第五話 星守朝陽
真夜はリビングで苦虫を噛み潰したような顔をしていた。その原因はテーブルを挟んで対面に座る、父である星守朝陽にあった。
服装はラフな洋服である。朝陽は星守では和装が多いが、外では洋服を好んで着ている。その姿は品の良さそうな大人の男性を思わせる。
ニコニコと柔和な笑みを浮かべ、テーブルで手を組み、実に楽しそうに真夜を見ている。
朱音と渚はそれぞれ、真夜の隣と朝陽の隣に座っているが、どこか緊張した面持ちをしている。
「こうやって会うのは久しぶりだね、真ちゃん。元気そうでパパも嬉しいよ」
「親父も相変わらず元気そうだな。あと真ちゃんって呼ぶな」
「ははは、親父じゃなくて昔みたいにパパって呼んでも良いんだよ、真ちゃん?」
「だから真ちゃんって呼ぶなよ。それといつの話だよ。俺が小学生になるくらいまでだろ、その呼び方」
半眼で睨む真夜。どうにもこの人の相手は調子が狂う。それでも異世界での四年の経験があるのだ。
平常心だ、落ち着けと真夜は自らの心を落ち着かせる。
「いやいや、いつまでもパパって呼ばれたいんだよ、私は。それにしても……」
ちらりと朱音と渚の方を見る朝陽は、さらに深い笑みを浮かべた。
「真ちゃんも大人になって……。女の子を、それも美少女を二人も家に連れ込むなんて」
「おい、言い方」
「これはパパとして喜べば良いのか嘆けば良いのか。信じて送り出した息子が、一人暮らしを良いことに夜に女の子を家に連れ込むプレイボーイに成長していたなんて。それとも悪い不良になっていたと思うべきかな?」
ママになんて言えばいいんだろうか、と頭を抱えている。当然演技なのだから、真夜としてはうざいことこの上ない。
「いい加減にしろよ、おい。二人に失礼だろ」
「あっ、朱音ちゃんも久しぶりだね。真夜がいつもお世話になっているようで、本当にありがとう」
「人の話を聞けよ!」
どうにもペースを乱され、完全に主導権を握られている。朱音と渚は今までの落ち着いた真夜の雰囲気からはほど遠い姿に驚いている。
「お、お久しぶりです。こちらの方こそ、真夜にはお世話になってます」
朱音は朱音で、真夜の父である朝陽を前にかなり緊張していた。父親同士仲が良いが、さりとてこうやって直接話をする機会など殆ど無かったからだ。
「ああ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。それと君は……」
「京極渚と申します、星守朝陽様。挨拶が遅れて申し訳ありません」
渚は座りながらだが、仰々しく畏まり朝陽に対して頭を下げる。
「……ああ、君が今回の事件で真ちゃん達と協力した京極の退魔師の子か。そんなに畏まらなくてもいいから。こちらの方こそ、真ちゃん達がお世話になって」
一瞬、渚の名を聞き驚いた顔をする朝陽だが、すぐに元の柔和な笑みを浮かべ、彼女に同じように頭を下げる。
京極は星守をライバル視と言うよりも敵視しているに近いが、それでも最低限の付き合いはあるし、上層部同士でも交流はある。
また朝陽は特に京極一族に対して、敵対心を抱いているわけではない。だからこそ、渚に対してもフランクに接しているのだ。
「いえ。私の方こそ、星守君には色々と助けていただきました。彼には本当に感謝してもしたりません」
本当はすべて真夜が解決したし、二度も命を助けてもらったとこの場で言いたかったが、真夜のことを考えあえて口を噤む。ただ当たり障りの無い感謝を述べる。
「そうか。真夜も随分と成長したみたいだね」
息子を誇るような顔をする朝陽に、真夜はどことなく居心地の悪さを感じる。
昔から、無能や出来損ない、欠陥品やあるいは出涸らしなどと祖母や他家の人間から言われることが多かった真夜を、父や母はそれでも愛し庇ってくれた。優秀な兄と変わらぬ愛情を注いでくれた両親。
それでも、異世界に転移する前は、そんな両親にも酷く八つ当たりすることもあった。
「……俺だって成長するさ。で、なんでいきなり来たんだよ。来るなら来るって、連絡ぐらいしてくれよ」
「いやー、真ちゃんをびっくりさせようと思ってね。ママにも内緒で来たんだよ」
「……あとでお説教されても知らねえぞ」
時たま、気まぐれに出かけたり、兄や自分を連れ出したりする父。母とも時折、二人で出かけたりするので、星守の祖母や他の術者や使用人達からは自重してくれと言われている。
今回もおそらく守護霊獣を使って、ここまで来たのだと推測する。朝陽の守護霊獣の力を以ってすれば、それくらい簡単だろう。
「その時は真ちゃんも一緒に謝ってね」
「嫌だね。せいぜいしっかり怒られろ」
最強の退魔師として名高い朝陽だが、妻には頭が上がらない。とは言え、お説教も見ていて微笑ましいようなやりとりなので、真夜から見ればただイチャイチャしているようにしか見えない。
「それと婆さんも五月蠅いだろ? 俺に会いに来たなんて知ったら、ぐちぐち言われるんじゃないか?」
「ははは、真ちゃんも辛辣だね。それくらい問題ないよ。真ちゃんが本当に心配だったからね。六道の名を持つ妖術師と相対したって聞いた時は、本当に驚いた」
六道の名が出たことで、朝陽以外の三人は表情を変えた。
「親父、あの六道幻那って奴を知ってるのか?」
「いや、私は六道一族と言う今は滅びた妖術師の一族のことを知っているだけで、六道幻那という男のことは知らないよ」
朝陽の説明によると六道一族というのは戦国時代から続く、妖術師の一族であり、妖術師の中では最強と言われる一族だったらしい。
太平洋戦争終戦の直後に突如として、混乱の最中にあった退魔師達に戦争を仕掛けた。激しい戦いの末、彼らは殆どを打ち倒されたらしい。
「その力は凄まじく、彼らが軍に協力していれば、戦争はまた違う形で終わっていたのではと言われている。当時の退魔師達も大勢がその戦いで命を落とした。その後も彼らは危険視され、最後の生き残りは京極により討伐された。それももう五十年以上前のことらしいが」
「そのような話は初耳です」
「それはそうだろう。この話は私達の年代がギリギリで知る内容だし、六道一族のことは六家でもタブー視され、秘匿されることになっていたからね。あっ、この話はここだけの秘密だよ」
人差し指を口の前に持ってきて、内緒だよと笑いながら言う朝陽だが、他の三人はなんとも言えない顔をする。
「おい、なんでそんなことを俺達に話すんだよ?」
「知っておかなければ、危険かも知れないと思ったからだよ。その男が本当に六道一族の生き残りの人間だったのか、その名を騙っていたのかは判断がつかないが、また厄介な事件に巻き込まれるとも限らないだろ?」
もし本当に六道一族の生き残りならば、警戒が必要だと朝陽は言う。
「とは言うものの、その六道幻那は死んだみたいだし、京極家も総力を上げて調査はするだろう。星守と火野も独自に動くから、真ちゃん達が心配することはないんだけどね」
パパ達がしっかりと危険な芽は摘んでおくから、頭の片隅においておく程度で良いと、あっけらかんに言う。
(確かに首魁は倒したし、その取り巻きも倒した。他の仲間がいる可能性は高いが、流石にあんな超級や特級クラスの強さを持つ奴は早々いないだろうし、いても一人か二人だろうからな。京極と火野、星守まで動いたら、どうにもならないだろうな)
真夜も朝陽の言葉を聞き、思考を巡らせる。
その話が本当なら、六道幻那が本当に六道一族の生き残りならば、京極も一族を上げて積極的に動くだろう。討ち滅ぼした敵対一族の生き残りがいたのだ。将来の禍根を摘むためにも、徹底的な調査を行うはずだ。
渚の話でもすでに大がかりに動いている。こうなれば、真夜達にちょっかいをかける余裕などあるはずも無い。
「私が今日来たのは、警告と念のために様子を見に来たからなんだが。三人とも怪我とかも無いようで安心したよ」
「全部真夜のおかげです。本当に真夜には助けられました」
「おい、朱音」
「何よ、事実じゃない。本当のことを言って何が悪いのよ」
「はい。星守君がいてくれたおかげで、私達は今、この場に無事にいることができています」
「京極も……」
朝陽の前で二人にこう言われて、真夜としてはどこかむず痒い思いだった。
「ははは、真ちゃんも隅に置けないね。こんな可愛い二人にそう言ってもらえるなんて。正直、一人暮らしをさせる時は心配で心配でたまらなかったけど、どうやら良い方向に進んだようだ」
うんうんと頷きながら、息子の成長を喜ぶ朝陽だったが、不意にその表情を引き締めた。
「ところで、私から一つ真ちゃんにお願いと言うか、頼みがあるんだけど」
「……なんだよ、親父」
「久しぶりにパパと手合わせしないかい、真夜?」
先ほどまでの柔和な笑みが消え、どこか挑発するような笑みを浮かべ真夜に問いかける朝陽。
同時に身体からは、圧倒的な闘気が解き放たれた。それこそ、隣の渚や朱音が身体を硬直させてしまうほどの、あの六道幻那にも匹敵するまでの強者の気配が放たれた。
そんな朝陽に対して真夜は、どこか呆れたような顔をしつつも微かに、しかし好戦的な笑みを浮かべるのだった。
◆◆◆
(これは少し面白くなりそうだ)
朝陽は目の前に座る息子が、自分の解放された闘気を目の当たりにしても、それを完全に受け流している姿に驚きを隠せないでいた。
朝陽は息子である真夜が心配で守護霊獣を駆使して、彼のマンションまでやってきた。
しかし久しぶりに直接会った息子は、何か以前とは違う気配と雰囲気を纏っていた。
いや、受け答えやからかうことに対しての反応は以前とあまり変わらないが、落ち着きが増したのと、以前からどこか自分自身に自信を持てないでいた様子が無い。
今までの真夜は常に気を張り詰め、虚勢を張り、自らを強く見せようとしていた。自分の境遇を嘆き、苦しみ、コンプレックスを抱き、抜き身の刀のように鋭く、鬱屈とした想いをその身に抱えていた。
しかし今はどうだろうか。朝陽が放った闘気を受けても、ひるまず、怯えず、寧ろこの程度かと言わんばかりの反応だ。
(何があったのか、聞いてみたいところではあるが、それよりもまずは確かめないといけないことがある)
それが先ほどの台詞。朱音や渚が真夜に助けられたと言った。渚の実力は知らずとも、朱音の実力は知っている。それに渚も京極の名を名乗れる術者ならば、弱いことはないだろう。
その二人が絶賛する息子の今の実力が気になった。
微かな笑みを浮かべる息子の姿は、気負いも何も無い、自然体の姿。同時に感じる、強者としての気配。
朝陽の柔和な笑みの下で、戦う者としての本能が囁き、疼いている。目の前の存在は、自分と同じ強者であると。
(まさか真夜にもこんな感情を抱くとは)
手で隠しているが、口元が吊り上がる。
真夜の兄も優秀であり、天才という言葉では収まりきらない才覚を有し、遠からず自分を超える退魔師として大成すると思っている。
それに対して、真夜の評価は兄とは正反対で、退魔師としては大成しないと思っていた。
だが今の真夜は違う。何があったのかわからないが、すでに兄を超え、自分をも超える強さを持っているのでは、そんなあり得ない思考まで抱いてしまう。
(私の霊感が告げている。今の真夜は、以前の真夜とは違う)
確かめてみたい。自分の息子が、あの無能と言われ、蔑まれてきた子供が、今、どうなっているのかを。
自分の考えが、霊感が正しいのか間違っているのかを、その身を以って知りたいと思った。
「どうだい、真夜? せっかく朱音ちゃんや渚ちゃんもいることだしね。二人にもっと良いところを見せるチャンスだよ?」
などとおちゃらけて言うが、見据える朝陽の瞳は真剣そのものだった。
その視線を受ける真夜の瞳も、どこまでも強い意志を映し出している。
「……いいぜ、親父」
息子から放たれた言葉に、朝陽はこれまでに無いほどの高揚を覚えるのだった。
◆◆◆
(ちょうど良い。これも良い経験だ)
朝陽の言葉を真夜は肯定的に考えていた。現在の真夜のコンディションはお世辞にも良いとは言えない。
しかし戦いとは、常に最高のコンディションで挑める場合ばかりではない。
異世界での戦いにおいても、そう言った場面は幾度もあった。仲間が傷つき、戦えなくなり戦力が半減した時や、激戦の連続、睡眠時間が殆ど無い状態での大規模戦闘や、夜間の奇襲など、数え切れないほど不利な戦いを経験した。
だからこそ、体調がベストではないという言い訳は通用しない。負ければ即、死という結末が待っていた異世界では、こんなことも日常茶飯事であり、言い訳しようとも相手は待ってくれないのだ。
(この状態でどこまで動けるのか、今後のことも考えれば親父の誘いに乗るのはありだ)
それにこれは殺し合いではない。ただの手合わせに過ぎない。負けても死ぬことはないし、殺されることもない。
やり過ぎて大怪我を負う可能性はあるが、この程度で大怪我を負うのであれば、これから先の退魔師の世界では生き残っていけないだろう。
それに単独で黒龍神を討伐しようとしているのに、それよりも劣る父をこの状態とは言え倒せないようでは話にならないだろう。
「乗り気だね、真夜」
朝陽の呼び方も真ちゃんではなく、真夜になっている。それだけ相手も本気ということだろう。
「ああ。ちなみに守護霊獣は?」
「それは流石に無しだよ。あくまでパパと一対一の戦いだ。ただし、私は本気で行かせてもらうよ」
いくら真夜でも守護霊獣と同時では相手にならないと朝陽は判断したようだ。
当たり前だが、朝陽は単独でも最強の退魔師として名高い。そこに最強と言われる守護霊獣が加われば、殆どの相手を圧倒するだろう。
「わかった。それでいい」
真夜は守護霊獣ありでの戦いもと思ったが、まずは先に今の自分が父を相手に、どれだけ戦えるか確かめる必要があると考える。
(今の俺が守護霊獣無しの親父をどうにかできなかったら意味も無いからな。守護霊獣と同時に相手をするのは、親父を圧倒できてからの話だ)
守護霊獣との二対一の戦いもしてみたいが、それは後回しだ。噂で聞く朝陽の実力は超級に匹敵するとのことだ。超級二体同時では、万全の状態ならばともかく、今の真夜では荷が重いだろう。
それにこれは修行の一環である。まずは朝陽をこの状態で倒すことを第一目標にする。
その次に守護霊獣を出させ、それをも圧倒する。
(それができて初めて、俺は親父を超えられる)
どこか、真夜は自分が高揚しているのを感じた。敵と戦う場合、このような高揚感を抱くことなんて殆ど無かった。あったとすればそれは……。
(ああ、そうか。なんてこと無いな。前にもこんなことがあったな)
異世界でのことを思い出し、真夜もさらに口元を緩める。
思い出すのはかつての強くなる段階での記憶。ありし日の勇者パーティーでの一時。
(……師匠、みんな。見ててくれよ。俺があの時の誓いを果たすところを)
真夜は異世界にいるかつての仲間に心の中で呟くと、最強の退魔師である父との戦いに臨むのだった。
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