第七話 親子


 緊迫していた空気が、朝陽の言葉で一気に弛緩した。


 ここまでと言った後も、朝陽は何回かパンパンと手を叩く。


「いやー、真ちゃん。本当に驚いたよ。まさかここまで強いなんて。この数ヶ月で何があったんだい? 二人が絶賛するのもよく分かる」


「待てよ、親父! どういうつもりだ!?」

「どうもこうも、これは手合わせだ。私としては今の真ちゃんの実力を知ることができたから満足だよ」


 朝陽はこれ以上はやる必要は無いと、戦闘態勢を完全に解除している。


 真夜としては、どこまでも不完全燃焼である。だが朝陽がこう言い出しているのだから、続きを望むことは難しいだろう。


「納得していない顔だね、真ちゃん」

「……ああ。完全に肩すかしを食らったからな」

「ははっ。本当はもう少し手合わせをしてもよかったんだけどね」

「じゃあそうすればいいだろ?」

「それはダメだよ。だって真ちゃん、本調子じゃないでしょ?」


 朝陽の言葉に一瞬、表情に出そうになるがポーカーフェイスを貫く。顔色から相手にこちらの思考を読まれるのは、戦闘者としては失格だからだ。


「……なんでそう思うんだ?」

「動きに違和感があったからね。できる限り意識しないようにしていたようだけど、無理をしているのがわかった。怪我ではなく、疲労からかな? あとどこか身体がついてきていないような、僅かなズレも見受けられた」


 真夜は内心で舌を巻く。朝陽には完全に気づかれている。肉体が若返ったことで、確かに認識がずれている。


 昨日一日の戦闘では、さほど大きな違和感は生まれなかったが、本調子ではない今は、それが顕著に表れているのだろう。さらに昨日の戦闘が尾を引き、体調も万全とは言いにくく、身体にも負担がかかっている。


 もし今の状態であの幻那と戦えば、苦戦どころか死闘は免れないだろう。


「だからこれ以上、真ちゃんに無理はさせられない。今回の手合わせはあくまで、真ちゃんの実力がどれほどのものになっているのかを知りたかったからの提案だ。無理をさせて、今後に響かせるわけにはいかないさ」


 朝陽としても、まだ真夜と戦いたかったが、親としても指導者としても、今の真夜にこれ以上の負担をかけるわけにはいかないと判断したのだ。


「真ちゃんは成長期なんだからね。今、変に無理をして身体を壊しては元も子もないから。今回で確信した。真ちゃんはまだまだ伸びる。私を大きく超えるほどにね」


 いや、今でも下手をすれば自分を凌駕しているのではないか。朝陽はそう考える。本調子ではない真夜相手に、自分がここまで押し込まれたのだ。全力かどうかなど関係ない。


 もし真夜の体調が万全ならば、おそらくもっと押し込まれていたはずだ。


(まさか兄弟揃って、末恐ろしいと思わされることになるとは。父として嬉しい限りだ。しかもあの真夜が……)


 朝陽の真夜の見る目が優しさを含む。さらにどこか誇らしげな笑みを浮かべる。


 真夜は未だに未練が燻っているが、確かに自分が熱くなりすぎていることにも気づいている。一度深呼吸をすると、自らの感情を制御する。


(……ダメだな。自分の感情に振り回されるのは二流以下だ。師匠達が見たら、説教確定だな)


 どうにも家族のことになると感情の抑制が下手になる。それらには折り合いをつけたはずだ。


 過去のコンプレックスを払拭し、今の自分に確固たる自信を持ったはずだ。なのにこうも感情に振り回されるとは。


(親父が終わりだって言った時、自分は落胆した。もっと親父と戦いたいと思った。もっと俺を見てほしいと思った。やっぱり師匠の言うとおり、俺もまだまだガキだな)


 頭を左右に振り、昂ぶった感情を静めると共に、自分自身の青臭さを再認識する。何があっても動じない精神力や、感情に振り回されない平常心をもっと身につけなければならない。


(今後の課題だな。肉体的な強さの向上は考えてたが、精神修行にも重きを置かねえと、どやされるな)


 まだまだ未熟だなと再認識する。肉体が若返っただけではない。精神性も鍛えなければ、十九歳の自分を上回ることどできない。


「ああ、わかった。今日はここまでにする。ありがとうな、親父」

「ははっ。本当に変わったね、真ちゃん。前なら駄々をこねただろうに」

「俺だっていつまでもガキのままじゃないんだ。親父や母さんに迷惑ばかりかけて、負担になりたくない」


 気恥ずかしさもあり、そっぽを向く。異世界に行く前ならば、確かに朝陽の言うように感情にかまけて行動していただろう。


「本当にパパは嬉しいよ。あの真ちゃんが……。今日はパパも楽しかった。来た甲斐があった」


 実に充実した時間だったと、朝陽は満面の笑みを浮かべるとポンポンと真夜の肩を叩く。


「真夜、強くなったな」


 ただ一言。その言葉だけで真夜の心臓が跳ね上がった。


(ああ、くそ。なんて単純なんだよ、俺は。こんな親父の一言に喜んでるなんて)


 四年の努力が別の意味で報われた気がする。あの世界ではただ生き残ることを、仲間達と共に魔王を倒すことだけを胸に生きてきた。強くなっていった。


 しかしその根底にあった感情は、なんてことは無い。ただこの世界の家族に認めてほしかったというものだったのだ。自分を愛し、育ててくれた両親の誇りになりたかった。


「ははっ、真ちゃん。顔が赤いよ」

「うるせえよ」


 腕で口元を隠しながら、真夜は未だに精神が未熟な自分を恥じる。


「ほら、あと心配そうに見てる二人にも声をかけてあげなさい」


 と、今度は朱音や渚の方を指さしながら、朝陽は優しく声をかける。


 真夜が目を向けると、二人とも緊張した様子でこちらを見ている。


 二人が戦闘を終えたのは理解していたが、真夜と朝陽の会話に割って入るのは憚られると思ったのだろう。


「真ちゃん、女の子には優しくだよ」

「わかってるよ」

「あと、これはパパからのアドバイスだ」

「ん?」

「避妊はきちんとするんだよ?」


 朝陽の言葉に真夜は無言で、彼の顔面に拳を叩き込むのだった。



 ◆◆◆



「星守朝陽様。折り入ってご相談したいことがございます」


 部屋に戻った矢先、改まった渚が朝陽にそう切り出した。


「ん? 何かな渚ちゃん」


 真夜の一撃で顔が若干赤くなっているが、何事も無かったかのように柔和な笑みを浮かべている。


 朱音も渚もそのことはあえてスルーしている。


「もし私が朝陽様に依頼を出したいと言った場合、それを秘密裏にお受けしていただくことは可能でしょうか?」


 渚の言葉に真夜と朱音は顔を見合わせ、ついで渚の方を見る。二人に見られた渚はそれでも朝陽に向かい話し続ける。


「それは京極家としてではなく、渚ちゃん個人の私への依頼ということかな?」

「はい。もちろん私個人とは言え、朝陽様への正式な依頼です。報酬の方もそれ相応に用意致します」

「ふむ。しかし私個人への依頼は、それなりの額が必要になってくる。さらに言えば、その依頼の内容にもよって、かなり高額が必要になるが、それは理解しているかな?」


 退魔師はボランティア活動ではない。命が関わる危険な仕事でもある。そのため報酬もそれなりに必要になってくる。また最強と名高い朝陽への個人的な依頼ともなれば、下手をすれば億単位で必要になる場合もある。


「もちろんです。ただあまりに高額の場合は、分割ということでお願いしたいのですが、それは可能でしょうか?」

「ああ、もちろんそれは構わないよ。しかし京極家にも秘密の依頼か……」


 ちらりと朝陽は真夜の方を見る。


「おい、京極。お前まさか」

「はい、そのまさかです、星守君。星守朝陽様、私と星守真夜君、火野朱音さんと共にかつて封印され、復活したと思われる覇級妖魔と思しき、黒龍神の討伐をお受けいただくようにお願い致します」


 渚の言葉に朝陽は一瞬、目を見開くが、すぐに今までに無い真面目な表情を浮かべた。


「ふむ。その話、詳しく聞かせてもらおうか」


 朝陽の言葉に渚は自分が知りうる情報を開示する。もちろん真夜が不利になるようなことは何も言わない。


 氷室家がかつて封じた妖魔が復活したこと。それが氷室の聖域に潜み、生け贄を要求していること。その存在が暴れ回る前に、秘密裏に討伐したいこと。そのために真夜と朱音に協力を要請していること。


「復活した覇級妖魔を放置すれば、いつどのような災害を巻き起こすかわかりません。ですが、京極にはそのような存在を相手にするだけの戦力は用意できません。それに氷室家も現状維持を優先するでしょうし、他の六家への協力要請もまた、断られる可能性があります」

「なるほど。確かに覇級の妖魔なんて、私でも過去に一度しか遭遇したことが無い。その力はあまりにも強大で飛び抜けている。正直言って、今の六家では、単独で討伐できる所は無いだろうね」


 最強の攻撃力を誇る火野一族であっても厳しいと朝陽は考える。超級ならばまだ多大な犠牲を払う可能性があっても、六家ならば討伐できるだろう。


 しかし覇級は無理だ。あれは超一流と言われる退魔師であろうとも、どうにもならない厄災である。


 京極も数は多いが、個人で圧倒的な力を持つ退魔師が現在は存在しないため、一族総出でかかっても勝てないだろう。


「はい。ですが星守君と朝陽様でなら討伐は可能かと……」

「……そうだね。可能性は高いだろう」


 しかしと朝陽は渚の目を見据えて、探るような目を向ける。


「渚ちゃん。私を動かしたいのなら、そのような建前での話は無しだ」

「……建前、ですか」

「そうだ。君もその年でそれなりの交渉術を身につけているようだが、残念だが私には通用しない。いや、それもどうでもいい。本音で話をしようか。真夜」


 朝陽は真ちゃんではなく、真夜と息子の名を呼ぶ。


「黒龍神の討伐は、真夜が言い出したことかい?」

「ああ、そうだ。俺が単独でやるつもりだ。朱音も京極も巻き込むつもりは無い」


 渚を庇うように真夜は自分が発端だということを朝陽に伝え、さらに二人を危険に晒すつもりは一切ないと告げた。 


「星守君。それは見過ごせません」

「そうよ! 真夜だけなんて、危険すぎるわよ!」

「二人の言うとおりだ。いくら真夜が強くなったとは言え、覇級の妖魔は超級に比べても桁が違う。私と私の守護霊獣でも勝てるか分からない存在だ。覇級妖魔に単独で当たるなんて、若さから来る無謀な行動、あるいは急に大きな力を得たことに酔っている愚か者の行動にしか思えない」


 二人の心配する言葉や朝陽の警告にも真夜は動じない。別段、真夜は自分の力を過信しているわけでも、酔っている訳でもない。


 急激な力の上昇が四年間で無かったわけではないが、いきなり漫画のように潜在能力が解放され、強大な力を得たわけでもない。力に酔いしれ、舞い上がる前にその鼻っぱしらをいつもへし折られていた。


 油断や慢心は即座に死に直結する。それを身を以って異世界で経験している。


(親父の言葉も当然だな。俺もルフがいなけりゃ、単独で覇級妖魔と戦うなんて自殺行為でしかないと思うぜ)


 それでも勝算があるから戦うのだ。なければそもそも戦いなどしない。


 しかしそれでも心配をして、朝陽に依頼を出す渚には悪いことをしたと思っている。


「京極、悪いな。気を遣わせて」

「いいえ、私がしたいから朝陽様にお願いをしているだけです。それに星守君は個人で退魔師の仕事をするのは禁止されているのですよね? ですから、私が雇うというだけの話です」


 そうすれば、何かあった時でも言い訳がしやすい。問題が起こっても渚自身が、責任を取れば良いと考えているのだ。


「まったく。子供が変に気を回しすぎない。こう言うのは私達大人の仕事だ」


 と、朝陽がため息を吐きながらやれやれと肩をすくめる。


「渚ちゃん、その依頼の返答は少し待ってもらえないかな? 私の方でも調べよう。それと真ちゃんもくれぐれも早まった真似はしないように」

「早まった真似ってのは?」

「分かっているだろうに。一人で勝手に動かないこと。私も知ったからには、悪いようにはしないから。しかし何事も根回しやら事前準備が必要になる。確かに急を要するかもしれないが、だからと言って真ちゃんも今日、明日に動くつもりは無いんだろ?」


 暗に、真夜の体調が万全に戻ってから行動するつもりだろうと予想を立てる朝陽に、真夜も無言で頷く。


「だったら少しだけ時間を貰うから。朱音ちゃんも渚ちゃんも、くれぐれも真ちゃんが馬鹿なことしないように見張っててもらえるかな?」

「はい! もし真夜が勝手なことしたら、すぐに知らせますね!」

「おい、朱音」

「私の方でも星守君に監視の式神を貼り付けておきます」

「お前もか京極」


 朝陽の言葉に朱音も渚も乗り気であった。


「はははっ、それだけ大切に思われて、心配されてるってことだよ。良いことじゃないか真ちゃん」


 さてと、朝陽は椅子から立ち上がると、急に帰り支度を始めた。


「親父、もう帰るのか?」

「そろそろ帰らないとママが余計に怒るからね。それに今日は真ちゃんの元気な姿も見れたし、強くなったことも知ることができたから満足だよ」


 いつものような柔和な笑みを浮かべ、朝陽は実に楽しい一時だったと言う。


「黒龍神の件は二、三日中に連絡するから。もちろん内密にするし、そっちの二人にもきちんと伝えよう。あと、真ちゃんのこともママ達には内緒にするね」


 ウィンクしながら言う朝陽に、真夜は驚いた顔をする。


「母さんにも言わないのか?」

「なんだ、言ってほしかったのか? だったらパパがもうこの上なく饒舌に話すから! あと他の皆にも」


 親指を立て、任せておきなさいともの凄く良い笑顔を浮かべる朝陽に真夜はげんなりとする。


「いや、やめてくれ。折を見て俺から話す。だから今は……」

「……そうか。なら自分から話しなさい。その方がママも喜ぶだろうから。じゃあまた連絡するよ」

「親父!」


 朝陽はそのまま部屋から出ていこうとするが、真夜はそんな彼を呼び止めた。


「なんだい、真ちゃん?」

「……親父は聞かないのか? なんで俺がここまで強くなったのかを?」


 振り返った朝陽に、真夜はそう問いかけるのだった。


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