第四話 来客


「えっ? どういうことよ?」

「言葉通りの意味です、朱音さん。星守君は八城理人の依頼を断りました。ですので、こんなことを聞くのはおかしいかも知れませんが、私は星守君はこのままこの話を放置しないのではないかと思ったんです」


 困惑する朱音とどこか疑うように言う渚に、真夜は苦笑した。


「なんでそう思ったんだ?」

「勘、もありますが、星守君のこれまでの行動からの推測です。知らなかったならばともかく、あなたは今回、氷室家の騒動を知った。ですが、八城理人の依頼を受ければ、どう転ぼうと面倒なことになりかねない」


 八城理人に協力したとなれば、真夜も共犯に疑われかねない。秘密裏に密約を結び、討伐を約束し、その後に事が露見すれば、犯罪者である八城理人の依頼を受けたということで、真夜の立場が悪くなりかねない。


「だからと言って、星守君はこの件を見て見ぬ振りをするはずがない。星守君が単独で秘密裏に動き、露見さえしなければ多少の混乱はあれど、なんとか事態を収束させられると考えているのではないかと思っただけです」


 真夜だけならば危険かも知れないが、あの堕天使とならば覇級の妖魔であろうと討伐することは不可能ではないだろうと、渚は考える。


「ちょっと! 真夜!? それ本当なの!? 自分でも言ってたじゃない! 勝てるかどうか分からないって!」


 目に見えて動揺する朱音。超級妖魔クラスの力を目の当たりにした彼女は、さらにその上の覇級妖魔を単独で討伐することが如何に困難であるかを肌で感じていた。


「ああ、言ったな。どんな相手でも絶対に勝てる、なんて考えるのは傲慢だからな」


 真夜は自分が強くなり、最高クラスの力を有しているという自負はある。しかし世の中は広い。異世界においてもそうだ。勇者パーティーにおいても、真夜よりも強い存在はいる。


 戻ってきたこの世界においても、自分より強い相手がいないはずはないだろう。


 それに覇級と言えば現在のルフと同格である。確かに覇級の存在でもその力の幅はあるだろう。しかしだからと言って覇級クラスの下位が弱いというわけではない。


「じゃあいくら真夜とあの堕天使でも危険よ! 覇級の妖魔ってことは、あの堕天使みたいな強さの妖魔と戦うってことじゃないの!」

「そうだな。でも危険の伴わない戦いなんて無いと思うけどな」

「ではやはり星守君は、一人で黒龍神を討伐するつもりですか?」

「……ああ。俺は一人で黒龍神を討伐する」


 渚の問いに真夜は少し言いよどみながらも、ポリポリと頭をかきなが端的に答えた。どうせ隠していても仕方が無いだろう。下手にこの二人に黙っていれば、余計に首を突っ込んできそうだ。


「理由をお聞きしても良いですか? 八城理人に同情した、というだけではないでしょう?」

「まあな。理由はいくつかあるが、まずは封印が解けた覇級クラスの妖魔なんて、危険きわまりない。それがかつて破壊の限りを尽くしていた存在ならな」


 今は大人しくしていても、いつ暴れ出すか分からない存在。かつての悪行があるために、その可能性が無いはずもない。さらにそうなった場合、想定される被害は洒落にならない。人的、物的被害がどれだけ広がるか。


「昔なら良いってこともないが、今の時代、街一つが無くなるっていうのはやばすぎるだろ? 人も大勢死ぬ可能性が高い」


 地獄絵図。真夜は異世界にて、そんな光景を幾度も目の当たりにしてきた。


 簡単に人が死ぬ世界。焼け落ちる村。死体があちこちに溢れ、子を失った親が、親を失った子が泣き叫ぶ光景をいくつも見てきた。


 何度も吐き、苦しんだ。もし自分達がもっと早く駆けつけていれば、もっと強かったなら、助けられたのではないだろうかと思ったことは一度や二度ではない。また心無い言葉を投げつけられたこともあった。


 何故もっと早く来てくれなかったのか? 何故この子を助けてくれなかったのか? 何故両親を守ってくれなかったのか? 何故、みんなが死ななければならなかったのか?


 それは理不尽な言葉であり、八つ当たりでしかなかった。


 しかしその境遇になり、大切な人を失った彼ら、彼女らには、そんなこと関係なかった。


 人間は弱い。失った苦しみに耐え切れず、ただ誰かに何かに己が受けた理不尽の怒りや悲しみをぶつけたいという衝動には耐えられないのだ。


 もし真夜が一人でその感情に晒されていれば、決して耐えられなかっただろう。パーティーの勇者や聖女は、そのことに最後まで悔やみ、嘆いていた。


 真夜が耐えられたのは、仲間がいたからだ。同じ思いを抱き、それを吐き出せる相手がいたからだ。


 だからこそ、途中で心が折れずに、強くなり仲間達と共に魔王を討伐することができたのだ。


(あんな光景を見るのは二度とご免だ)


 もしこの世界であんな光景が広がるのなら……。いや、この世界でも、日本以外のどこかの国では、今なお、そんな光景が広がっているのは間違いない。


 それでもそれを作り出したのは、同じ人間であり妖魔ではない。流石に真夜は神でもなく、全知全能でもなければ聖人君子でもない。


 遠い外国の紛争や戦争を一人で根絶することなどできるはずもなく、今なお苦しんでいるすべての人々を救うなんてこともできるはずがない。


 だが黒龍神の件は別だ。退魔師として、妖魔を討伐するのは使命と言ってもいい。それを行えるだけの力が真夜にはある。


 もし、このまま静観し、黒龍神が暴れ出し大きな被害を出したなら……。


(俺は自分が許せなくなる)


 知っていたのに、それを未然に防ぐ力があったにもかかわらず、それをせず大きな被害が出たら。多くの命が失われたら……。


(全部を救うなんてのはできないし、それができると考えるのは傲慢だ。けど、できることはする。なあ、そうだろ、アレク?)


 勇者である少年に心の中で問いかける。


「それに、俺自身ももっと強くなりたいからな。黒龍神はちょうど良い相手だ」

「まだこれ以上強くなるつもり!? しかも覇級の妖魔がちょうど良い相手って」


 朱音は真夜の言葉に呆れたような顔をする。渚も同様である。


「それだけの強さなのに、まだ星守君は上を目指すんですか? もう十分強いと思いますが」

「そうだな。上って言っても、まだまだ程遠いと俺は思ってる。だから俺はまだまだ強くなるつもりだ」


 少なくとも十九歳の時の自分に比べれば弱い。超級クラスの相手には勝てることが分かった。次は覇級の相手にどこまで通用するのか確かめてみるのも良い。


「でも失敗したら、死ぬのよ!? 真夜! 強くなったからって、少し調子に乗ってない!? いくらなんでも危険すぎるわ!」

「私もそう思います。星守君の強さは目の当たりにしましたが、だからと言って覇級クラスの妖魔を相手にするのはリスクが高すぎます。一人でなら、いえ、あの堕天使という切り札があったとしても、一人で行くべきではありません」


 朱音も渚も、真夜が一人で討伐に赴くことは反対であった。


「けど放置もできないだろ? 少なくとも放置すれば、今後も氷室の人間が生け贄にされ続ける。それにいつ、黒龍神が気まぐれに暴れ出すかも分からない」

「だったら、もっと味方を募りなさいよ! そりゃ、あたしや渚じゃ足手まといなのは分かるけど、いくらなんでも真夜一人を行かせられない」

「はい。リスクは避けるべきです。少なくともあと一人か二人、星守君の足手まといにならない退魔師に応援を頼むべきです」

「今の俺の足手まといにならない術者って、どれだけいるよ? それこそ六家の最強クラスの術者しか無理だろ。あとはうちの親父くらいか」

「そうよ! 真夜のお父さんに頼めば良いじゃない!」


 パンと手を叩き、朱音がナイスアイデアと言わんばかりに顔に喜色が溢れた。


「真夜のお父さんだったら、強さに関しては問題ないでしょ? それに真夜が頼めば話は聞いてくれるはずよ!」


 他の六家の術者に頼むよりは可能性が高いと朱音は考えた。もしダメなら自分の父か、火野の当主に懇願するつもりではあったが、強さと言う点で見ても、信用面で見ても真夜の父である星守朝陽ほど適任者はいないだろう。


「あっ、そりゃ無理だ」


 しかし真夜はあっさりとそれを否定した。


「なんでよ! そりゃ、真夜は強くなったっていうのを秘密にしていたいんでしょうけど」

「いや、そうじゃなくて、俺は実家から、個人で退魔師として活動することを禁止されてるんだよ」

「へっ?」

「婆さんからの命令でな。一人暮らしの条件にもあったんだよ。婆さんに面と向かって言われたよ。『お前のような無能が退魔師を名乗ることも、一人の退魔師として活動することも許さない』ってな」


 まだ星守の本家にいた頃の話だ。祖母であり、星守の直系であり、今なおその絶大な権力と実力を維持する女傑。齢六十を過ぎてはいるが、まだまだ若々しく活力に充ち満ちており、父である朝陽に当主の座を譲ってはいるが、退魔師としても現役で活躍する実力者である。


「どうにも無能な俺は、優秀な兄貴と違って婆さんからしたら気にくわないみたいでな。もし俺が退魔師として活動して、失敗すれば星守の名に傷がつくとでも思ってんだろ。守護霊獣の召喚と契約に失敗してからは、事あるごとに嫌みを言われたし、退魔師としての活動も名乗ることも禁止された」


 両親も未だに強い権力を持つ祖母には逆らえないのか、そのことを抗議することは無かった。一人暮らしをしたいと言った時も、両親は賛成してくれたが、祖母は反対していた。


 とは言え、最終的には折れたようだが、代わりに先のように条件を出された。同時に別名での活動もしないように厳命されている。


 もし真夜が退魔師として仕事を受けるようなことがあれば、活動するようなことがあれば、一人暮らしを止めさせ、強制的に実家に戻すと。その後は祖母が決めた進学先に進まされることになっている。


「無能は無能らしく分を弁えろってことだろ。星守の名を名乗らせ続けるのも、俺が勝手しないようするためだろうな」

「……その話聞いて、真夜のお婆様がちょっと嫌いになった」

「でも、それでしたら朱音さんと一緒に退魔の仕事をするのは、約束違反ということになるのでは?」

「はっ!? ちょっと! なんであたしが誘う前にそれ言ってくれないのよ!? 真夜が実家に強制送還されちゃうじゃない!」


 渚の指摘に朱音は顔を青ざめさせ、真夜に詰め寄った。


「いや、俺が個人でする分には禁止というだけで、朱音とか他の誰かと一緒なら、目こぼしは貰ってるみたいだ。前にちらりと母さんがそんなこと言ってた」


 一人暮らしの前に母がそう言っていたので、問題は無いだろうし、これまでも何度も朱音と退魔の場に赴いていて何も言ってきていないのだ。


「だからそう心配するなって。俺も流石に星守の本邸に戻りたくないし」

「そ、そう? ならよかった」


 真夜の言葉にホッと胸をなで下ろす朱音。真夜が実家に連れ戻されたらどうしようと、半ば本気で心配した。


(よ、よかった。これで真夜が実家に戻るってなったら、本当にどうしようかと思ったわ。あれ? でもお父様と真夜のお父さんって仲良かったから、伝わってるはずよね? それで黙認されてるんだから、これからも大丈夫なはず!)


 懸念事項が無くなったと、朱音は満面の笑みを浮かべる。


「朱音さん、それに関しては良かったと思いますが、まだ黒龍神の件が何も進んでいませんよ」

「あっ、そうね。でもだったら真夜のお父さんが主導で、真夜がお供って感じで行けば? もしくは真夜のお婆様に事情を話してみたら? 真夜が強くなったって知れば、認めてくれるんじゃないの?」

「いや、何か掌返しされるみたいで嫌なんだよ、それ。子供っぽいって言われたらそれまでだけど、強くなったからって、今までのことが無くなるわけじゃないだろ? 俺もむやみに婆さんを敵視する気は無いけど、こっちから下手に出るのもな」


 理性では話して協力を仰ぐのが正しいと分かっているが、感情が納得しない。それに覇級クラスならばルフもいれば倒せると、幻那との戦いで手応えを感じたので、あえて父や祖母に協力を要請しなければという考えを持てないでいた。


「でもやっぱり一人じゃ危ないわ」

「はい。星守君を一人で行かせられません」

「はぁ、どうしたもんかな」


 真夜としては二人を連れていくというのは論外だ。二人も強いが、覇級妖魔と戦えるほどの力は無い。


 しかし一人で行くと言えば二人は心配するだろうし、納得しないだろう。


 どうすれば納得してくれるのか。なんとか説得することはできないか。


 ピンポーン


 と、その時部屋のインターホンが鳴った。まだ時間は午後七時前とは言え、いったい誰が来たのだろうか。


「ちょっと確認してくる」


 真夜は椅子から立ち上がると、リビングに備え付けられているモニターを確認する。


「ぶっ!」


 モニターに映っている人物を見て、思わず吹き出してしまった。


「なんでいるんだよ!? 親父!?」


 叫ぶように声を出す真夜。モニターのボタンを操作したのか、スピーカーから外の音が聞こえてくる。


『やあ、真夜。久しぶりにパパが会いに来たよ』


 と、柔和な笑みを浮かべた星守朝陽は、真夜に対してそう言うのだった。



 ◆◆◆



 星守の本邸では、少し騒動が起きていた。星守家の当主にして、最強の術者である星守朝陽が少し出かけてくると言い残し、ふらりといなくなったのである。


 当主がこのようにどこか自由奔放に出歩くのは、まあ少なくはないのだが、今日はいきなり守護霊獣を召喚して出かけたのである。


 これには流石に使用人達も大騒ぎである。


「あらあら、あの人ったら本当に自由気ままね」


 頬に手を当てて、困ったものだと口にするのは、朝陽の妻であり、真夜の母親でもある星守結衣ほしもり ゆいであった。藍色の髪を結い、紺色の着物を着た見目麗しい女性で、とても十五歳の子供がいるとは思えない若々しい外見をしており、二十代半ばと言われても全く疑われないだろう。


「お、奥様! ご当主様は……」

「もう仕方が無い人ですね、本当に。帰ってきたらお説教です」


 ぷんぷんと頬を膨らませて怒る姿は、どこか可愛らしいが彼女に声をかけた女性の使用人はそれどころではない。


「も、もうすぐご夕食の時間です。それに本日は大奥様が……」

御義母様おかあさまへは私が報告しておきますから、貴方は心配しないで。あっ、あの人のご飯は抜きでいいわよ。食べて帰ってきたら、それはそれで追加のお説教ね」


 仕方がない人と言う結衣に、使用人はなんとも言えない顔をする。どこかおっとりとした雰囲気のある彼女だが、当主の妻として絶大な信頼を寄せられている。


 星守に嫁に来た外の人間ではあるが、退魔師としての実力も高く、陰に日向に当主を支え、使用人達にも分け隔て無く優しく接する彼女は、この屋敷において絶大な人気を誇る。


「じゃあ私は報告に行くから、あなたはこのまま夕食の準備をお願いね」


 ウィンクしながら言うと、使用人は呆気に取られる。当主とはまた違う自由人である結衣ではあるが、それでも夫婦共々嫌われていないのは、二人の人徳の成せる業か。


 結衣は一人、本邸の廊下を歩く。前当主である明乃の自室へと向かう。


「もう。朝陽さんたら、一人でお出かけなんてずるいわ。どうせ、真夜ちゃんの所に行ったんでしょうけど」


 どうせなら自分も連れていってほしかったのにと、若干ふて腐れる。昼間に久しぶりに一人暮らしを始めた愛しの息子から電話が来た。


 それに小躍りしそうになったが、用があるのは朝陽であり、結衣への取り次ぎは無かった。電話の後、朝陽から内容を聞けば、大変な事件に巻き込まれたようだった。


「あの人も真夜ちゃんが心配なのは分かるけど、私だって心配なのに」


 帰ってきたら、うんとお説教をしてやろうと心に決めつつ、目的の部屋の前に来たので表情を正す。


「御義母様、結衣です。少しお話ししたいことがあるのですが、今、よろしいですか?」

「………入りなさい」

「失礼します」


 襖を開け、結衣は部屋へと入ると、彼女は先代の当主であり、真夜達の祖母である星守明乃と対面するのだった。


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