第十七話 浄化


 山中を急ぐ朱音達は、そのまま氷室の屋敷を目指していた。理人達が通った龍脈を通るなんて事はしない。


 相手の術で開かれているのだ。いつ消えるかも分からないし、そこで捕らえられる可能性もあった。


 それに妖魔を倒す必要もある。こうやって固まって逃げていれば、こちらを捕らえようと面白いように妖魔達がやってくる。


「ほんと、数は多いわね!」


 逃げながら中級妖魔数体を討伐した朱音は、あまりの多さに愚痴を零す。すでに入山してから百を超える妖魔を倒しているのだ。愚痴の一つも言いたくなる。


「ですが随分と同時に襲って来る数も減っています。まだそれなりにいるでしょうが、それでも底は見えているはずです」


 渚も多少は肩で息をしながら、しかししっかりとした太刀筋で近くの妖魔を倒していく。


「くそ、なんで僕が君達と一緒に。そもそもなんで君達はここにいるんだ!」


 流樹は悪態をつきながら、水王鞭で妖魔達を次々に蹴散らしていく。


「それは後で説明してあげるわよ。それとここは妖魔の巣窟よ。固まって行動した方が何かあった時に対処しやすいし、それに最上級妖魔も複数いるのよ? もしあんたが食べられでもしたら、それこそ大問題でしょうが!」

「そんなヘマはしない!」

「はっ、どうだか! この間だってヘマしてたじゃない!」

「何だと!」

「何よ! 事実じゃない!」


 相性が最悪な朱音と流樹はこのような状況でも口げんかしている。朱音としては真夜との事もあるので、どうしても流樹を好意的には見れないでいた。


 単独行動を取って貰った方が清々するかも知れないが、目を離した隙に戻って真夜達の邪魔をされては目も当てられない。


 そこまで愚かではないだろうが、最上級妖魔複数に囲まれて敗北し、人質にでもされそうな気がしたから、朱音としては渋々一緒にいて貰うしか無い。


「お前ら、こんなとこで喧嘩すんな! つうか頼むからせんといてくれ!」


 理人は本当に勘弁してくれと言う思いだった。星守朝陽、星守真夜の参戦で状況は好転した。あの二人ならば黒龍神であろうとも倒せる。理人はそう確信していた。


 ただしそれはイレギュラーが無い場合だ。自分達が足を引っ張った場合、その限りでは無い。


「ふん。僕はそんなつもりはない。ただこいつが」

「何ですって!?」

「朱音さん、抑えてください。水波様も抑えてください。ここは敵地であり、戦場です」


 尚も喧嘩を繰り返そうとする二人を見かねて、渚も仲裁に入る。


「りゅ、流樹様、抑えてください」


 付き人の水葉も涙目になりながら流樹を宥める。流石に火野の直系とまともに争うのは対外的に見てもまずいと思ったようだ。


「………ごめん、渚。あたしが悪かったわ。もうしないから」


 こんなところを真夜に見られたら何と言われるか。そう思うと自分が馬鹿みたいに思えてくる。


「悪かったわ。余計なことを言ったわね」

「……ふん。僕の方こそ熱くなりすぎた」


 眼鏡の位置を直し、朱音の謝罪を受け入れる流樹。朱音としては納得しきれていないが、このまま険悪なままでいるわけにはいかないので矛を収めた。


「気を取り直していくわ。まだ妖魔も多いでしょうからね。そっちは戦えないでしょ?」


 朱音は理人の方に確認する。理人が釈放され、氷室家に戻っているのは渚経由で聞いていたので驚きは無い。


 寧ろ流樹よりも頼りになる術者であると思っているが、状況的には難しい。


「ほんますまんな。氷華様も志乃も戦えんし、俺もかなり消耗しとる」

「妖魔の毒にやられたんや。情けなくてすまん」

「ううっ、こなたも戦えないのだ」

「仕方が無いわね。で、その二人を守るくらいはできるの?」

「問題ない。俺もまだ氷狼くらいは出せる。あんたらを万が一抜けてきた相手でも、何とかなるし時間稼ぎ程度なら余裕や」

「ならそうして。あたし達もできる限りのことはするから……っ!」


 朱音は新しい気配を感じた。先ほどまでの雑魚では無い。最上級妖魔の気配だ。


 最上級妖魔が二体。上級妖魔三体。中級妖魔五体。


「くっ、ここに来てこれだけの数かいな!」


 理人が悪態をつく。雑魚の中級妖魔はまだしも、最上級妖魔はまずい。万全の状態、あるいは理人が動ける状態ならばまだしも、今のこのメンツでは荷が重い。


「朱音さん。一体、私が貰っても良いですか?」

「渚も? わかったわ。じゃああたしも一体貰うから」


 理人の懸念を余所に、朱音と渚はどこか日常会話をしているかのように、気安く話し合っている。


「おい! 君達は何を言っている!?」

「五月蠅いわね。あんたには上級妖魔をあげるから、最上級妖魔はこっちで貰うって言ってんのよ」

「なっ!?」

「上級三体も脅威でしょうが、水波様なら問題ありませんよね? 他の中級は先に排除してしまいましょうか」


 朱音の言葉に驚愕している流樹を尻目に、渚は数枚の符を取り出すとツバメの様な式神に変化させ中級妖魔に向けて投擲する。ツバメ達は一斉に中級妖魔達に襲いかかった。


「これで良いでしょう。では上級妖魔をお任せします」

「まさか倒せないって言うんじゃないでしょうね?」


 挑発するかのように言う朱音に、流樹は顔を真っ赤にして反論する。


「馬鹿にするな! 上級妖魔三体ごとき、僕一人で十分だ!」

「あっそ。なら頼むわね」


 あっさりと言う朱音は次いで理人の方を見る。理人はそれをもし何かあれば流樹を援護しろと言っているように思えた。


(勘弁してくれや。俺は水波よりも、あんたらの方に何かあった方がやばいって思っとるんやぞ)


 理人からしてみれば、もし二人に何かあったら真夜が激怒すると思っていた。六道幻那に二人を傷つけられそうになった時の真夜を鑑みれば、流樹よりも二人をサポートしなければと感じてしまう。


「理人。うちらはええから、お前も戦いに参加しいや!」

「こなたも自分の身は自分で守る!」

「却下や。二人に何かあっても困るやろうが」


 板挟みである。理人としては志乃と氷華を守らなければならず、さりとて朱音と渚を放置して万が一の事があったら、真夜に氷室が滅ぼされるのではないかと考えてしまう。


(ああ、もう! ほんまに勘弁してくれや!)


 と、その時山頂付近から途方も無い怨念のような醜悪な気配がした。全員が思わずそちらを見てしまうほどに、恐ろしい気配だった。妖魔達もあまりにも不気味な気配に動きを止めている。


「な、なんやこれは! 黒龍神か!?」


 氷華も担がれた状態で何とか頭を動かして山頂を見る。一体山頂で何が起こっているのか。


「最強の退魔師でも勝てんのか、これ」


 如何に強くても、超級の守護霊獣を従えていようとも、この存在には勝てないのでは無いか。そう思わせるほどに不気味で恐ろしい気配。本能に直接訴えかけるような、怨嗟の気配。


 しかし彼女達を更なる驚愕が襲う。それに匹敵するような別の膨大な霊力が出現したのだから。


「次から次へと一体何が起こっているんだ!」


 流樹もあまりのことに叫ぶが、この気配を以前に感じた事があった者達はその正体を理解していた。


(これって、あの堕天使の気配!)

(星守君があの堕天使を喚んだと言うことですね。それほどまでの相手、と言うことでしょうか)


 朱音も渚も真夜が持てるすべての切り札を切った事を理解した。同時に思う。ならば真夜は負けないと。彼とあの堕天使ならば、どんな相手であろうと必ず勝つと。


「あたし達も負けてられないわね」

「そうですね。少なくとも最上級妖魔に負けるようでは話になりませんね」


 笑みを浮かべながら、二人は霊力を高める。未だに真夜の霊符の加護があるために、通常よりも遙かに強力な力が使える。その状態で、たかだか最上級妖魔に遅れを取るようでは、真夜の隣に立つ事なんて夢のまた夢だ。


「お前ら!」

「あんたは二人を守ってあげてなさい。あたし達は、あたし達の出来ることをするだけよ」

「はい。ですから、早々に終わらせます」


 理人の言葉に答えると集中力を高める。二人の意思に呼応するかのように、彼女達の霊力も輝きを高めた。


「行くわよ!」

「行きます!」


 二人は最上級妖魔へ戦いを挑むのであった。


 ◆◆◆


(ちっ、面倒なことになったな)


 黒龍神の変化を見ながら、真夜は内心で舌打ちした。真夜達を舐めて油断していた黒龍神を、文字通り一方的に葬ることに成功したと思った。


 心臓と言うよりも妖魔の核とも言える妖核を潰したし、首を切断した。こうすれば大半の妖魔は死ぬ。仮初めの人間の姿であってもだ。


 稀に例外も存在するが、その際は徹底的に肉体を消滅するまで破壊し尽くすつもりだった。


 しかしその前に異変が起こる。朝陽と鞍馬天狗の攻撃を受けて肉体は消滅したかに思われたが、黒龍神はあろう事か怨霊のような存在へと変貌した。


(怨霊と言うよりも死霊か……。いや、あれはそんな生易しいもんじゃねえ)


 異世界でも早々にお目にかかったことがない、この世の混沌、あるいは呪いや怨念の集合体のような存在。


 霊力その物や大半の霊術でも、あれを消滅させることは困難だろう。浄化や封印と言った霊術で無ければ、あれを完全に消し去ることはできない。


(俺の浄化の霊術でも少し厳しいか。出来ればこうなる前に終わらせたかったが……)


 真夜は浄化の霊術も使える。十二星霊符を用いなければならないが、それでも浄化に特化した一流の術者を上回る威力を誇る。


 異世界では聖女にこそ劣ったが、真夜は高位の死霊系、アンデッド系の魔物の浄化をこなしていた。


 それでもこれほどの存在を一人で浄化したことはない。勇者パーティーの面々がいれば、この相手でも余裕で何とかなっただろう。


 自分と聖女が浄化し、勇者が仕留める。だがここに二人はいない。他の仲間もいない。


 朝陽や鞍馬天狗も、流石にこれほどの存在を浄化するのは難しいだろう。


 時間をかければ可能かも知れないが、時間をかけられない事情がある。


 怨嗟の声が響く。


 ―――コロス コロス! コロス!! コロス!!! コロス!!!!―――


 その矛先は真夜、だけではない。この呪いは周囲と黒龍神に名前を知られた存在へと向けられる。


 氷室、水波の名前を知られた存在。そして先ほど確実に名前を知られたであろう、朝陽と朱音に呪いが向く可能性が高い。


 ただ名前を知られただけで呪い殺せる程の術は現代では失伝していたし、仮に残っていても六家の人間を呪い殺せる程の術を扱うには六道幻那に近い実力が必要だろう。


 しかしこの黒龍神の成れの果ては違う。相手の名を辿り、高位の退魔師であろうとも呪い、祟り殺すことが出来るだろう。


 それもどこまでも苦痛や絶望を与えた上で、嬲るように殺そうとするだろう。


 朱音の顔が真夜の脳裏に浮かぶ。ギュッと強く拳を握りしめる。


(やらせるかよ!)


 親しい者に害が及ぶ可能性がある。想像するだけで怒りがこみ上げてくる。


 だからこそ目の前の存在が行動に移す前に、自分が何とかするしか無い。


(……喚ぶぞ。それで完全に消滅させる!)


 大切な人を守るためにも、失わないためにも、出し惜しみはしない。最強の切り札を持って、目の前の存在を完膚なきまでに消滅させる。


 真夜は自らの中に封ぜられている存在を喚び出す。


 己の中の門を開き、鎖に繋がれている最強の存在を解き放ち現世へと召喚する。


 真夜の額に十字架に似た刻印が現れると同時に、彼の背後に魔法陣が出現する。


 魔法陣の中から姿を見せるのは、漆黒の堕天使ルシファー。


「Aaaaaaaaaaa!!!!」


 両手と翼を広げ、彼女は力を解放する。霊力の奔流が周囲を包み込む。


 真夜はさらに十二星霊符を周囲に展開するとそのうちの五枚を使い、四角錐のような結界を構築し自分達を含めて、この周辺一帯を完全に隔離する。


 ルフの霊力を注ぎ込むことで、強度をさらに増加させる。いかなる力も呪いも通さない。大地にも同じように展開する。


 以前の六道幻那のように転移などをさせないように。この地の龍脈を通して逃がさないように。


 本来なら霊符の数を増やして対応するのだが、この存在が相手では、別の用途に霊符を使用しなければならないので、結界を構築する霊符の枚数を減らすしか無い。その分、ルフによる強化で補う。


 同時にルフの大きすぎる力も周囲に多大な影響を与えるため、結界の内部へと留める必要がある。


 ―――オォォォォォォォォォォォォォ―――


 黒い靄はまるで生き物のように、怨念は渦巻き、呪いが周囲を呑み込もうとする。この世のすべてを呪い尽くさんばかりの醜悪な存在は、まずは真夜へと狙いを定める。


「断末魔の悲鳴にしては、趣味が悪すぎるぞ! 覇級妖魔の成れの果て!」


 朱音と渚に渡している二枚の霊符と結界を構築した五枚の霊符で計七枚。残る霊符は五枚。


 今の真夜とルフならばこれで十分だ。


(やるぞ、ルフ!)

「Aaaaaaaaaaaa!!!!」


 幻那との戦いでは見せなかったルフの能力の一端を解放する。


 霊力がルフの背後に収束していく。霊力が収束し、真紅に輝く円環を作り上げていく。


 さらに変化はそれだけではない。円環の中に十字架が出現する。真夜の額に浮かび上がっている刻印に酷似した、剣のような十字架。剣の部分の柄と剣先は円環を突き抜け、まるで一つの紋章のようにも見える。


 紋章からは神々しい光があふれ出している。


 その光景を見ていた朝陽も、鞍馬天狗までもあまりの事に呆然となっている。


 光に一瞬たじろいたような反応を見せた黒い靄の塊だったが、先ほど三体の特級妖魔を飲み込んだ時のように、身体から無数の蛇のような物を作り出し、真夜達へと襲いかからせる。


 真夜は自分の前方に五枚の霊符を展開し、それを起点として光り輝く五芒星の陣を作り出す。


 ルフの背後に浮かぶ紋章とは違い、五芒星は薄蒼い光を放ち、穢れを浄化するかのように迫り来る靄の蛇を消し去っていく。


 二つの陣が共鳴するかのように、さらに光と霊力を増していく。


「終わらせるぞ!」


 真夜が両手をかざすと、霊符がそれぞれに飛翔し、黒い靄の塊の周囲に展開する。


 霊符が黒い靄を囲い込むと光の線が延び、霊符同士をつなぎ合わせ再び五芒星を展開して、その中心部へと靄を封じ込める。光の円環が五芒星の頂点を繋ぎ合わせる。


 ―――オォォォォォォォォォォォォ!!!―――


 身じろぎし、必死に逃げ出そうとするが真夜の五芒星の拘束からは逃げ出すことが出来ない。


 光が溢れ出す。浄化の光だ。暖かく安らぎを与える光は、黒い靄を端から順に霧散させ消滅させていく。


 しかしそれでも倒せない。並大抵の妖魔どころか、超級妖魔でさえも致命傷を与えるであろう光に黒い靄は抗っている。


 そんな状況でも、真夜の顔に焦りの色は無い。寧ろ余裕の笑みを浮かべている。


(俺一人じゃないだろ、お前の相手はよ!)


「Aaaaaaaaaaa!!!!」


 黒い靄の上空にルフが一瞬にして転移した。


 紋章が輝きを増す。真紅の輝きは見る者を恐怖させるだろうか。絶望を与えるだろうか。嫌悪を与えるだろうか。


 否。それは祝福であり、慈悲であり、救済であった。


 かつての、最高位の天使であった存在の声は、すべてに赦しを与える。


 紋章はルフの身体を突き抜け、黒い靄へと放たれる。


 真紅の紋章は蒼い浄化の光と少し違い端からでは無く、中心から黒い靄を消し飛ばしていく。蒼い光はその破片を容赦なく浄化していく。


 ―――オォォォォォォォォォ―――


 先ほどと同じ声。しかし全く同じでは無い。蒼と赤の光が怨念を、呪いを、取り込まれた存在すべてを癒やし、浄化していく。声からは憎しみや怒りの感情が消えていく。


 大きかった蛇の姿は見る影も無く崩れ去っていく。それでもまだ消え去らない。どす黒い球体。黒龍神の核と思われる物が五芒星の中心に残っている。


「親父! 止めだ!」


 真夜の声にハッと我に返る朝陽。彼は即座に霊器に霊力を注ぎ、自身の持てる浄化の力も注ぎ込む。


「はぁっ!」


 気合い一閃。振り下ろされる野太刀から放たれる一閃は、黒龍神の核を切り裂き、それを完全に消滅させるのだった。


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