第八話 信頼関係


 真夜の問いかけに、朝陽はただ深い笑みを浮かべる。


「そうだね。興味が尽きないことは確かだよ」


 振り返った朝陽は真夜を真っ直ぐに見据えながら答える。


「今の真ちゃんの強さと成長速度は、正直言えば異常と言って良い。それは中学の終わりから、たったの数ヶ月で得られる強さなんかじゃない上に、戦い慣れ過ぎている印象もあった」


 だからこそ問い詰めたいと思う気持ちはある。しかし朝陽はあえてその感情を抑えた。


「真夜が話してくれるというのなら聞きたいが、でもそれは私一人が聞くべきじゃないと思うんだ。少なくともママと一緒でなければね。たぶん、私達が想像するよりも大きな事が真夜にあったんだとは思う」


 朝陽の言葉に、確かになと真夜は思う。誰が異世界の神に召喚されて、四年間戦いに明け暮れたあげくに魔王を倒して元の姿のまま帰還した等と想像するだろうか。


「強さや戦い方、あとは雰囲気かな? それらも含めて、真夜の年齢で得られるものじゃない」


 朝陽でさえその領域にたどり着くにはどれだけの時間と経験を要したか。いや、朝陽をも上回る領域にいる可能性さえ考えれば、十五歳の真夜が体得しているのは異様に映るだろう。


「でも会話の仕方や戦い方の根本、気配や霊力、仕草は真ちゃんで間違いなかった。父親の私が間違えるはずも無いからね。今の真ちゃんも、間違いなく私達の息子である星守真夜であると確信した」


 それが分かっていれば、何も無理に聞き出す必要は無いと朝陽は言う。


「もし真ちゃんが、退魔師として、人としての道を踏み外すような事をして強くなったと言うのなら、流石に私も見過ごすことはできない。でもそうじゃないんだろ?」

「ああ。決して誰にも迷惑はかけてないし、人に憚られるような行いはしていない」

「なら何も問題ないさ。それにパパは真ちゃんの事を信じているからね。私の、私達の息子は、そんな事は決してしないと」


 真夜に向ける優しい笑み。朝陽の言葉に真夜は何も言えなくなった。


(ああ、くそっ。やっぱり親父は苦手だ)


 臆面も無く、そんな事を言う父にどれだけ強くなっても、この人には敵わないだろうなと朧気ながら感じた。


 勇者パーティーの年上の面々とはまた違う、圧倒的な安心感。これが父親というものだろうか。


「ははっ、そういうところはまだまだだね、真ちゃん」

「うるせえよ。さっさと帰れ。そんでもって母さんに説教されろ」

「そうするよ。でも真ちゃんも後でママにフォローしてね」

「さあて、どうしようかな?」


 意地の悪そうな笑みを浮かべる真夜に、朝陽はお願いと手を合わせる。


 どこか和やかで優しい空気がこの場に満ちる。


「でも、ママと一緒にいつかは聞かせてね」

「ああ、また今度な。……今度、実家に帰った時にでも、な」


 真夜の言葉に朝陽は少しだけ驚く。それは真夜が実家に自ら帰った時と言ったからだ。朝陽は真夜が家を出て、一人暮らしをする時、十五年間暮らした実家は、彼にとって帰るべき場所ではなくなったと思った。


 しかし真夜は帰ると朝陽に告げた。朝陽はそれが嬉しかった。


 真夜は星守に対して、良い感情は抱いていないはずだ。それは仕方が無いと言うよりも当然であろう。


 だがそれでも真夜は星守を帰るべき場所と思ってくれている。


「楽しみにしているよ、真夜」

「すぐにじゃないぞ。次の長期休みだ」

「それでもだよ。それはママにも教えておくから」

「……もの凄く喜びそうだな」

「この上なくね」


 親子は笑い合い、それ以上の言葉は不要と朝陽は真夜に背を向ける。


「じゃあまた連絡するから」


 それだけ言うと、朝陽は真夜の部屋を後にした。


 見送った真夜はふぅっと一息ついた。


「なんか、どっと疲れた」

「お疲れ様、真夜。でもよかったわ。おじさんも動いてくれそうだし」

「はい。これで懸念事項も何とかなりそうですね」


 朱音も渚も真夜一人で覇級妖魔と戦わずに済むと安堵する。


「悪いな、心配かけて」


 二人が自分の身を案じてくれていることが理解できるだけに、素直に謝罪する。


「……あとさっきの親父との話でもあった俺が強くなった理由なんだが……」

「いいわよ、別に」


 真夜の言葉を遮るように、朱音が言うと、真夜は驚いた顔をした。


「何驚いた顔してるのよ? あんな話聞いた後で、無遠慮に聞けるわけないじゃないの」

「そうですね。私も知りたいと思っていますし、今もその気持ちはあります。ですが、それは星守君から話してくれるのを待ちます」

「あたしもよ。真夜が話してくれるまで待つわ。ううん、あたし達になら話してもいいって思えるようになるように頑張るから」


 朱音も渚も今の自分達は弱く、真夜に強く何かを言える立場にないと思っている。さらに真夜と朝陽との会話が、より一層、二人の気持ちを強くした。


「……わかった。ありがとうな、二人とも」


真夜としては、別に話しても構わないと思ってはいたし、いつかは話すべきとも考えてはいるが、話さないで済むならその方がいい。


「別に感謝されるようなことでもないでしょ? それに感謝するなら、渚の方にじゃない?」

「そうだな。さっきの親父への依頼とかな。でもな、京極。京極がそこまでしてくれなくてもいいんだぞ? 親父を雇うなんて、普通は無理だ。それにもし事が露見すれば、京極一族内での立場がなくなるぞ」


 京極一族の人間がライバル視している星守の、しかもその当主を個人的に雇うなど、どう聞いても大問題に発展する。立場が悪くなるだけでなく、最悪の場合は勘当、追放もあり得る。


「……その時は上手く立ち回ります。それに星守君と同じです。私がしたいからするんです。星守君だって私達が止めても一人で黒龍神を討伐に行くつもりでしたよね? だから私も、星守君に万が一の事が無いようにしようと思っただけのことです。たとえ星守君が止めてもです」


 だからおあいこです、と渚は真夜に告げると真夜も何も言えなくなる。


「むぅっ。なんだかあたしだけ何にも役に立ってない。これじゃああたしの意味ないじゃない」


 ジト目になりながら、どこかいじけた声を上げたのは朱音である。彼女は自分一人が何の役にも立てないでいることが辛いようだ。


「そんな事はありませんよ、朱音さん。朱音さんがいてくださるだけでも、話がスムーズに進むと思います。それに私ではなく、朱音さんの立場も今後は必要になってくると思います」


「でもそれって、全部渚がお膳立てしてくれるって意味じゃないの? それってつまり、渚にばかり負担がいってるって事じゃない」


 利用されている、なんてひねくれた考え方は朱音には無い。渚の行動が真夜を思っての行動であるという事を理解しているからだ。


「構いません。適材適所です。私は私の出来る事をするだけの事です。それが偶々こういった事だっただけです。それに私の退魔師としての強さは朱音さんには及びません。私は霊器すら具現化できていませんから」


 渚にしてみれば、戦いの場において朱音の方が真夜の役に立てると思っている。真夜から見れば朱音も渚も似たような物かも知れないが、二人の間には極端とは言えないが、それでも明確な力の差があった。


「だから朱音さんもご自分を卑下しないでください」

「はぁ。何か渚にフォローされてる自分が情けない」

「そう言うなって。京極も言ってるだろ、適材適所だって」

「わかってるわよ。でも情けない物は情けないの。だから、もう少しあたしも二人の役に立てるようにするわ」

「ちなみにどんな事だ?」

「とりあえず、二人ともお腹空いてない?」


 いきなり朱音がそんな事を言い出した。


「そう言えばそうだな。京極も来るのが遅かったし、親父も来たからな。飯も食ってない。京極は?」

「私も夕食はまだです」

「ふふん、決まりね。じゃあ晩ご飯があたしが作ってあげる」

「朱音さんがですか?」

「そうよ? こう見えて料理は得意なの。この時間だし、準備の時間もあんまりないから、凝った料理はできないけど」


 驚いた顔をする渚だが、朱音は自信満々に言い放つ。


「朱音はこう見えて、料理全般は得意だぞ。俺も割とご馳走になってる」

「そういうこと。じゃあちょっと待ってなさい。真夜、キッチン借りてもいい? 食材は部屋に戻って準備してくるから。あと渚はこれからの予定は?」

「予定ですか? 私はこの後は特に用事はありません。明日の朝にはまた警察やら、京極の方との話がありますが」

「明日って、京極は学校の方は良いのか?」

「はい。こういう事も割とあります。ですが学校側には京極の方から色々と根回しして貰っていますし、出席日数や成績の方は問題ありません」


 何とも酷い生活のような聞こえる。


「泊まるところはどうするのよ?」

「適当なビジネスホテルに宿泊する予定です」

「ああ、もう! 渚、うちに泊まっていきなさい! あたしや真夜に気づかれないようにしてるでしょうけど、あんた大分疲れてるでしょ? いちいちホテルまで行くのも面倒だし、お金もかかるでしょうが!」


 朱音は強引に渚を自分の家に泊まるように言い放った。


「晩ご飯と朝ご飯はあたしが作ってあげるから。どうせそんな事じゃ朝ご飯も、コンビニ弁当とかパンとかで済ませるつもりだったんじゃないの?」

「それは……」


 朱音の言葉に図星を突かれたのか、渚は返答に困っていた。


「心配しなくても、あたしのベッドを使わせてあげるわよ。幸い、布団は別にもう一つあるからあたしはそっちを使うから」


「いえ、そういうことでは……。それに朱音さんにそこまで気を使わせるのは」

「気にしないの。昨日からあたしは殆ど何もできてないんだから、少しはこっちも借りを返させなさいよ」


 渚は助けを求めるように真夜の方に視線を向けるが、真夜はただ苦笑している。


「こうなったら、朱音は止まらないぞ? それに移動時間が無いってのは、随分と違うだろうしな」

「そういうこと。それに渚もあたしが強引ってのは、よく分かってるでしょ? それとあたし達はもう友達なんだから、それくらい受け入れなさい」

「……本当に朱音さんは強引ですね」


 思わず苦笑する渚だが、嫌な気はしない。寧ろ自分のことを心配してくれている朱音に感謝する。口元が緩む。心が温かくなる。こうやって、他人に気遣われ、心配されることがどれほど嬉しいことか。


「本当に良いんですか、お世話になって?」

「気にしないの。それにお世話とかじゃなくて、もっと気楽にただ友達の家に泊まるって思いなさいよ。料理はあたしがしたいからするだけ。ほら、何も難しくもないし、どこにも渚が気を遣う理由も無いでしょ?」


 真面目すぎるわよと、朱音が渚を窘める。


「じゃあ準備するわ。それと真夜、食器とかって、数ある?」

「そこそこはあるが、足りない分は貸してくれるか?」

「オッケー。あと真夜の所の冷蔵庫の食材も使わせてもらうわ」

「碌な物は無いぞ?」

「心配しなくてもある物で対応するわよ。それじゃあ二人はそこでゆっくりしてなさい」


 どこまでも強引に話を進め、朱音は急ぎ遅くなった夕食の準備を開始するのだった。



 ◆◆◆


 警察の留置場。


 そこでは八城理人が壁にもたれかかるように座っていた。目は虚ろで、どこか茫然自失となっていた。


 昨日から今日にかけて、彼は警察や京極などの退魔組織に尋問を受けていた。


(もう、どうでもええわ。すまんな、志乃。お前を助けてやれんで)


 もはや希望は無い。心が折れた。幻那を倒され、真夜には依頼を断られた。


 幼馴染みが生け贄にされるまでの時間は、もう殆ど無い。黒龍神を倒す算段はもはや何も無い。


(こんなことやったら、志乃を連れて逃げた方が良かったんとちゃうか?)


 ふとそんな事を考える。しかしそれでは氷室家から追っ手を放たれるだけであり、報復も考えられる。だからこそ、その手段は取れなかった。


(……あかんな。どうあっても今の俺やと、どうにもできへん)


 身体は未だに回復しきっていない。あの堕天使の後遺症からか、霊術がまともに使えない。もはや手が無い。


 だが依頼を断り、自分達を圧倒した真夜の事は警察や京極には話していない。どことなく、真夜達に対して負い目を感じていた。自分の矛盾と罪を突きつけられたのも大きいだろう。


 それに真夜の立場ならば依頼を断るのも理解できる。覇級の妖魔だ。それを倒してくれと今まで敵対していた相手に言われて簡単に頷ける話でも無いだろう。


 もし自分が同じ立場で、志乃を危険な目に遭わせた相手の仲間からそんな事を言われたら、確実にふざけるなと言うだろう。


 もうどうでもよかった。何もかも。だから自分の知ってる六道幻那の情報もすべて開示した。


(すまん、ほんますまん志乃。お前を自由にしてやれんで……)


 カツカツカツ。ふと理人の耳にハイヒールが床を踏む音が聞こえた。


「しけた面した上に、情けない姿やな理人」


 声のした方に視線を向けると、鉄格子の向こうに一人の女性が立っていた。黒いスーツに身を包んだ二十代後半の女性。整った顔立ちをしてはいるが、その右目には黒い眼帯が覆っている。


「あんたは……」

「随分と馬鹿な真似をしたみたいやな」

「……やかましいわ。それよりもなんであんたがここに」

「お前の話を聞いて、すっ飛んできたんや。ありがたいと思いや。うちが来てやったんや」

「……氷室のお嬢様はえらい暇みたいやな。なあ、氷華ひょうか様」


 理人は目の前の女性。氷室家次期当主である氷室氷華ひむろ ひょうかにそう吐き捨てるのだった。


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