第十二話 感情
真夜は今までに無いほどに晴れやかな笑みを浮かべた。
どこまでも穏やかに、どこか胸のつかえが取れたような、今まで悩み続けていた問題が解決したかのような、そんな顔だった。
しかし真夜の顔を見ていた朱音には、それがどこかひどく不気味に思えてしまった。嵐の前の静けさのごとく、穏やかな大海に迫る暴風の前兆のようにも思えた。
真夜はすべての真実を知らされ、それを心の中で反芻していた。
自分達の出生の秘密とも言うべき内容。異世界に召喚されるまでの十五年間、真夜を苦しめていた事象が何故起こったのか、それを知ることが出来た。
十五年もの間、疑問に思っていた事への答えが提示され、真夜を苦しめていた一つの謎は氷解した。
(なんだ、そう言うことだったのかよ)
言葉に出したのと同時に、内心でも同じように呟くと、真夜は驚くほどに納得している自分自身に気がついた。
ずっと疑問に思っていた。何故自分にはこんなに才能が無く、兄にはあれほどまでの才能があるのだろうかと。
自身が無能だったのはその力の殆どを兄へと譲渡したからであり、その影響で兄は驚くほどの才能を有していたと言うのは、納得の理由だ。
異世界の神が言っていたではないか。伸びしろが高く勇者の守護者になり得る存在として真夜を喚んだと。
元々、真夜が持っていた才能は大きかったのだ。それこそ死にかけの真昼を救い、その才能の殆どを譲渡しても退魔師としての力を失わなかった程に。
空っぽの器。しかしその器は大きく、さらに広がる可能性を秘めていた。
異世界の神はそれに目を付け、真夜を喚んだのだろう。神はそこに少しのきっかけと呼び水を与えた。そこからの四年間は真夜の努力による成果ではあるが、本来の才能を上回る程の力を得たのだろう。
(あの神様の爺さんはこの事を知ってたのか? 気づいてたんなら教えろよな)
気づいていなかったのか、気づいていてあえて教えなかったのかは今になっては知る術はない。だが四年前のあの時点で教えられていれば、おそらく自分は荒れに荒れていたであろうと推測される。
あの時の自分は精神的にも未熟であり、兄を恨み憎んでいた。その原因が兄であったと知らされていれば、異世界を救う守護者になるどころか、兄に対して復讐しようと考える復讐者になっていたかも知れない。
とは言え、今はそんな気持ちは一切無い。無いのだが、それでも割り切ろうにも割り切れないでいる自分がいる。
真夜の中で言いしれぬ複雑な感情が渦巻いていた。
朱音や渚には以前にも言ったが、すでに真夜は真昼を恨んでも憎んでもいなかった。
異世界での経験や力を得たことでのコンプレックスの解消。仲間達へと家族へも打ち明けられなかった自分自身の思いの丈をすべてぶちまけた事で、心の整理が出来たため真夜は真昼に対する感情に折り合いを付けた。
しかしだからといって、その感情その物が完全に消え去ったわけでは無かったようだ。恨みや憎しみは無い。だが怒りが沸いてきた。
真昼がすべて悪いわけでは無い。自我も個我も確立されていない胎児が生きるために本能で行動した結果であり、胎児であった真夜も真昼を助けるために自らの力を譲渡したのだ。兄だけを一方的に責めるのはお門違いだ。それならば真夜自身も責められるべきだろう。
ただ兄を助けられた事を誇らしく思う自分がいるが、逆に兄を助けさえしなければあの十五年は無かったと思う自分もいる。笑いがこみ上げてくる。何て矮小な人間なのだろうかと自嘲する。
力を得て兄よりも強くなり、すべてを乗り越えたと達観していたはずが、真実を突きつけられその事に怒りを覚えている。
異世界を救った英雄の一人であり、勇者達を守る守護者であった男の性根は随分と情けないものだと思った。
(ったく。乗り越えたと思ってたし、もう全部受け止めたはずなのに、真実を知ってここまで苛立つとか、ほんとに情けないな、俺は。けどよ、兄貴。それも反則だろ?)
真夜は真昼の顔を見る。真昼は操られている状況にもかかわらず、涙を流していた。能面のような顔であるはずなのに、どこまでも深く傷つき、苦しんでいるのを真夜は察した。
兄も苦しんでいる。真夜の力を奪ったことを後悔している。それが分かるだけに、自分の一方的な感情をぶつけるのは間違っていると思ってしまった。
(ああ、くそっ! あいつらが今の俺を見たら何て言うかな)
勇者パーティーの面々の顔を思い浮かべる。共に語り、苦楽を共にして来た人達。自分を支え、導き、叱咤激励し、今の自分を形作る手助けをしてくれた大切な仲間達。
だから、自分がすべきことを口にする。
「取りあえず、兄貴を助けるついでに朱音に習ってイライラした時は暴れるとするか」
と、先ほどとは違い不敵な笑みを浮かべながら宣言した。
「ちょっと! 何でそこであたしを引き合いに出すのよ!」
離れたところで聞いていた朱音が抗議の声を上げた。彼女は真夜の霊符の効果で身体能力が向上している。聴力も強化されていたのと、聞き耳もしっかり立てていたので、真夜の呟きを拾うことが出来た。
「いや、偉そうな事を言っておいて、俺もまだまだガキだったみたいだ。兄貴を憎んでも恨んでもいないはずなんだが、それでもやっぱりイライラはするんだよ。だから朱音みたいに暴れて解消する」
思い悩む自分自身に葛藤している。父である朝陽に対しての思いと、兄である真昼に対する思いはまったく違う物だった。自身の十五年間の苛立ちや鬱屈とした気持ちが再び沸き上がってきた。
だからこそ、真夜は無性に暴れたい気分だった。情けないことこの上ないし、どこまでもガキだと言う自覚はある。それでもこのまま内に溜め込んでいるは精神衛生上よろしくない。
「暴れてすっきりする。敵も倒して兄貴も助けて行方不明者も救出してめでたしめでたし。だから……」
『ひぃっ!?』
「教えてくれて感謝してるが、朱音達への借りもあるからな。八つ当たりはさせてもらうぞ。ああ、心配しなくても楽にあの世に送ってやるよ」
どう猛な笑みを浮かべる真夜に磐野媛は先ほど以上に恐怖した。まだ人間であった頃のように、いや、こんな恐怖などは生前にも感じたことなど無かった。
『わ、妾は皇后なるぞ! ふ、不敬じゃ!』
「元だろうが。悪霊がほざくなよ。さてと、じゃあ暴れさせてもらうか」
全身から抑えていた霊力を解き放つ。結界は渚に頼んで周囲に展開してもらっているため、外部には漏れないだろう。
『な、なんじゃその霊力は!? お前はこやつにすべての力を奪われた出涸らしではなかったのか!?』
真昼よりも尚も高い霊力に思わず尻餅をついてしまう磐野媛。残った武人達が彼女を守るように周囲を囲むが、磐野媛にはこの武人達でさえも紙の壁でしか無いように思えてしまう。
「ゲェッコッ! こ、こんなのどうしろってんだ!」
周防の大蟆も桁違いの真夜の霊力に恐れ慄いている。この場での立場は完全に逆転した。
「そう言えば、兄貴と本気で喧嘩したことは今まで一度もなかったな」
兄に突っかかっていった記憶はあまりない。どちらかと言うと真夜が避けていたし、真昼が真夜に構ってきても突き放した事が大半だ。殴り合いの喧嘩なんてしたことは無い。
「操られてる状態の兄貴との戦いが兄弟喧嘩かって言われれば疑問だが、そっちも持てる力を全部出せよ。俺も本気で行くからな」
『ば、馬鹿め! 貴様は兄と他にも二体の超級クラスの妖魔がおるのじゃ! 三対一で勝てるものか!』
腰を抜かして、ガクガク震えて特級妖魔クラスの威厳も何も無いが、磐野媛はまだ自分の最強の配下達の強さを過信し誇っていた。
だがそれもすぐに間違いであると思い知らされることになる。
「来い、ルフ」
真夜の額に刻印が浮かび上がり、背後に魔法陣が出現する。光の魔法陣の中から出現するは、真夜の守護霊獣にして最強の堕天使ルシファー。
「Aaaaaaaaaaaaaa!」
ルフが声を発すると、膨大な霊力の奔流がこの部屋全体を振るわせる。全力の放出では無いであろうに、強化された渚の結界が音を立てて軋む。
『なんじゃそれはぁぁぁぁっっ!?』
「なんなんでぇっ! そりゃよぉぉぉぉっっっ!?」
もはや磐野媛も周防の大蟆も涙目である。何故にこんな化け物が現れるのだ。ルフの力を目の当たりにした二体は戦意を半ば喪失していた。あり得ないあり得ないと何度も呟いている。
「鞍馬天狗。兄貴と守護霊獣達は俺達がもらうぞ」
「ふん。好きにせい。儂は残りをもらうぞ」
鞍馬はちらちらとルフの方を何度も横目で確認しながら真夜の問いかけに答える。ルフもルフで鞍馬天狗に手を軽く振っている。鞍馬はそんなルフにぷいっと子供のように顔を背ける。ルフはそんな鞍馬を微笑ましく見ながら微笑を浮かべている。
だがそんな行動も束の間。ルフは真昼の背後に控える前鬼と後鬼の二体の超級妖魔へと視線を向ける。
「中々の相手だ。油断するなよ」
真夜の言葉にルフは軽く頷く。ルフは手を頭上にかざすと、渚が展開していた結界をさらに強化するだけで無く、新たな結界を構築した。
真紅に輝くドーム状の結界。空間が押し広げられていく。新たな結界の構築と展開により、この室内の広さが変化していく。
「これって!」
「空間が拡張されていきます。この空間を乗っとったと言うことでしょうか」
朱音と渚もルフの力の一端は知っていたが、やはり驚くべき力と能力だ。
「あ、あれは一体何なのですか! いや、それよりもあれは本当に真昼様の弟の真夜殿なのですか!?」
朱音と渚の隣で混乱しているのは楓だった。彼女が知っている真夜は無能である時の真夜である。このような真昼を大きく上回る霊力を有しているなどあり得ない。
さらにあの堕天使。前鬼や後鬼、それに鞍馬天狗すらも遙に凌駕する存在を従えているなど、本当に真夜かどうか疑わしくなったのだろう。
「そうよ。あれが今の真夜よ。だから心配しなくてもいいわよ。絶対真夜は真昼を助けてくれるわ」
「はい。今は手を出さないでおきましょう。これは真夜君達の問題です」
「で、ですが!」
「あの二人って言うか、あの強さの中に入っていけると思ってるの? どう考えても無理でしょ?」
朱音の言葉に楓は押し黙る。彼女も弱くは無いが、最上級妖魔の戦いならばまだしも、超級やそれを超える存在達の戦いの中へ入っていけるほどの強さは無い。
「真夜君を信じてあげてください。彼は朱音さんだけで無く皆さんを助けるためにここに来ました。決して悪いようにはしないはずです」
「ええ。だから楓さんも真夜を信じてあげて。それとあたし達も出来ることをしましょう」
朱音はそう言うと回復したのか霊器を顕現させると、力強く握りしめた。
「朱音さん?」
「あたしもやられっぱなしじゃ癪なのよね。それにこれはあたし達が受けた依頼なの。少しは自分達で完遂させないとダメでしょ?」
彼女の見据える先には狼狽している磐野媛や周防の大蟆がいる。真夜達が来る前は、恐ろしく強大な敵の集団だったが、今では見る影も無い。
「鞍馬天狗様がお譲りしてくれるでしょうか?」
「失敗してる身としては辛いわよね。でも少なくともあの憎らしい蝦蟇くらいは譲ってもらいたいわね」
渚と朱音が鞍馬天狗に視線を向けると、彼はまたフンと鼻を鳴らした。
「そこな娘。まあよいじゃろ。だが後の雑魚は儂がもらうぞ。それと今度はしくじるなよ?」
聞こえていたのだろう。あっさりと譲ってくれた。
「感謝します。あともうしくじりませんので」
「朱音さん、援護は必要ですか?」
「危なそうだったらお願いね。でもそんな事にならないとは思うけど」
朱音は霊力を解放する。真夜の霊符も朱音の心に反応するかのように輝きを増し、彼女の力を底上げしていく。
「前よりもずっと強い感じね。今なら特級妖魔とも単独で渡り合えるかも」
強化されているが、それでも強くなったと言う自負はある。妖魔達の方へと進むと、槍をくるくると回し構えを取る。
「あたし達の方も再戦といきましょうか? 言っとくけど、さっきと同じようになるとは思わない事ね」
「な、舐めるんじゃねぇ! 俺っちに勝てると思ってやがるのか!?」
「勝てるかどうかじゃなくて勝つのよ」
動揺を隠せないまま槍を構える大蟆に対して、朱音はどこまでも落ち着きながら槍を向ける。
二つの槍が交差すると同時に、他の戦いが始まった。
「Aaaaaaaaaaa!!」
「グォォォォォォォ!」
「コォォォォォォォ!」
ルフが翼をはためかせ、前鬼と後鬼に向かうと彼らもまたルフを迎え撃つために突撃を行う。
覇級クラスと超級クラス二体がぶつかり合う。鞍馬天狗もまたそんな彼らを尻目に、武人達へと襲いかかる。
「五体もいることだ! せいぜい儂を手こずらせてみよ!」
鞍馬天狗の錫杖が磐野媛を守る武人へと振り下ろさせる。
彼方此方に喧騒が広がる中、真夜はゆっくりと真昼に近づいていく。
「俺達も始めようか、兄貴」
そう言うと真夜はかつては決して敵わなかった兄へと戦いを挑むのだった。
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