第十話 戦いの地へ
星守朝陽は表情を崩しそうになるのを必死に抑えながら、妻である結衣の説教を受けていた。
「もう! 朝陽さんはいつもそうです! どうして私も連れて行ってくれなかったんですか!」
彼が帰宅したのは、夜も遅く。誰にも見つからないように帰ってきたつもりだったが、何故か帰宅した直後に結衣に見つかった。と言うよりも待ち構えていたと言う方が正しい。
即座に部屋に連れ込まれ、真夜の所に行っていたのだろうと追求され、その後に延々とお説教をされている。
ただし、説教の内容はどうして自分も連れて行ってくれなかったのかとか、ご飯の準備が無駄になるところだったとか、そんな緩い感じのお説教と言うよりも愚痴に近いものであった。
「あははは、ごめんごめん」
「もう! 私だって真夜ちゃんに久しぶりに会って、色々とお話ししたかったのに!」
上目遣いで恨めしそうにする仕草や、怒りで頬を膨らませる結衣の姿に朝陽は苦笑する。
「……それで、真夜ちゃんはどうでしたか?」
「元気そうだったよ。怪我とかもしていなかったしね」
朝陽は真夜との約束通り、息子が強くなっていた事は秘密にしておく。だから当たり障りの無い事を述べる。
「ふふ、そうですか。それなら安心ね。でも……ねえ、朝陽さん? 私に隠してることがあるでしょ?」
不意に、結衣がそんな事を言い出した。
「いきなりどうしたんだい、ママ?」
「だって、朝陽さん、凄く嬉しそうですもの。ただ真夜ちゃんに会って話をしただけじゃ無いでしょ? それだけで朝陽さんが今までに無いほどに、楽しそうで嬉しそうな顔をするなんてあり得ないですから」
じぃーっと探るような目を向ける結衣に朝陽は内心で冷や汗を流す。
「もうっ! 朝陽さんばっかりずるい!」
「ははっ、すまないね結衣。でもそんなにわかりやすい顔をしてたかな?」
「はい、それはもう。でもどうせ真夜ちゃんと内緒の約束でもしたんでしょ? ママには分かります。だからもうこれ以上は聞きませんけど」
それでもどこか拗ねた結衣に、朝陽は今度きちんと埋め合わせをしようと考える。
それにしても母親としての勘だろうか。朝陽の心を読んでいるのでは無いかと時々恐ろしくなる。
「ママには敵わないね。でもこれは真ちゃんからの頼みでもあるからね。それに次の長期休みには帰ってきて、きちんと話をしてくれるって言ってたから」
「ぶぅっ。わかりました。それまで我慢します。でも真夜ちゃん、ここに帰ってきてくれるんですね!」
「ああ、本人がそう言っていた。それまでは待ってあげて欲しい」
「はい、承りました。あっ、でも朝陽さんは今日の晩ご飯は無しですからね。食べてきてたら、もう少しお説教ですけど」
「えー、それは酷い。私もお腹が減ったのに」
「自業自得です。あと御義母様が帰ってきたら来るように言ってましたよ」
その言葉に分かっていたとは言え、朝陽は余計に気が重くなった。
「頑張ってくださいね、朝陽さん。あっ、でも私のお話は終わってないので、今夜は寝かせませんからね」
「そうだね。頑張って怒られてくるよ」
満面の笑みの結衣に、朝陽は引き攣った笑みを浮かべ、そのままとぼとぼと実の母である明乃の所へと向かう。
「母様、ただ今戻りました」
「入りなさい」
気配を感じていたのだろう。朝陽が声をかけると部屋の中からすぐに声がした。朝陽は襖を開け部屋へと入る。
「……遅かったな」
「ええ、まあ」
「ふん。真夜の所に行っていたのか?」
睨みつけるように朝陽に視線を向けるが、向けられた方はさして気にした様子も無い。
「結衣にも母様にもバレバレのようで」
「当たり前だ。私はお前の母親だぞ? ついでに言えば、結衣も結衣で中々に勘も鋭く、本質を見抜く。まったく、普段ももう少し真面目にしていればお前達は理想的な夫婦なのだがな」
どうしてこうなったと頭痛のする頭を指で押さえる。
「はははっ、それはそれは。ですが、私としても直接真夜と話をしたかったので。六道の名を持つ妖術師の件もありましたし」
「……まあいい。それで話は聞けたのか?」
「残念ながら、めぼしい情報はありませんでした。真夜達も偶然の遭遇だったようで」
「運が良い。もし本当に六道の人間ならば、今頃真夜達は無事では済まなかっただろう」
「そうかもしれませんね」
だが内心で朝陽はその六道幻那と言う妖術師を倒したのは、真夜では無いかと考えていた。手合わせした際の疲労具合。あれは昨日、真夜が六道と戦ったと言う状況証拠にならないだろうか。
あの状態でも自分を追い詰めるほどの強さだ。万全ならばどこまでの強さか。
(いや、真夜も奥の手を隠しているような感じだった。そう考えるならば、本当に六道一族の術者でも、今の真夜ならば対処できるはずだ)
まさかあの真夜がと思うと、知らず知らずのうちに朝陽の口元が緩む。
「何がそんなに面白い? 真夜が無事であったのが、そんなに喜ばしいか?」
「それはそうでしょう。真夜は私達の息子ですよ? 私としては、どうして母様がそこまで真夜に厳しく接しているのかと疑問に思いますが」
「私は事実しか言っていない。結衣にも言ったが、あの子には才能が無い。叶わぬ夢を見させるより、無駄な努力をさせるよりも、真実を突きつけた方があの子のためだ。私にはお前達夫婦の方が理解できない。退魔師界では一生、真昼と比べられ続けるのだ。それに、私はあの子のように無駄な努力をする人間が嫌いだ」
明乃はこれまでの真夜の姿を思い出し、不快感を募らせる。
ああ、そうだ。嫌なのだ。出来もしないことを続ける姿が。懸命に努力し、認められようとする姿が。誰かと比べられ、傷つきながら、それでも必死になっている姿が。
報われるはずが無い。霊力も低く、才能にも乏しく、退魔師として欠陥を抱え、さらに一族の秘儀さえも失敗したのだ。
優秀な双子の兄である真昼と比べられ続け、一族内からも兄にすべての才能を持って行かれた出涸らしと揶揄される。
(ああ、そうだ。私は間違っていない)
認めてはならない。退魔師として名乗らせることも、退魔師として活動させることもさせてはいけない。だって、もしそれをしたら……。
「今回は無事であったが、同じ事が続くとは限らない。あの子の無事を願うのなら、私に従え朝陽」
「お言葉ですが、母様。私はあの子のやりたいようにやらせてあげたい」
「その結果が、最悪の結末でもか?」
今までに無い殺意すら内包した気配。ビリビリと周囲が震える。
「そうならないように、私達ができる限りのことをするのです」
「………後悔するぞ、必ずな。もういい。今回の事件の詳しい話は明日にする。お前はもう下がれ」
「はい。それではお休みなさい、母様」
朝陽は一礼し、部屋を出て行こうとする。だがその直前に、彼は振り返り、明乃にこう告げた。
「母様。あの子を、真夜を信じてやってください。あの子は……きっと私達の想像を超えて大成します」
それだけ言うと、朝陽はそのまま部屋を後にした。
「……信じろ、だと? 信じた結果がどうなるのか、お前はまだ分かっていないんだ」
吐き捨てるように明乃は一人呟くのだった。
◆◆◆
「別に二人は、付いてこなくても良かったんだぞ?」
「そんなわけにはいかないわよ。少なくともおじさんと合流するまでは真夜を監視しなくちゃ」
「そうですね。星守君が無茶をしないか見ていて欲しいと言われましたし」
「信用ねえな、俺」
奈良へと向かう列車の中で、真夜は同席する朱音と渚にそう返す。朝陽との手合わせから一週間後の週末。
土曜日の朝に真夜達は、始発で奈良へと向かっていた。
「親父も現地合流だからな」
「はい。それに私達が一緒にいるのは、もしもの時のアリバイ作りと言い訳作りですからね」
「そう言うこと。あたし達は先日の共闘で仲良くなった友達同士で、今回は親睦を深めるために一泊二日で奈良へ観光と修行に赴くって事になってるし」
「そこで偶然にも仕事で京都にいた親父とばったり会って、その戦いぶりを見るために、行動を共にするって話だったな」
聞かれてはまずい会話もしているので、念のために結界は張っている。
真夜達の所へ朝陽から連絡が来たのは、手合わせの二日後だった。
『調べたら、氷室の方で動きがあったよ。詳細は分からないが、あまり時間が無いかも知れない』
だからこそ、真夜の身体が回復し、動くことが可能な土曜日に行動に移すことにしたのだ。
朝陽が現地で合流するのは氷室や他に怪しまれないように、無理矢理、京都や奈良近辺での仕事を入れたからだ。二日連続で依頼を受け、その空き時間に真夜と共に黒龍神を討伐する流れだ。依頼内容も討伐ではなく、当主としての会合なので、戦いに影響が出るものではない。
今回の件に朱音と渚は途中までは同行するが、神域には立ち入らないと予め取り決めている。
あくまで二人は真夜とのアリバイ作りに協力しているのである。最初から朝陽と行動を共にしないのは、星守や他家から勘ぐられる可能性を考慮してだった。
「まっ、戦いは今日の夜か、もしくは明日の早朝だから、終わったら明日は京都か奈良の観光でもするか」
観光名所が乗った雑誌をパラパラとめくり、お気楽な観光気分の真夜に朱音も渚も呆れた顔をしている。
「ちょっと、真夜。いくら何でも気を抜きすぎじゃ無いの?」
「そうですね。いくら星守君とは言え、これから戦う相手は覇級クラスですよ? 確かに星守朝陽様とお二人ならば、星守君の余裕も分からなくは無いですが」
二人に窘められ、真夜は苦笑する。
「今から緊張して気を張り詰めてても疲れるだけだろ? それに別に気を抜いているわけじゃ無いから」
覇級クラスの力と戦うのは、初めてというわけでは無い。魔王軍の魔王の側近や四天王は覇級クラスの実力があったし、準四天王クラスも超級クラスが大勢いた。
勇者パーティーでの戦いの中では、真夜も一対一で覇級クラスと戦ったことがある。あの時は一人で勝ちきれなかったが、ルフが加われば十分に倒せると考えられる。そこに経験豊富な父である朝陽とその守護霊獣が加われば、よほどの事が無ければ負けは無いと思っている。
「まあ確かに戦いに絶対は無いからな。心配しなくても、神域に入ったら切り替えるさ。体調も万全に戻したしな」
「はぁ、もう。真夜がそれじゃあ、緊張しているあたし達が馬鹿みたいじゃない」
「朱音さんの言うとおりですね。でもだからこそ、星守君は強いのでしょうね」
「そうでもないけどな。それに何事にも余裕を持って構えないと、自分の実力は出し切れないぞ? 朱音や京極だって、これから先、自分よりも圧倒的に強い相手と戦う事もあるだろ。その時にどうすれば、自分の実力を出し切れるかが重要になってくるぞ」
「それはそうかも知れませんが。ですが、こうして話を聞いていると、星守君は自分よりも強い相手との戦いに慣れているのですか?」
「……まあな。身近に強い相手なんてたくさんいたからな」
「っ! すいません。余計な事を聞きました」
「ああ、いや。気にすんなよ、京極。別に京極の言葉がどうこうって事じゃないから」
失言したと思った渚はすぐに真夜に謝罪したが、別段真夜は気にしていない。
星守での十五年は、常に強者に囲まれた生活だった。父や兄、分家にも負ける日々が続いた。だからこそ祖母からは見限られ、分家の者達は調子に乗り真夜に高圧的に接した。
分家からすれば、自分達よりも圧倒的に優れているはずの宗家の人間が、自分達に大きく劣るのだ。これほどの標的はないだろう。朝陽や結衣に隠れて、真夜に対していじめのような態度や行動を取っていた。
真夜もそれを両親や兄に言って助けて貰うのは、なけなしのプライドが許さなかったので、自分から言うことは無かった。
両親や兄は気づいていただろうし、分家を咎めたりはしたようだが、祖母の明乃は、その程度の逆境にも耐えられない、跳ね返せない人間など退魔師になる資格は無いと公言していたため、極端にエスカレートすることは無かったが、止まることもなかった。
とは言え、そんな事は今更どうでも良いし、あれでそれなりに反骨心も育った。だからこそ、異世界でも心折れずにいられたのかも知れない。
今の真夜を形成する大部分の戦闘経験や、精神的な強さを得たのは異世界での事だ。分家の嫌がらせやいじめが可愛く思えるほどの体験を、異世界ではする事になった。
(いや、マジであっちでは魔物と命がけの戦いをしてたからな。師匠もスパルタだったし、強くならなきゃ生きていけなかったからな)
必要に迫られると言うよりも、命の危機を前に、真夜は強くならざるを得なかった。星守で生きてきた十五年の努力が、努力では無かったのでは無いかと思えるくらいに、必死に強くなった。
何度も死にかけ、血反吐を吐き、身体は傷つき、瀕死の重傷を負うことも幾度もあった。
生死の境を彷徨ったことも一度や二度では無い。
勇者パーティーの聖女のおかげで、瀕死の状態からでも完全回復出来たので、何とか五体満足でいられた。
(あの何度も死にかけて、生き返ってを繰り返したおかげで、俺の霊力が飛躍的に上がったんだよな)
肉体では無く、魂魄その物が生と死の狭間を行き来することで、その強度を上げる事になった。結果、霊力が飛躍的に高まった。魂は肉体にも影響を与え、それを繰り返すことで真夜はこの世界でも破格の霊力量となるに至ったのだ。
「とにかく、強い相手と戦うのが強くなる近道だな。いや、近道なんてのは無いかもしれないが、良い経験にはなるだろうよ」
「そうやって、真夜は強くなったの?」
「そうだな。簡単じゃ無かったけど、才能がないって言われてた俺でも強くなれたんだ。朱音や京極が強くなれないはずが無いだろ?」
尤も才能にあぐらをかいていたのでは、強くなれるものも強くなれないが。
「そっか。あたしも頑張らないとね」
「そうですね。私も星守君に少しでも近づけるように強くなります」
真夜の言葉に二人は強くなることを誓う。三人は京都に着くまでの間、たわいもない話に花を咲かせるのだった。
◆◆◆
「これはこれは、ようこそおいでくださいました。水波流樹様」
奈良・某所にある氷室家の本家に、水波流樹は付き人の水葉ともう一人の護衛である水明と共に訪れていた。
水明は黒い執事服を着た背の高い老人であった。長年水波家に仕える人物であり、当主である流斗の信頼も厚い、ベテランの使い手だった。
「ああ。父の名代で来た。すまないが、当主にお取り次ぎ願いたい」
「申し訳ございません。御当主様は今、所用で席を外しております。先にお部屋にお通しさせて…」
「その必要は無いで。うちが対応する」
氷室の使用人の言葉を遮り、屋敷の奥から一人の女性が姿を現す。氷室家の次期当主である氷室氷華であった。
「久しぶりやな、流樹。元気しとったか?」
「……お久しぶりです。氷華様におかれましては」
「ああ、そないな堅苦しい挨拶はいらん。うちらの仲やないか。ああ、そっちは水波の当主の名代で来とるんやったな。こっちが言葉を正さなあかんか」
堅っ苦しいのは嫌なんやとぼやきながら、後頭部をかく氷華に、流樹は何とも言えない顔をする。
(同じ次期当主とは言え、僕としてはあまり関わり合いたくないんだが)
氷華の性格が流樹にはどうにも苦手だった。どこか飄々としている上に、年下である自分をどこか甘く見ているような気がした。
確かに年齢は一回り近く離れているが、それでも立場上は同じであり退魔師としての実力は自分の方が上だと言う自負がある。
氷華は未だに霊器を具現化出来ていない。年齢的な事を考えると、これから先に具現化出来る可能性は低いだろう。だからこの先も自分との実力は開いていくはずだ。
「とにかく、当主が帰ってくるまでは、うちが相手をしといたる。と言うよりも、当主からあんたに色々と教えとけと言伝もあるさかいな」
「言伝?」
「そうや。まあまずは中に入りや。会わせたい奴もおるから」
氷華が促すと、流樹達はそのまま氷室の屋敷の奥へと進んでいく。
「どこへ行くんだ?」
「言うたやろ。会わせたい相手がおるってな。うちの妹の志乃や」
「志乃? ああ、確か病弱で屋敷の外にも出られないと言う話だったか?」
何気ない流樹の言葉だったが、氷華はそれを聞き、拳を強く握りしめるとギリッと歯を強く噛みしめた。
「……それは表向きや。ほんまは違う」
「何?」
「今回、あんたが来たんは氷室と水波が秘密にしていた事を知るためや。当主になるんやったら、氷室と水波の闇も知っとけって事や」
「それはどう言う……」
「着いたで。話は後や。まずは会うてからや」
屋敷の奥の一室に通される流樹達。そこで彼は氷室が二十年間隠していた事実と、それに関わっている水波の真実を知ることになるのだった。
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