第六話 手合わせ

 

 真夜達はマンション近くの広場まで移動した。


 周囲にはすでに朝陽が結界を張り、認識阻害と一般人の侵入を阻害するようにしている。


 ギャラリーとして朱音と渚が少し離れたところで見守っている。


 真夜と朝陽の距離は約五メートル。一流の術者からすれば、あって無いような距離だ。


「じゃあ始めようか、真夜。パパだからって遠慮することはないからね。私も本気でいかせてもらうから」

「ああ、俺も本気でいくぜ」


 笑みを浮かべる二人だったが、不意に示し合わせたかのように雰囲気が変化した。


 ビリビリと肌を刺すような気配が二人から放たれる。


 離れた場所にいる朱音と渚もその変化を敏感に感じ取った。朱音と渚はこの場にいるだけでも凄まじい霊力の奔流に息が詰まりそうになった。


 真夜と幻那との戦いと同じか、それ以上の戦いになるのでは。そう感じさせるほどに、真夜と朝陽の力は二人を大きく上回っている。


(昨日もだったけど、この場にいるだけでも息が詰まりそう! これが最強の退魔師の霊力! 真夜も凄いけど、おじさんも凄い! でも昨日感じた真夜の方が霊力は高かったから、これなら真夜の方が勝つわよね?)

(これが星守一族の当主の霊力。京極一族にもこれほどの使い手はいません。それどころか、京極一族の手練れ複数を相手でも勝つだろうと思われるほどの力。それでも昨日見た星守君の方が強い……)


 朱音も渚も、真夜の強さを目の当たりにしている。さらに霊力でも昨日感じた真夜の霊力の方が高いと思った。それゆえに、真夜の方が有利なのではと考えていた。


 また真夜と朝陽もお互いがお互いに、その実力を感じ取っている。


(これは予想以上だ。下手をすれば私以上の霊力……。本当に何があったんだ? だがこれほどの相手と相対するなんて、いつぶりだろうか? しかもそれが自分の息子、それもあの真夜なんて)


 朝陽は内心で今までにないほどの緊張と高揚を覚える。自らの守護霊獣以外で、これほどまでの強者と戦ったのは、いったいどれくらい前だったか。


 さらにその相手が息子なのだ。これで歓喜しないはずがない。


(流石は親父だな。あの六道幻那の妖力もかなりのもんだったが、それに匹敵する霊力を感じる。ははっ、昔は霊力に差がありすぎて、どれだけ親父との差があるかもわからなかったってのにな)


 朝陽の霊力は最強の退魔師の名に恥じないほどに力強く、感じられる量も多い。かつての真夜ではあまりの差に、それがどれほどのものかも理解できなかった。


 しかし今の真夜ならば朝陽の力を感じることができる。理解することができる。


(親父が強いのは知ってる。理解してる。親父の霊力も凄いが、総量はたぶん俺の方が上だ。けど……)


 油断などできない。して良いはずもない。自分の方が格上などと考えてはいけない。


 相手は星守朝陽。最強の退魔師にして、星守一族の当主。決して侮ることはしてはいけない。


(どんな相手に対しても油断するな。俺は強くなった。けど無敵ではない。師匠達にも言われていたことだ)


 自分の方が霊力が高い。だから? 師匠ならばそう言うだろう。


 確かにそれは戦いを有利に運ぶ要素の一つとなるだろう。しかしそれだけで戦いに勝てるかと言われれば、否であろう。


 霊力が相手よりも少ないならば少ないなりに、戦法は多々あるだろう。


 真夜の目の前にいるのは、経験も豊富な使い手だ。それに……。


(親父は自分よりも圧倒的に強い人型の妖魔との戦いに慣れてる。今の俺でも簡単にいかない可能性は高い)


 相手と自分の戦い方や強さを再度、考察する。それにより戦い方も変化するのだ。


(さてと。これは本当に本気でかからなければ、すぐに負けそうだ。私もまだ簡単に、息子に負けるわけにはいかないからね)


 真夜の実力の一端を感じ取り、朝陽は彼を息子から自分よりも強い強者として改めて向き合う。


 空気がさらに鋭さを増した瞬間、二人の姿がかき消えた。


「「!?」」


 朱音と渚の視界から、一瞬にして消失した真夜と朝陽。


 気がつけば二人は激突していた。お互いの右手の拳と拳がぶつかり合い、激しい衝撃が周囲へとまき散らされた。


 しかし撃ち合いはその一撃のみ。朝陽は拳を離すと、そのまま手刀を真夜の身体に振り下ろす。対する真夜はそれを回避すると同時に、身体を回転させ裏拳を朝陽の顔面に叩き込もうとする。


 だがそれも朝陽は軽くバックステップをすることで避けてみせる。


 真夜は離れず、距離を詰め肉薄して連続して拳を朝陽に叩き込もうとするが、朝陽はそれらをすべて回避、あるいは捌いていく。


「真夜の攻撃が全然当たらない!」

「あの攻防。これが最強クラスの退魔師の体術!」


 朱音も渚も、ただの体術だけにもかかわらず、自分達ならばものの数秒で敗北しているであろうレベルの高さに驚きを隠せない。


(やるな、親父。俺の攻撃を最小限で避けるか、いなしてる。かなりの霊力を込めた拳なのに、完全に力を受け流されてる。まるでのれんに腕押しだ)


 幻那以上に戦い慣れていると真夜は感じ、相手の厄介さを再確認する。


 昨夜の幻那との戦いは、力と力の正面からのぶつかり合いだった。そのため、力が強い方が勝つというシンプルなものだ。


 しかし朝陽は違う。ゆらりゆらりと真夜の攻撃を受け流し、逆に少しでも体勢が崩れたならばそのタイミングで、的確に急所を狙う一撃を放ってくる。


 それらも一点に霊力を集中して、真夜の防御を確実に貫く威力を誇っているのだから、余計にたちが悪い。


(師匠ほどじゃないが、油断すりゃ、こっちがすぐにやられる。いや、下手に守勢に回ったらやばいな)


 十二星霊符を使えばまた違った戦法が取れるのだが、真夜はあえて体術のみで挑んでいる。それは朝陽も同じだ。


 朝陽も本気ではあるが全力ではない。


 なぜなら、朝陽は星守でありながら霊器さえも作り出すことができるのだ。


(まずは親父に霊器を出させないとな)


 異世界では相手に全力を出させる前に、こちらが全力で対処するのだが、これは実戦ではなくあくまで手合わせだ。だから朝陽に霊器を出さなければならないと思わせなければならない。


 そう、全力を引き出させた上でなおも圧倒する。


(ああ、そうだ! それでこそ、約束を果たせる! それに……!)


 真夜は父の顔を見据える。どこか劣勢に追い込まれているというのに、楽しそうな笑みを浮かべている。


 自分との戦いを楽しみ、喜んでいるようだった。


 父が自分にこんな顔をすることは今まで無かった。兄に対しては、こんな顔をすることはよくあった。


 兄の成長を喜び、朝陽と手合わせするたびに、強くなっていく兄に対して向ける顔だった。


 かつての真夜はそれが羨ましく、妬ましかった。両親には分け隔て無く愛されていた。しかし誇らしいと思われているのは兄だけだった。退魔師として褒められるのは、兄だけだった。


 それが悔しくて憎らしくて、惨めだった。努力はした。兄以上に必死に修練を積んだ。強くなるために、必死であった。


 父にせがみ、母に頼み、兄以上に修練に付き合ってもらった。退魔師として認められようと強くなろうとした。


 でも真夜は落ちこぼれで、欠陥品で、無能のままであった。十五年の月日では、何も変わらなかった。


 だが異世界に召喚され、戻ってきた今は違う。自分は強くなった。兄にも負けないほどに。最強の退魔師と言われる父を超えるほどの力を得た。


 だからこそ、真夜は父との手合わせを受け入れた。


 本当に実力を隠しておきたいのなら、この手合わせを受けるべきではなかった。


 けれどもそれ以上に、異世界での仲間との約束と、父に今の自分を見てほしいという想いが真夜を突き動かした。


 異世界での経験を経ていても、精神的に成長していても、それでもまだ精神年齢では十九歳。真夜は同年代よりもずっと大人だが、しかしそれでもまだ、精神は完全に大人になりきれていない、未熟な青年だった。


 幼い頃から憧れた父に認めてもらいたい。今の自分を見てもらいたい。そんな承認欲求が真夜を突き動かす。


(……まさかこれほどとは。私も得意な武器を使っていないとは言え、体術でも一流と呼ばれる退魔師達を圧倒できるこの私が、ここまで押し込まれるとは……。それに)


 朝陽は真夜の戦い方を見て、驚愕とともに疑問を抱く。それは真夜の膨大な霊力にではない。その戦い方にだ。


 真夜は、これだけの霊力に一切振り回されていない。


 普通、このくらいの年代ならば、戦い方がまだまだ荒削りであり、霊力や霊術による力押しが強く出る傾向がある。


 真夜の兄もその点は似たようなものだ。もっとも他の同年代に比べれば洗練され、熟練の使い手と同様の戦い方を身につけ始めているが、真夜の場合、その荒さが極端に少ない。


 それに朝陽に受け流されているというのに、一切の焦りが無い。普通、力押しを得意とする術者は、その力が受け流され続けると焦り、攻撃の手数や一撃の威力を上げて対応してくるのだが、その分動作が単調になりやすく、さらに御しやすくなる。


 なのに真夜にはそれがない。寧ろこの程度想定内と言わんばかりに、朝陽の動きを観察し、呼吸を読み、自らの攻撃のリズムを変え、こちらに対応してきている。


(これはただ霊力が上がっただけじゃない。あまりにも戦い慣れている! それにこれは一朝一夕でできることでも、得られる技術でもない!)


 朝陽は真夜の強さが、単純な霊力の増加とそれにかまけただけの力押しではないことを看破した。


(最後に真夜と手合わせしたのは、中学を卒業した直後。そこから数ヶ月……。そんな少ない時間で、これほどまでの強さと技術を得るのは不可能なはずだ!)


 もし真夜に溢れんばかりの才能があれば、この成長もあり得るかも知れない。


 しかしそれでも朝陽を上回るだけの実力を得るには、数ヶ月では足りない。それこそ、昼夜問わず修練に明け暮れ、数多の実戦を経験しなければ為し得ない強さだ。


 いやそれでも、まだ足りない。これほどの領域にたどり着くには少なくとも数年は必要だ。それも命のやり取りを含む実戦や、膨大な経験を積まなければたどり着けない。


 何があったのか、真夜の底が未だに計りきれない。


(本当に驚くべき成長と強さだ。それにまだ真夜にもかなりの余裕がある)


 動きを観察しているのは真夜だけではない。朝陽もまた戦いの中で相手を観察している。真夜は本気だが全力ではない。お互いにまだ余裕があることは双方が理解していた。


(真夜は私が霊器を作り出せることを知っている。それなのに、霊器を出させる前に倒そうという気配が無い。私が霊器を出さないと思っているのか?)


 だが真夜はそんなことを考えていないだろうと朝陽は思った。


(私に霊器を出させるつもりか。それはつまり私に霊器を出させても問題なく対処できる切り札があるということだろう)


 今の真夜ならば、自分に匹敵する力を持つ今ならば、霊器さえ作り出せるのではないか。そんなことをも考えてしまう。


(だが……)


 朝陽は真夜の動きを観察し続け、あることに気がついた。それは……。


 しばらくの攻防の後、朝陽は真夜から距離を大きく取った。


(距離を取った。一度仕切り直しか? それともいよいよ霊器を出すか?)


 真夜も呼吸を整え、朝陽を油断無く見据える。朝陽はそんな真夜を見据え、いつものような微笑を浮かべると、パンと両手の平を合わせ、こう宣言する。


「今日はここまでだ、真ちゃん」

「…………はぁっ!?」


 朝陽の言葉に真夜は思わず変な声を上げてしまうのだった。



 ◆◆◆



 星守本邸の前当主の自室。結衣はそこで義理の母である星守明乃と向かい合って座る。


 星守家前当主にして、女傑として名高い術者である。女でありながら、同年代の男の星守の術者を圧倒する力を有し、特級の守護霊獣と契約を結びし存在。


 その力は未だに健在で、朝陽に次ぐ星守で二番目に強い退魔師でもある。


 六十を超えているが、肌つやは良くまた赤い和服を着込んでいるが、服の上からも分かるほどに抜群のプロポーションを誇っている。目つきは鋭く、細い黒縁の眼鏡をかけている。見た目は四十代前半にも見える。


 屋敷の殆どの者が萎縮する相手であり、未だに星守だけでなく、あちこちに顔が利き、絶大な権力を有している。


 しかし結衣はそんな相手でも動じることなく、いつも通りの笑みを浮かべている。


「朝陽がまた勝手に出かけたのか」


 先に口を開いたのは明乃の方だった。怒りと共にどこか呆れを含んだ声色だった。


「はい。朝陽さんたら、一人で行くんですよ? 酷いと思いませんか? 私も連れていってほしかったのに」


 対する結衣はどこかズレたようなことを言う。朝陽も結衣も天然が入っているので、明乃は頭が痛くなってくる。しかしこの二人、色々な意味で優秀だからたちが悪い。


 退魔師としても、当主としても、その妻としても抑えるべき所は確実に抑えているのだ。下手をすれば明乃よりも上手く星守を回している。だからこそ、明乃としても頭が痛いのだ。


「結衣、お前ももう少し自重しろ。あの子は自由奔放すぎる。妻のお前が手綱を握らなくてどうする?」

「あら? お言葉ですが、それが朝陽さんの良いところですよ? 何者にも縛られず、どこまでも自由で。だからこそ、あの人の手綱を握るなんて無理ですよ。あっ、でも帰ってきたらしっかりとお説教はしますから」


 ニコニコと惚気にも聞こえる言葉に、明乃ははぁっとため息を吐く。


「もう良い。あいつの放蕩癖は今に始まったことではない。だが、その行く先が問題だ」


 気配が変わった。ギロリと明乃は結衣に鋭い視線を向ける。結衣でなければ、その視線を受けただけで恐怖を覚えただろう。


「報告は受けている。真夜が六道一族の生き残りとおぼしき人物と戦闘になったと。それだけではない。昨日の昼には火野の娘と水波が封印していた妖魔とも接触したと聞いている。このタイミングだ。朝陽が向かったのは真夜の所以外に考えられん」


 どこか確信したように言う明乃に、結衣も同意する。


「はい。昨日は立て続けに真夜ちゃんは事件に巻き込まれています。ただどちらの事件も無事に解決しています」


 しかしすべてが終わったわけではないと思われる。そう結衣は続ける。


「水波もそうですが、京極、火野、そして星守(わたしたち)も詳細を探るために動いています」

「私もすでに別のルートで探らせている。この二つの事件、さらに大きな事件に発展する可能性がある」


 赤面鬼の件は真夜は直接は伝えていないが、火野を経由して星守には情報が伝わっている。それだけではない。明乃には朝陽にも無い独自の目と耳を持っていた。


「今回の件は今後の進展次第では、星守も本格的に動く。分家も総動員してな」

「物々しいですね」

「危険な芽は早くに摘む必要がある。特に六道一族に関してはな」


 明乃も六道一族の危険性は認識していた。だからこそ万が一の場合は、早急に動く必要があると考えていた。


 若干、重苦しい空気がこの場に流れる。


「あっ、それと今回の事件では、真夜ちゃんもそれなりに活躍したみたいです」


 不意に結衣はそれをぽんと手を叩き、今思い出したというような口調で、空気を変えるかのように、嬉しそうに真夜の名前を出す。


「あの子もずいぶんと成長してるみたいですよ」


「馬鹿馬鹿しい。多少成長しようが、あの子は星守始まって以来の落ちこぼれで無能だ」


 吐き捨てるように、明乃は実の母親である結衣に言い放つ。その言葉に結衣の顔から笑顔が消える。


「真夜は攻撃系の霊術は扱えず、霊力もまともに放出することができん欠陥持ちだ。そもそも霊力自体も低い。極めつけは守護霊獣の召喚に失敗したことだ」


 淡々と明乃は事実を口にする。それは以前から明乃が真夜達に言い続けてきたことだ。


「御義母様。それは……」


「言葉が過ぎると? 子供に直接言うことではないと? だが事実を言って何が悪い?」


 明乃はまるで、嫌悪するかのような表情、あるいは怒りを覚えるかのような表情を浮かべている。


「真夜に退魔師としての才能は無い。あの子は無能だ。どれだけ努力しようが、報われることは無い。それに星守の直系にもかかわらず、守護霊獣の契約ができなかったのはあの子だけだ」


 星守始まって以来の異常事態だと明乃は言う。


「戦う力もそれを補う術もない真夜は、逆に星守の名を貶めるだけだ。だから私は多少成長しようとも、あの子を退魔師と名乗らせるつもりも、活動させるつもりもない。これまでも、そしてこれからもだ」


 それはどこまでも冷たく、厳しい口調で放たれる。


「話はここまでだ。朝陽が帰ってきたら、私の所に来るように伝えなさい」


 突き放すように、明乃は結衣に言い放つと、そのまま立ち上がり部屋を出ていこうとする。


「……わかりました」


 結衣はそのまま頭を下げると、これ以上の問答はせずに素直に従う。それを見やりながら、明乃は部屋を後にするのだった。


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