第七話 密告


(遅くなってしまいましたね)


 渚は駅のホームから降りて、そのまま改札口へと急いだ。


 京極の本家からの依頼の退魔の仕事を終え、急ぎ戻ってきたのだが、時刻はすでに午後六時半。真夜の家に行くには少し遅すぎる。


 今日は朱音の方も退魔の仕事に赴いており、真夜は一人自宅でトレーニングをすると言っていた。仕事を早く終わらせたかったが、真夜にも指摘されたとおり油断や慢心をせず、焦らずに退魔に当たったため、この時間になってしまった。


(仕方がありません。残念ですが今日は真夜君の家に行くのを諦めましょう)


 仕事自体は問題なくこなした。すでに渚の実力は上級妖魔であれば殆ど問題なく倒せるレベルだ。さらに京極と言う事で、彼女はあらゆる術に適正があり、すべての術を平均レベル以上に習得している。


 無論、特定の術に特化した他の六家に比べれば、一つの属性の強さは大きく落ちるが、臨機応変に術を行使出来るため、どんな状況下でも問題なく対処出来ると言う強みがある。


 また最近では真夜とも手合わせを行い、術の練度や適切なタイミングでの使い方を研究している。どれだけ本気を出そうが、そのすべてを受け止め、無効化する真夜が相手であるために、渚も気兼ねなく全力を出せる。それが彼女の実力をさらに高める事になった。


(朱音さんももう仕事を終えた頃でしょうか)


 自分よりも強い朱音が退魔の仕事を失敗するとは考えづらい。さらに今回は星守との合同での仕事と言っていたし、手練れも多い。連絡が無いのはただ仕事が長引いているだけだろうと考える。


 しかし……。


(何故でしょうか。嫌な胸騒ぎがします)


 どうにも言いしれぬ不安が胸中に渦巻いている。こんなことは今まであまりなかった。なのに今日に限って、どうしてこうも嫌な感じがするのだ。


 Pppppppppp


 不意に持っていたスマホが振動した。振動の長さからして電話のようだ。渚は誰からだと思いディスプレイに表示されている相手の名前を確かめる。


 それは渚の父である京極清彦であった。


「はい、渚です」

『今、どこにいる?』


 開口一番に前置きもなくそんな事を聞いてきた。一族では堅物と言われているが、渚に対してはそれがより顕著に思われる。


「下宿している家の最寄り駅です。時間が時間ですので、本家へは明日にでも向かおうと思っておりましたが」

『なるほど。ちょうど良い。お前に新しい仕事を与える』

「新しい仕事ですか?」


 怪訝そうな顔をする渚。父が急に仕事を振ってくるのはいつものことだが、まだ今日の仕事の報告も終わっていないのに、新しい仕事とは。


『確かお前は先日の件で、火野の娘と接点が出来ていたな?』


 清彦の言葉に内心で父が何を考えているのかと考える。今もなお、懇意にしているとは伝えていない。あくまで接点が出来、京極として利用できると言う事を伝え関係を維持しているとしている。


 でなければ、何を言われるか分かったものではないからだ。


「はい。ですが、それが何か?」

『先ほど京極の方に何者からかの密告があった。火野と星守が共同で当たっていた退魔が失敗し、参加した者との連絡が取れなくなったとな』


 父の言葉に渚は激しく動揺した。思わず息を飲み、顔面を蒼白にさせた。


「そ、それは本当なのですか?」

『わからん。だからこそ、お前に確認しろと言っている。こちらでも真偽の程は確かめるが、伝があるお前の方が信憑性や密告の裏も取りやすいだろう。この密告は他の六家にも伝わっているようだ。ふん、次期当主クラスが軒並み行方不明とはな。どこの誰が描いた筋書きかは知らぬが、大胆なことだ』


 清彦の言葉を耳に入れながらも、渚は動揺が抑えられないでいた。いつもなら、このように感情を大きく揺さぶられることはないのだが、この時ばかりは自分自身で抑えられなかった。


『事実だとすれば、行方不明の者達が生きている可能性は低いだろう。この事で火野、星守の力は大きく衰退するだろう。我々はいち早く動き、この件を利用する。火野、星守にも大きな貸しを作れるかもしれん』

「わ、わかりました。早急に確認し、連絡致します。しばらくお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?』

『構わん。だが急げ。他の六家も事実が確認でき次第即座に動くであろう。だが先んじて京極が動く必要がある』

「はい。すぐに……。では失礼します」


 渚は通話を終了すると、即座に朱音に電話をかける。だが繋がらない。電源が入っていないか電波の届かない所にいますと言う音声しか流れない。


「朱音さん! ……真夜君!」


 渚はそのまま真夜へと急ぎ連絡を入れるのだった。


 ◆◆◆


 火野、星守の本邸はそれぞれに恐慌状態と言っても過言ではなかった。


 それもそのはずだ。今回初めて共同で当たった火野と星守の退魔において、参加者全員との連絡が取れなくなり行方不明と言う結果になっているからだ。


 現場の外で待機していた式符使い達に内部からの緊急連絡が入ったのを最後に、内部とは一切の連絡が取れなくなった。小型無線に呼びかけても何の応答もしない。式符使いの式神を内部へと送り込んでも、そのすべてが悉く消失していた。


 さらに内部からはより強大な妖気が溢れ出し、最上級以上の妖魔が存在する可能性さえも伝えられてきた。


 今回参加した者達の多くは、それぞれの一族を担う使い手であり、戦闘能力においては一流と呼んでも差し支えない実力を有していた。霊器使いも三人おり、若手最強の星守真昼までもがいた。


 なのにこの結果は火野、星守を大いに混乱させるには十分だった。


「ああ、わかっている。私の方も準備ができ次第すぐに現場に向かう。しかしこちらも時間がかかりそうだ」


 星守の本邸でも電話を片手に、火野と連絡を取り合っている朝陽の姿があった。


『こっちも急ぎ手練れを集めて向かう。当主も動くために準備をしているが、生憎とすぐには動けん』


 電話の相手は火野紅也であった。二人ともかなりの焦りが覗える。


「わかっている。私も先ほど話をした。だがまさかこんなことになるとは……」


 朝陽としてもこの結果は予想外すぎた。いや、火野・星守双方に取って想定外だった。朝陽も紅也もお互いの子供が行方不明とあっては、内心穏やかではいられない。


 それでも当主として、一族の重鎮としてそれを表に出すことはしないが、今回の問題はそれだけではないのだ。


「何者かが他の六家へと今回の件をリークしていると情報を得た。この件、確実に仕組まれていたようだ」


 朝陽がこの件を知ったのは、氷室氷華からの連絡だった。彼女は今、氷室の全権を握っている。直に当主として立つだろう。先日の恩もあり、彼女は即座に朝陽に連絡を入れてくれたのだ。


(彼女には感謝だね。水波の方も彼女と流樹君がある程度は抑えてくれるだろう)


 黒龍神の一件での貸しが、今回は役に立った。彼女達は星守に協力的だ。だが他の六家は違う。風間はどうかわからないが、雷坂と京極は今回の火野と星守の失態を利用し、確実に動くだろう。


『……ああ。だがそうなると犯人の狙いは何だ?』

「六家のパワーバランスを崩そうとしているのか、それとも他の思惑があるのか」


 現時点では情報が少なすぎて何も分からない。しかし事態は最悪と言っても言い方向に向かっている。


「とにかく私も現場に向かうための準備を整える。人も集めなければならない。本邸の方は先代が指揮を執ってくれるし、他への圧力もしてくれている」


 未だに星守だけでなく他方に影響力を持つ星守明乃がいれば、朝陽も動きやすい。本来は朝陽は当主として残るべきだろうが、政治に近い部分は明乃の方が適任であるし、さらに今回は最強クラスの実力が必要だ。


『わかった。だがこっちも行方不明になった奴らの実力を考えるなら、それを上回る実力者を集めるのは時間がかかる』


 紅也も朝陽も苦虫を噛み潰したような顔をする。今回参加した術者を上回る術者は、火野・星守においても殆どいないのだ。しかもそれらのベテランが別の案件で不在だったため、今回のメンバーが選ばれた。


 その者達を呼び戻し、準備を整え万全の体制で向かうには、多少の時間がかかる。


「丸一日いや、二日は必要か」


 どんなに早くても明後日の朝になるだろう。もし古墳内部に現時点で生存者がいても手遅れになる可能性がある。だが下手に突入してミイラ取りがミイラになったのでは話にならない。


『こちらも急ぐ。だから朝陽……』


「わかっている。そちらも頼む」


 朝陽は紅也との通話を終えると、急ぎ準備に取りかかる。


 紅也は一人娘の朱音が心配でたまらないのを朝陽は気づいている。女性の場合、退魔の場では生き延びる可能性は高いが、それは悲惨な目にあっての生存である。


 殆どの場合、救出が遅れれば遅れるほど、精神崩壊を起こし、退魔師どころか一般的な生活を送るのさえも困難になる。


 男の退魔師の場合は、餌にされることが殆どだ。だからもし妖魔に襲われていれば、真昼を含めて参加者の半数の生存は絶望的だ。だからこそ、朝陽は最悪の状況も覚悟していた。


 purururururu


 そんな時、朝陽のスマホに着信が入る。相手の名前を見て、朝陽は目を見開く。そこにはもう一人の息子の名が浮かび上がっていた。



 ◆◆◆



『もしもし』

「ようやく出たな、親父。忙しい所悪いが、詳細を聞かせてくれ」

『……何のことかな、真夜?』

「この状況でとぼけるなよ。ある程度情報は入ってるんだ。朱音や兄貴が行方不明なんだろ?」


 真夜は自宅マンションのリビングから朝陽に電話をかけていた。その隣には渚の姿もあった。真夜への呼び方も真ちゃんではなく真夜と言っている時点で、朝陽に余裕がないのが理解できた。


『……どこでそれを?』

「渚経由だ。京極の方に密告があったらしいぞ。朱音とも連絡が付かない。つまりは事実なんだろ?」

『………』

「沈黙は肯定って受け止るぞ、親父。それはともかく詳細を教えてくれ。分かっている情報だけでも良い」

『それを聞いてどうするつもりだい、真夜?』

「決まってんだろ。助けにいくんだよ」


 何を馬鹿なと真夜は朝陽に言う。


「俺ならどんな状況だろうと打破できる。いや、してやる。親父も俺の今の実力は知ってるだろ? そこらへんの奴らよりも俺の方がよっぽど強い。今回の救出も俺なら問題ない」

『ダメだ、真夜。それは許可できない』

「許可は求めてない。俺が欲しいのは情報だけだ。俺は退魔師を名乗ることも、退魔師として活動することも禁止されてるが、行方不明者の捜索と救出は禁止されていない」


 詭弁と言うよりもへりくつに近いが、真夜としては関係なかった。朝陽の許可があろうがなかろうが、一人でも行動に移すつもりである。


『真夜の実力は知っている。しかし手練れの使い手が十人も未帰還となっているんだ。真夜一人を行かせられるはずがない』

「悪いが今回の件に関しては、親父の言葉でも聞くつもりはないぞ。それに親父も知ってるだろ。戦力は俺一人じゃない」

『それでもだ。今回は状況が違いすぎる。確かに真夜は強いし、切り札だってある。だが今回の案件は古墳の内部に入らなければならない。単純な強さだけでは無理かも知れない』

「古墳の内部が異界化してるって言うのか?」


 古墳のことは密告の内容から知っている。異界化とは現実の妖気や霊気などにより空間が歪み、内部が拡張したりしている場所である。異世界で言う迷宮やダンジョンと化している場所のことである。


 だが真夜は異世界でそんな場所にも幾度も潜ったことがある。経験と言う意味では真夜はこの世界でも有数の経験を持っている。


『そうだ。それに今回は火野からは霊器持ちが三人と真昼、それ以外の者達も確かな実力者達だった。その全員が未帰還なんだ。いくら真夜でも一人では行かせられない。せめて私や他の者と合流して……』

「それで準備にどれだけかかる?」


 朝陽の言っている事に理解を示しつつも、真夜は一番の問題を口にした。


「準備が調うまで、どれだけの時間がかかる? 数時間か? 違うだろ? 今回の件は火野も絡んでる。親父も独断専行は出来ないはずだ。なら向こうとも歩調を合わせる必要がある」


 星守の人間だけが行方不明になったのなら、朝陽が一人で動いても問題は無い。しかし事は火野も関わっている。向こうもメンツがある。星守だけで解決された場合、一族の名に傷が付くだけでは収まらない。


 今回の件はすでに京極には漏れている。他の六家にも密告があった可能性がある。


 そんな中、星守だけ、あるいは火野だけで解決した場合、もしくは他家の介入があった場合、何も出来なかった一族は退魔師界での権威が失墜する。


 火野も星守との距離を置くかも知れないし、仲違いが起こるかも知れない。他にも他家同士での協力を今後は行わないようになるかも知れない。


 もしこの事件を起こした者の思惑がそれならば、かなりの悪辣な策と言えよう。


「俺と親父が行ければ問題ないし、火野からも一人付ければそれで良いかもしれないが、向こうに俺の事を説明するにも時間がかかるし、向こうだって準備がある。けどな、親父だってわかってるだろ。もし行方不明の連中が今の時点で無事であっても、時間が経過すれば経過するほど生きてる可能性は低くなる。他にも朱音の場合は女だから余計に厄介な事になりかねないだろうが」


 火野の実力者が到着するのにどれだけ時間がかかる。朝陽とて指揮を執らなければならない立場でもある。


 こんな問答に時間をかけず、すぐ飛び出したい衝動に真夜は駆られていた。


 だが何も分かっておらず、最低限の情報すら手に入れていない状況で動いても碌な事にならない。朝陽の言う通り、強さだけでは解決しない問題もある。


 だからこそ、朝陽に連絡を入れ分かっている限りの情報を得ようとしているのだ。


「心配しなくても星守にも火野にも不利益になるような真似はしねえよ。正体を隠して、誰にも気づかれないように事を運ぶ。親父は後の事をまたでっち上げてくれれば良い」


 真夜一人で解決した場合も問題になるだろうが、正体が露見しなければいいし、最悪連絡を取って朝陽に火野の誰かと突入して貰えば良い。そうすれば対外的にはメンツも立つ。


『……今から行っても朱音ちゃんが生きているかもわからない。最悪の状況も考えられる。無残な彼女の姿を見るかも知れない。それでも行くのかい?』

「ああ。それでもだ。それにな、朱音がそう簡単に死ぬかよ。あと別に朱音だけの心配をしてるわけじゃなねえぞ、親父。兄貴の事もだ。それにな、何となくだけど分かるんだよ。兄貴は生きてるって」


 それは双子だからなのかも知れない。どこか、真夜は真昼と繋がっているような感覚があった。


 だからこそ、真夜は朧気ながらに兄の生存を確信していた。


「今ならまだ間に合うはずだ。朱音も兄貴もな。万全を期すためにも、できる限りの情報が欲しい。けど親父が情報をよこさないって言うのなら、俺は俺で勝手に動くだけだ」


 電話の向こうの朝陽は無言だった。何かを思案しているようにも真夜には感じられた。


 どれだけの葛藤があったのだろうか。朝陽はゆっくりと口を開いた。


『真夜。約束して欲しい。何があっても無事で帰ってくると』


 朝陽は当主としては間違った判断をしていると考える。しかし生存者の救出を最優先とするならば、真夜を行かせるのが良いと考える。それに何を言おうが真夜は考えを変えないだろう。


 それこそ情報を渡さなければ、そのまま一人で古墳に向かうだろう。古墳の場所も密告の内容にあった。だから渚経由で場所は突き止められる。


 こうなっては致し方ない。できる限りの情報共有をして協力体制を取る方が無難だと朝陽は判断した。


 真夜の実力は高く、あの堕天使もいる。さらに黒龍神の成れの果てを浄化した力やそれ以外の能力を考えれば、確かに真夜の力は信用がおけた。


 本当なら火野に事情を説明し、紅也を呼びつけ三人で向かうのが一番かも知れないが、それをするにはしがらみが多すぎる。


「当たり前だ。俺もまだ死ぬつもりはねえよ」


『それともう一つ。鞍馬を同行させる。私がいなくても鞍馬ならば足手まといにはならないだろ? それに鞍馬は幻術も使える。生存者がいた場合、真夜達の正体を隠すのにも役立ってくれるはずだ』


 それは朝陽の最大限の譲歩であり、最大級の支援だった。鞍馬も真夜の実力は知っており、戦力としては申し分ない。それに守護霊獣の契約で朝陽は鞍馬をいつでも召喚することが出来る。


 鞍馬のみだが、最悪の場合は呼び戻せるし、情報も持って帰れる。確かに鞍馬を常にこちらに喚び留めるにも朝陽の負担になるが、成功の可能性を上げる方が先決だ。


「俺としても願ったり叶ったりだ。俺の方はすぐに準備は出来る」

『必要な装備と情報を鞍馬に持たせて、すぐそちらに行って貰う。真夜はそのまま鞍馬と共に現場に向かってくれ。くれぐれも無茶はせず、最悪は内部の調査に留めること。常に連絡は取れるようにしておくこと。そして必ず帰ってくること。いいかい?』


 準備が調い次第、自分達も急ぎ内部へと向かうと朝陽は真夜に言い含める。


「わかった。そう心配すんなよ、親父。俺も、自分の実力を過信してるわけじゃない。やばいと思ったら、それなりの行動を取るさ」

『……真夜。頼んだよ』

「ああ、任せろ、親父」


 そう言って真夜は電話を切った。


「真夜君」


 隣にいた渚に声をかけられた。真夜は彼女が何を言おうとしているのか、すでに理解していた。


「私も連れて行ってください」


 渚は真夜へとそう告げるのだった。


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