第十九話 星守真夜

 

「どうやら終わったみたいだね」

「雑魚含め、全滅させたのか。やるじゃねぇか」


 朝陽と真夜が朱音や渚達に合流したのは、黒龍神の成れの果てを討伐してしばらくしてのことだった。


 その頃には、妖魔達も彼女達によって討伐されていた。総数では数百近い妖魔が二人に討伐されただろう。


 ほかにも朝陽が放った一振りや、鞍馬天狗、流樹や氷華により倒されている。


 残っていたり隠れていた妖魔も、鞍馬天狗が取りこぼしのないように見つけ出し、すべて駆逐している。この山にいた妖魔達は文字通り全滅した。


「はぁ、はぁ、はぁ……。これで、終わり? さ、流石に疲れたわ」

「そ、そう、ですね。わ、私の方も、もう、殆ど、余力は、ありません……」


 朱音は地面に座り込みながら木にもたれ掛かり、渚は片膝を付き、刀を地面に突き刺し、支えにしている。二人とも息も絶え絶えで、ぜぇぜぇと肩で息をしながら滝のような汗をかいており、疲労困憊と言ったところだ。


 無理も無い。如何に真夜の霊符による底上げがあったとは言え、多数の中級妖魔や上級妖魔、果ては単独で最上級妖魔を討伐したのだ。一度にこの討伐数を他の退魔師達が聞けば、快挙や偉業と言うか異常と思うだろう。


 真夜が見たところ、渚の方が消耗は激しいようだ。彼女は霊器による増幅がない。その分、朱音よりも霊力を効率よく運用して補っていたが、それもかなり無理をしてのこと。すでに限界を超えていた。


 真夜は二人の方に近づいていくと、新たな霊符を取り出すとそれを二人の方へと飛翔させ、彼女達の身体に貼り付ける。霊符から霊力が溢れると、二人の身体から疲労感が消えていく。息も整い、身体のだるさが嘘のように消えた。


「うそ。体力が回復した?」

「疲労感もですが、霊力も回復しています」


 スッと二人は立ち上がると、自身の身体に起こった変化を確かめる。


「お疲れさん、二人とも。その様子じゃ、随分と無茶をしたみたいだな」

「真夜の方こそお疲れ様。そっちこそ疲れてるんじゃ無いの? この間みたいにキツくない?」

「大丈夫だ。この間ほど疲弊してない。二人が雑魚を引き受けてくれたおかげだ。ありがとうな」


 今回はルフの召喚でかなりの力を使ったが、前回は一日で三連続での戦闘があったり結界を構築したりしたためであり、今回は朱音達のおかげで随分と消耗を抑えられていた。そのため前回ほどの消耗は無い。


「いえ、お役に立てて何よりです。それと星守君のおかげで、私達も良い経験ができました」

「そうね。最上級妖魔も単独で討伐できたしね。でも真夜が私達を強化してくれなかったら、こんなに上手くいかなかったでしょうから、あんまり自慢できることじゃないわね」

「おいおい。俺の霊符の加護があったって言っても、あれだけの妖魔との連戦の後で最上級妖魔の単独の討伐は快挙だろ。もっと誇って良いと思うけどな。いや、それでも無茶しすぎだろ」

「星守君のお膳立てがあってですから、あまり誇らしいとは思えません。それに星守君を始め、雲の上を知ってしまったんですから」

「そうそう。最上級妖魔を仕留めても、まだまだ先は遠いわ。せめて単独で真夜の援護無く、特級妖魔を倒せるくらいにならないとね」


 朱音の言葉に頷く渚達を見ながら、真夜は思わず苦笑する。この世界の退魔師基準から言えば、単独で特級妖魔を討伐できる術者など、六家の最強クラスの術者である。二人はそこまでになろうとしているのだ。


「そうだな。二人ならなれるさ」


 真夜も今回の事で、二人がさらに強くなると確信した。才能もそうだが、精神的にも大きく成長しており、さらに貪欲に上を目指している。付け加えれば、たどり着く頂を明確に見据えているのも大きいだろう。


 三人が話していると、氷華や流樹達も合流してきた。皆が無事のようで、水葉や理人、志乃の姿もある。


「ふん。どうやらお前も無事だったようだな」

「ああ、お陰様でな。黒龍神は親父がきっちりと仕留めてくれたぞ。俺はお陰様で何とか親父をサポートできたよ」


 流樹は眼鏡の位置を直しつつ、真夜に話しかける。真夜は気にした様子もなく、朝陽が黒龍神を仕留めたと皆に告げた。


「……そうか。サポートとは言え星守朝陽殿の足を引っ張らないだけマシか」


 物は言い様である。確かに言葉だけ聞けば嘘は無い。ただしその意味は大きく違うが。


 実際は真夜が殆ど黒龍神を倒したような物なのだが、それを流樹達が知る由も無い。最後に朝陽に止めをささせたのは、そう言う事実を持たせるためでもあった。


 何も嘘は言っていない。真夜はまさに朝陽が黒龍神にとどめを刺せるように全力でサポートしたし事実、朝陽が黒龍神の成れの果てのとどめを刺して消滅させた。


 真夜の言葉の意味を何となく理解した二人は、またかと言う顔をしている。


「そうですか。それでもお疲れ様です、星守君」

「そうね。本当にお疲れ様、真夜」


 渚と朱音は労いの言葉を述べる。自分達は分かっていると真夜に伝える意味もある。


(まったく。真夜も悪知恵が働くようになったものだ)


 朝陽は朝陽でそんな真夜の思惑に乗った。また乗らざるを得ない事情もあった。


(真夜の強さもだが、あの堕天使はある意味では危険すぎる)


 朝陽は黒龍神の成れの果てを仕留めた時のことを思い返す。



 ◆◆◆



 真夜の霊符の浄化で、この周辺の妖気は完全に消え去った。吸収されていた三人の氷室の生け贄の魂は解放され、堕天使が何かしらをしたのか、彼女達はしばらくの間、霊魂としてこの世に留まり、促されるままにどこかへと向かった。


「真夜、その力は一体。それにその堕天使は……」


 朝陽は警戒を緩めずに真夜に近づくと彼に問いかける。真夜が従えている堕天使からは鞍馬をも上回る、それこそ黒龍神以上の力を感じる。


「……親父達と同じだよ。俺も……一応は星守の血はきちんと流れてたみたいだぜ」


 どこか少しだけ誇らしげな顔をしているように朝陽には見えた。


 三年前、真夜は守護霊獣の召喚と契約に失敗した。その時の彼の姿を、朝陽は今なお鮮明に覚えている。


 絶望し、膝から崩れ落ちる息子の姿。茫然自失と化し、その後、召喚と契約に成功した兄に対して、憎悪にも近い感情をその胸の内に抱き、そして一晩中、一人で涙を流していた息子。


 その真夜が今は、星守の初代にも匹敵するであろう守護霊獣を従えている。


 堕天使の姿を今一度朝陽は視界に入れる。漆黒の堕天使は真夜に付き従うようにその背後に浮遊し、その存在感を示している。鞍馬天狗でさえ霞んで見えるほどの力。鞍馬も警戒し、いつでも動けるようにしている。


「俺の守護霊獣だ。心配しなくても何もしないぜ。こいつはむやみやたらに何かを傷つけたり、破壊したりしない。暴走したりも当然しない」

「……ああ、そうだろうね。恐ろしいまでの力は感じるが、悪意も敵意もない。私達が警戒心を持っているから、そちらも警戒しているが悪しき気配もない。寧ろ神聖さを感じるよ」


 明らかに負の存在であるはずの堕天使なのに、驚くほどその気配は清んでいた。それでも一部に闇の力を感じるが、妖魔のような物ではない。


「真夜が何故強くなったのか、その一端に触れた気がするよ。だがその力はあまりにも危険だ」

「だろうな。それに関しちゃ、俺も同意見だ。こいつの力は異質であり強すぎる」


 真夜とてルフの力がどれほどの物か理解している。朱音や渚が懸念したとおり、真夜の強さと相まって、ルフの存在は大きな火種になりかねない。


「だから俺はこいつをできる限り秘匿する。こいつの力は、よっぽどの事じゃ無けりゃ出すべきじゃ無い」


 朝陽は真夜の言葉を聞きつつ、その目をじっと見据える。


「……どうやら真夜は力を持つ事への意味も、その危険性も十分理解しているようだね」


 息子の言葉に嘘偽りが無いことを見抜く。力を持つものとしての自覚が、真夜には備わっていると理解した。


「なんだ、親父。俺が無分別に力を使うって思ってたのかよ」

「そうは言わないさ。だがね、真夜。大きすぎる力は麻薬と同じだ。力に酔いしれ、その力を無意味に誇示し、暴走を招くこともある。特に真夜は……過去のことがあるからね」


 少し言いづらそうに朝陽は口ごもりながら言う。無能と蔑まれ、力が無いことをなじられ、守護霊獣すら持てなかったことを恥とされた。


 その真夜がすべてを見返す程の力を手に入れた。真夜と同じ境遇の人間ならば、復讐や見返してやろうと躍起になる者が殆どだろう。


 そんな朝陽の言葉に、真夜は苦笑する。


「心配するなって、親父。俺もそこまで馬鹿でも愚かでもねえよ。俺を馬鹿にしてた奴らに思うところが無いわけじゃ無いが、だからと言ってやり返そうなんて考えは無いから。兄貴や婆さんに対しても、今はもう思うところは無いぜ。恨んでも憎んでもいない。本当だぜ?」


 異世界の経験や人との関わりで、真夜は本心からそう考えている。勇者パーティーの中で、己の内心のすべてを吐露した。


 星守や他の人間には決して言えなかった胸の内。父や母にさえ、打ち明けられなかった激情のすべてを、恥も外聞も無く、感情のままに打ち明けた。


 勇者パーティーの面々はそんな真夜の話を聞き、ある者は彼を慰め、ある者は彼を労い、ある者は大馬鹿者がぁっと叱った。


 紆余曲折を経てすべてを受け止め、乗り越え、今の真夜が形成された。


 兄を恨んだことも、今では八つ当たりや逆恨みみたいな物で、逆に申し訳ないとさえ思っている。別段、兄が自分に対して何かをしてきたことは無いのだから。


 祖母に対しても、言っていること自体は正論であり、今の真夜からすれば割ともうどうでも良いと思っている。一人暮らしもしており、小言を言われる事も無いからだ。


「俺はもう……自分を惨めに思ったり、否定したりもしない。俺は、俺だ。俺は、星守真夜(・・・・)だって胸を張って言えるようになったからな」


 どこか不敵な、それでいて自信に満ちた表情。かつての真夜では無い。それを改めて朝陽は感じた。


 星守と、真夜にとっては忌むべき姓を自ら肯定し名乗った。同時に真夜は父である朝陽に心配をかけたと謝罪しているようにも思えた。


「本当に強くなったな、真夜。私は真夜を誇りに思う。真夜はもう一人前で立派な退魔師だ」


 息子はいつの間にか、自分の想像を超える程に強くなっていただけで無く、精神的にも大きく成長していた。兄以上に、誇らしいと思えた。そして息子はすでに一人前の退魔師であると思った。


 そんな父の言葉に真夜は一瞬驚いた様な顔をするが、すぐにどこか子供のような無邪気な笑みを浮かべた。


「一人前の立派な退魔師か」


 朝陽の言葉を真夜は反芻する。その言葉の意味を噛みしめながら。


「けどな、親父。生憎とまだ俺は強くなるつもりだからな」


「やれやれ、これは私ももっとしっかりしないとダメだね。息子に追い抜かれただけじゃなく、離されていくなんて情けない限りだ。改めて鍛え直すとしよう」

「楽しみにしてるぜ、親父」


 逆の立場になってしまったとぼやく朝陽だが、嬉しい気持ちが抑えきれない。


「っと。あと、今回の討伐だが全部親父の手柄にしておいてくれ」

「……何故だい、真夜?」

「何故って、俺が覇級妖魔を倒したなんて言っても、誰も信じないだろ? それにこいつの事は隠しておきたいしな」


 ルフは真夜達のやりとりを眺めながら、終始微笑を浮かべている。鞍馬天狗は緊張しながらルフを見ているのだが、彼女は時折、鞍馬の方に手を振ったりしていた。


 その一挙一動が警戒に値するので、鞍馬はさらに身構え、ルフはさらに面白そうにピースサインをしたり、親指を立てたりしていた。中々にルフも良い性格のようだ。


「ついでに黒龍神を仕留めたのは親父だ。俺は親父が黒龍神を仕留めるサポートをしただけだ」

「やれやれ、随分と手厚いサポートだ。実質、殆ど真夜達が倒したと言うのに。最後も別に私に任せずとも、真夜達だけで倒せたはずだ。まったく頭も回るようになったね」

「悪知恵は昔から働くんでな。それと俺もまだ自分の強さを隠しておきたい。たった数ヶ月でこんだけ強くなったって言ったらおかしいだろ? だからせめて高校卒業くらいまでは無能を装うさ」

「真夜はそれでいいのかい?」

「ああ。今更、俺の評価をすぐさま覆したいとも思わないからな。まあ途中、ゆっくり強くなったって感じでは行くつもりだけど」


 厄介事に巻き込まれたり、変な奴に絡まれた場合は、その都度適当に強さを披露していくつもりだ。真夜としては星守の本邸にいる時よりも、そんな輩と遭遇する機会は減るだろうから気は楽である。


「わかった。あと今回の件の後始末は私に任せて貰えるかな? 真夜も表沙汰にしたくは無いだろうし、渚ちゃんの方も面倒なことにしたくないからね」

「任せる。面倒にならなきゃそれでいいさ」


 そして朝陽は真夜や渚、朱音に厄介事がいかないように事後処理を進めるために思考を巡らせる。


 その近くでは何故か、ルフと鞍馬がじゃんけんをしているシュールな光景が広がっていたのだが、それはまた別の話である。


 今回は色々な意味で楽しそうな表情を浮かべるルフは、真夜達に手を振りながら再び元の場所へと戻って行った。


 その後、鞍馬は真夜と朝陽と別れ、一人山の妖魔の残党を憂さ晴らしのごとく刈り尽くすのだが、そこにどんな感情があったのかは、鞍馬本人にしか知り得ないことだった。


 ◆◆◆


「今回の件は、私達は何もしていない。いや、私達四人はここにはいなかった。黒龍神を討伐したのも、この霊障を解決したのも、すべて氷室と水波の君達だ」


 氷華や流樹達と合流後、話し合いを始めた朝陽が言い出したのが、これだった。


「なっ!」

「………随分な話やな」


 驚く流樹と訝しむ氷華。他の面々は話を聞いているが、何も言わない。真夜は勿論、朱音や渚もだ。


 朱音や渚は真夜のこともあるので、まあこうなるのも仕方が無いと思っている。


「理由を聞いてもええですか? あまりにもうちらに都合が良すぎる」

「そうだろうね。だがこれは色々と考えた結果だ」


 朝陽は全員に説明する。ついでに裏事情は以前の理人経由のものだが、黒龍神がべらべらと喋ったため知っていると朝陽は予め皆に述べた。こうしなければ、どうして知っているのかと疑問を持たれるし、知っていたからこの場にいたのだろうと勘ぐられる可能性が高いからだ。


 黒龍神もお喋りな所があったので、自慢げに語っていたのだろうと氷華達は納得した。


 今回の件は表沙汰になれば、あまりにも大きな問題になる。


 氷室が覇級妖魔の半ば支配下にあったこと。生け贄を出していたこと。覇級妖魔が暴れ出し、氷室に多大な被害を出したこと。さらに神域とされる場所に、妖魔の大軍勢がいたこと。


 事が露見すれば氷室の立場が一気に無くなる。下手をすれば氷室家は立ちゆかなくなるかも知れないし没落し、氷室家そのものが無くなるかも知れない。


 まだ星守も他の六家も健在だが、氷室のあおりを受け、水波も非難に晒されるかも知れない。


 六家に大きな混乱が起きるだろう。どの家も、氷室の勢力図を得ようと画策するだろうし、新進気鋭の退魔師の集団や家が動き出す可能性もある。


 だが今はまずい。六道と名乗る妖術師の出現や赤面鬼の事件などがあり、何者かが暗躍している可能性もあるのだ。


 まだそれらの事件も完全に解決したと言えない状況で、氷室の件が加われば、そちらへの対処がおろそかになりかねない。


 そしてもし、何らかの存在が暗躍しているのなら、その存在に付けいる隙を与えてしまう。


「それに星守も先代の当主の意向で、他家の問題には首を突っ込まないと言う方針もある。今回は半ば偶然、私達がこの霊障に遭遇したとは言え、星守でも問題になりかねない」


 さらに星守内部でも氷室に対して、様々な要求を出すべきと主張する輩も出るかも知れない。


「一番混乱が少ない方法は、氷室とその協力者である水波が自ら解決したとする事だ。すでにあの子達三人もこのことについては納得している」

「けどな、星守さん。うちらの力で覇級妖魔を討伐するのは無理やったんやで」

「そこは適当に理由を付ければ良いんじゃないかな? 例えば覇級妖魔と思われていたが実際は大したことは無かった。あるいは隙を突いたとかね。伝承のヤマタノオロチや酒呑童子も酒に酔わせて討伐したとされている。それと同じようにでっち上げれば良い」


 実際、真夜も油断し、舐めきっていた所を強襲し倒したのだからあながち間違っていない。


「妖魔の支配下に置かれていたのは問題だが、それでも氷室は歴とした六家の一角。それが没落するのは問題がある」

「こんな情けない一族、このまま没落した方がええかも知れへんで?」


 自嘲気味に呟く氷華だったが、それでも朝陽は首を横に振った。


「それでもだ。特に今は時期が悪い。それに、君は氷室家をこのままにしておくつもりはないのだろ?」


 朝陽に問われ、氷華は苦笑した。


「せやな。うちも託されたさかいな。氷室家は、このままにしておけへん。うちが必ず、改革を成し遂げたる」


 朝陽に言われるまでもない。今の氷室がダメな事など百も承知だ。だからこそ、自分が変えるのだ。その思いは以前よりも強くなっている。雪花に託された思いもある。


 だからこそ、朝陽の案に乗ろうと考えた。


「やれやれ、この借りはほんまに高く付きそうや。ただより高いもんは無い。下手すりゃ、うちの代では返せへんかもな」

「ははは。期待しているよ。私も氷室家に大きな貸しを作れたんだ、それも秘密裏にね。この意味は大きいだろうからね」


 表沙汰に出来ない秘密の代償は、黒龍神の件で嫌と言う程理解している。しかしこの朝陽の提案を突っぱねれば、氷室家は終わる。相手が変わるだけで何の変化も無いと思われるかも知れないが、相手が妖魔か人間かで大きな差がある。


 さらに今は表沙汰にされれば問題だが、氷室を立て直した後ならば、まだ何とでも出来る問題だ。


 それに黒龍神を討伐してもらい、生け贄を出さなくてもいいようになったのだ。その恩もある。


 氷華はこの提案を前向きに考え、受け入れた。


「待て! 僕は納得していない! これではただの施しじゃ無いか!」

「流樹、お前はもう少し……」

「いや。彼はまだ若い。そう考えるのも無理は無い」


 憤慨する流樹に、朝陽は向き直る。


「君の感情はもっともだ。だが、一族を背負い、導く者ならば、個人の感情で動くものでは無い。大勢の人間の命や一族の未来と自分の感情。天秤にかけるならばどちらに重きを置かなければならないのか、次期当主ならば納得は出来なくとも理解はしなさい」


 朝陽の言葉に流樹は押し黙る。流樹は愚かでは無い。ただ、まだ感情のコントロールが下手なだけなのだ。


 言われていることも理解できる。もしここで星守が事件を解決したと大々的に喧伝されれば、氷室はもちろん、その場にいた水波の次期当主である流樹は何をしていたのだと言われるだろう。


 上級妖魔や中級妖魔を討伐していたと言っても、手柄の大半は星守朝陽である。星守に出し抜かれたと、他の四家は思うだろうし、今まで水波を支援したり懇意にしていた者達も、次期当主が醜態を晒したとあれば、離れていく可能性が高い。


 だが朝陽の提案を受け入れた場合、氷室に協力して大規模霊障を解決したと言う実績で、流樹の株も上がり、水波全体の評価も上がるだろう。


 だがそれは棚からぼた餅ではなく、他人のふんどしで相撲を取るようなものだ。


 プライドの高い流樹からすれば、受け入れがたい事ではあった。


「それでも僕は……」

「ならば強くなりなさい。術者としてだけでは無く、次期当主としても、人としてもね。人はどこまでも成長できるものだと私は思う。君が諦めなければ、必ず強くなれる」


 諭すように語りながら、ちらりと真夜を朝陽は盗み見る。真夜は、息子はすべてにおいて強くなった。自分の息子だからと言う思いもあるが、誰もが強くなれる可能性はあるのだと朝陽は強く思う。朱音や渚もそうだ。


 だからこそ、他家の人間とは言え、将来有望であり才能のある流樹にも強くなって貰いたいと思ったのだ。


「流樹、悔しかったら見返してやるくらいになりや。うちはこの借りは利子とのし付けて返したるつもりや。お前はどうするんや?」


 氷華の挑発にも似た言葉に、流樹は拳を握りしめる。


「僕も同じだ。次期当主として、今回の件に関して改めて感謝します。また朝陽殿の案も受け入れさせて頂きます。ですが、僕もこの借りはいつか返します」

「ああ、楽しみにしているよ」


 こうして氷室家の裏に潜みし黒龍神の事件は幕を閉じるのだった。


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