる可能性も高い。それでもこの好機は逃がしはしない!)


 明乃は闇子が自分を誘い出し、何らかの罠に嵌めようとしているのは理解している。それでも自分と守護霊獣ならば早々遅れを取ることは無いと自負していた。


 その自信もうぬぼれでは無い。彼女は朝陽にこそ劣るが、かつては星守最強と呼ばれており、国内の退魔師の中では五指に入るほどの実力者でもあり、守護霊獣も特級であり経験も豊富であった。


 最悪は時間稼ぎに徹する。結衣には朝陽への連絡を頼んだ。朝陽と鞍馬天狗ならば連絡を受ければ、最低限の準備をして駆けつけてくるだろう。


 鞍馬天狗の機動力は群を抜いている。数時間もかからずにここにやってくるだろう。


(私の前に姿を見せたのは間違いだったな。お前はこの機に確実に討つ!)


 九曜のトップたる一人をここで討つ事が出来れば、罪業衆に衝撃を与える事が出来る。星守単独では罪業衆を完全に壊滅させる事は不可能であろうが、バランスを崩す事さえできれば他の六家と協力して攻勢に出る事は出来るだろう。


(幸い、朝陽が火野との協力関係を太くし、先の一件でより両家の繋がりを増すことが出来た。朝陽だけではなく真昼も成長している。火野の次代も育ってきている。星守と火野が動きを見せれば、他の六家も追随してくるかもしれん)


 火野は当主だけでなくその下にも優秀な術者を多く抱えており、霊器持ちも京極にこそ劣るが多く存在する。明乃としては他家とはあまり積極的に関わるべきでは無いと考えているが、それでも頑なにその考えを貫くつもりも無い。


(とにかくまずは奴だ)


 結衣には残るように言っているし、真夜の事を考えて残るはずだ。仮に追ってきたとしても何もせずに来るはずも無いだろう。結衣は結界術などに関しては超一流だ。簡易結界であろうとも簡単に破ることが出来ない程の術を行使できる。


 さらにあの場には朱音や渚もいた。真夜が狙われても対処できるだろうと思っての先行だった。


(真夜が狙いである可能性は低い。もし真夜を人質に取りたければ、私達がいない時を狙うはずだ。わざわざ私達がいる時にしかけてくるメリットは無い)


 朱音と渚の存在も大きい。もし二人に何かあれば、火野も京極も黙ってはいまい。


 渚の京極での立ち位置は分からないが、京極とて一族の者が害されれば体裁を気にして何もしないと言う事は無いだろう。火野も新進気鋭の朱音に何かあれば、動かざるを得ない。


 流石に罪業衆とは言えども星守、火野、京極の三つを同時に相手取って勝てるとは思っていないだろう。


 仮にもう一人九曜があの場に現れても、あの二人の実力ならば対処可能であろうと明乃は考えた。九曜が二人でも勝てなくても時間稼ぎは可能だろう。


 だからこそあの場に留まる方が危険だと判断し、明乃は急ぎ常世闇子を追ったのだ。


(うふふふ。追ってきているわね。お馬鹿さん。罠だってのは気づいているでしょうけど、こちらの本当の狙いが何なのか分かってないでしょうね)


 自分を追ってくる明乃の姿を使い魔の鴉の視界共有から見ていた闇子は、笑いを抑えるのに苦労していた。自分達の目的の一つは明乃ではあるが、彼女の孫の真夜の確保もまた同時に進められていた。


 明乃は九曜が動くとしても一人か二人、多くても三人でしか行動を共にしないと思っているだろう。


 事実これまでの九曜は単独で動くか多くても二人でコンビを組んでの活動しか行っていなかった。それぞれに主義主張も趣向も扱う術も異なるメンバーが殆どなのだ。


 ただ罪業衆に所属し、九曜の立場にいるのはその方がメリットがあるからに他ならない。四罪の命令には従うが、それ以外は好きにすると言うスタンスだった。


 まさか明乃も四罪が六家や星守に対して戦争をしかけようとしているなど夢にも思わないだろう。ただ今回もそれまでや以前の様に九曜が自らの欲求を満たすために動いたと解釈しただろう。


 だが事実は違う。罪業衆は雌伏の時を経て行動を開始した。九曜全員が動くなど誰も予想し得ない事態だろう。


(もし貴方の孫を捕らえたと知ったら、貴方はどんな顔をするかしらね?)


 何も思わずに好きにしろと簡単に切り捨てるだろうか。それとも動揺を表に表すだろうか。はたまた表面上は平静を装いつつ、内心で動揺するだろうか。


 どれであっても闇子は構わなかった。


 もし孫に対して何とも思っていないようならば、真夜に妖魔を憑依させるなり同化させ、明乃にぶつけてもいい。動揺するならばその弱みをつき、真夜をいたぶって明乃を苦しめてやればいい。


(さぁて。目的地に着いたわよ~)


 闇子が入り込んだのは古い家が建ち並ぶ地域の中にあった古びた洋館だった。それなりに大きな洋館であっが、庭は荒れ放題で建物自体にもコケや蔓などが広がっている。


「……何があろうと関係ない。どのような思惑があり、どんな罠があろうと打ち破ってやろう」


 明乃は洋館に立ち入る前に、自身に対していくつもの術を発動する。呪いや自身に対する術を無効化や弱体化、あるいははじき返す術だ。


 明乃個人には朝陽ほどに高い攻撃力はない。霊器を持ち、攻撃系の術に特化した朝陽と比べるのは間違っているかもしれないが、朝陽以上に多種多様な術を扱えるのが強みである。無論、攻撃系の術も一流以上に使いこなすし、彼女自身、特級の妖魔とも単独で戦えるだけの自力がある。


「来い、八咫烏」


 明乃が小さく呟くと彼女の背後に巨大な鴉が出現する。所々に宝石のような真紅の瞳に、赤い流れるような紋様がいくつも浮かぶ漆黒の身体と三本足。その体長は優に一メートルを超える。


 八咫烏。日本神話にも登場する導きの存在。


 明乃の守護霊獣であり神鳥とも言われている。かつてはここまでの大きさではなく、身体にも赤い紋様など無かったのだが、五十年以上を彼女と共に過ごし、彼女の霊力を取り込むことで巨大化し、その力を増した。


 うなり声を上げる八咫烏だが、その目が告げていた。このまま進むのはマズいと。


「……ああ、わかっている。だがこれはチャンスだ。それに奴はこの場から移動してはいないだろう?」


 こくりと八咫烏は頭を縦に振る。


「奴を仕留められれば、九曜のバランスは一時的に崩れるだろう。奴の椅子を狙い、九曜内で諍いが起こるかもしれない。そうなればこれまで手を出せなかった奴らに対して攻勢に出れる」


 明乃は罪業衆を危険視すると同時に敵視し、何とか排除できないかと以前から考えていた。だが下手に動けば星守にも危険が迫るため、あまり表だって動くことも出来なかった。


 しかし向こうが、それも九曜が動いたとなればSCD(警視庁・怪異事案対策局)も六家も、今までのように静観を続けること難しいだろう。


 さらに自分が九曜の一人を落とせば、京極も星守にばかり手柄を取られるのを良しとせず行動を移すだろう。


「どれだけ力を上げているか知らんが、私を甘く見ているつもりなら、その命を持ってあがなわせてやる」


 明乃と八咫烏はゆっくりと洋館の中へ入っていこうとする。


「お義母様!」


 だがその直前、彼女に声はかけられた。振り返ればそこには慌てた様子の結衣がいた。


「結衣。何故来た?」

「お義母様一人では危険だと判断したからです」

「私はこれでも星守では朝陽についでの実力者だ。並大抵の相手に遅れは取らん」

「それでもです。それにこれは明らかに罠ですよ? お義母様とその守護霊獣が強いこともよく知ってますけど、やっぱりそれでもです」

「まったく。お前は心配性だ。真夜の方はいいのか?」

「真夜ちゃんももちろん心配ですけど、今はお義母様です。あっちには朱音ちゃんと渚ちゃんもいますし、簡易的ではありますけど結界も張ってきましたから」


 明乃の読み通りに結衣はしてきたようだ。結衣の結界ならば信用はおけるし、結界があれば仮に破られてもワンクッションある分、不意打ちを受ける可能性は低いだろう。


「だからまずはお義母様です。それにお義母様は確実に相手を倒すつもりですよね? 相手が一人とは限らない以上、人手は多い方がいいですよね? 私なら足手まといにもなりませんし、お義母様の援護も出来ますから」


 結衣も直接戦闘能力こそ極端に高くはないが、一般的な退魔師よりも十分強い。サポートに関しては超一流である。だからこそ結衣は明乃の援護に来たのだ。


「……わかった。だが油断するな。相手はかなり狡猾であり、今回も用意周到に準備をしているはずだ」

「承知の上です。それとお義母様。靴をどうぞ。そのままではやりにくいでしょ?」

「むっ、すまん。助かる」

「いえいえ」


 笑顔の結衣から靴を受け取とり感謝を述べる。


「さて。気を取り直していくぞ。油断するなよ結衣」

「はい」


 明乃は結衣の言葉に頷くと二人は館の敷地内に入っていく。警戒しながら洋館の入り口へと向かうと、明乃は扉の把手に手をかける。


「……開けるぞ」


 扉を開け、細心の注意を払いながら館の中に入っていく。館の中は外の光でしか光源が無いため薄暗く、おどろおどろしい雰囲気が漂っていた。中は広くエントランスがあり、そこから二階へと続く階段が二つあった。


「ようこそ。怖じ気づかずに入ってきたことは褒めてあげるわ、星守明乃」


 声と共に、周囲の電灯などがすべて点灯した。声の主はエントランスの奥。二階の踊り場にその女はいた。


「常世闇子!」

「うふふふ。こうやって直接相対するのはどれぐらいぶりかしら?」

「さあな。だがこうやって再び相まみえたのだ。ここで決着を付けてやる」


 明乃の宣言に八咫烏が鳴き声を上げ、臨戦態勢を取り、また結衣も懐から霊符を取り出し構えを取る。


「怖い怖い。やる気満々ね」

「どんな罠をしかけているのか知らないが、逃がしはしない。やるぞ、結衣!」

「はい! お義母様!」


 明乃と結衣は予め用意しておいた霊符を取り出すと、結界を展開する。二人がかりの結界はこの洋館とその敷地内を隔離し、闇子を閉じ込めた。


 その光景に肩をすくめる闇子だったが、彼女は全く焦ってはいなかった。


「余裕だな。一人で私達に勝てると思っているのか?」

「あら。わたくしがいつ一人だと言ったのかしら?」


 その言葉に結界内に反応があった。出現するのは三人の男達。

 熊のような大男と小学生くらいの少年、そしてパンチパーマの青年だった。


「ぐふふふ。久しいな、明乃よ!」

「まさか貴様は毒島導摩か!?」


 明乃は闇子とは違う、因縁のある九曜の出現に彼の名を叫んだ。


「おうともよ。俺様達九曜が直々に相手をしてやろう。九曜が四人だ。いかにお前達でも勝てるとは思わないことだな」

「まさか全員が九曜の一員なのですか!?」


 毒島導摩の言葉に結衣が驚愕する。罪業衆が四人。しかもそのうちの二人は計都と羅睺の称号を持つ九曜のトップなのだ。そもそも罪業衆が四人も同時に現れるなどこれまでにはない事だったからだ。


「四対二になったわね。でもこれで終わりじゃないわよ~?」


 そう闇子が言うと、彼女と導摩の背後で闇が揺らめく。どす黒い妖気が収束していくとゆっくりと何に変化していく。


 闇子の背後に出現するのは、体長二メートルはあるかと思われる巨大なの犬と獅子だった。犬の方は一本の角を持っており、禍々しい息を口から吐き出しており、獅子の方は四肢に黒い炎が纏わり付いている。


 導摩の背後に出現したのは、こちらも体高二メートルはある筋肉質の人間の身体と牛と馬の頭部を持つ化け物達だった。


「狛犬を妖魔化した存在と牛頭と馬頭か」


 狛犬とは本来は神社や寺院に設置される守り手とされており、牛頭と馬頭は仏教において地獄に落ちた亡者達を責め苛む獄卒と言われている。


「ふふふ。この子達をただの狛犬と思わない方がいいわよ」

「そうとも。俺様の牛頭と馬頭も地獄の獄卒そのものではないが、かなりの使い魔だ」


 妖術師たる彼らが使役する存在は、式神とは違う技法にて使役される西洋における使い魔のような存在である。星守の守護霊獣とも退魔師が使役する式神とも違う、第三の存在とも言える。


「確かに並の退魔師ならば脅威だろうが、貴様らの使役できる使い魔ならば最上級クラスが関の山だ。いくら数が多くても、私と八咫烏の敵では無い。それにちょうどいい、九曜が四人ともなればお前達を全員討つことが出来れば、罪業衆の力を大きく削ぐことが出来る」


 明乃は敵と自分達の戦力差を分析する。この状況はこちらが不利だが、圧倒的戦力差があるわけではない。


 闇子と導摩が使役する使い魔達は厄介ではあるが、所詮は最上級。特級の八咫烏ならば、四体程度ならば問題なく対処可能だ。それに結衣も四罪が相手とは言え、時間稼ぎなら出来よう。その隙に各個撃破すればいい。


(数を揃えれば勝てると思ったのか? この程度であれば問題ないが、奴らは本当にこれで勝てると思ったのか?)


 油断無く構えて相手を観察する明乃。罪業衆が四人がかりでさらに闇子と導摩は自分の知らない使い魔を使役していた。並の退魔師や一流の退魔師でも大きな脅威ではあるが、自分と八咫烏を倒すには力不足だ。


 だがそれは向こうも承知していた。彼らの真価はここからだった。


「うふふふ。貴方ならそう言うと思ってたわ。でもこれでもまだそんな余裕が続くかしら?」


 闇子と導摩は左右の手に別々の呪符を取り出した。血で描かれたような赤い文字が羅列された呪符は妖気を放ち、まるで脈打っているかのようであった。


「さあ見せてやろう。俺様達がこの十年あまりで得た新たな力をな!」


 呪符をそれぞれの狛犬と馬頭、牛頭に向けて貼り付けると闇が広がった。


 二体いた狛犬はそれぞれに闇に溶け込む。直後、黒い光と共に中より新たな存在が出現した。


 それは角を持つ犬の頭と獅子の頭を一つに身体に持つ化け物だった。二体いた狛犬の犬と獅子が一体の存在に生まれ変わったのだ。


 その姿はまるで西洋で言う双頭の犬であるオルトロスであった。さらに恐ろしいことに二体の狛犬が一体になることで妖気が爆発的に高まった。その力は最上級を超え、特級の中位へと変化したのだ。


「なっ!?」


 変化が起こったのは狛犬達だけではない。牛頭と馬頭にも大きな変化が訪れていた。


 人間の下半身が消え、逆にそれぞれ巨大な牛と馬の身体が出現した。半身半牛と半身半馬の化け物。こちらの方は特級の下位程度であるが、二体いる分その脅威度は狛犬達が融合した存在と遜色ない。


「そんな! 特級妖魔クラスが三体なんて!?」

「馬鹿な。妖術師が自分よりも強い相手を使役する事が可能だと!?」


 今まで星守が最強と言われていたのは、退魔師としての力量もだが自分よりも圧倒的に強い存在を使役できる守護霊獣の存在が大きかった。目の前の事実はそのアドバンテージが崩れようとしていると言う事の証明でもあった。


「がははははは! 妖術も進歩している! 俺様達の力もな! 特級妖魔の使役が出来るほどにな! いつまでも貴様ら星守の天下だと思うなよ!」


 事実、四罪は四人がかりとは言え超級上位の鵺を従えていた。その配下であり、四罪に次ぐ実力を有していた二人ならば、いくつかの条件をクリアすれば特級妖魔を従えることも難しくは無かった。


 無論、この使役にもからくりはある。どんな妖魔でも使役できる訳ではない。あくまで術による効果を合わせての特級への強化と使役であった。


 だがそれでも二人や殆どすべての退魔師にっては脅威であり、悪夢のような出来事であろう、


 勝ち誇ったかのような豪快に笑う導摩。彼自身から立ち上る妖力も最上級上位のものであった。さらに闇子も自らの力を解放していく。


 ここに数においても戦力においても、天秤は大きく九曜側に傾くことになった。結衣はもちろん、明乃の顔にも余裕は無くなった。


「わたくし達が新しく開発した術の成果ね。それにしてもいい顔ね、お二人さん。さあ明乃、せいぜい頑張って頂戴ね♪」


 無慈悲な宣告が成されると同時に、三体の特級妖魔が二人へと襲いかかるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る