第十五話 和解
真夜の右ストレートが左頬に直撃した真昼は、そのまま勢いよく後ろに倒れ尻餅をついた。
「真昼様ぁっ!?」
「ちょっと真夜!? 何してんのよ!?」
真昼を心配し倒れた真昼に駆け寄る楓と真夜の行動に驚き、咎めるような声を上げる朱音。渚も手で口元を抑え、驚愕の表情を浮かべている。
「ん? いや、昔っから一発兄貴の顔にぶちかましたいと思ってたんだよな」
あとさっきは操られてるからノーカウントって事で、と真夜はふてぶてしく言い放った。
殴られた真昼はぽかんと口を開け、痛みのする頬を抑えている。
「真昼様! 大丈夫ですか!?」
「……あっ、うん。大丈夫だよ楓」
安心させるように笑みを浮かべると真昼は真夜の方を見る。
「……チャラって言うのも可笑しな話なんだが、俺はこれでこの話は終わりってことにするぜ兄貴」
十五年分の鬱憤を真夜はこの一撃ですべて晴らした。無論、霊力を込めたわけでは無いが、それでも渾身に近い一撃だった。真昼も無意識に霊力で防御していなかったら、頬が赤くなる程度では済まなかっただろう。
「兄貴が俺の力を奪ったって言う事を許されない罪だって思ってんなら、今俺はそれに対して罰を与えた。罰を与えられた相手をこれ以上どうこうしようって気はねえからよ」
「……真夜はそれでいいの?」
「良いも悪いも俺はこれで許すって言ってんだよ。いや、許すってのも違うか? とにかくこれでこの話は終わりだ。これ以上、兄貴の自己満足に付き合う気は無いからな」
「自己満足?」
真夜の言葉に真昼は不思議そうな顔をする。
「だってそうだろ? 俺はもう終わりだって言ってるのに、まだ断罪されたいとか望んでるってのは、ただの兄貴の我が儘だって思うぞ。自分を罰してもらって苦しみから逃れたいだけに過ぎないって思われても仕方が無いだろ?」
その言葉を聞き、確かにと真昼は顔を俯かせて自嘲した。
「そうだね。僕はこの苦しみから逃げたかったんだ。こんな苦しい思いをするなら、悩まないといけないのなら、いっそのこと死んで楽になりたい。そう考えてたんだ」
でも死ねなかった。死にたいと思っていても、本心では死にたくは無かった。ただ楽になりたいと逃げたいと思っていただけに過ぎなかった。
「……俺も兄貴も似た者同士だな。俺も兄貴と向き合うことから逃げて、兄貴も俺から逃げた」
「うん。僕も……真夜に憎まれて恨まれるのが怖くて逃げてたんだ」
「でもそれじゃあダメなんだよ。俺も兄貴も、前に進まないとな。いつまでもガキみたいに逃げ続けても、最期には追い詰められて逃げられなくなる。だからどこかで逃げないようにしないと、きっともっと後悔する」
逃げることは悪いことでは無い。どうしようもない事ならば、逃げることが正解な事はある。
だが逃げ続けることは悪であろう。
嫌な事から逃げ続け、立ち向かうことも挑むことも、克服しようとすることも一切しない。何の努力もしない楽な方へと逃げるだけの逃げ方は間違っているはずだ。
真夜は兄と向き合うことから逃げた。真昼も最終的に真夜から逃げた。
「力を得て、強くなったから兄貴と向き合おうってのは虫がよすぎるかも知れないけどな。上から目線って言われたらそれまでだし、俺も偉そうなこと言ってるって思ってる」
「そんな事はないよ。真夜の言ってることは理解できるし、僕も逃げ続けてるだけじゃダメだって思い知らされたよ」
真昼は立ち上がり、真夜と目線を合わせる。
「本当にいいの、真夜?」
「くどいな兄貴も。もういいってんだよ。それに調子に乗ってるって思われるかもしれねえけど、今の俺は兄貴よりも圧倒的に強いんだぜ? 何を悩む必要があるんだ?」
少しおどけて言う真夜に真昼は苦笑する。確かに操られていたとは言え、その能力を底上げされていた真昼は敗北した。それに前鬼と後鬼も真夜が召喚したルフに手も足も出ずに敗北した。
「凄く、強くなったんだね、真夜。この短い期間で何があったの?」
「努力した。それこそ命がけでな」
四年の日々が脳裏に蘇る。異世界での修行と戦いの日々。仲間がいたとは言え、敗北すれば死ぬ環境。これはこの世界での退魔の場でも同じだが、その頻度が段違いであり、敵の強さや数も桁違いであった。
死に物狂いだった。強くなれなければ生き残れない世界。また師匠や仲間の一部もスパルタだった。
(仲間内でもあの三人はマジで容赦なかったからな)
師匠である武王と大魔導師のロリババアと剣聖の少女は全員天才肌であり、修行の時は容赦なかった。魔物と戦っていた方が楽だったことは一度や二度ではない。
聖女の少女は別だったが、真夜と勇者と聖騎士の三人組はいつもぼこぼこにされていた。一番の苦労人は聖騎士だったと真夜は思っている。
「まあ何で俺がこれだけ短期間で強くなったのかとか、ルフ……あの堕天使が何なのかってのはまだ親父にも言ってない。今度長期休みに星守に戻った時に母さんを含めて説明するさ」
「父さんも知ってるの?」
「ああ。この場にいない奴で知ってるのは親父だけなんだが、その親父も知ったのはこの間だけどな」
「そっか。だから父さんはあんなに張り切って修行してたんだね」
真夜の言葉で最近の父の行動の理由に納得がいった。父は真夜に負けじと自分を鍛えていたと。
「それにな、兄貴。俺もこれ以上、親父や母さんに迷惑や心配をかけたくはないんだよ。特に母さんにはな」
幼い時の記憶。母である結衣が真夜に対して言った言葉。
どうして自分は兄と違うんだと母に尋ねた。まだ無知で周囲への気遣いなども出来なかった時の話だ。
母である結衣は真夜を抱きしめると涙を流した。
『ごめんね。ママのせいで……ごめんね、真夜ちゃん』
耳に響いた母の言葉と慟哭。自分だけでは無い。母も苦しんでいるのだと。真夜のことに心を痛めていることをその時、真夜は知った。
普段の明るい天真爛漫な姿からは想像も出来ない姿に、真夜は己の浅慮を恥じた。当主の妻として、それを表に出すことはない。いや、出来なかったのだ。だから己の中に結衣も溜め込み、真夜の言葉でそれを溢れ出させた。また兄弟仲が悪いことにも結衣は苦悩していた。
(……帰ったら母さんに電話でもしてみるか)
今回の事件で真昼が行方不明と言うことで朝陽以上に、結衣も気が気でないかも知れない。真昼の生存は自分の口からは言えないが、それでも自分でも安心させられることがある。
異世界に行く前の余裕の無い自分ではない。成長し、少しは落ちついた自分ならば、母にこれ以上心配をかける事も無いだろう。
真昼のことをもう憎んでも恨んでもおらず、関係を修復するとすれば喜ぶだろうし、真昼と和解したと告げれば、結衣の苦悩の大半は消えるはずだ。
「俺達の仲が悪いのを母さんは心配してた。原因の殆どは俺だから大きな事は言えないが、もうそろそろ心配をかけるのは終わりにしたい」
「うん。僕も母さんに心配をかけたくはない。ありがとう真夜。僕を許してくれて。それと助けられた事のお礼もまだだったね。本当にありがとう、真夜」
「気にするなよ。俺達、双子の兄弟だろ?」
そう言って笑い合う。真夜と真昼。決して和解しないであろうと思っていた兄弟はここに関係を修復した。
「それよりも殴って悪かったな、兄貴。痛くないか?」
「そうだね。凄く痛いよ。でもこれは真夜が苦しんだ十五年分の痛みだと思えば、全然足りないと思う。それにこれで僕も吹っ切れる事が出来たよ」
赤くなった頬を手で擦りながら、それでも真昼は笑みを浮かべる。
「やり返してもいいぜ?」
「やめとくよ。喧嘩をしても負けそうだから。……真夜、僕も強くなるよ」
真昼は改めて真夜へと告げた。
「何でだろう。真夜が強くなって嬉しいって思うんだ。でもそれと同じく悔しいって思う自分がいるんだ」
真昼は己の中に生まれる感情に戸惑っていた。弟が強くなったことは嬉しかった。自分を凌駕するほどに、それこそ憧れの父のような強さを持つ弟を誇らしくも思う。
だが同時に、自分の中で悔しいと思う感情が生まれた事を真昼は自覚した。こんな気持ちは初めてだった。同年代の者や、他の退魔師に対してもこんな感情を抱くことなど無かったのに。
「こんな気持ち、初めてかもしれない。真夜に負けたくないって、思った……」
「良いんじゃないか? それは俺がずっと兄貴に感じてたもんだ。今度は俺が兄貴に嫉妬されるのを感じる番だな」
「そっか。うん、次は僕が追いかける番だね。でも真夜から奪った力で追いかけるのもどうかって思うのはあるよ」
「もうそれは兄貴の物だ。俺があれこれ言う事じゃねえよ。それよりも俺の力も持ってるのに、俺に負け続けるんじゃ情けないぞ? 気にせず兄貴は強くなれば良いんだよ。親父にも言ったけど俺も、もっと強くなるから」
真夜なりの激励に真昼は苦笑する。弟は自分を遙に凌駕する力を手に入れたのに、それで満足せずまだまだ上を目指すと言う。それに驚きつつも、自分自身も負けていられないと決意を新たにする。
「……わかった。真夜、待ってて。直ぐに追いついて……追い抜くから」
「ああ、楽しみにしてるぜ、兄貴」
優しい笑みを浮かべる真昼と、悪戯小僧のような笑みを浮かべる真夜。どこか対蹠的な笑みを浮かべる二人だが、朱音や渚、楓は似た者兄弟だと感じるのだった。
◆◆◆
「さてと。そろそろ後始末の話をするか。親父の方には俺の方から連絡入れるけど、そっちも外と連絡を取ってくれ」
「わかった。でもこれじゃあ、星守も火野の信用もがた落ちだね」
真昼は今回の依頼の失敗に肩を落とす。真夜達が来てくれなければ自分達は全滅どころか妖魔にされ、多くの退魔師達と戦い命を奪っていたかも知れない。
「いや、何とかギリギリで踏みとどまれるだろうよ。その代わり、兄貴と朱音は面倒事を引き受けてもらわないとダメだけどな」
「えっ?」
「真夜、またそれ?」
不思議そうな顔をする真昼とあきれ顔の朱音だったが、真夜は気にせず話を続ける。
「筋書きはこうだ。一度は全滅して捕らえられたが、兄貴が命の危険と仲間のピンチに眠っていた力に目覚めて霊器を発現させ、自分も守護霊獣も強化された。で、朱音と楓を助けて解放して治療して、三人で敵を全滅させた。捕らえられた他のメンバーも兄貴達が助けて治療した。これで通せば良いだろ」
真昼は浄化や治癒の霊術も使えるので、カバーストーリーとしては無理が無いだろう。霊器の増幅と火事場の馬鹿力とでもしておけば良い。
霊器の発現を真昼は誰にも伝えていない。この事が役に立つ。
二つの別の霊器を持つ事で、多少の疑念が生まれるかも知れないが、真夜も納得しているので、朝陽に伝えて指示を仰げば良い。
朱音も活躍しているので、星守だけでは無く火野のメンツも立つ。実際、朱音は周防の大蟆を倒しているのだ。
「朱音は周防の大蟆を、兄貴はあの元凶を仕留めたんだ。問題ないだろ?」
やっぱりそう言う意図を持ってたんだと朱音は納得した。鞍馬天狗も先日の黒龍神の一件で、真夜が手柄を朝陽に押しつけたことで、今回も同じような状況を作ろうとしたのだ。
「ちょっと待ってよ、真夜! これはほとんど真夜達の功績じゃないか! それをかすめ取るような真似は!」
「これが一番対外的にも問題ないんだよ。星守の落ちこぼれが助けたよりも、星守の天才児が霊器を発現させ解決させたって方が殆どの奴は信じるだろうよ。それに俺の事は秘密にしておいた方がいい。この一件を仕組んだ奴への切り札にもなるからな」
真夜も自分の実力を隠しておくことで、謎の存在に対してのカウンターにもなり得る。
「他の六家へのことも含めてな。実力が知られるメリットもあるけど、無能って事で好き勝手に動いてもあまり気にされないメリットもある。まあ他にもルフの事もある。親父にも言ったが、あいつの力は強すぎる」
「……そうかもしれないね。はぁ、でも手柄まで譲ってもらうのは……」
力だけで無く手柄まで譲ってもらっては兄として立つ瀬が無い。と言うよりもいたたまれない気持ちで一杯だ。
「じゃあ手柄に関してはそのうちのし付けて返してくれよ。ルフのことは秘密にしてても、俺も高校卒業ぐらいには実力は明かすつもりだ。三年間、修行して強くなりましたってことならまあ違和感も少ないだろうよ」
それまではゆっくりのんびり過ごしたいと思っていたのだが、この調子だと厄介な事件に巻き込まれることは増えてきそうだ。
「たぶん厄介事はもっと増えるだろうからな。俺が手に負えない時は助けてくれればそれでいい」
「真夜が手に負えない事なんて、そうそう無いんじゃないかな。でもそうだね。僕も真夜の足手まといにならないように……、違う、今度は僕が真夜を助けられるようにするから」
「ああ、頼むな兄貴」
と、真夜は不意に昔のことを思い出し、ばつの悪そうな顔をした。
「……そう言えば、昔に朱音を助けようとした時に兄貴に助けられたよな。あの時はきちんと礼を言えてなかったな。悪い、兄貴。あの時は、その、ありがとうな」
照れながら今更の事に感謝を述べた。
「先に助けてくれたのは兄貴だ。だから今回の件で兄貴が俺に恩を感じる必要はねえ」
「それは違うよ、真夜。先に助けた助けられたとかじゃなく、僕が真夜を助けたかったから助けたんだ。今回のことはそれとは違う。だから僕は真夜に感謝してる。もう一度言わせて欲しい。ありがとう、真夜。僕も楓も、みんなが真夜のおかげで助かった」
その隣では楓もありがとうございました! と礼を述べ深々と頭を下げている。真昼と楓の感謝の言葉に真夜は苦笑する。
「まあ全員が無事でよかったよ。話は戻すが、兄貴は嫌だろうけど、さっきの案で口裏を合わせてくれ。親父にもそう伝えておく。火野も星守もそれで対外的にも内部的にも多少の混乱はあるだろうけど、最悪にはならずに済むだろうよ」
朱音の火野の立場からすれば少し微妙な所ではあるが、それでも火野一族の宗家の一員ではあるし、誰も活躍しなかったよりかはマシであろう。
「ほんと、真昼よりもあたしの立つ瀬が無いわよね。真夜に助けてもらってばっかりだし、手柄は譲ってもらってばかりだもん」
朱音も深いため息を吐く。自分が本当に情けなくなってきた。
「そう言うなって、朱音。そうだな。じゃあまた旨い飯でも作ってくれよ」
「もう。そんなのでチャラに出来ないわよ。でもそうね。今、あたしに出来るのそれくらいしか無いもんね。うん、また美味しいの作るから。もちろん渚の分もね」
「またご相伴に預からせて頂きますね」
真夜の言葉に笑顔で応えると、渚の方にも笑みを向ける。渚も笑みを浮かべながら、少しだけ頭を下げる。
「真夜、ところで彼女は?」
「ああ、渚のことか。また今度ゆっくりと紹介する。あいつも色々とあるから。まあ礼は言っとけよ。朱音にも言ったが渚がいなけりゃ、間に合わなかっただろうからな」
「そうなの? えっと。渚さん、でいいのかな? ありがとう。君達のおかげで助かったよ」
「いえ、お気になさらずに。私も皆さんがご無事で何よりです」
誇ることもせず、少しお辞儀する形で礼を返す。楓も同じように倣い、深々と頭を下げる。
「当然だけど俺や鞍馬、渚の事は内密にな」
「わかった。鞍馬天狗もルフさん、でいいのかな? ありがとうございます」
真昼は今度は鞍馬天狗とルフの方へと礼を述べた。
「ふむ。ならば今後は精進するがよい」
尊大な態度で言う鞍馬天狗と優しい微笑を浮かべ手を振るルフ。
「それじゃあ、親父に連絡するか」
真夜はルフに結界を弱めるように頼むと、そのまま朝陽へと連絡を入れるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます