第十六話 始まり


「さてと。これでよし」


 朱音と渚は、真夜を公園のベンチに寝かせると、そのまま事後処理を進めるために行動する。とは言え、二人がすることは多くはない。


 理人は未だに拘束され眠っている。土蜘蛛の生き残りはいない。幻那、銀牙の亡骸は灰になり、狂司はルフにより消滅させられた。


 真夜が眠りについたため、結界の威力こそ弱まったが、それでも健在であり、二人を守るように展開する霊符もまだ残っている。


「真夜が五分って言ってたから、たぶんそれで起きるでしょ。これからの話はそれからね」


 真夜が寝ていては、今後の話し合いをしても意味は無い。勝手に二人で話を進めてもまずい。


「そうですね。五分は周囲の警戒ですか」

「そうね。あんな奴らがまた現れるってことは無いだろうけど、警戒するに越したことはないでしょうし、一応、あいつの方も見ておかないとね」


 拘束されている理人は未だに意識を失っている。身体へのダメージも大きいだろうから、仮に意識を取り戻しても今の朱音や渚に勝つのは難しいだろう。


「はい。もし現れたら、今の私達では太刀打ちできませんね」


 渚の発言に、朱音は思わず押し黙った。同じく自分の言葉に思うところがあった。


「……弱いわね、あたし達」

「……そうですね」


 二人は自分達が退魔師として、若手としては優秀であり強いと思っていた。それは才能もあり、経験に基づいた自信でもあり、同年代や他の退魔師と自らを比べることで得た情報と客観的な考えであった。


 それは間違いではない。彼女達は間違いなく強い。


 だが、上には上がいる。そして彼女達は、今宵頂点に近い存在達の強さを目の当たりにした。


「情けないわね。真夜に守られてばかりで。あたしね、自分が真夜を守るんだって息巻いてた。真夜に強くなってほしいって思ってた。でも実際、圧倒的に強くなった真夜を目の当たりにして、言いようも無い不安があるの」


 出会ったばかりの相手に何言ってるんだろ、あたし……。そう心の中で呟く。


「私は、貴方が羨ましいと思っています」


 朱音の呟きに渚はぽつりぽつりと呟いた。


「貴方は私よりも強いです。それに星守君と一緒にいることができている。星守君も、貴方を大切に思っているように感じました」


 常に人を観察し、その顔色をうかがい、上手く物事を運ぶように渚は常に動いていた。それは彼女の処世術。京極の一員であるが、父親にあまり良い感情を持たれていない彼女が、それでもなんとか渡り歩くために必要に迫られて身につけた物。


 だからこそ、朱音の気持ちにも真夜が彼女に対して、気安く接しているのも理解できた。


 羨ましいと思った。彼女の力にも、その立場にも……。


「……すみません。私にこんなことを言われても、ただ不快なだけですね」


 彼女は先ほどの食事の時でも、自分を敵視していた。渚は朱音に向ける感情を、なんとか隠そうとはしているが、隠し切れているか自信は無い。


 いや、彼女は勘が鋭いらしい。自らに向けられている敵意や嫉妬心に気がつかないはずがない。


「あたしさ、正直言って会った時からあんたのことが嫌いだった」


 あけすけに、朱音は自らの心を渚に告げる。渚もそれが分かっていたから、そうですかと返すだけだ。


「でも、さっきあいつらに拘束されていた時の言葉を聞いて、凄いって思った。あたしは心が折れかけてた。ううん、正直折れてたわ。でもあれであたしも奮い立った」


 渚があの時、奮起しなければ、朱音はあのまま諦めたままであっただろう。


「それとあんたを嫌ってたのって、嫉妬からだから。あんたもあたしと同じだって気がついてたから」

「同じ、ですか?」

「そうよ。あんたも昔に真夜に救われたんじゃないの?」


 朱音は昔を思い出す。まだ幼く小さかった頃の記憶を。今なお、鮮明に覚えている記憶を。


 泣いている自分を庇ってくれた、一人の少年の姿を。


 朱音の言葉に、渚の目が見開かれた。予想は確信に変わった。


「やっぱりね。どういう状況かは知らないけど、そんなことだろうと思った」

「貴方も、だったんですか? でも火野の宗家の一員で、貴方ほどの実力も才能もあった貴方が……」

「昔はそうでもなかったから。それにあたしってこんな容姿でしょ? それでね」


 昔のことを思い出し、朱音は苦笑した。火野の宗家の人間ではあるが、その日本人離れした容姿に対して、昔は色々と言われた。それも六家の会合の時に。だからこそ、彼女は六家の会合に積極的に出なくなった。


「まっ、今となってはどうでもいい話よ」

「……強いですね、貴方は」

「さっき散々自分の弱さを思い知らされたわよ。心が折れなかったあんたの方が強いわよ」


 朱音は自分が折れたのに、折れなかった渚の心の強さを羨ましく思った。お互いに、自分には無い物を持つ相手だからこそ、反発したのかもしれない。


「それにあたしって、自分で言うのもなんだけど、裏でこそこそとか、陰口とかそういうの嫌いなの。だからやるなら正面から真っ向勝負よ」


 きょとんとする渚に、朱音は言葉を続ける。


「あんたには負けない。これは宣戦布告。ただそれだけ」

「火野さん」

「朱音で良いわ。あんたの顔と名前は覚えたわ。あたしも渚って呼ばせてもらうから」


 朱音は手を出す。握手しようと言っているのだ。


「仮にも一緒に死線を乗り越えた仲よ。何かしら、仲間? 友人? それともライバル?」


 朱音の言葉に少しだけ間を置き、渚はくすりと笑みを浮かべた。


「な、何よ!? 何がおかしいのよ!?」

「いいえ、すみません。少し驚いて。そんなことを言われたのは初めてです。実は私、友達が少ないんです」


 と言うよりも、恥ずかしながら皆無と言って良い。知り合いは多いが、気の許せる間柄の人間はいない。


 退魔師仲間も京極の人間ということで、一族以外に知り合いはいても共に戦う者はおらず、一族の中ではその特殊な立ち位置により、信用も信頼もできない者ばかりで、本音で話せる相手がいなかった。


「あっ、そうなの。じゃあ友達で良いわ。いえ、でも友達兼ライバルね」

「火野さんは「朱音」、……朱音さんはそれでいいのですか?」


 強引に名前の呼び方まで強制してくる朱音に、少しだけたじろぎながらも、どこか嬉しく思ってしまう自分がいることに渚は気づく。


「いいわよ。あたしは負ける気はないから。それと昔のこともあって、裏でコソコソとか大嫌いなのよ。それに渚には二つほど借りを作ったから」


 心を奮い立たせてくれたことと、真夜の帰還の際に呆けていたところを連れ出してくれたことである。


 渚としては土蜘蛛の時に一度助けてくれているので、そこまで借りを作ったという感覚は無いのだが。


「朱音さんは変わってますね。六家の中では他家に嫌われてる京極の人間を友達にしようなんて。しかも嫌いな相手だったのでしょ、私は?」

「どうせあたしは変わり者ですよ。火野でも散々言われてるから今更よ。それと今はそこまででもないわよ。昨日の敵は今日の友よ」

「漫画ですか? 普通、そんな考えはしないでしょうに」

「良いのよ。あたしの好きな言葉なんだから。あたしはあたしのやりたいようにするの。その方が楽しいでしょ?」


 あっけらかんと言う朱音に、渚は裏があるのではないかと疑ってしまうが、彼女の霊感が告げている。朱音は本気であると。


 それに今まで聞き及んできた火野朱音の人物像と、短い時間ではあるが、真夜との掛け合いや戦いでの姿、追い詰められ、命の危険にさらされた際の姿を見て、彼女が本心で言っていると理解できたから。


「……そうですね。でもそういう生き方は私には難しいです。だからこそ、朱音さんを羨ましく思います」


 渚はスッと自らの手を出し、彼女の手を握る。


「でも私も負けませんから」

「上等よ」


 二人はどこか不敵に笑い合う。


(………やばい。起きるタイミングを逃した)


 そんな中、一人起きるタイミングを逃し、目を閉じたまま二人の会話を盗み聞きする格好になった真夜は、どうしたものかと悩むのだった。



 ◆◆◆


 暗い深い森の中。その一部に、木々が綺麗に円の形に無くなり、整地された広場があった。


 夜の月が辺りを優しく照らし出すが、その空間だけはどこか寒々しく、重苦しく淀んだ空気が流れている。


 強固な結界に守られ、何人も近づくことも視認することもできない場所。その中心部には巨大な祭壇が設けられていた。石でできた巨大な祭壇。


 その地面には巨大な六芒星が描かれていた。四方にはかがり火が灯られており、荘厳な雰囲気が周囲を包んでいる。祭壇の中央には石碑とその横には黒い柩が横たえられていた。


 さらにその陣の端には、多くの人影が見て取れる。その数は百人(・・)。どこか一般人には見えない。裏社会の住人達。日本人だけで無く、外国人風の容姿の人間もいる。


 彼らは皆、虚ろな目つきで、その場に留まり続けている。


 と、陣が発光しだした。六芒星が光り輝き、周囲を染め上げる。


「がっ、あぁぁぁぁっ!」

「ぐわぁぁぁっ!」

「ぎゃぁぁぁっ!」


 周囲にいた百人の人間が一斉に苦しみだした。虚ろな目の彼らだったが、突如襲い来る身を切り裂かんばかりの痛みにのたうち回り、白目をむき汗と涎をまき散らす。


 彼らから陣に吸い取られていくのは、生命力。そしてその魂である。


 強制的に肉体から魂が引きはがされ、陣がそれらを一斉に取り込んでいく。空に浮かんでいた月を覆い隠すように、分厚くどす黒い雲が祭壇の真上に浮かぶと、それらに向かい陣から膨大な霊力がとぐろを巻き打ち上がると、激しくぶつかり合う。


 稲光が周囲に走り、雲の中央に大きな穴を出現させる。そこからひときわ大きな、霊力で構成された雷が祭壇に降り注ぎ、黒い柩へと直撃した。


 黒い柩はバラバラになる。周囲の陣に満ちていた霊力が霧散し、悶え苦しんでいた者達は皆、ひからびてミイラと化していた。


 壊れた柩の中には黒く焼け焦げた人型の物体があった。


 雲は消え去り、辺りには再び静寂が訪れる。


 カタカタカタ。


 壊れた柩の破片が音を立て始める。周囲に満ちていた霊力が一気に黒く焼け焦げた人型に吸収されていく。


 変化が訪れる。黒い部分が、まるで殻か蛇の脱皮する鱗のように剥がれ落ちていく。


 そこから見えるのは白い肌。それはゆっくりとつま先から足、胴体、首へと進み頭部へと進む。


 剥がれ落ちる黒い物体の中から、はっきりとした人間の姿が現れる。


 どこまでも透き通るような白い肌。整った顔立ち。年齢は十代半ばから後半だろうか。白い髪の少年だった。


 その少年はゆっくりと目を開ける。紅と蒼のオッドアイ。


 上半身を起こし、ゆっくりと自分の姿を観察する。


 そして……。


「お、おおぉぉぉぉぉっっ!」


 声を上げると、膨大な妖力と霊力を同時(・・)に解放する。


 祭壇が吹き飛び、周囲に展開された強固な結界が音を立てて軋み、吹き飛びかける。


 すべてを破壊し尽くさんばかりの力。圧倒的なまでの力がそこにはあった。


 少年は立ち上がると、一糸まとわぬ姿にて、周囲を見回す。


「こ、これは! お、おおっ! せ、成功されたのですか!?」


 不意に、声がかけられる。少年が声のする方を見れば、黒いローブと三角帽に身を包んだ、身長がかなり低い、百二十も無いような老婆の姿があった。鷲鼻で、見る者が見れば魔女だと言うだろう。


「……ああ。なんとか成功した。泰山府君の祭と反魂の術を融合させた、転生の秘術がな」


 泰山府君の祭。それはかつて安倍晴明が使ったとされる延命の術。


 反魂の術。それは一度失われた命を再びこの世に呼び戻す術。


 だがそれを少年は自らの転生を行うために改良し、二つを組合せ、転生の術式として作り上げた。


「し、しかしこの儀式は生け贄を百八人集めてからとの話。まだ生け贄の数は集まっておりませんでしたし、それにこのような急に……。はっ、もしや貴方様の身に尋常ならざる事態が!?」


 老婆の言葉に少年はふっと自嘲気味な笑みを浮かべた。


「ああ。我が身は先ほど一度滅びた。完膚なきまでに叩きのめされ、滅せられた。銀牙も、弥勒も八城も失った」

「な、なんと!? そ、そんな馬鹿な! 貴方様を倒す者がいるのなどと! それにあの三人までも!?」


 目に見えて狼狽する老婆に、少年はぐっと拳を握りしめた。


「銀牙と弥勒は滅せられた。八城はおそらくは捕らえられた。そこから私の情報が出回る可能性があるな」


 だが理人が知っている情報など、一部でしか無い。アジトも別段、ダミーに使っていた場所しか教えておらず、肝心な情報は一切与えていない。仮に露見しても問題ない情報ばかりである。


「今回は私の失態だ。だが、なんとか首の皮一枚繋がった。賭けではあった。もし我が魂が封じられるか、消滅させられていては、転生はできなかった」


 転生のためには、その魂が通常のプロセスで冥府へと誘われていなければならない。


 魂を封じられる、あるいは消滅させられてはこの儀式は発動しなかった。


 ただこの儀式は、本来は百八名の生け贄を揃えてから行うはずだった。そこからさらに入念な準備を行い、実行は月から溢れ出る霊力が最大になる満月の夜に計画されていた。


 だがそれでも、自らの身に何かが起こった際は発動できるようにはしていた。


 危険な賭けであった。百の命では術式が発動しない可能性もあったし、発動しても不完全であれば転生できたとしても、想定していたほどの力を得られなかった可能性がある。


「で、ですが三人を失っても、この儀式が成功したのであれば、それは十分に釣り合いが取れます! 今の貴方様は、おそらく覇級の上位の力を手に入れられました! この力があれば京極など!」

「いや、これでは足りぬ」


 老婆の言葉を少年は切って捨てた。


「本来、この儀式が成功していれば、私は神級の力を手に入れていたはずだ。それにこの肉体もだ。想定では最も肉体の力が高まる二十代半ばになる予定だった」


 人では抗うことのできない最強の力を得て、何の懸念も憂いもなく京極を滅ぼす予定であった。


 そのための力を得るために生贄を集めていた。


「し、しかしそれでもこれほどの力! それに今の貴方様は霊力と妖力の二つを操れる! もやは何人も貴方様を害せる者など存在するはずが!」

「いる」


 だが少年は即座に否定した。


「いるのだ。私を害せる者が。私を圧倒する者が。今のこの私でさえも、勝てないと思わせる存在が!」


 それは自分を葬り去った少年の姿。圧倒的と言っても過言ではない力。そしてそれが従える堕天使の姿。


「……今はまだ、私は奴には勝てない。奴は私が京極を滅ぼすことへの最大の障害となるだろう」


「だが私は必ずや、京極を根絶やしにしてくれる。たとえどのような相手が立ちはだかろうともな」


 銀牙を倒し、自身をも一度滅ぼした相手を憎く思うと同時に、なんとしても倒したいと思う心もあった。


 無論、京極を滅ぼすことが、最大の目的ではある。しかし再び相対することになれば、必ずや討ち倒す。


 だからこそ、自らを鍛えなおす。今のままでは、あの少年には勝てない。幸い、この肉体に転生し、その可能性は見えた。


「しばらくは計画の練り直しと鍛え直しだ。そして、必ずや、京極を滅ぼし、銀牙への弔いもしよう。婆よ、今しばらく私に力を貸してくれぬか?」

「は、ははぁっ! この婆、命尽きるまで貴方様にお仕え致しますじゃ! 何とぞ、この婆をお使いくだされ、六道幻那様!」


 今宵、最強の妖術師が倒され、さらなる力を得て再び転生することになったことを、真夜は知る由も無かった。


 そして彼が引き起こす事件もまた、真夜だけではなく京極や他の六家も気がつくことは無いのだった。



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