第十一話 氷室志乃
氷室家の屋敷の最奥。その一角に作られた部屋。
氷華と流樹はそのドアを開けた。
「邪魔するで、志乃」
「姉上! こなたは姉上を待っておったのだ!」
と、氷華に向かい勢いよく突進してくる一人の少女。見るからに小柄というか、明らかに幼い女の子だった。
(座敷わらし?)
流樹が一番最初に思った感想がそれであった。黒髪で短めの髪の毛。前髪は横一文字に切りそろえられた、年の頃は十代前半の美少女だった。
「おう。志乃、元気にしとったか」
「うむ! こなたは元気いっぱいなのだ!」
えっへんと胸を張るが、氷華とは比べものにならないほどにつるぺたのぺったんこの胸であった。
「むっ、誰なのだ? 姉上の後ろにいるのは?」
「ああ、うちの後ろにおるんは、水波家の次期当主の水波流樹や。今回の……儀式に参加するための名代で来たんや」
「なるほど! 遠路はるばる来て貰って、申し訳ないのだ! 自己紹介がまだであったな! こなたは氷室志乃! よろしくなのだ!」
元気いっぱいに挨拶をする志乃に、流樹は何とも言えない顔をする。事前に知っていた情報とあまりにもかけ離れているからだ。
(氷室家の次女は身体が弱く、病床からあまり出てこれないと聞いていたが、全然違うじゃないか)
「む、なんなのだ、その顔は? なるほど! こなたがあまりにも可愛すぎて見惚れておったな! こなたも罪な女なのだ」
「そ、そうなのですか、流樹様!?」
志乃の言葉に慌てて反応したのは、後ろに控えていた水葉だった。まさか自分の主が、こんな幼女趣味だったのかと、目に見えて狼狽している。
「違う! 何故そう言う話になる!? 僕がこんなちんちくりんに……」
「ああっ!? うちの可愛い妹に文句あるんか!?」
「なんでそっちがキレてるんだ!?」
流樹に対して恐ろしい形相で睨みつける氷華に、何故僕がこんな扱いをと理不尽を感じていると、そこへ助け船が出される。
「氷華様。水波の次期当主様が困っとるで。いくら可愛い妹の事でも、それは失礼やと思うんやが」
そこに部屋の片隅にいた第三者が擁護の声を上げた。八城理人だった。彼は氷華の裏工作のおかげで、氷室家に無事に戻ってきていた。
ただし彼自身がやらかしたこともあり、謹慎処分と言う名目でこの部屋で志乃の相手をしていた。
「理人ぉっ! お前も志乃にケチつけるんか!?」
「誰がケチつけたんや!」
「せやったらうちの味方せいや、ボケ!! それともお前もうちの志乃に文句あるんか!?」
「状況を考えろや、次期当主!」
「うむうむ。姉上も理人も仲良しなのだ」
にらみ合う氷華と理人、そして腕を組みうんうんと頷いている志乃。
(……もう、帰りたい)
その光景を見ていた流樹は心底、そう思うのだった。
◆◆◆
「いや、ほんますまんな。どうも志乃の事になると熱くなってまうんや」
「いえ、僕の方こそすまなかった」
何故僕が謝らなくてはならないと思うが、形だけでもしておくことにした。
彼らは今、部屋の中に敷かれた座布団の上で、お互いに向き合う形で座っている。
「まあとにかく話をしようか。改めて紹介する。この子はうちの妹の氷室志乃や。年は十六歳や」
「十六歳。僕より年上か」
とてもそうには見えないがと疑りの目を向けるが、当の志乃はこなたの方がお姉さんなのだとふんすと鼻息を荒くしている。
その様子に隣の理人は苦笑し、氷華は可愛ええなぁっと笑みを零している。
「ん、んんっ! それで先程の話なのだが……」
「………そうやな。そろそろ真面目な話をしよか。志乃が病弱やと対外的に言われとったのは、この子は生まれた時から死ぬのが決まってたからや」
「何?」
氷華の言葉に流樹は怪訝な顔をする。それは水葉も同じだ。水明だけは、どこか悲痛な面持ちをしている。
「まず最初に言っとく。これには水波も関わっとるし、秘匿にも協力しとる案件や」
「待って欲しい。一体何の話なんだ!?」
「端的に言う。今の氷室家はある覇級妖魔に屈しとる。そして水波も間接的にはその妖魔に屈しとるようなもんや」
「なっ!?」
氷華の言葉は流樹にとってはまさに青天の霹靂のような物だった。
「馬鹿な! 水波も氷室も妖魔に屈しているだと!? そんな馬鹿な話があるか!」
「事実や。その妖魔の名前は黒龍神。かつて氷室の先祖が封印し、そして二十年前に復活した化けもんや」
氷華は流樹達に説明する。二十年前に何があったのかを。そして十年前に、何が起こったのかを。
「二十年前は黒龍神により氷室家の主力は壊滅。当時はそれを何とか秘匿した。そしてさらに十年前、もう一度悲劇が起こった」
その発端は簡単な事であった。水波家の当主である水波流斗の妻であり、流樹の母である旧姓・氷室雪菜(ひむろ ゆきな)からの懇願であった。
彼女の妹である氷室雪花(ひむろ せっか)が生け贄に選ばれたのだ。
生け贄に選ばれる基準はいくつかあるが、まずは霊力が高いこと。そして黒龍神が見定めた者と言うことだ。
黒龍神は神域にいながら、龍脈を通じて、この地に住まう霊力の高い人間をある程度、認識していた。その中で幾人か候補を選び、そこから五年ごとに生け贄を選定して差し出させていた。
十年前に選ばれたのが、雪菜の妹である雪花だった。雪菜はその事を嘆き、苦しみ、そして流斗に事情を打ち明けた。雪菜からすれば、苦渋の決断であっただろう。
流斗は氷室家の当主に相談を持ち掛け、秘密裏に討伐を行うと言うことで最大限の準備を行い、事にあたった。
氷室家も十年前にはまだ理人の所属している影の人員も揃っていた。二十年前の一件でかなり損耗したが、十年で再建されていた。
かき集めた呪法具と氷室と、水波の精鋭をもって儀式に合わせて強襲をかける。
しかしその結果、水波家から秘密裏に送られた精鋭も氷室の術者達も全滅した。
「……うちもその時、参加しとった。で、負けた上に左目を失った」
何とか生きて帰れたのは、理人と同じく運が良かったからと生け贄の雪花が黒龍神に懇願したからだった。
黒龍神もひと通り暴れて気分が良かったのだろう。雪花と言う生け贄が手に入ったこともあったからか、あっさりと氷華を見逃すことに同意した。
『じゃらははは! 氷室の娘! 面白かったぞ! それに楽しませて貰った。また左目も美味であった!』
だが戦いに敗れた彼女は、女と言うことで生かされ、その身は三日三晩かけて穢された。
さらに左目は黒龍神によりくりぬかれ、そのまま彼に食べられた。あの時の恐怖は今もなお、氷華は鮮明に覚えている。ズキンと眼球を失った左目が疼く。
「馬鹿な! そんな話! では何故父上は参加しなかったのだ!? 父上も参加していればあるいは!?」
「今更やけど、それでも勝てんかったやろうな。あいつは化け物や。こっちが用意した策も、術も、呪法具も全部無効化された。文字通り、うちらは蹂躙されたんや。それに最悪の事態に備えて、当主を失うわけにはいかへん。だから参加せえへんかった」
結果的にそれは正しかった。水波にしても、当主の妻の実家ではあったが、覇級の妖魔と戦う事に難色を示す者は多かった。それでも当主は内部を調整し、援軍を出した。
だがその結果が派遣した術者が全滅となれば、当主の発言力は低下する。さらに腕利きを失ったことで、それの秘匿もしなければならず、醜聞を消すために水波は奔走することになった。
同時に、妻の言葉を聞いた件も責められ、話を持ってきた雪菜も水波家での立場を失った。
「じゃああの時期は……」
十年前。あの時の事は幼いながらに覚えている。父も母も退魔の仕事が多くなり、外に出て行く事が多くなった。また知っている顔を見なくなったのもあった。
後からその時に超級妖魔を討伐したが、その結果腕利きが多く帰らぬ人となったと聞かされた。
あまり退魔の現場に出なかった母まで駆り出される事態。そして母は……。
「そうや。氷室は二度目の、そして水波も大勢の術者を失う事態になった。六家として、他家に知られるわけにはいかんかったから、氷室も水波も秘匿した。同時に黒龍神に対して、完全に逆らえんようになった」
水波にこそ黒龍神は眷属を送り出さなかったが、氷室には尚も要求を続けた。
今回の件は不問にしてやる。だが次はないと……。
氷室はそれで完全に折れた。水波もこれ以上深入りをしたくは無かったが、黒龍神の動向は注視しないわけにはいけなかった。
「志乃は……、明日黒龍神の元に向かう」
「馬鹿な! 退魔師が! それも六家の氷室や水波が妖魔に屈するなど!」
流樹は憤慨した。当然だ。退魔師とは妖魔を討つべき存在。だと言うのに、その倒すべき相手に降るなど、有ってはならない。
「……これが現実や。氷室と水波が隠しとったな。あんたも次期当主や。この話は知っとかなあかん。とは言え、水波には十年前の被害と醜聞以外の被害はない。……生け贄もうちら氷室から出す」
氷華はどこか言いにくそうに言うが、当の志乃はどこまでも明るかった。
「うむ! こなたが生け贄として黒龍神の元へと向かう! それで皆に害が及ばぬのなら、こなたは本望なのだ。姉上にも理人にも良くして貰った。今度はこなたが姉様達のために頑張る番なのだ」
屈託無く笑う志乃の姿に、氷華も理人も悔しさに顔を歪める。
「ふざけるな! そんな話をするために僕らを呼んだと言うのか!? 退魔師ならば、妖魔を討つために動くべきだだ!」
「……ああ、そうや。その通りや。けどな、相手は覇級や。うちも、ここにいる理人も直接戦ったことがある。けどな、勝てんかったんや」
「だから諦めるのか!? 受け入れるというのか! どうにかして倒そうとは考えないのか!?」
「ならどうするんや? 他の六家や星守にでも協力を要請するんか? それが出来るんやったら、最初からしとるやろ?」
「それは……」
氷華の言葉に流樹も黙るしかない。六家同士に横の繋がりはあるが、だからと言って仲良しこよしと言う訳では決してない。派閥争いや縄張り争い、果ては術者としての見栄や相性などの問題ですべてがまとまることはない。
それに星守の協力を仰ぐにしても、星守は他の六家にあまり介入はしない。現当主はそう言った確執や因習には囚われないタイプだが、先代は他の六家のごたごたに積極的に介入すべきではないと言うスタンスだ。
「それに相手は覇級の妖魔や。超級なら星守も頷くやろうが、覇級ともなれば星守でもかなり大がかりに動くことになる。そんな介入をされれば、六家のメンツも何も無くなる。うちの親父や長老は極端にそれを嫌っとる。それに京極もこれ以上、星守にでかい顔をされたくないやろうから、足を引っ張る可能性もある」
だからこそ、協力を要請できないのだと氷華は言う。
「……僕らが力を合わせても勝てないのか?」
「………無理や。相手は文字通り桁違いの強さや」
もはや押し黙るしかない。沈黙がこの場に訪れる。水葉も水明も、理人も何も言わない。
水葉も流樹と同じく憤慨しているが、良い案を出せるわけでもない。水明もこの話は知っていたが、だからと言って何かが出来るわけではない。
(あの星守真夜が手を貸してくれたら……。せやけど、もう間に合わへん)
そんな中で、理人だけが別のことを考えていた。
もし希望があるとすれば、六道幻那や自分達を圧倒したあの星守真夜に協力を仰ぐ事であると。
だが理人は断られ、時間ももうない。仮に留置場で氷華に話して、彼女に真夜と直接交渉を行って貰ったとしても、突っぱねられるか、落ちこぼれに何を言っているんだと断られるのが目に見えている。
強引な手を使えば、それこそ星守と完全に敵対するし、真夜個人との関係もより悪化する。
だからこそ、この手は使えないのだ。
「姉様! 心配しなくてもいいのだ! こなたはこのためにこれまで生きてきたのだ。もうこれ以上、姉様や理人が危ない目に遭う必要は無いのだ」
場の空気が重なったのを感じた志乃が、明るい口調で言う。
「それに水波流樹とやら。そなたらが気に病む必要も無い。これは氷室家の宗家の娘としての責務。それを誇りこそすれ、嘆くことなどないのだ」
だから気にしないで欲しいと言う志乃に、この場の誰もがかける言葉を持ち合わせていないのだった。
◆◆◆
「理人、こなたは氷室の娘として、立派に他家の者と話せたかな?」
顔合わせを終え、明日のスケジュールを確認した氷華や流樹達は志乃と理人を残して別の部屋へと向かった。
「そやな。上手く出来てたで」
「うむ。さすがこなたなのだ! 明日も立派にやり遂げてみせるのだ!」
力強く言う志乃だったが、理人は見逃さなかった。彼女の身体が、小刻みに震えているのを。
「志乃、やっぱりお前……」
「何を言ってるのだ、理人。もうこなたは受け入れているのだ! それにこなたが生け贄になれば、しばらくは黒龍神も暴れないのだろ? お姉様や他の大勢の役に立てる大役なのだ! これほど名誉な事はないのだ」
理人はどこまでも笑顔を続ける志乃の姿に涙が出そうになった。
何故そんなに気丈に振る舞える。いっそ喚き散らし、泣け叫んでくれた方が良いのに。
「あかん。やっぱりお前は死なせられへん。俺と一緒に……」
「やめるのだ! それ以上は言うななのだ!」
咄嗟に浮かんだことを口にした理人だったが、志乃がそれを大きな声で遮った。
「馬鹿なのだ、理人。こんなこなたのために、理人が苦しむ必要はないのだ。姉様もだ。理人、覚えてるいるか? 昔に外の景色が見たいってこなたが我が儘を言った時、理人は叶えてくれた」
「そうやな。もう随分と昔やな」
あの後、勝手に志乃を連れ出したことで理人は罰を受けたのだが、それも今は良い思い出だ。他にも理人と志乃の思い出は多くある。
狭い屋敷の中での話であり、志乃は一般的な同年代と違い学校にすら行っていない。最低限の教養は氷華や理人による身についているが、世間知らずであり、知識に偏りがある。
それでも志乃は自分が不幸だとは思わなかった。例え明日にも命が無くなろうとも、恐ろしい目に遭おうとも、自分は最後まで姉や理人には笑った顔を見せ続けようと思っていた。
それがこんな自分に良くしてくれた姉や理人に対する、せめてもの恩返しだと考えていた。
「だから、こなたの最後のお願いなのだ、理人。明日までずっとこなたと一緒にいて欲しいのだ。それでいっぱいお喋りするのだ」
「……そんなことでええんか?」
「うむ! それがいいのだ」
だから理人も志乃の願いを受け入れ、叶えようとする。助けることが出来ない、出来なかった幼馴染みに対しての罪悪感と自らの力のなさに対しての絶望感を抱えながら……。
そして壁の向こうでは、同じように俯きながら、右手で左腕を押さえた氷華が、ただ無力感に打ち震えるのだった。
◆◆◆
真夜達が京都の朝陽との合流地点に到着したのは、夕方になってからだ。
と言うのも、朝陽の仕事の兼ね合いで、合流できる時間がその時間でしかなかったからだ。京都駅から在来線とバスでさらに移動し、朝陽と真夜達は合流した。
「来たみたいだね」
「ああ。待たせたな、親父」
「お世話になります、おじさん」
「今回はよろしくお願い致します」
「こちらこそ、朱音ちゃんも渚ちゃんもありがとう」
わざわざ付き添ってくれた二人に感謝を述べる朝陽は、いつも通りの柔和な笑みを浮かべる。
「いや-、真ちゃんと一緒に仕事が出来る日が来るなんて、本当に感慨深いね」
「……俺もだよ。で、今から行くのか?」
「いいや。これからだと夜になっちゃうからね。まだ日は高いとは言え、念には念を入れて行こう。夜になれば妖魔の方が有利になる。それに真ちゃんも長距離移動で多少は疲れているだろ? 相手は覇級。万全を期すためにも、明日の朝、行動に移す」
相手が相手だけに、確かに朝陽の主張は間違っていない。真夜もそれには同意する。
「わかった。で、この後は?」
「ホテルは取ってあるから、そこに移動して作戦会議だね。私が集めた情報の共有とどうやって黒龍神と戦うのか、予め話し合っておく必要はあるだろ?」
「そうだな。俺もそれでいい。で、明日の朝決行で、その場合、二人はホテルに待機か?」
ちらりと真夜は朱音と渚に視線をやる。二人は不承不承に近い表情だが、それもやむを得ないと考えている。
「いや、一応は現地まで一緒に来て貰うよ。アリバイ工作やら色々あるからね」
朝陽の言葉にぱっと笑みを浮かべる朱音と柔らかい笑みを浮かべる渚。
「いいのか、親父?」
「ああ。ただし聖域には入らないこと。それと緊急時以外は絶対に車から出ないこと。車には結界を張っておくから、よほどの事が無い限りは問題なくするから。これが守れるのならと言うのが条件だが」
「はい! お約束します」
「私も同じです。ご迷惑はおかけしません」
同意する二人に朝陽は満足そうに頷く。
「これでいいかな、真ちゃん?」
「親父がそれでいいなら、俺も構わないぞ」
本来なら、ホテルにいて欲しかったが、聖域にさえ入らなければ問題ないだろうし、真夜も念のため、霊符を二枚置いて行くつもりだ。
万が一になれば手元に引き寄せられるし、相手次第ではあるがルフを召喚すればおそらく十枚でも余裕で対処できる。それに今回は朝陽も一緒なのだ、結界の構築などは朝陽にして貰えば良いので、その分さらに余裕が持てる。
「じゃあ行こうか」
役者は揃い、決戦の時は近い。最強の退魔師と落ちこぼれ退魔師にして、異世界帰りの最強の守護者が黒龍神に向けて、静かに動き出すのだった。
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