第九話 絶望の中で

 

 壁に妖術で磔にされた朱音と楓は、瀕死ではないものの満身創痍の状態だった。衣服は何とか原型を保っているが彼方此方が破れ、その白い肌は傷まみれだった。


 霊力は底をつき、致命傷こそ無いが、あちこちに切り傷や刺し傷が刻まれている。


 二人が他のメンバーと違い、何故このように磔にされているのか。それは彼女達が扉の外にいたこと。そして最後の最後まで必死に抵抗したからに他ならない。


 最奥に突入したメンバーは、十三体の最上級妖魔と磐野媛の前に敗北した。


 霊器持ちが二人いたが、如何せん内部では全力を出し切れなかった。勇助が結界を展開して、退魔師側に有利に運ぼうとしたが、彼の努力をあざ笑うかのように別の結界が発動した。


「なっ!」

『無駄じゃ! この部屋に入った時点でお前達の未来は決まっておるのじゃ!』


 両手を上げ、術を行使する磐野媛。あり得ない、信じられないと勇助は感じた。どう見ても素人の術では無い。高位の術者が展開するレベルだ。


 室内の床が光り輝くと六芒星の陣を浮かび上がらせた。周防の大蟆が持つ宝玉と同じ物が六カ所に設置され、それらが起点となり別の結界が展開した。


(力が抜けていく! 霊力を持つ者を弱体化される陣だと言うのか!)


 霊力が吸われているかのような感覚。さらに霊術を使用しようとすると、結界に阻害されているような感覚があった。


 この場の全員、それこそ霊器持ちや雷獣まで同じように力を吸われている。


(まずい! ただでさえ不利な状況が挽回不可能なまでに悪化した!)


 十二の武人達はそれぞれに散開して、各個撃破しようとしている。周防の大蟆も火織に狙いを定め今にも襲いかかろうとしている。


「くっ! みんな、一カ所に集まるんだ!」

「ゲコゲコ! させるかってんだ! 俺っちが相手をしてやらぁ。それにしてもおめえさん、結構な体つきだな。俺っち好みだぜ」


 各個撃破されないように火織は周りに叫ぶが、下卑た笑みを浮かべる周防の大蟆が彼女の邪魔をする。


「ボクはお前なんかの好きにされたりはしない!」


 大剣と槍が幾度も切り結ぶが、火織は時間が経つに連れて動きが悪くなっていく。逆に周防の大蟆は力を増していく。さらに精神状態も良いとは言い切れない。


「おおおぉっ!」


 横合いから周防の大蟆に向けて斬りかかる影があった。火織の兄である赤司だ。彼は周囲の武人達を振り切り、妹を守るために大蟆の意識をこちらに向けるため声を上げながら、炎を纏った七支刀を振り下ろし蝦蟇を切り裂こうとする。


「がっ!」


 しかしその攻撃が当たる前に、彼に向かって攻撃が加えられた。磐野媛が手をかざし、妖気の塊を赤司へとぶつけたのだ。彼はそのまま壁に叩きつけられた。


「お兄様!」

『何を手間取っておる。お前達、とっととこやつらを捕らえよ』


 苛立ちを隠そうともしない声色で磐野媛が周囲に命令する。壁に叩きつけられた赤司だが、それでも七支刀を構え必死に抵抗を続けようとする。


「大丈夫、お兄様!?」

「……ああ。だが」


 火織に介抱されながら、赤司は何とか虚勢を口にするが、顔を歪め事態の深刻さを改めて認識する。時間が経つに連れて不利になる退魔師側。逆に妖魔達はその力を増していっている。


「それでもボクは諦めないよ」

「……そうだな」


 妹の言葉に赤司も何とか状況を打開しようとする。しかし退魔師側は抵抗空しく各個撃破され捕らえられることになる。


 また同じく外でも絶望が訪れていた。


 真昼が突然苦しみだした。彼の首に突然、黒い勾玉の首飾りが巻かれ、そこから妖気が溢れ出し彼を浸食していく。


「真昼様! くっ、こんな物! っう!」


 楓が駆け寄り首飾りを外そうと手を伸ばすが、触れた瞬間に彼女の手が勾玉から発せられる妖気に弾かれ傷を負った。


「真昼! 何なのよ、一体!」


 朱音は真昼の心配をしつつ、前から迫ってくる三体の最上級妖魔に意識を向ける。先ほどの不気味な声も気になる。警戒を怠るわけにはいかない。


(先に目の前の相手を仕留めて、それから真昼を助ける!!)


 だがそんな朱音の決意をあざ笑うかのように真昼に変化が起こった。


 真昼の身体から霊力が吹き荒れた。その場にいた朱音、楓、早苗は思わず眼を見開いた。真昼の目が虚ろになり、能面のような顔をしているからだけではない。


 彼が小太刀を構え、楓に斬りかかったからだ。


「真昼様!?」

「くっ!」


 咄嗟に朱音が霊器で小太刀を受け止めた。


「なにやってるのよ、真昼!」

「真昼様! しっかりしてください!」


 朱音と楓が叫ぶが、真昼は何も答えない。それどころかさらに二人に攻撃を加えてくる。朱音は必死に真昼の攻撃を槍で捌くが、防戦一方になってしまう。


「そんな! 操られてるって言うの!?」


 朱音は即座に真昼の状態を考察すると、次に動くべき行動を考える。


「君島さん! 今すぐに式神を外に飛ばしてこの状況を伝えて! それから貴方はできる限り援護して! あたしと楓さんで対処するから! 真昼は何とかして助けるから力を貸して、楓さん!」

「承知しました! 真昼様は必ず助けます!」

「は、はい! すぐに式神を外へ飛ばします!」


 緊急用の無線を真昼が持っているため、外へと連絡できない。すでに一度、真昼が外へ連絡はしているが、詳細は伝わっていない。中の勇助の方もどうなっているかわからない。


(最悪の状況よ! 中もそうだけど、真昼が操られるとか洒落になんないわ)


 前門の虎、後門の狼どころの話では無い。朱音と楓の二人では限界がある。


 朱音と楓は早苗を庇いつつ、妖魔達にも対処するがそんな彼女達を絶望させたのは、真昼の存在だけでは無い。閉じられた扉が開き、中から出現する軍勢。


「なっ!? そんなまさか! みんな!」


 朱音が目にした光景は、地面に倒れ伏す勇助を初めとした同行者達。そして不気味に嗤う磐野媛とその配下達。


『まだおったか。じゃが妾の前にひれ伏すが良い』


 ギリッと歯を噛みしめ、朱音は苦々しげな表情を浮かべる。


「……最後まで抵抗するわよ。それでも構わない?」

「問題ありませんね。私は真昼様をお助けするまでは死ねませんので」

「上等。あたしも死ぬつもりはないから!」


 この場を逃げると言う選択肢も考えた。だが通路には三体の最上級妖魔と真昼が逃げ道を塞ぐ形で立ちはだかっている。


 さらにその後ろにも無数の妖魔とおぼしき埴輪の馬やら武人が立っている。彼らを突破する事は困難であろう。挟撃されて終わりだ。

(なら、大本っぽい相手を倒すだけよ!)


 一瞬で判断し、行動に移そうとする朱音と楓。


 しかし……。


「なっ!?」

「これは!?」


 室内に足を踏み入れた瞬間、彼女達は結界に囚われた。霊力を奪い、退魔師を弱体化させる結界が二人の身体を蝕んでいく。


『ふふふふふ。愚かじゃな。少し結界を解いておったら、まんまとかかりおったわ。この者達がどうしてこうも容易く倒されたのか考えるべきであったな』


 あざけり嗤うような磐野媛の言葉に、朱音は感情が爆発しそうになった。相手では無い。自分自身にだ。


(真夜にあれだけ言われたじゃないの。油断や慢心をするなって! 簡単に罠にかかるなんて、どんだけ馬鹿なのよ、あたしは!)


 奇しくも先日に真夜が六道幻那にされたことと似たような状況だ。違いは朱音にはこれを打破する力が無いと言う点だ。


「それでも!」


 霊器により霊力を増幅させると、朱音は一気に駆けだした。


『なにっ!?』

「はあぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 霊器での刺突。穂先に収束した炎の霊力が妖気を切り裂き燃やし、朱音の周辺を一時的に浄化する。結界で霊力を吸われ、さらに霊術を拡散させられたり妨害されたりしているが、完全に使えなくなったわけではない。


(なら、一撃を以て相手を倒す!)


 朱音はこのすべての元凶であると思われる磐野媛を倒すことこそ、状況を打開する最大の一手であると考えた。彼女の霊感もそれを後押しした。


 最大の攻撃力を誇る炎の霊術の一点集中。如何に弱体化させられていようとも、当たりさえすれば相手に致命傷を与えられる。いや、身体にさえ突き刺せれば全霊力を以て焼き尽くしてやる。


 朱音の槍が磐野媛に迫る。まさかこの状況で自らを狙いに来るとは思っていなかったのか、はたまた予想はしていても朱音の判断と行動の速さに対処が間に合わなかったのかはわからない。


 朱音の霊器は確実に磐野媛を捉えた、はずだった。


「!?」


 だが朱音の攻撃が磐野媛に届くことはなかった。何故ならその直前に彼女を庇うように黒い武人の埴輪が突然出現した。


 槍は埴輪を貫くが威力を殺された。それでも磐野媛に届いたが、彼女が展開し自身を守っていた妖気の障壁と激突し相殺されてしまった。


「しまっ……」

『この小娘がぁっ!』


 激高した磐野媛が両手をかざすと、妖気の奔流が放たれ埴輪ごと朱音を巻き込んだ。


「くぅぅぅぅっ!」


 地面に叩きつけられた朱音は痛みに顔をしかめる。


「ゲコゲコ! 姫様を襲うとはふてえ奴だ。それにお前さんもべっぴんだ。どれ、俺っちが直々に相手をしてやるぜ」


 周防の大蟆が今度は朱音に目標を変えた。朱音は全身を襲う痛みを無視して、直ぐに立ち上がると槍を構える周防の大蟆にこちらも槍を構えて向かい合う。


「さあさあさあ! 俺っちの槍捌き、躱しきれるかな!」

「舐めんじゃないわよ! 槍で妖魔に負けるわけにはいかないのよ!」


 槍の扱いは負けない。朱音は周防の大蟆の槍を捌ききっている。


「ゲコッ!?」


 火織よりも圧倒的に手強い朱音に周防の大蟆は冷や汗を流す。現状は互角。これで弱体化しているのだから恐れ入る。


 だが朱音に勝ち目は無い。何故なら……。


「っ!」


 周囲から次々に武人のミイラ達が朱音に向かい襲いかかってきたのだから。彼らは連携して朱音に攻撃を繰り返していく。


 朱音の身体に切り傷が増え出す。何とか紙一重で避けているが、動きが段々と悪くなっていく。


(まずい、このままじゃ!)


 視野を広く持ち、すべての相手に意識を向けているが多勢に無勢。その瞬間はすぐに訪れた。


 ドスッ。


「うっ、あぁぁぁぁぁっ!」


 周防の大蟆の槍が朱音の右肩を切り裂いた。ギリギリの回避が間に合わなかった。鮮血がこぼれ、彼女の服と身体を赤く染め上げていく。


(っうぅっっ! このままじゃまずい。何とかしないと……)


 ドサリ


 近くで何かが倒れる音がした。朱音は不意にそちらに気を取られてしまう。朱音の目には楓が他の武人達に切られ倒れた姿が映り込んだ。さらに早苗も外の妖魔に意識を刈り取られ気絶していた。


(……ごめん、真夜。もう会えないかも。でも最後まで絶対に諦めないから)


 朱音は覚悟を決めると、全霊力を解放し妖魔へと戦いを挑むのだった。



 ◆◆◆



『そろそろ起きよ。妾に対して無礼であろう』


 磐野媛が手をかざすと妖術が反応し、彼女達へと激しい痛みを与えた。


「うっくぅぅぅぅぅっっ!」

「ああぁぁぁぁぁっっ!」


 意識を失っていた二人を強制的に目覚めさせるには十分だった。痛みに声を張り上げ顔を歪ませ、彼女達は荒い呼吸を繰り返す。


『ふふふ、良い声じゃ。妾の荒んだ心が癒やされるようじゃ』


 恍惚の表情を浮かべる磐野媛を、二人は何とか未だに戦意を失わぬ瞳でにらみ返す。


『ふん。気に食わん。まだ痛めつけられたいらしい』


 再び妖術が二人を襲う。


「っぅぅぅぅっ!」

「ぅぅぅぅぅぅっっ!」


 二人は何とか声を上げまいと必死に耐えた。自分達が悲鳴を上げれば相手を喜ばせるだけだと理解しているから。


 楓は何とか顔を上げる。操られ虚ろな目をした真昼の姿を見ると涙がこぼれそうになった。


(真昼様。申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに貴方を助けることができませんでした)


 自分の身よりも真昼の心配をする楓。その胸中は後悔の念で溢れていた。


『ほう。その状況でまだ強がるか。忌々しい!』


 磐野媛は一度妖術を弱めた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 朱音は呼吸を整え体力、霊力を少しでも回復しようと努める。喋るつもりは無かった。敵と言葉を交わしてもこの状況では得られる物は少ない。下手に会話をして相手を刺激しては状況が悪化しかねない。それよりも喋らずに体力の温存と回復を優先する。


(ははっ、状況は最悪ね……。でもまだ死んでない。最後まで諦めてやるもんですか)


 口元をできる限り吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。それだけで心が奮い立つような気がした。


『気に食わん。気に食わんぞ! もっとみっともなく泣き叫べ! 妾に命乞いをしろ! 恐怖と絶望の声を妾に聞かせよ!』

「くぅぅぅぅぅぅっっっ!」


 朱音の身体が痙攣したかのように跳ねる。全身を激しい痛みが襲う。また気を失ってしまいそうだ。いっそ死んだ方が楽になれるかも知れない。


(……だめ。弱気になるな。絶対に諦めない。渚は諦めなかった。あたしももう二度と折れたりしない。真夜とも約束したんだから)


 脳裏に渚と真夜の顔を思い浮かべる。二人と約束したんだ。渚にも負けたくないし、真夜にも顔向けできないような情けないことはしたくない。


『ふん。面白い。ならばその強がりがどこまで続くか見ていてやろう。おい』

「へい、姫様。これをあいつに埋め込めば良いんですね?」


 周防の大蟆が磐野媛に言われるままに、その手に紫色の宝玉を持つ。それを見て朱音は息を飲んだ。


(あれってまさか、あの時の鬼に使われていた物と同じじゃないの? それにあの蝦蟇の武器の槍にもついてたし……)


 朱音の身体が無意識にカタカタと震えだした。あれを埋め込むと蝦蟇は言った。本能が、霊能力者としての根幹があれを拒絶し、恐怖しているのだ。


 もしあれが妖気の塊ならば、あんなものを埋め込まれたら自分は人間では無くなってしまう。


(いや! そんなの絶対に嫌!)


 何とか拘束から逃れようと最後の力を振り絞って抵抗する。しかし今の朱音の状態では拘束を破るのは不可能であった。


『ふふふふ。良い顔じゃ。恐怖と絶望に染まった顔じゃ。ほれほれ。妾に懇願してみよ。さすれば妾の気も変わるかも知れんぞ?』

「俺っちはどっちでも良いぜ? まあ妖魔になったら仲良くしよか!」


 悔しいと朱音は思った。何故自分はこんなにも弱いのか。不意に言葉が出そうになる。心が折れそうになる。


 それでも朱音は弱音を吐こうとしない。何とか心を強く持とうとする。それが無意味であっても、こんな奴らに懇願などしたくない。


(真夜!)


 朱音は目をきつく閉じ、思わず真夜の名前を心の中で呟いた。それが今朱音に出来る必死の抵抗であった。


『つまらん。ならばお前が妖魔になる様子を眺めさせて貰おう。やれ、周防の大蟆よ』

『へい、姫様!』


 蝦蟇がゆっくりと朱音に近づこうとする。


 だが……


 ヒュゥゥッ!


 突如、室内に風が吹いた。いや、風では無い。何かが侵入してきたのだ。


「な、なんでぇ!?」


 周防の大蟆が天上を見上げる。それは白いツバメだった。しかし一羽では無い。


 一、二、三、四……合計で九羽ものツバメだった。それらは頭上を飛び交うと七羽は粘膜に囚われている者達へと飛来した。粘膜を突き破りツバメ達は一人に一羽ずつその身体に触れると霊力の防御結界が出現した。


 傷つき、妖気に晒されていた者達の身体を浄化し癒やしていく。


 残り二羽もそれぞれに朱音と楓の方に飛来すると、彼女達の身体に優しく触れる。


 瞬間、二人にも防御結界が展開される。同時に身体が回復していく。


「こ、これは!?」


 楓は驚愕に目を見開いた。ツバメの背中には薄らとしか見えないが、霊符が張り付いていた。


「ははっ。ほんと、タイミング良すぎよ、馬鹿。まさか狙ってやってるんじゃ無いでしょうね」


 思わず朱音はそんな事を呟いてしまった。しかしその顔はどこまでも安心しきった表情だった。


 だって、これは、この霊符は……!


 そして彼らがこの場へと姿を現す。この部屋以外の妖魔を殲滅した異世界帰りの最強の退魔師・星守真夜が、参戦したのだった。


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