エピローグ
朱音と渚が握手を終えたのを見計らい、真夜はゆっくりと身体を起こした。
「悪かったな。少しマシになった」
五分では流石にほんの少ししか回復できないが、それでも多少は身体のだるさも和らいだ。
「もう良いの?」
「ああ、意地張らせてくれ」
心配するような視線を向ける朱音に、真夜はどこか申し訳なさそうな顔をする。
「わかりました。ですが、そのまま座ったままでいてください。もしそれでもお辛いのなら、横になってください」
「いや、そこまではいい。二人とも悪いな、気を遣わせて」
「いいわよ、それくらい。真夜のおかげで、あたし達は無事だったんだから」
「はい。星守君がいなかったら、私達は死ぬよりも悲惨な目に遭っていた可能性が高いですからね」
「ほんとよ。まったく、聞いてるだけで鳥肌が立ったわよ」
「退魔師としても、女性としても不快でしたからね」
二人も流石に狂司に好き勝手されるのは、我慢ならないようだ。幻那の場合は、理性的でどこか紳士的な面があったが、それでも朱音達は絶望的な扱いを受けただろう。
「だから真夜は気にしないで。すごく感謝してるんだから」
「そうですよ。私は昨日に続いて二日連続で命を救われました。感謝してもしきれません」
「それはあたしもよ。昼間もそうだったんだから」
どうにも似たような状況が続いている。朱音も渚も顔を見合わせて、苦笑している。真夜としては、ついさっきまで険悪だったのに、二人がこの短時間で距離を縮め、友人関係になったのは驚きだ。
(いや、割と朱音はぐいぐいと距離を詰めてくるからな。しかもそれが不快じゃなく、受け入れちまうんだよな)
朱音の真っ直ぐな思いが伝わるのか、強引であり戸惑いも覚えるが嫌ではないと思ってしまう。
「俺が寝てる間に、ずいぶんと仲良くなったな、二人とも」
「まあね。別に良いでしょ? 喧嘩してるよりはよっぽど良いんじゃないの?」
「はい。仲良くさせてもらっています」
「同い年みたいだし、同じ様な経験をしてるから、シンパシーが湧いたのよ」
「私としては朱音さんに友人になろうって言ってもらえて、嬉しく思っています」
朱音はいつもとそんなに変わらないが、渚の方はどこか声が弾んでいるように思えた。表情も先ほどまでと比べて柔らかい。
「そりゃ何よりだ。こいつは強引だけど、悪い奴じゃないし、面倒見はいいからな。凄く強引だけど」
「はい、凄く強引でした」
二人は笑みを浮かべながら、朱音のことを話し合う。
「ねえ? それってあたしを馬鹿にしてるの? 喧嘩売ってるの? 真夜にいたっては二回も言ったわよね? ね、ね、ね? 何? 大事なことなので二回言いました的なことなのかしら?」
「じゃあ、今後の話をしようか」
「待てこら! スルーするな! やっぱり喧嘩売ってるのね!?」
そんな真夜と朱音の姿に渚はたまらず、口元を押さえて笑いを堪えている。しかし肩が震えて笑っているのがよく分かる。
「渚! あんたまで笑わないの!」
「す、すみません。こんな風に誰かと話をして笑うのは久しぶりで」
「もう! 真夜も真夜よ! 何か少し性格が悪くなってない!?」
「さあ、どうだろうな」
ニヤリと笑みを浮かべる真夜。確かに少し意地悪になっているかもしれない。
異世界での勇者パーティーを思い出す。
からかうのは大魔導師で、被害に遭うのが真面目な勇者や聖女。真夜も被害に遭ったり、一緒に二人をからかったりしていた。
聖騎士の青年はそんなやりとりを窘めたり、偶に参加したり、真夜にとってもう一人の兄のような存在だった。
まだあの世界から帰ってきて二日も経過していないのに、一縷の寂しさが胸に湧き上がった。
「……どうかしたの、真夜?」
真夜の内心が表情に出ていたのか、それとも朱音の勘が察したのか、彼の変化に反応を示した。
「いや、なんでもない。さてと、朱音をからかうのはこれくらいにして、話を進めるか」
「結局スルーするの!?」
「別にスルーしていないって。朱音が強引なのは今に始まったことじゃないしな」
「また強引って言った! 自覚あるけど!」
「あるんですね」
渚は朱音が自覚していないかと思いきや、自分でもそう思っていることに少しだけ驚いた。
「何よ! いいじゃないの! 時には強引に物事を進めるのも必要よ!」
「まっ、朱音のそういう所は嫌いじゃないぞ。見てて面白いし」
「面白いって言うな! 本当に性格変わってない真夜!?」
「そうかもな。良い意味で成長したって思ってくれ」
「あたしにとっては悪い意味で成長してるんだけど!」
「悪い悪い。まあ朱音はそのままで十分良いと思うぞ。もう少し考えて行動することも増やした方が良いと思うけど」
「人を考え無しみたいに言うなぁーっ!」
「お、落ち着いてください、朱音さん」
がぁっーと気炎を上げる朱音に渚は彼女を窘める。
「さて、そろそろ真面目な話をしようか」
そんな二人を見やりながら、真夜は表情を引き締め、今後の方針を話し出す。
「今回の件だが、あの自称・匿名希望とその仲間を撃破したわけだが、ほとんど何も分からない状況だからな。一応、これ以上何も起こらないとは思うが、万が一もある。調べるだけは調べたいんだが……」
「この事件をどこまで公にするか、ですね」
「ああ。星守、火野、京極に報告するか否か。するにしても、どういう風に報告するかも問題だな。事の顛末をそのまま伝えるのも、それはそれで問題だろ?」
確かにと朱音も渚も真夜の言葉に同意する。
真夜の強さもそうだが、あの堕天使の存在もある。
匿名希望と名乗った相手は、確実に超級妖魔クラスで他にも特級妖魔クラス二体と、それには劣るがかなりの実力を持った術者の少年。
この四名を相手に、ほぼ無傷で勝利を収めた。しかも戦ったのは、実質真夜だけである。
「正直に伝えて、信じると思うか?」
「真夜が実力とあの堕天使を見せれば、信じるでしょうね」
「朱音さんの言うとおりですね。京極もあの堕天使を見せられては、信じるしかありませんでしょうしね」
「却下だ。俺の強さはともかくとして、あいつは公にする気は無い。今回の件は例外中の例外だ」
強い意志と眼光で言い切る真夜に、渚は一瞬たじろぐ。
「ちょっと真夜!」
思った以上に強い反応に、朱音は慌てて真夜の名を呼ぶ。
「……悪い。けど二人も分かるだろ? あいつは強力すぎるってのもあるが、公になれば色々と問題になる。確かにもう二人にも、そこに転がってる奴にも認識されたが、本来は秘匿しておくべき存在だ」
真夜の言葉に二人も理解を示す。覇級クラスの力を持つ存在を、一個人が所有している。
真夜の父である星守朝陽も、強大な力を持つ守護霊獣と契約しているが、それはあくまでも超級クラスだ。
無論、それでも脅威ではあるが、真夜の守護霊獣はそれをも凌ぐ覇級クラスの存在だ。
しかもそれは退魔師界では、無能、落ちこぼれ、欠陥品と呼ばれていた真夜が契約を結んでいる。
報復を警戒する者もいるだろう。危険視する者もいるだろう。自陣営に取り込もうとする者もいるだろう。
様々な思惑が錯綜し、混乱を巻き起こすことは目に見えている。
さらに堕天使とは言え、高位の天使を守護霊獣として使役している人間。事が事だけに国内だけでなく、国外の退魔機関にまで目をつけられる可能性が高い。
また退魔師界のパワーバランスも崩れる可能性もある。
「星守君の存在は、確かに火種になりそうですね。星守君だけならともかく、いえ、星守君だけでも火種になりそうですが、あの堕天使まで一緒なら、確実に面倒なことになります」
渚は真夜を自陣営に取り込みたいと考える者が、少なからず現れるのではないかと危惧する。真夜は未だに星守の一員ではあるが、実家からは退魔師としては認めてもらえずにいる。
実際、実家からは退魔師になるな、もしなるならば、星守の力を使ってでも阻止をすると真夜は言われていた。
そのことにつけ込み、いずれかの六家、あるいは新進気鋭や新興の退魔組織が目をつけ勧誘しかねない。真夜の強さは、一人で退魔師業界のパワーバランスを完全に崩壊させかねない。
下手をすれば、一人でいずれかの六家、あるいは複数の六家をも相手取り、勝利を収めるかも知れない。
退魔師業界にとっての、危険な爆弾になりかねないのだ。
「それに、今まで馬鹿にしてた連中も仕返しとかを考えるかも知れないわね。いい気味だけど」
朱音はどこか楽しそうに笑いながら言う。実際は事と次第によっては、笑い話にはならないのだが、朱音としては今まで散々真夜を馬鹿にしていた連中が青い顔をするのが面白くて仕方がない。
「馬鹿にしていた相手を、見返してやんなさいよ、真夜」
見下していた相手が自分達よりも圧倒的に強くなり、見下される。それは見ていて面白くもありそうだ。
渚も真夜が評価され、見直されるのを嬉しく思う。
しかし真夜ははぁっと深いため息をついた。
「だからそういうのが面倒なんだよ。見返すとか見下すとか、相手と同じことしてどうするんだよ? けど掌返しとかありそうで、なんか嫌だな」
「真夜の実家とかどうするのかしらね。今の星守に真夜が所属すれば、もうどの六家でも星守の顔色を伺わないといけないだろうけど」
ただでさえ、現代でも退魔師として圧倒的な個の強さを誇っている星守に力を示した真夜が所属を宣言すれば、最強の退魔師の一族の名は不動の物となるであろう。京極でさえ完全に認めるしか無くなる。
「どうだろうな。それもあって面倒なんだよ。親父や母さんには折を見て話すが……。婆さんはな」
星守家の当主は真夜の父である朝陽だが、権力が一番あるのは誰かと聞かれれば、それは祖母である星守明乃(ほしもり あけの)である。真夜はこの祖母と特に折り合いが悪いのである。
「だから今のところは秘匿する。まあ実際、現実に目にしなければ誰も信じないだろうからな」
「そうね。自分の目で見たあたしでも信じられないもの」
「はい。人伝に聞いただけでは、決して信じられないでしょうね。言い方は悪いですが、星守君はその、過去に守護霊獣の召喚と契約に失敗していますし……」
「ついでに退魔師としての実力も、最低クラスって評価だからな」
かつての自分の評価を思い返し、思わず笑いがこみ上げてくる。異世界に召喚される前ならば、自分の評価に打ちのめされ、嘆き、苦しんでいただろう。
だが今はそうではない。真夜はどれほどの退魔師が相手でも負けない自負がある。もちろんルフを抜きにしてだ。
たとえそれが天才と称され、十五才にして国内でも十指に入る退魔師と言われている双子の兄であろうが、退魔師最強と目される自らの父であっても、負ける気はしない。
「まあそういうわけだから、俺らがどれだけ言おうが、一笑されるよ。あいつが証言しても、誰が信じるんだ? 証拠も無いし、首魁達の死体も無い。まあ調査が進めば、色々と疑問点が浮き彫りになって追及されるかも知れないが、結局相手の実力が大したことなかったって結論づけられるだけだ」
人間というのは、都合の悪い物は見ないようにするものである。
仮に調査が進み、匿名希望達の正体が判明しても、真夜達に撃退される程度の相手では高がしれていると判断されるだろう。
「星守君はいつ、ご自分の実力を公にするつもりなんですか?」
「さあ? まだ決めかねてる。けどもうしばらく先だな」
「さっさと公表したら良いのに。あっ、でもそうなるとどうやって強くなったのかも、一緒に言わないとダメね」
「星守君がこれだけの力をつけた理由、私も興味がありますね」
「ほんと、教えてもらわないと気になってしょうがないわ」
真夜としては本当にしばらくは、静かにゆっくりと戦いを忘れて暮らしたいと思っているのだ。
(と言うか、異世界から帰ってきてまだ二日目だぞ? その間に、何回厄介事が来た? それもさっきの相手は、本気を出さなきゃやられていたほどだぞ)
心の中で悪態をつく。昨日は土蜘蛛。今日は鬼、土蜘蛛、牛鬼、人狼、そして強大な力を持つ妖術師。
どいつもこいつも過去の自分どころか、一般的な退魔師ではどうすることもできない連中ばかりだ。
(明らかに呪われてるだろ? 帰ってくる前は魔王と魔王軍との戦いだったんだぞ)
死があちこちにあふれかえり、異世界の人々の命運を背負った決死の戦いを挑んだ。
生きるか死ぬか。ただ必死に仲間と共に戦いつづけ、そして何とか紙一重で勝利を収めた。
すべての責務を果たし、帰還したにもかかわらず、こちらの世界でも同じように戦う羽目になるとは思いもしなかったが。
(けど……)
朱音と渚は二人で真夜のことについて話し合っている。それを眺めつつ、真夜は微かに口元を緩める。
(……それでも俺は守れた。異世界を、こいつらを……)
かつてなら、弱かった時の自分なら、決してできなかったこと。それは誰かを守ること。
ぐっと拳に力を込める。ただ守れたことが嬉しかった。誇らしかった。
異世界では仲間の力を借りても、守れなかった命があった。人々がいた。世界は救えたが、救えなかったものも多かった。
どれだけ強くなっても、かつての、弱かった自分を思い出す。欠陥品と言われ、無能と言われ、落ちこぼれと言われ、蔑まれてきた、弱い星守真夜の姿を。
それが辛くて、悔しくて……。
だから、というわけではない。けど、自分はこの二人を守れた。自分一人の力で。ルフの力を借りたとは言え、自分はこの世界で、元の世界で誰かを守ることができた。
その事実を真夜は嬉しく思う。
うぬぼれるわけではない。自慢をしたいわけではない。感謝されたいわけではない。褒められたいわけではない。
でも……。
「何笑ってるのよ?」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
朱音と渚が怪訝そうな顔をするが、真夜は曖昧に答え、ただどこか満ち足りた笑みを浮かべた。
それはかつての真夜に足りなかった自信の表れでもあった。
かつて蔑まれた少年は、異世界において成長し、帰還を果たす。
これはそんな彼の織りなす新たな物語である。
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