エピローグ 


「ん、これ旨いな」

「まったく。あんな戦いの後に観光なんて良くするわね。しかも甘味巡りとか」


 甘いパフェの乗った器を持って、口に運んでいる真夜の隣に座る朱音はあきれ顔である。


 しかしその朱音の手にも、ちゃっかりと同じように甘いあんみつの入ったお椀があった。


「ですが、いつもよりも美味しく感じます。甘さが身に染みますね。温泉も気持ちよかったですし」


 黒蜜のかかったわらび餅を口に運びながら、真夜の対面に座る渚が同じように感想を述べる。


 京都の市街地で、人気のお店に立ち寄った三人は、それぞれに好きなスイーツに舌鼓である。


「一仕事終えた後のご褒美だろ? 温泉入って、旨い物を食べる。親父は親父で次の仕事に行ったし、あちこち観光するには時間が少なすぎるから、これぐらいはいいだろ」


 あの後、ある程度の話し合いが終わると真夜達は氷室の神域を後にした。氷室のことは氷室で何とかするだろうし、これ以上残って、第三者に姿を見られるわけにもいかない。


 流樹達が口を滑らさないか心配だが、それはまあ彼ら次第だろう。


 それに真夜も彼らに自分の力が露見したわけでは無い。理人も真夜に恩がある上に、次期当主の氷華も朝陽に多大な借りが出来た。


 星守との関係を悪化させないためにも、理人が口を滑らす事も無いだろうし、仮に滑らせても朝陽が黒龍神を討伐したことになっているので、何を言っているんだと言う話になるだろう。


 朝陽は朝陽で次の仕事があるので、後ろ髪を引かれながらも一人、泣く泣く別行動となった。


 三人はその後、温泉で汗を流した。風呂上がりにそれぞれ好きな飲み物を飲み、観光とおいしい物を食べるために街を散策して今に至る。


「星守君、本当にお疲れ様でした」

「ああ、京極も朱音もな。それよりも俺からも礼を言わせてくれ、京極。京極が親父に依頼してくれなきゃ、今回みたいに上手くはいかなかっただろうからな」


 もし真夜一人で黒龍神に挑んでいた場合、もっと大事件に発展していた可能性が高い。


 黒龍神一体だけだと考えていたが、まさかあれだけの妖魔が潜んでいるなど予想外すぎた。


 ルフを召喚したとしても、あれだけの数の妖魔を取り逃がさずに殲滅できたかどうかは疑問が残る。


 すべて倒せていたとしても、殆ど余力も残らず事後処理ももっと面倒で厄介なことになっていた可能性が高い。それこそ最悪は、黒龍神は討伐できたが妖魔の一部は逃げだして、被害を拡散させ犠牲者を出す事態に発展していたかも知れない。いや、下手をすれば真夜が黒龍神に敗北していた未来すらあるのだ。


 それを聞き、渚は柔らかな笑みを浮かべる。


「星守君には何度も命を助けて貰っていますから。少しは貴方の手助けが出来たみたいで何よりです」

「少しじゃねえよ。親父の件や雑魚妖魔の討伐とか随分と助けて貰った。ああ、もちろん朱音もな」

「何か取ってつけたような言い方だけど、まあいいわ。その通りだし、渚が色々と頑張ってくれたのは分かってるから」

「いえ、朱音さんも凄かったじゃ無いですか。討伐した妖魔の数は、私よりも多いですよ」


 若干ふて腐れる朱音だったが、自分が戦闘でしか役に立てていないので、それも仕方が無いと思っているから拗ねているのだ。


「拗ねるなって。朱音にもマジで感謝してるから。けど今回は本当に京極に助けられたよ。今回の埋め合わせは必ずする」

「いえ、元々私の方が星守君には多く助けて貰っていますので、お気になさらないでください」


 真夜の言葉に嬉しそうにする渚だが、不意に少しだけ上目遣いに真夜を見る。思わずドキリとしてしまうのは、男として仕方が無いだろう。隣の朱音は何とも言えない顔をしている。


「あの…、星守君。こんなことを言うのは何なのですが、でしたら一つだけ、お願いをしても良いでしょうか?」

「ん? なんだ。俺に出来ることなら構わないぞ」


 そう言った真夜に対して、どこか緊張した面持ちの渚はふぅっと一息つくと、何かを決心したように告げる。


「名前で、呼んで貰っても良いでしょうか? 朱音さんは名前で呼ばれていますから、私も、その……。京極と呼ばれるのは……」

「なんだ、そんな事か。わかった。これからは渚って呼ばせて貰う。これでいいか、渚?」


 ドクンと渚は自身の心臓が跳ね上がったのを感じた。真夜に名前を呼ばれただけでこれである。自分でも単純な女だと思ってしまう。


「あと俺も別に呼び方は真夜で良いぞ」


 さらに追加で渚にとっては爆弾のように投下される真夜の提案。朱音はそんな真夜に複雑そうな視線を向ける。


「なんだ、朱音?」

「ねえ真夜。あんたそれってワザとやってるの? それとも天然?」

「意味がわからん、とは言わねえけどその指摘はどうかと思うけどな」

「……もうね、色々思うところはあるけど、取りあえずは良かったわね、渚」

「ありがとうございます、朱音さん。……真夜君も」


 どこか少しだけ気恥ずかしげに名前を呟く渚に、真夜は思わず苦笑した。真夜としては二人の気持ちにある程度気づいているが、さりとて自分からどうこう動こうとはしない。


 残念ながら、真夜はこちら方面の経験は圧倒的なまでに不足している。そもそも女性と付き合ったこともないし、異世界でもそんな余裕は無かった。パーティー内でカップルはいたが、とても参考に出来るような物でも無い。


 と言うよりも二人の女性から同時に好意を寄せられていると言う状況があり得ないのだ。


(この問題もそのうち何とかしないとな)


 とは言え、今すぐどうこうできる問題でも無い。最適な解決の手段が見つからない。誰かに相談と言うのも難しい。朝陽に相談するかと一瞬考えたが、この方面ではあまり信用できない。


(……しばらく保留だな)


 男らしくないとか自分でも情けないと思うのだが、嬉しそうな渚と複雑そうな顔をする朱音に真夜は割と本気で頭を抱える。


 朱音の気持ちも、渚の気持ちも、あの夜に盗み聞きしていたこともあり、真夜としては無碍に出来ない。


 真夜もそこまで鈍くはないのだ。渚が自分への恩だけでここまでしてくれているなんて思っていない。


 だからこそ、真夜も悩むのだ。


(まあけど……)


 解決しなければならない問題だが、この三人の時間を真夜は好ましく感じていた。


 朱音も渚も打ち解けており、三人の関係は良好だと思う。


 現在、複雑そうな顔をしている朱音だが、さりとて渚を嫌っているわけではない。渚は渚でこれまで見たことも無いような笑顔で上機嫌だと分かる。


 しばらくこんな時間が続けば良い。真夜はそう考えるのだった。



 ◆◆◆



 某県某所。海の見える高台に立てられた洋館。高級そうな調度品が備え付けられた部屋の一角で、椅子に座りながら何かの本を読んでいた白髪・オッドアイの少年は不意に意識を本から離した。


「……黒龍神が消滅したか」


 少年は椅子から立ち上がると、窓から外を見る。青い空と青い海。波も穏やかで天気もいい。だがそれはまるで、嵐の前の静けさにも感じられた。


「監視に気づかれぬよう、慎重に事を進めていたが何とか欺けたようだな」


 少年――六道幻那は小さく呟きながらも安堵の息を吐く。


 幻那は近くの机に置かれていた水晶を手に取る。そこにはかなり遠くからではあるが、氷室の神域の映像が映し出されていた。


「視線に気づかれぬよう、術では無く現代科学を代用してみたが、なかなかどうして驚かされる」


 幻那は普通の鳥などに術をかけ操り、それらに映像記録用の媒体を埋め込み、情報収集を行った。


 式神や術で造った生物では見破られる。さらに遠見の術やそれに近い妖術でも確実に察知される。


 ならば機械を用いてやれば良い。確かに何者かに見られている視線を感じるかも知れないが、意識的に向ける視線ではないので、気づかれる可能性はかなり低い。


 無論、結界などで遮られたものは映像に映すことはできない。かなり少ない情報ではあるが、幻那は満足している。


 そこには一台の車と車から降りる真夜達の姿が映っていた。


「やはりお前か、星守真夜。お前の正体を知った時は酷く驚いたぞ。私達を圧倒した者の正体が、あの星守の落ちこぼれと呼ばれていた術者だったとはな」


 最初に自分を倒した少年の名前が、星守真夜と知った時、何かの間違いでは無いかと本気で疑った。星守真夜では無く、その兄の星守真昼の間違いではないかと。だが彼らの顔は似ているが違う。


 変装していた、あるいは弟を装っていたとも考えたが、自分の正体を告げたわけでも無いので、そう言った可能性は排除した。


 いや、幻那にとってはそんな事は些細な事であった。問題はその少年が自分達を倒したと言う事実なのだ。


「黒龍神を倒したのが誰か知りようも無いが、お前なのだろ? 私を、私達を倒した者よ」


 幻那は確信していた。あの少年が黒龍神を倒したのだと。黒龍神が消える少し前のタイミングで、あの少年が氷室の神域にいた。だとすれば導かれる答えはそれしかない。


「一人でか星守朝陽の手を借りたのかは分からぬが、手を借りぬともお前ならばあの堕天使と共に黒龍神すら葬るだろう」


 だからこそ厄介だ。そんな者の近くに自分が滅ぼすべき京極の人間がいる。


「今のままでは私はお前を倒せぬだろう。いや、お前を倒す必要は無いのだがな」


 ふっと自嘲するような笑みを浮かべる。幻那の悲願は京極一族を滅ぼし、その血を根絶やしにすること。


 如何に京極の娘が真夜と懇意にしていたとしても、必ずしも彼を倒す必要など無いのだ。


「……いかんな。肉体が若返ったせいか、妙に血気盛んだ。手段と目的をはき違えるなど、愚かでしか無いと言うのに」


 強くなったのも、数多の準備を行ったのも京極を滅ぼすため。今も強くなろうとしているのは、京極を滅ぼすためであって、真夜を倒すためではないのだ。


「いや私自身、自分を打ち破った者に全力で挑み、勝利したいのかもしれんな」


 自らの全力を以てしても敵わなかった存在。その存在を打倒し、六道一族の力を知らしめたいと心のどこかで願っているのかも知れない。


 自分自身の力のすべてを振るいぶつけてみたいと思っているのかも知れない。力を持つ者の性か、はたまた幻那自身の性か。しばらく後、幻那はかぶりを振る。


「愚かな感傷だな。我が目的は京極一族を滅ぼすこと。それ以外は必要ない」


 だからこそ、自らを鍛えることはしても真夜を打倒する事を目的にしてはいけない。あくまで万が一、真夜が介入してきた時の保険とするべきだ。


「介入される前にすべてを終わらせる。あの娘も惜しいが、所詮は京極の人間。滅ぼすべき相手の一人。そして、方法などいくらでもある」


 手段にこだわる必要は無い。こだわってはいけない。自らの手で京極を滅ぼす事は悲願だが、それに執着していては目的を達することは出来ないだろう。


 キィッ……。


 不意に扉が開く音がした。幻那はそちらの方に目を向ける。


「ほう。これは珍しい客だ」

「くかかかか。なんじゃ、お主。面白い姿になったものだのう」


 部屋の入り口には背の低い老人がいた。その頭部には一切の毛が無く、長く少し特徴的な形をしている。服装は和服で上等そうな羽織を羽織っている。


「ふっ、大きな失敗をした代償だ。私としたことが醜態をさらしたよ」

「お主がそこまで言うとなると、相当だのう。まあよいわ。ほれ、せっかくじゃ、茶の一杯でも出して貰おうか。あとお茶菓子ものう」

「相変わらずだな。この屋敷にも相当の術を施して侵入できぬようにしていたのだが」

「くかかか! 入るのに苦労したわ! いや、マジで! 久しぶりに本気を出したくらいだ。流石と言うほかない」


 老人の言葉に幻那はため息を吐く。


「まったく。こうも立て続けに失敗が続くと自信を無くしてしまうな」

「そう言うでない。本気の儂の侵入を防げる者など早々おらん。しかもここの術はそこまで本気で張っておらんだろ? 本気のお主の術をかいくぐれると思ってはおらんよ」


 確かにここは一時的な拠点のため、そこまで強固な術をかけてはいない。だがそれでもこの部屋まで気づかれずに侵入を許すほど甘い作りはしていなかったのだが。


「まあそれは置いておいて、儂がここに来た目的を話そうかのう」

「お前ほどの者がわざわざこの私の所に来たんだ。まさか私の様子を見て笑いに来たのではあるまい?」

「くかかか! まあそれもある! 儂も娯楽に飢えておってな。いや、現代社会は娯楽に満ちあふれておるが、新しい刺激が欲しくてな!」


 まるで子供のように笑う老人に幻那は苦笑する。


「火遊びもほどほどにせねば、私のようになるぞ」

「忠告はありがたく受けとっておくが、スリルやサスペンスが無ければ人生は面白くないからのう」

「名の知れた大妖魔が何を言うか」

「くかかか! だからこそだ。まあよい。幻那、お主の話も聞かせよ。どこの誰に負けたのかとかのう。終わったら儂がここに来た目的を教えよう。この妖魔……、いや、妖怪ぬらりひょんの目的をのう」


 不気味な笑みを浮かべながら、老人――ぬらりひょんは幻那にそう告げるのだった。


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