第十六話 怨念の化身
「ほ、星守朝陽殿! それに星守真夜に火野朱音! 何故お前達がここに!?」
「五月蠅いわね。それはこっちの台詞よ。なんであんたがここにいるのよ」
流樹の絶叫に朱音が嫌そうな表情を浮かべる。しかも何で、こちらの名前をフルネームで大声で叫んでいるんだと非難の目を向ける。
相手に名前を知られるとリスクが高くなるだろうが。
「喧嘩をしてる場合じゃ無いよ、二人とも。……どうやらあまり状況は良くないようだね」
「新手かぞ? しかし……強いぞ。これまであったどの術者よりも力を感じるぞ」
朝陽を観察するように見据える黒龍神。他にも一緒にやって来た真夜達の方にも意識を向ける。
「ふむふむ。そこの小僧以外は中々に力を感じるぞ。じゃらははは! しかも女が二人も! これは楽しみが増えたぞ!」
朱音と渚を舌なめずりするように見定める黒龍神。二人はその気配に嫌悪感を覚える。
だが感じられる不気味な気配は六道幻那と同等かそれ以上だ。
真夜に関しては歯牙にもかけていない。感じられる霊力があまりにも低すぎるからだ。
「歓迎するぞ、お前達。余興はこうでなくてはぞ! しかも天狗にこれまでに会ったことも無い強力な術者! 思った以上に楽しめそうぞ!」
立ち上がり、自らも戦おうと言う意思を見せる黒龍神に、先ほど吹き飛ばされたはずの三体の妖魔が合流してくる。
「……ここは俺と親父が受け持つから、二人はそいつらを連れて先に行け」
「なっ! 何故君にそんな事を言われなければならないんだ! 君こそ足手まといだ!」
今まで黙っていた真夜が口を開き朱音と渚に言うと、即座に流樹が反論してきた。
「悪いが、問答してる時間は無いぞ。そいつらを助けたけりゃ、早く行け」
ちらりと真夜は理人の方にも視線を向ける。理人は真夜がこの場にいることに驚きを隠せないでいた。
「お前……」
「早く行けよ。守りたい奴がいるんだろ?」
志乃達の方に視線を向ける真夜に、理人が頭を下げる。
「……すまん! 恩に着る!」
真夜の意図を汲み、理人は即座に志乃を脇に抱え、倒れている氷華を肩に担いだ。
「わっ! 理人!」
「理人、お前! こいつらを放っていくんか!?」
「行けって言ってくれてるんや。さっさと逃げるで。それに俺らがいた方が邪魔やろが。氷華様は動けもせえへんのやからな!」
「そうしろよ、親父達の戦いに巻き込まれたくなかったらな。二人とも、そいつらの護衛を頼んだぞ」
真夜の言葉に朱音と渚は頷いた。ここまでかなりの数の妖魔を倒してきたが、覇級妖魔は流石に別格だ。自分達がこの場の戦力になるはずも無い。それにその周囲にいる三体の特級妖魔も同様だ。いくら二人でも荷が重すぎる。
「わかってるわよ。二人も気をつけて!」
「ご武運をお祈りしております。私達も私達の出来る事を果たします」
「待て! 僕はまだ!」
「ああっ、もう! あんたはいい加減にしなさいよね! ここに残っても邪魔だって言ってんのよ!」
「ここはお二人に任せましょう。彼はただのサポートです。それよりも周囲にはまだ多くの妖魔が放たれています。そちらを討伐しなければなりません。彼らがこの山から解き放たれれば、周囲への被害が計り知れません。どうかお力をお貸しください」
朱音は駄々をこねる流樹に怒りをぶつけるが、逆に渚は冷静に彼をこの場から引き離し、出来ることをすべきだと諭す様に言う。
実際、この山にはまだ多くの妖魔が残っている。それに女二人を抱えた理人一人では、危険が伴う。
「だったら君達だけで行けばいいだろ!」
「いいや、君も行きなさい」
静かに、それでいて有無を言わさぬ声を発したのは朝陽だった。
「正直に言おう。いくら君でもこの戦いでは足手まといだ。息子は私のサポートに徹させるし、そのための訓練も積ませている。そのためにこの場に残って貰うが、君では私との連携も出来ない。だからこそ、君は彼女達と共に行き、残りの妖魔を討伐して欲しい」
真夜と訓練は当然嘘だが、こうでも言わなければ納得しないだろう。朝陽は強い口調で流樹に告げる。
「行きなさい。さもなくば、したくはないが実力行使も厭わない」
朝陽の全身から放たれる強大な霊力。この場の殆どの者が息を飲むほどの圧力。例外は真夜と歓喜の笑みを浮かべている黒龍神のみ。
「じゃらははは! よいぞよいぞ! 最高ぞ!」
パンパンと腰を叩き、愉快そうに高笑いする黒龍神。流樹も唇を噛み、自分がこの場に不釣り合いな事を改めて認識する。
「……わかりました。黒龍神をお願いします」
「任せておきなさい。さあ、早く行きなさい」
「流樹様……」
「行くぞ、水葉。この山の妖魔達を討伐する」
何とか己の感情を飲み込み、流樹は朝陽に対して頭を下げる。一瞬、真夜の方を睨む。睨まれた真夜は思わず苦笑している。
黒龍神はこの場から去って行く彼女達を見逃した。
「むっ。俺が奴らを見逃したのがそんなに不思議かぞ?」
「ああ、てっきり逃がさないかと思ったよ」
「じゃらははは! 無論逃がすつもりは無いぞ。この山にはまだまだ俺の眷族が多くいるぞ! そいつらに捕まえさせれば良いだけの話ぞ」
彼は皆を逃がす気は無かった。この山に放たれた眷属達を使い、皆を捕らえるつもりだった。
しかしそんな黒龍神に対して、真夜は嘲笑の笑みを浮かべる。
「ん? 何が可笑しいぞ」
一番格下と思われる小僧が自分を見下したような笑みを浮かべていることが気に触ったのか、黒龍神は真夜を睨みつける。
一流の退魔師でも震え上がるような威圧に、だが真夜は怯むどころかその気配を受け流した。
「あいつらを舐めすぎだ……それに……」
俺もな。真夜がそう呟いた直後、彼の姿がその場から消える。
「っ!?」
「おらぁっ!」
足に霊力を集中し、地面を一気に蹴ることで高速で黒龍神に接近した真夜は、顎に向かい拳を振り上げる。
「ごべらっ!?」
予期せぬ奇襲による攻撃。人型の姿を取っていた黒龍神は口の中で思わず舌を噛み切った。
「まだまだ!」
生じた隙を見逃すつもりは無い。真夜はそのまま両手を握り拳に霊力を収束する。さらに十二星霊符を発現し、それぞれの手の甲に貼り付け、力を増幅させる。
意識が混濁しているのか、それとも衝撃で脳が揺さぶられて思ったように反応できないかはわからないが、無防備な身体を真夜は滅多打つ。
「ごが、ごばっ! ぐおぉぉぉぉぉぉっ!?」
一撃一撃が当たるごとに爆裂音が響き渡り、無慈悲に黒龍神の身体を破壊していく。
身体だけでは無い。腕や足、肩や顔面など手の届く範囲を全力で殴打する。内部にまで浸透していくダメージ。圧倒的な霊力量と霊符により増幅された破壊の一撃は、油断しきっていた黒龍神の妖気のガードを貫き、明確なダメージを与えていく。
真夜は戦いにおいて、敵は倒せる時に倒す主義である。相手が全力を出すのを待つことも、こちらがゆっくりと力を出していくこともしない。
最初から全力に近い力を持って、相手を圧倒する。
自分よりも強い相手に勝つにはどうするか? 答えは相手が実力を出す前に封殺するである。
相手が自分よりも強い力を出す前に、こちらが相手の現在の状態を上回る最高の攻撃を先に与え、何もさせないままに敵を倒す。いかに相手が強くともその力や能力を発揮させる前に倒せば何の問題も無い。
黒龍神は確かに覇級クラスの力を持つ。しかし真夜の見立てでは、今の人の姿をしている時は、まだ全力では無い。それに本来の姿に戻らなければ、全力を発揮できないのではないかと読んだ。
仮に使えたとしても、その前に相手を圧倒してやればいいだけである。
(油断しすぎの上に、俺達を舐めすぎだ。隙だらけで攻撃し放題だぜ、覇級妖魔!)
相手はこちらを舐めている。朝陽と鞍馬天狗の登場でそれなりにやる気にはなっていたが、全力を出している状態では無かった。
加えて、真夜は霊符にて自分の力を隠蔽していた。先ほど黒龍神が感じた真夜の霊力は抑えに抑えている量だ。つまり真夜に対しては油断していた。
だからこそ、一気に勝負をつける。敵と問答を繰り広げるつもりも無い。戦いに興じる必要も無い。相手が全力を出してやるのを待ってやるつもりもない。
試合や手合わせ、稽古ならまだしも、妖魔との戦いは勝つか負けるかではない。殺すか殺されるかだ。
そこに伊達や酔狂を持ち込むつもりは真夜には一切無い。
(なんぞ、こいつは! 一体なんぞ!?)
言葉を発するどころか、身体を動かす暇も与えない真夜の攻撃。顔面を潰され、視界も塞がれた。身体が吹き飛んでいないのは、人間の姿をしているとは言え、覇級妖魔の強靱な肉体と妖力故だろう。
だが油断し、慢心したことで守勢に回り、そのまま真夜の猛攻をほぼ無防備に受け続けることになる。このままでは遠からずこの姿のまま滅ぼされてしまう。
(こいつ、強いぞ! それも桁外れに!)
目の前の小僧は強い。猛攻に晒されながらも、黒龍神はその事を痛感する。如何に仮初めの人間の姿とは言え、素手で自分の肉体にここまでダメージを与える退魔師は過去にも存在していなかった。
黒龍神から油断が消え、本気で真夜と戦おうとする。しかしそれはあまりにも遅い判断であり、本気に移行する更なる一瞬の隙が命取りになる。
斬!
「!?」
両腕に衝撃が走った。何が起こったのか分からない。だが遅れて感じられたのは、激しい痛みとともに、自分の両腕の感覚が無くなったことだ。
視界を潰された事で視認することが出来なかったが、黒龍神の両腕がくるくると宙を舞っている。
真夜は霊力を込め、研ぎ澄ました霊力の刃を纏った手刀を振り上げることで、黒龍神の腕を切断した。
「馬鹿、な!」
あり得ない。如何な人間でもそんな事が可能なのか。どれだけの名刀や名剣を相手にした時も、自身の肉体に傷をつけることは出来ても、切断までされた覚えは無かった。
無論、真夜とて人間の状態とは言え、全力を出している黒龍神の腕を切断することは出来なかっただろう。
だが真夜の猛攻で肉体を損傷し、ダメージを蓄積し、防御もままならない状態でならばその限りでは無い。
硬直と思考の停止。その隙を見逃す真夜では無い。
「はあぁぁぁぁっ!」
左手で黒龍神の肉体の人間であれば心臓がある部分へと貫手を放ち、貫通させる。
「これで終わりだ」
残った右手にも霊力を収束し、極限まで圧縮し更に鋭利化した手刀を黒龍神の首へとたたき込み、その首を切断するのだった。
◆◆◆
頭部が胴体と切り離された黒龍神は、自分の身に何が起こったのか即座には認識できなかった。
何とか薄らと視界を取り戻せた彼が見たのは、ボロボロになり胸を人間に貫かれている己の肉体の姿だった。
その光景を目の当たりにした黒龍神が感じた感情は何だったのか。
驚愕? 恐怖? 絶望?
違う。怒りであった。
ただの怒りである。自分への怒り。自分をこのような目に遭わせた人間への怒り。何も出来ずに圧倒されたまま終わる事への怒り。
憤怒の感情が黒龍神の中から溢れていく。
これで終わりか? 長きに渡り封印され、復活して最高の軍団を作り上げ、この国を支配するために行動に移そうとした矢先に、良くも分からぬ小僧一人に為す術も無く滅ぼされるのか。
否、否、否、断じて否だ!
このまま滅ぼされてなるものか。このまま力を振るうことも無く滅びることなど断じて許されぬ。
(……ぞ……)
人間達が言う、覇級妖魔と言う最強クラスの妖魔である自分が無様に人間に手も足も出ずに滅ぼされる。
(……ざけるでないぞ……)
数多の退魔師を退け、葬り、誰も滅ぼすことの出来なかった自分をたった一人の人間の小僧に討ち滅ぼされるなど、あってはならない!
「ふざけるでないぞぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
宙を舞っていた首が咆吼を上げた。憤怒は憎悪へと形を変えていく。
黒龍神の頭部がどす黒い妖気に包まれる。それに呼応するかのように胴体からも妖気があふれ出す。
「ちっ!」
咄嗟に真夜は黒龍神の胴体から腕を引き抜くと、右手の拳を握りしめ、更なる追撃を仕掛ける。胴体に大穴が空き、肉片が周囲へとはじけ飛んでいく。
「親父!」
真夜は一度黒龍神から大きく距離を取ると、朝陽に向かって叫ぶ。
「分かっている! 鞍馬!」
「うむ!」
戦いの成り行きを見守っていた朝陽と鞍馬は真夜の意図を理解し、放てる最大級の風の霊術を黒龍神の肉体と頭部へと向かって解き放つ。
すべてを切り裂く風の奔流が黒龍神を呑み込むと、轟音が周囲へと響き渡り砂塵と土煙が黙々と立ちこめる。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥ………。
土煙の向こうでガスが漏れるような音がする。
「グオォォォォォォォォォォォ!!!!」
咆吼。声は衝撃波となり土煙を吹き飛ばした。
煙が晴れた向こうには、黒龍神の姿はなかった。そこに存在していたのは、黒い影のような、靄のような、あるいは闇の集合体の化け物だった。
姿形は蛇に似ているだろうか。妖気を垂れ流し、その身体に触れた周囲の物を腐食させていく。
―――コロス! コロス! コロス!! コロス!! コロス!!! ――――
それは呪いや祟りのようであった。妖気が怨念や怨嗟と融合したかのような存在だった。
黒い靄の中に爛々と煌めく紅い二つの光点が、ギロリと真夜を睨みつける。
同時に周囲を見渡すと、靄の身体から別の蛇のような靄が伸びる。大蛇はかぱりと大きな口を開け、近くにいたかつて氷室の生け贄であった妖魔の一体を咥えると、そのまま飲み込んだ。
その行動に他の二体も困惑した。だが靄は同じようにさらに二つの靄の蛇を作り出すと、それぞれに残っていた二体に噛みつく。
二体は驚愕の表情を浮かべ、まるで助けを求めるかのように靄の蛇の口から真夜達の方に手を伸ばす。だがそれは無慈悲にも届かず、二体は為す術無く黒い靄に完全に呑み込まれた。
―――オォォォォォォォォォ!!!――――
声を発する器官が無いはずだが、聞いた者を呪い殺すかのような怨念に塗れた怨嗟の声。
蛇は再び咆吼を上げる。三体の妖魔を取り込むことで、その存在はさらに力を上げた。
「これは予想外すぎるね」
朝陽もまさかの展開に冷や汗を流す。真夜が突撃し、黒龍神を圧倒したことも、その後にこのような化け物が生まれたことも彼にとっては予想外すぎた。
強さ、という点では目の前の存在は言うほどに強化されていない。寧ろ覇級から超級クラスにまで落ちたのではないかと思える。
だが脅威度は変わらずどころかさらに増したかも知れない。
あれだけの妖気と怨念の塊は、朝陽達の霊術を持ってしても完全に消し去ることは難しい。あれを滅ぼそうと思えば浄化などに特化した霊術か、大規模な儀式を執り行って鎮めるしかない。
だが浄化の霊術も生半可な物どころか、一流の術者によるものでもあれを消し去ることは不可能に近い。
大規模儀式などどれだけの時間と準備、さらにはそれに特化した術者が何人必要になってくるか。
「だが無理とは言ってられないね。鞍馬、力を貸してくれるかい?」
「ふん。いいだろう。儂とてこのような存在を放置できん。共に戦ってやろう」
隣にいる鞍馬も、険しい顔をしているが同意している。
力押しで吹き飛ばすしか方法は無いだろう。朝陽も浄化の霊術は使えないことはない。問題は自分の霊術の威力で、この怨念を浄化できるかどうか。
「真夜にはサポートを……」
不意に朝陽は真夜を見ると、ゾクリと朝陽の身体が震えた。
それは六道幻那が感じた物と同じだった。隣に控えていた鞍馬も同じように何かを敏感に感じ取っていた。
そして彼らは見た。この世界に顕現する神話の存在を。
光の魔法陣の中から出現する、真紅に輝く天使の輪と黒の六枚羽を持つ漆黒の堕天使の姿を。
堕天使ルシファー。
真夜が持つ彼だけの最強の守護霊獣が、この場へと姿を現すのだった。
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