第三話 話し合い
翌朝、自室にて目を覚ました真夜が、時計を確認するともう十時を過ぎていた。
「やべっ、寝過ぎたか。っぅ!」
身体が軋む。全身の筋肉が痛みを訴えている。昨日の霊力放出に真夜の肉体の方が耐えきれなかったようだ。
「やっぱり十五の身体じゃ、反動もそれなりにあるか」
一晩寝ればそれなりに回復したものの、やはり無理が出ているようだ。戦闘ができないことはないが、コンディションはあまり良くない。戦闘になった場合、出せてせいぜい通常の七割が限界だろう。
「ルフの召喚は問題ないだろうが、あんまり無理はできないな」
とは言え、今すぐに戦うことも無いので、焦る必要は無いだろう。
だがそれはともかくとして、鍛え直さなければならない。
あの魔王との最終決戦の時の肉体に、いや、それ以上に鍛える必要があるだろう。ベッドから起き上がると、真夜はスマホを確認する。そこには渚からメッセージが入っていた。
『昨日はお疲れ様でした。そしてありがとうございます。改めてお礼を言わせてください。都合の良い時間にお伺いいたします。また連絡をください』
となっている。渚にも随分と気を使わせたなと真夜はポリポリと頭をかく。
「朱音の方はもう起きてるかな?」
昨日のことを思い出し、頬を手で撫でる。まさか朱音があんな行動を取るとは思ってもいなかった。
妹みたいな感情を抱いていたのだが、あの行為で真夜の中で別の感情が生まれたのを自覚する。
「ったく。これも近いうちになんとかする必要があるか。けどそれももう少し落ち着いてからだな」
身体をほぐしながら、自分の身体を再度、確認する。霊力自体はしっかりと休息することで、殆ど回復している。二、三日もあれば身体の方も完全回復するだろう。それまでは大人しく回復に専念する方が得策だと判断する。
「こっちに帰ってきても戦いばっかりとはな。もうこれは諦めるしか無いか」
平穏は遠のく。帰ってきた今も、常在戦場の心構えを持っている必要があるかもしれない。
はぁとため息を吐く。幸せが逃げていきそうだが、こればかりはどうしようも無い。
「さてと。今後のことを考えるとするか」
誰とも無く呟くと、真夜はそのまま部屋を後にするのだった。
◆◆◆
「お邪魔します」
渚がやってきたのは昼を過ぎ、夕方近くになってからだった。彼女に住所を教え、そのままいつ来てくれてもいいと伝えると、ある程度の処理が終わったら伺うと連絡が来た。それが今の時間であったのだ。
それまでに警察や京極相手に様々な対応をしていたのだろう。疲労が少し出ている。無論、それを真夜に悟らせまいとしているようだが、気づく者は気づくだろう。
「大丈夫か、京極? だいぶ疲れてるな」
「ご心配には及びません。この程度、問題ありませんから。それよりも星守君の方は大丈夫なのですか?」
「ああ。お陰様で寝たら殆ど回復した」
まだ筋肉痛などが酷いなどとは言わない。余計に気を使わせるだけだし、見栄や意地を張りたいのもあった。
「ここじゃ京極がお客様だ。だから俺に気を使わなくても良いぞ。と言っても碌なもてなしもできないのは心苦しいが、そこは勘弁してくれ」
「いえ、こちらこそお疲れのところ、申し訳ありません。これはつまらないものですが……」
と、紙袋を真夜に差し出す渚。包装されていて中はうかがい知れないが、かなりの高級品ではないかと思われる。
「ここまで気を使わなくてもいいんだがな」
「礼儀の問題です。それに星守君相手に、失礼をしたくはありませんので」
貴方は私の恩人ですのでと、少しだけ笑みを浮かべながら渚は言う。多くの男が見れば、見ほれるような笑みであった。
「そうか。じゃあありがたく受け取っとく。飲み物は何がいい? お茶、コーヒー、ジュースは炭酸しかないが」
「いえ、お気遣いは……」
「いいからリクエストしろって。事後処理は全部してもらってるんだ。これくらいは素直に受け取ってくれ」
「……わかりました。ではコーヒーでお願いします。ブラックは苦手なので、砂糖などがあればありがたいのですが……」
「わかった。用意する」
真夜は渚をリビングに案内すると、そのまま適当にくつろいでくれと促す。彼女は失礼しますと一言断ると、そのままテーブルに備え付けられている椅子に腰掛けた。
渚は悟られまいとしているようだが、ちらちらとどこか緊張しながらそわそわと真夜の部屋を見ている。
「別に面白いもんはないだろ? まっ、あんまり整理されてるとは言いがたいが」
「あっ、いえ。すみません。あまり人様の家を見るのは失礼ですね」
「いや、俺は気にしてないぞ。ほら、コーヒー。砂糖とミルクは自分で好きなだけいれてくれ」
「ありがとうございます」
渚はコーヒーに砂糖とミルクを入れると、カップを口につけ一息ついた。
「……おいしいです」
「市販品で、特に良いものでもないぞ?」
「いえ。星守君が入れてくれたからでしょうか。とても美味しく感じました」
「大げさな奴だな」
真夜は渚の言葉に苦笑する。真夜も同じように砂糖とミルクを入れたコーヒーを口に運ぶ。異世界でもコーヒーはあったが、こちらの世界のコーヒーの方が美味しい。
「あの、朱音さんは? 確かお隣の部屋に住んでるんですよね?」
「ああ。京極が来たら連絡するって言ってあるが……。それだけ疲れてるんだ。少しはゆっくりしとけよ」
真夜は渚が思った以上に疲れているようなので、朱音を呼ぶ前に少しゆっくりしてしておけと提案する。
朱音が来たら話し合いで長引くだろうし、説明をする渚も負担が大きいだろう。
「ですが、それだと星守君の時間が……」
「俺や朱音は日中、ゆっくりさせてもらったからな。けど京極は違うだろ? 昨日から警察の相手や京極への対応で殆ど寝てないんじゃないのか?」
「徹夜くらい慣れていますので、問題ありません」
「それでもだ。いいからゆっくりしとけ。寝たけりゃ寝てもいいぞ。って、会って間もない男の部屋でそれは無理だな。悪い、失言だ」
「いえ、星守君は信用しています。お気遣いありがとうございます」
頭を下げた渚はそのままコーヒーを口にする。
(本当に美味しいですね。それに疲れもどこか吹き飛んでいきますね)
ここに来るまでは疲れと緊張が渚の心身を蝕んでいたのだが、真夜との会話や出されたコーヒーでそれらが霧散していくかのように感じた。
(我がことながら、すごく単純ですね)
誰かとこのように心落ち着かせながら、気軽に会話をしたり、一緒にテーブルを挟むようなことは殆ど無かった。相手に気遣われるなんてことも、渚の記憶には殆ど無い。
京極一族内部でもそうだ。できて当たり前。この程度できなければならない。誰にも弱さを見せてはいけない。京極の人間は仲間ではあるが、次期当主を狙うライバルである。
渚自身は特殊な立場により、次期当主の地位に就く可能性は殆ど無い。
しかし他の兄弟は違う。相手を蹴落とし、自らが当主になろうとする考えを持つ者もいる。
宗家だけではない。分家でもそれぞれに派閥があり、自分が推す相手を次期当主にしようと暗躍している。
渚は父である現当主の手駒であり、その功績は他の兄弟に振り分けられているので、今のところ目立った悪感情は抱かれていない。さらに渚自身も、上手く立ち回り、敵を作らないようにしている。
だからこそ、気が休まる時が殆ど無い。
(本来は星守君相手にも、気を緩めてはいけないのですが……)
それでも今だけは気を緩めてしまう。こうして誰かに気を使われ、心配されるのを嬉しく思ってしまう。
京極一族の中で、誰かに心配されたことがこれまでどれほどあったことだろうか。
しかも心配してくれる相手は、あの真夜なのである。
(本当に、昔から変わっていませんね。星守君は)
あの時もそうだったと、渚は彼と初めて会った時のことを思い起こそうとする。
だが不意に部屋のインターホンが鳴らされた。
ピンポーンピンポーンっと、何回もである。真夜は酷くデジャブを感じた。
「……朱音だな。悪いが、ちょっと待っててくれ」
真夜はそう言うと、席を立つと玄関の方へと歩いていく。玄関が開く音がすると、二人が何かを話していることが聞こえる。
どこか気安い会話の内容と声に、渚はまた胸が少しだけ締め付けられる。
(……分かっていたことです。私よりも朱音さんの方が、星守君と一緒にいた時間は長い。それに……)
渚は朱音のことを思い浮かべる。
同性の自分から見ても、朱音は魅力的だった。活発的で明るく、真っ直ぐでありこんな自分にも友達になろうと言ってくれる女性。背も高く、退魔師としても優秀であり、まるで太陽のような女性だと感じた。
そんな相手だからこそ、嫌いになれないし、嫉妬する気持ちも自分の浅ましさを見せつけられているようで嫌だった。
自分は京極の人間であり、他の六家には嫌われている。友達も無く、家でも孤立気味である。誰からも嫌われないように、敵を作らないようにはしているが、さりとて愛想を振りまき、誰かに積極的に好かれようとしているわけではない。
これは京極での彼女の立場により、そうせざるを得ないのだが、第三者から見てそんな事情を考慮してくれるわけでも無い。
だからこそ、朱音がまぶしく、羨ましいのだ。自分に無い物を多く持ち、真夜とも仲の良い彼女が。
(……いけませんね。こんな気持ちを抱いてしまうようでは)
友達と言ってくれた相手に、このような負の感情を向けるようでは、なるほど友達など作れるはずがない。
一度深呼吸をする。こんな感情、二人に悟られるわけにはいかない。
渚はそう自身を戒め、戻ってきた真夜と朱音に会釈をするのだった。
◆◆◆
「昨日の件ですが、なんとかこちらの想定通りに動かすことができました」
渚は警察でのやりとりや、理人の処遇について二人に話をする。
「現在、六道幻那のアジトなどへは警察や京極の者が向かっています。本家にこのことを伝えたところ、当主である父を含め、長老会が引き継ぐとのことでした」
きな臭い感じがすると渚は考える。真夜もそれは同じ思いだった。
「私はこの件を外されました。どうも六道幻那の名は京極の上層部には思いの外、危険視されていたようです」
「かなりの相手だったからな。あいつの言動と八城って奴の話からすれば、京極上層部と因縁があったってことだろ」
「はい。ですが、詳細については私には知らされていません。知る必要は無いということでしょう」
「それって酷くない? そりゃ解決したのは真夜だし、京極から見れば部外者のあたし達に秘密にしたいのは分かるけど、当事者の渚が知らされないなんて」
「そんなものです、朱音さん。京極も闇は深いです。私でさえ知らないことが多く、当主である父であっても、すべてを把握しているわけではないでしょう」
京極一族の長い歴史の中には、他家に言えない秘密も当然ある。これはほかの六家にも言えることではあるが、渚は京極の闇はかなり深いのではないかと勘繰る。
「けどあいつは倒したんだ。京極が必要以上に慌てる必要はないだろ?」
「はい。ですが、本家の方から少なくない人員が派遣されてるようです。六道幻那の死の確認やアジトの制圧など、多岐に渡るようです」
「渚は参加しなくて良いの?」
「今の私はだいぶ疲弊していると見なされています。それに功績を他の本家の方が得るという名目もあるでしょうから」
「何よ、渚が損ばかりしてるじゃない」
「仕方がありません。私の京極での立場がそのようなものですから」
憤慨する朱音に渚は苦笑する。
「話を戻しますが、星守君の実力は今のところバレていません。当然、あの堕天使のこともです。八城理人の方から漏れる可能性も危惧しましたが、彼は半ば茫然自失に近い状態でしたから、信憑性があるとは思われないでしょう」
「そう言えば朱音の方は火野に連絡したのか?」
「したわよ。予め渚に聞いて口裏を合わせた内容を伝えたわ。真夜の方は?」
「ああ、一応親父には連絡した。火野の方にも確認するって言ったから、そのうちまた連絡があるだろうよ」
必要事項だけ伝えたので、後々なんて言ってくるのか、少し心配だが返答待ちだ。
「たぶんお父様達が上手くやってくれるんじゃない? あたし達は事情を説明すれば良いだけだし。でも本当に真夜のことは秘密にするの? せめて真夜のお父さんとお母さんには伝えた方が良いんじゃ……」
「んー、あー。まあそのうちな」
朱音が躊躇いがちに聞く。真夜が強くなったと言えば、二人は喜ぶのではないかと思ったからだ。しかし真夜はあまり乗り気ではない。
「もう少しだけゆっくりしたいからな。今、騒がれると色々と面倒だし……」
「……星守君。その理由の一つですが」
渚は躊躇いがちに真夜にこう問いかける。
「あなたは単独で、黒龍神を討伐するつもりではないのですか?」
と。
◆◆◆
星守本邸。
某県のとある小山の上に建てられた、日本家屋。その敷地面積は広く、本邸の他に離れや修練場などが立ち並んでいる。
その中の一室にて、着流しを着込んだ男性が、どこかへと電話をかけていた。
柔和な笑みを浮かべる、どことなくナイスミドルと言うような、筋肉質の中年の男性だった。
「はははは、朱音ちゃんは相変わらずのようだね。本当にうちの息子が世話になって」
『いや、こちらこそ娘が申し訳ない。真夜君を無理に退魔に連れ回すような形になって』
電話の向こうで恐縮そうに話すのは、朱音の父である
「構わないさ。あの子がそれで納得しているんだったらね。うちも大っぴらに真夜を支援できないから、朱音ちゃんを経由して経験を積めるのなら、願ったり叶ったりだよ」
『しかしいいのか、朝陽? 悪いが真夜君は退魔師として大成するとは思えん。今は朱音の成長に必要だと思って同行を許可しているが、いつかはそれも無理になる。とてもではないが、朱音のレベルに真夜君ではついていけない』
朱音はまだこれからさらに伸びると、親のひいき目だけではなく、実際の成長に鑑みれば、火野一族でも有数の使い手になると予想していた。あの年で霊器を発現させるほどだ。
才能という面でも疑う余地はない。
「その時は真夜も諦めがつくだろう。こちらとしても朱音ちゃんには悪いが、逆にあの子が真夜に引導を渡してくれた方が諦めもつくだろう」
『こら、お前は私の娘に嫌な役回りさせる気か』
「そうは言ってないさ。それにこれはお互い様だ」
はぁっと電話の向こうで紅也が深いため息を吐く。
『お前、相変わらずだな。ところで話は変わるが、朱音が真夜君と京極の子と協力して、妖術師と妖魔達を討伐したって話は聞いてるか?』
「うちにも久しぶりに真夜から電話があって、その話を聞かされたよ。六道幻那と、相手は名乗っていたらしいが」
『……ああ、それは私も聞いている。あの六道か?』
「それはわからないが……。こちらも京極にも問い合わせてみたが、まだ何も分からないと突っぱねられた。まあ連絡を受けたのは昼前で、電話したのはさっきだから、それも当然と言えば当然だが」
二人が考える六道という名の妖術師。今の若い世代の退魔師達は知らないが、二人が知るその名がもしあの六道であったのなら、真夜や朱音はとんでもない相手を討伐したことになる。
『だが六道一族は滅びたはずだ。京極が最後の生き残りを討伐した』
「そうだな。その男が本当に六道の生き残りだったのか、それともただ名を騙っていたのか」
『どっちにしろこちらも調べる必要があるか』
お互いにこの件は独自に調べるつもりだ。京極だけに任せていては、情報が秘匿される可能性がある。
「それじゃあまずは」
『ん?』
「久しぶりに可愛い息子に会いに行くとしようか」
茶目っ気のある笑顔を浮かべながら、朝陽は紅也にそう言うのだった。
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