第三話 接敵


(なんだ、この違和感は?)


 真夜がその違和感を持ったのは、明乃が退魔師の素質に関して話をし始めた所からだった。


 明乃の言葉はかつて散々耳にしていたものであった。


 自分に対する辛辣な言葉。事実ではあるが、一切オブラートに包む事無く直接的に真夜へと告げ、まるで心を折ろうととしているかのように幾度も現実を突きつけられた。


 そのたびに反発し、否定し、頑なに祖母の言うとおりになってたまるかと反抗し続けた。


 当時の真夜に心の余裕などあるはずもない。年齢的にもまだまだ子供であり、さりとて言われた事を素直に聞き入れるほどの可愛げのある性格でも無かった。


 反骨心の塊と言うべきか、はたまた反抗期による感情によるものかは分からないが、祖母の言葉を平常心のままに聞く事など今まで出来なかった。


 しかし今の真夜の精神状態は、かつてからは考えられないほど穏やかなものだった。


 だからこそ真夜は感じたのだ。祖母の言葉が自分に向けられているようで向けられていないようであると。自分を通して別の誰かに言っているようなそんな気がしたのだ。


 無論、真夜とて確信があったわけでは無い。ただの勘や思いつきのようなものでしかなく、自分自身でも一笑に付す程度の疑念だった。だがそれを勘違いだと捨て置く事も出来なかった。


 それは真夜が明乃に苛立っていたからでもあった。


 どれだけ成長しようと、心に余裕を持とうと、こうも目の敵にされるような物言いをされては真夜と言えども腹が立ってきた。


 退魔師の事だけでは無い。渚との関係まで否定されたからだ。


 確かに客観的に見て、第三者から見れば祖母の言い分は間違っていないし、京極にも思惑がありそのために渚は本家より命じられて引っ越してくる事になった。


 だから祖母の懸念も当然なのだが、真夜からすれば何も知らないくせに上から目線で言うなと思ってしまった。


 渚は真夜を幾度も手助けしてくれた。命を助けられた恩などと渚は言うが、それを言うなら真夜も渚にはいくつも恩がある。


 先日の朱音の一件でも渚が無理にでも着いてくると言ってくれなければ、手遅れになっていた可能性が高い。


 だからこそ自分に向けられる言葉や感情には耐えられても、渚に向ける感情には怒りを覚えてしまった。


 また真夜は明乃に兄以上に複雑な感情を抱いていた。


 兄である真昼に対しては嫉妬や憎悪の対象と言う部分もあったが、異世界に行く前でも親愛や憧れの感情は確かにあったのだ。


 反発こそしていたが、自分に何かと世話を焼き気にかけようとしていた兄の優しさを心の奥では嬉しく思っていた。とは言え、あの当時は可愛さあまって憎さ百倍のような心境ではあったのだが。


 そして真夜に取って、祖母はどう言った人間だったのだろうか。


 確かに彼女の言っている事は間違いでは無い。力の無い者が退魔師になれば、後に待っているのは死だけだろう。


 しかも最悪は自分自身が死ぬだけでは無い。周囲を巻き込み、自分以外の者まで危険に晒す可能性がある。


 星守の先代当主としても、一個人の退魔師としても、彼女の言動には一定の正当性がある。


 しかしならば何故、強制的に放逐しなかったのだろうか。それこそ才能が無いと分かっていたならば、真夜を無理やり星守から離れさせることをしなかったのだろうか。


 明乃の権力ならばどうとでも出来るだろう。


 下手に霊力があったから、自分勝手に星守のあずかり知らぬ所で退魔師として活動しようとするとでも思ったのだろうか?


 あるいは放逐した後に、星守の当主の息子の一人として何者かに利用されるのを恐れたのだろうか?


 それとも父である朝陽や母である結衣に気を遣ったのだろうか。


 真実は分からない。外に出さずに星守の中にいさせた方がいいと考えたのかもしれない。真夜が退魔師として活動したいと思わなくなるまで飼い殺しにして、心を折った方が安全だと考えていたのかもしれない。


 だがもはやそんな事はどうでもいい。過去は過去。今は今だ。


 それでもこうまで色々と言われていては、真夜で無くとも腹が立ってくるだろう。


 だから思わず口に出てしまった。祖母の呼び方もお婆様から婆さんへと感情の赴くままに口を滑らせた。


 一瞬、しまったと思ったが後の祭りである。そして一度昂ぶった感情は中々抑えられない。真夜は今までの鬱憤もあり、言葉を続けた。


「あんたは俺を見ているようで見ていない。いや、俺を見ているが、俺を通して他の誰かも見てるんじゃ無いのか?」


 真夜は自分の言葉で明乃が硬直し動揺した事を見抜いた。だから自分が持った違和感は間違ってはいないと確信した。


「ああ、確かに婆さんの言っている事は間違いじゃ無いだろうよ。弱い奴が退魔師になれば命を落とすだけじゃ無く、他の奴まで巻き添えにする可能性が高い。一族を守る立場にあるあんたが俺を退魔師にさせたくないのも理解できる」


 だからこそ反発はしつつも、今の真夜は祖母に一定の理解を示してはいた。だが今の明乃の反応で別の疑念が深まった。


「今の婆さんの反応で確信した。あんたは俺と誰かを重ねてる。それもそいつに怒りを感じている。違うか?」


 やめろ。明乃は真夜の言葉に心の中で小さな声を上げた。


「親父や母さん、兄貴は俺を見てくれていた。落ちこぼれでも何でも、星守真夜として俺を見てくれていた。けどさっきのあんたは違う。俺を俺としてじゃなく、別の誰かと混同して見ていた」


 だからだろう。より一層、真夜が苛立ちを募らせたのは。かつての真夜は父に認められたい、母に安心してもらいたい、兄に勝ちたいと思っていた。それは三人が自分自身を見てくれていたからに他ならない。


 また明乃に対しても真夜は見返してやりたいと思っていた。


 けれども先ほどのやりとりで、明乃は真夜を真夜としてみていないと感じた。


 なんだ、それは? 俺は俺だ。他の誰でも無い。俺は星守真夜だと心の中で声を大にして叫んだ。


 自分自身の抱える事実を指摘されるのならば分かる。明乃が真夜を落ちこぼれという事で失望し、貶すのは腹立たしいが受け入れる。祖母の言い分も間違っていないのだから。


 だが自分では無い誰かと自分を重ねて見られた上に、自分自身を見ていないような態度をされるのは気にくわない。腹立たしい事この上ない。


 真夜自身、これが行き過ぎた被害妄想に近い感情である事も理解はしている。明乃が真夜を見ていないわけではないのはわかっている。自分を見た上で誰かと重ねているのだろう。


 それでも理解は出来ても納得できなかった。兄と比べられ続けた事が気にくわなかったのに、さらに加えて別の誰かとも重ねられ、比べられていたとなれば心中穏やかでいられなかった。


「そいつが婆さんに取ってどんな奴だったのかは知らない。けどな、俺はそいつじゃ無い。俺は俺だ。俺がそいつとどんな風に似ているのか知らないが、そいつと俺を重ねないでくれ」


 そんな真夜の独白にも似た言葉を受け、誰もが言葉を出せないでいた。結衣も当然、朱音や渚もだ。ただ黙って真夜と明乃のやりとりを見ている。


 真夜は真っ直ぐに明乃を見据える。だが明乃はそんな真夜の目を見続ける事が出来なかった。


(なんだ、これは。この子は、本当に真夜、なのか……?)


 真夜からの言葉に最も動揺していたのは間違いなく明乃であろう。反論しようと口を開こうとするが、何故か言葉が出てこなかった。真夜の指摘は間違っていなかったのだから。


 さらに今までに無いほどに真っ直ぐで、どこまでも強い意志の籠もった真夜の視線に言葉を発する事が出来なかった。


 明乃自身、真夜の雰囲気に飲まれているようであった。真夜は別段、相手を威圧しているわけでは無い。それでも強者の一人である明乃は無意識に感じ取っていたのだろう。朝陽と同じように今の真夜の実力を。


 目を見ただけでも分かる。強い意思を宿した瞳だった。強固な、揺るぎない信念を宿した瞳。


 虚勢でも何の力も無く、頼るべき拠り所の無い自信の無い脆弱な意思ではない。


 有無を言わさぬとまでは言わないが、以前のように強く出れないほどに真夜は明乃に対して己の意思を主張した。


 だからこそ今度は明乃が疑問を浮かべた。目の前にいる真夜は本当に自分の知っている真夜なのかと。


「なあ婆さん、答えてくれ。俺は、あんたにとって一体何だ? あんたは俺の事を本当はどう思ってるんだ?」


 真夜からの問いかけに明乃はさらに何も言えなくなった。


 分からなくなったのだ。自分が真夜を本当にどう思っていたのかが。


(私は……)


 脳裏に浮かぶのはかつて共にあった少年の姿。真夜の姿と重ねていた少年。だが今の真夜とその少年を重ねる事が出来なかった。


「お前は私にとって……っ!?」


 明乃が口を開こうとした瞬間、その場にいた全員が明確に反応を示した。


 妖気を纏った何かがこちらに近づいてくる。


「退きなさい」


 明乃は真夜や朱音や渚にそう言うと、一直線に部屋の奥のベランダへ続く窓へと向かうと、カーテンを開けて窓の鍵を開けてベランダに出ると即座にポケットから取り出した札を構えた。


 向かってきたのは一羽の鴉だった。禍々しい気配を放ち、高速で向かってくる。だがベランダから一定の距離を取ると急停止した。


「式神、いや使い魔か」

『うふふふふ。久しぶりね、明乃』


 鴉から声が漏れた。声は女の物だった。


「お前は!」


 聞き覚えのある声に明乃は怒りの表情を浮かべ眉を吊り上げた。


『あの一件以来ね。まさか貴方がこっちに来るとは思ってなかったわ。たまたま見つけたから遊んであげようと思ってね』


 鴉が視線を別の方に向けると、明乃も警戒しつつちらりとそちらの方に目を向けると長い紫髪の女がいた。


「常世闇子!」


 罪業衆の最高幹部の一人、計都の称号を持つ妖術師がそこにいた。


『さあ、いらっしゃい』


 手招きするように言うと闇子はそのまま走り去っていく。


「くっ! 結衣。朝陽に連絡をしろ。私は奴を追う!」

「お義母様!? 一人じゃ危険です!」

「構わん、お前はここにいろ。心配するな、知っての通り、私にも守護霊獣がいる。十中八九罠だが、むざむざやられはしない」


 明乃は結衣の制止を振り切り、ベランダから飛び降りそのまま闇子を追っていった。


「もう! 真夜ちゃん! 私もお義母様を追います! あとくれぐれも追ってこないでくださいね! 朱音ちゃんと渚ちゃんもです! ここで真夜ちゃんと一緒にいてください!」


 そう言うと結衣も急いで玄関に向かうと明乃の分の靴を持って部屋から出て行った。その際に、結衣は念のために簡易的な結界をこの部屋に展開した。


 一瞬で展開したにしてはかなり高度な結界であり、並の相手ならば、それこそ上級妖魔でも破壊には多少手こずる程の物だった。


 彼女は真夜にここにいれば安全ですから! と言うと駆け足で出て行った。だが結衣は気づかなかった。その背中に不可視の一枚の霊符が貼り付けられていた事に。


 バタバタといなくなった二人。この場には真夜達だけが残された。


「何か狙ったようなタイミングだな。それにしても何者だ。婆さんが血相を変えて追っていく相手なんて」

「ちょっと! 何落ち着いてるのよ!? 追わなくていいの!?」


 落ち着き払っている真夜に朱音が詰め寄った。早く追わなければマズいと思ったのだろう。


「念のため母さんには霊符を貼り付けてる。これで追跡もしやすいだろ。あと悪いが渚の方も念のため式神を飛ばしといてくれ」

「わかりました」


 真夜の頼みに即座に式神を作り出すと、渚はツバメ型の式神を外へと飛翔させた。


「……真夜君、何かあるんですか?」


 落ち着き払っている真夜に渚は問いかけた。真夜の性格上、気に入らないからと言って祖母を見捨てたり助けに行かないと言うことはしないはずだ。だから何かがあると感じたのだ。


「ああ。朱音も渚も気をつけといてくれ。……まだ見られてるぞ」

「「!?」」


 真夜の言葉で二人は表情を変えると同時に周囲を警戒した。


「つうわけで。出てこいよ」


 直後、結衣が展開した結界が破壊され、別の結界が包み込んだ。部屋の中がどんよりとした空気に包まれ、現実世界と隔離される。


「これって!?」

「妖術師の結界です!」

「俺の部屋で暴れられるのは勘弁してもらいたいんだけどな」


 三者で別の言葉が出てくるが、真夜はかなり嫌そうな顔をしていた。


「ふふふ。良く私の気配に気づきましたね」


 結界の外からすっと中に入り込んでくるのは白衣を羽織った長身の眼鏡をかけた男だった。


「誰だ、お前?」

「これは自己紹介が遅れました。私は九十九才蔵。罪業衆が幹部・九曜の一員ですよ」


 にっこりと笑みを浮かべながら自己紹介をする男に、朱音と渚は驚愕した。


「罪業衆!? しかも九曜ですって!?」

「信じられません。そんな大物が何故……」

「いえいえ。少々込み入った事情がありまして。それにしても星守真夜だけでは無く火野朱音と京極渚までいるとは運がいいのか悪いのか」


 肩をすくめる才蔵に朱音と渚は臨戦態勢を取った。


「無駄な抵抗をやめた方がいいですよ? ただ痛い思いをするだけですし」

「そう言われてはい、そうですかって言うと思ってるの?」

「いくら罪業衆の幹部とは言え、私と朱音さんの二人がかりならばそれなりの戦いが出来るとは思いますが?」

「うーん。そうですね。確かに足手まといが一人いるとは言え、流石に二人がかりでは手に余るかも知れませんね。でもいつ私が一人だと言いましたか?」


 その言葉に反応するかのように、別々の場所から合計四人の人影が現れた。


 黒い喪服の女。タンクトップにジャージの巨漢の男。黒い革ジャンの男。白い修道服の初老の男。


「罪業衆が全員で五人。あなた方程度には過ぎた戦力ですが、全員一緒に来てもらいましょうか」


 優しげな笑みを浮かべつつ、才蔵は真夜達にそう告げるのだった。


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