第十五話 黒龍神
「んっ……、くぅっ、………うち、は……」
氷華はぼんやりとした意識をゆっくりと覚醒させていく。
「ううっ、あ、姉上」
「し、志乃っ!」
「よ、よかったのだ! 姉上が目を覚ましたのだ!」
志乃がのぞき込むように氷華の顔を見ている。どうやら彼女は無事であったようだ。
今の氷華は床の上に仰向けに横たえられていた。痺れる身体を何とか動かそうとするが、身体が思うように動かない。
(あかん。なんやけったいな毒を打ち込まれたみたいや。身体も動かん上に、霊術も上手く使えへん)
声を出すことは出来るが、それ以上に何かをする事が出来ない。
目線を動かし、周囲を観察すれば自分達がいる場所はどこか寂れた寺院のような木造の建物の中だった。
「ひ、氷室様……。よかった、目が覚められたんですね!」
志乃の後ろには水葉の姿もあった。氷華が目を覚ましたことに安堵の表情を浮かべている。
「ここは…、確かうちは…」
意識を失う前の事を思い出し、氷華は顔色を変えた。
「じゃらははは! 目覚めたか女!」
「っ!」
大きな高笑いが響く。声の方を向くとそこには黒龍神がいた。
「お前!」
「威勢がいいのは良いことぞ! うむうむ。お前も俺の良き眷族になるぞ!」
その背後には三体の妖魔が控えている。その中には氷華の知る人物に似た顔を持つ存在がいた。
氷室雪花。かつて生け贄にされた氷室家の人間であり、氷華も慕っていた人物である。それにもう一体の方にも見覚えがあった。それは五年前に生け贄に差し出された氷室の人間だった。
「雪花さん……お前、雪花さんに何をやったんや!」
横たわりながら、氷華は顔をそちらに向け、射殺さんばかりに睨みながら黒龍神に叫ぶ。
「じゃらははは! お前ももう気づいているであろう? 氷室から差し出された娘達を俺の眷族にしたんだぞ。中々に楽しかったぞ! 泣き叫ぶこやつらを俺の眷族にするのは!」
「っ!」
予想していたことではあったが、実際に言葉にされて教えられるのでは衝撃が違う。
「氷室は中々に役に立ってくれたぞ。俺が殺した術者達も妖魔の依り代にして、より強力な眷族を作れたぞ」
かつて殺した術者達を使い、最上級の妖魔の眷族を黒龍神は作り出していたのだ。
「雪花とか言ったか。こやつは俺の眷族の中でも特に強い個体に仕上がったぞ。そう言えば、お前を見逃すのはこやつの頼みであったな。じゃらははは! しかしそれも無意味であったぞ」
「この外道が!」
「そんな顔をするな。お前もすぐにこうなるぞ。いや、しばらく時間をかけてじっくり堕とし、身体を作り替え、変質させていくのも楽しそうぞ」
「あ、姉上に手を出すななのだ!」
立ち上がり、ばっと両手を広げ氷華を庇うように立つ志乃。
「い、生け贄はこなたなのだ! こなたが姉上の代わりになる! だから姉上には手を出すな、なのだ!」
志乃の身体は小刻みに震えていた。圧倒的な妖気を身に纏う黒龍神の力に本能が恐怖しているのだ。
それでも姉を守るために、必死に立ちはだかる。
「私も妖魔に成り下がるつもりはありません! 水波の一員として、例え敵わずとも最後まで抗います!」
水葉もまた話を聞き、顔を青ざめさせているが、それでも気丈に抵抗の意思を見せた。
「じゃらははは! いいぞ、いいぞ! そう言う女を堕とすのは何よりも楽しいぞ! この三人も最初は抵抗していたが、最後には俺に屈したぞ! お前達はどれだけ持つか、楽しみぞ!」
「ヒョウカ、アナタモコッチニキテ。サイショハコワイケド、スグニヨクナルカラ」
変質し、蛇のような長く割れた舌を口から出す、かつて氷室雪花であった人間の成れの果て。氷華は思わず涙した。憧れていた人が、自分を逃がすために犠牲になってくれた人が、今は無残な姿に変わり果てた。
そして次は自分や志乃、水葉が黒龍神の眷族に堕とされてしまう。
「に、逃げるんや二人とも。うちは、動けへん。何とかして二人だけでも……」
「あ、姉上を見捨てて逃げるなんて出来ないのだ!」
「わ、私もです! これでも流樹様の付き人です! 妖魔になんて屈してなるものですか!」
氷華は何とか二人を逃がせないかと考えるが、自分自身が動くことも出来ない。あまりの不甲斐なさに怒りがこみ上げてくる。それに二人も二人で逃げる気はないようだ。
状況はあまりにも絶望的だ。
「じゃらははは! 威勢が良いぞ! それでこそ面白いぞ!」
じりじりと近づいてくる黒龍神。身構える志乃と水葉。水葉は何とか黒龍神と相対しようとするが、実力差は歴然としている。
二人とも迫り来る圧倒的な力に恐怖し、身体が硬直し、震えがさらに激しくなっていく。
「じゃらははは! 先ほどまでの威勢はどうしたぞ? ふむ、少しばかり遊んでやるか……」
黒龍神がさらに彼女達に近づこうとした時、彼の身体を水の鞭が拘束した。
「むっ? これは」
「凍れや!」
次の瞬間、黒龍神の足下から氷が彼の身体を伝い、全身を氷漬けにして氷の柱の中へと閉じ込めた。
「コクリュウジンサマ!」
叫ぶ眷族を尻目に、二人の男がこの場へと乱入してきた。二人は黒龍神と三人の間に割って入ると、彼女達を庇うように立ち戦闘態勢を取った。
「理人!」
「流樹様!」
志乃と水葉がそれぞれ叫ぶ。八城理人と水波流樹。彼らは黒龍神の残した地脈の穴を通り、この近くへと転移し、この場へとやって来たのだ。
「無事やな、志乃も氷華様も! ここは俺が時間を稼いだる! あんたは早ようそいつらを連れて逃げいや!」
理人はさらに霊術を使い、三体の眷族の間にも氷の壁を展開しその中へ封じ込める。氷の檻は内部の存在を等しく凍結させる。
理人のレベルならば、特級妖魔を完全に封じることは出来なくとも、十分に足止め出来る。
しかし黒龍神は別だ。覇級妖魔相手に並の術では封じ込めも足止めもままならない。
それでも何もしないと言う選択肢は無い。
理人は黒龍神に対してもより強固な術を重ね掛けしていく。氷室の屋敷から持ち出した呪法具や霊符を可能な限り使い、限界まで霊力を注ぎ込む。
複数の霊符を氷に貼り付け、霊力の籠もったしめ縄を幾重にも巻き付け、持てるすべての力で黒龍神の動きを封じ込める。これで多少の時間は稼げるはずだ。
その隙に流樹に三人を連れて逃げる様に促した。
「馬鹿な事を言うな! 僕は逃げない! 君が皆を連れて行け!」
「阿呆か! ここに残ったら死ぬだけやろうが! 力の差を考えや! 俺らの目的はこいつらの救出やろう!」
「だから、僕が殿に残るって言っているんだ!」
「だあぁっ! なんでこう、次期当主は我が儘な奴ばっかりなんや!?」
水波の次期当主とは言え、まだまだ実力は未熟であり理人よりも弱い流樹に理人は苛立ちを覚える。それに立場上でも彼に死なれるとまずい。
とっと三人を連れて逃げてくれと思わずにはいられない。
ピキッ……。
「!?」
ピキピキピキッ……。
氷柱に罅が入っていく。しめ縄が軋み、霊符が剥がれ吹き飛びそうなほどに揺れている。
「くっ! 早すぎるっ!」
こんな物で封じ込められるとは思っていなかったが、それにしても早すぎる。
ビキッ! パリンッ!
霊符が爆ぜ、しめ縄が断ち切れ、氷が吹き飛んだ。中から出現するのは、無傷の黒龍神であった。
「じゃらははは! 中々に涼しかったぞ。しかし俺を封じ込めるには全く足りんぞ」
どこまでも余裕の笑みを浮かべる黒龍神に、理人は忌々しそうに顔をしかめる。
「ふむ。お前はこれで三度目ぞ? さあさあ、どうするぞ? この俺をもっと楽しませてくれぞ」
「ふざけるな妖魔が! 殺された水波の術者の無念を晴らすためにも、ここで僕がお前を討つ!」
どこまでも傲慢な黒龍神に流樹が声を荒げる。
氷華に事実を聞かされ、取り巻きの妖魔に敗北し、水葉を連れ攫われた事で、流樹の頭には血が上っていた。
「じゃらははは! 威勢の良い小僧ぞ。しかし俺との力の差も理解できぬ未熟者ぞ?」
黒龍神の身体から放たれる妖気は、この一帯を包み込む。ゾワリと纏わり付くような不気味で重々しい妖気にその場にいた全員の身体が震え、全身から汗が溢れ出る。
「く、くそぉっ……」
流樹とて自分と相手の力量差くらい理解している。押しつぶされんばかりの妖気に、思うように身体が動かない。先日の赤面鬼以上の化け物が目の前にいるのだ。
寧ろ初めての覇級妖魔との邂逅で、虚勢とは言え戦うと言えるだけまだ流樹は気概があった。
「どうしたぞ? 突っ立ってばかりでは面白くないぞ? ああ、あまりの力の差に萎縮しているのかぞ? まあ仕方が無いぞ。どれ、ならばこうしてやるぞ」
パチンと指を鳴らすと、彼の後ろの氷の檻が弾け飛んだ。現れるのは、囚われていた三匹の妖魔。
身体の一部に氷が張り付いていたが、別段大きなダメージを受けているようには見えない。
「お前達の相手はこいつらぞ。せめてもの余興として楽しむぞ」
三匹の特級妖魔と入れ替わるように、後ろに下がると黒龍神はどかりと地面に腰を落とした。
「シャァァァァァッッ」
人の面影を残しながらも、妖魔として変質してしまった三人の生け贄達。白い蛇の下半身に人の上半身。上半身は軽く胸が隠れる程度の布が巻かれているだけだ。
背中からは蝙蝠のような翼が生え、頭部から一対の鹿のような短めの角が伸びている。ちろちろと伸びる三十センチを超える長い赤い舌。瞳孔は縦に割れ、人で無くなった証のようであった。
「趣味が悪いやないけ。妖魔になった氷室の生け贄の人間を俺らと戦わすんか」
「じゃらははは! 中々の余興ぞ? しかもこやつらはお前達の言う特級クラスの妖魔ぞ。それも三体ぞ」
特級妖魔と言うことで、全員の顔色が変わる。先日の一件でも流樹は特級妖魔に勝てなかった。
強化されたあの赤面鬼よりは若干、同じ特級でも強さは下だろう。しかし三体を同時に相手して、勝てるかと言われれば否であろう。氷華が動ければ、もう少し戦力に余裕があったかもしれない。
だが彼女は動けない。この状況でまともに戦えるのは理人、流樹、水葉くらいであろう。志乃は霊力は高くても生け贄として育てられてきた経緯から、とても戦えるものではない。
「雪花さんまで、お前は妖魔に……」
「じゃらはははは! その娘が一番面白かったぞ。最初は妖魔にされても気丈に振る舞ってたぞ。まあ最後は俺を求めるようになったがな!」
「お前!」
「お前らもしばらくすればそうなるぞ。そこの男二人も、俺の眷族にしてやるぞ。尤も女とは違ってかなり強引に作り替えるがな!」
氷華が悲痛な顔を浮かべ、理人と流樹は憤怒の形相で黒龍神を睨む。
「ふざけんな。俺はお前の眷族になるつもりはさらさら無いで」
「僕もだ。例え死んでも、貴様のような妖魔の好き勝手にさせはしない!」
「その威勢がどこまで持つか楽しみぞ!」
しかしこの場の誰もがこのまま戦っても勝ち目など無いことを理解している。
黒龍神が手を振ると、三体の妖魔は一斉に襲いかかる。
その瞬間、嵐のような風が建物を破壊し吹き抜け、三体の妖魔を吹き飛ばした。吹き飛ばされた妖魔達は建物の壁を突き破り、外へと放り出される。
「むっ!」
「ふむ。これは中々じゃな」
黒龍神と理人達の間に、人影が躍り出る。漆黒の翼を持つ、山伏のような出で立ちの存在。それは一足先にこの場へと駆けつけた鞍馬天狗であった。
「て、天狗やと!?」
「騒ぐな、小僧。儂はお主らの敵では無い」
理人の驚愕の言葉に、鞍馬天狗は視線を黒龍神から逸らさずに告げる。
「何者ぞ?」
「儂は鞍馬天狗。貴様の敵じゃ」
睨み合う二体であったが、遅れるようにこの場へと数人の人間が飛び込んで来る。
「やあ、どうやら間に合ったようだね」
「あ、貴方は! それに!?」
流樹は自分達を庇うように立つ人物達に見覚えがあった。それは理人も同じだった。
星守朝陽、火野朱音、京極渚。そして星守真夜。
ついに、真夜達が黒龍神の前に姿を現すのだった。
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