第十四話 決着

「これで一人目」


 銀牙の頭部を粉砕した真夜は、相手が完全に死んでいるのを確認すると、ゆっくりと幻那達に向き直る。


 手には返り血はついていない。霊力と霊符で防御した。


 妖魔の返り血など、どのような毒や呪いがあるのかも分からないのだ。浴びないに越したことは無い。


 真夜が銀牙から離れると、堕天使のルフがその亡骸に手をかざす。直後、銀牙の亡骸が炎に包まれた。


 死んだ相手の肉体を放置することはしない。異世界ではアンデッドになったり、魔術師がその肉体を操り攻撃をしてきたりする場合もある。また怨念となり、その魂だけが動き出すこともあり得る。


 だからこそ完全に敵の肉体を滅ぼす必要がある。


「銀牙……」


 炎に包まれ、消滅していく銀牙の姿をどこか悲しそうに見つめながら、幻那は自分に付き従っていた忠臣の名を呟く。だがその表情もすぐに引き締める。


 感傷に浸っている場合ではない。気を抜けば、次は幻那がああなるのだ。


(だがお前の犠牲は無駄ではない。多少なりとも時間は稼げた)


 幻那は自らの展開できる最大の攻撃の準備を整えた。右手に顕現させた妖力の太刀がさらに力を増し、周囲に黒い妖気をまき散らす。彼の右手に握られているのは、太刀と言うには短く小さな刀だった。


 しかし見る者が見れば、即座に理解できるだろう。その小さな刀から放たれる圧力と妖力は尋常ではない。


「凄い妖力だな」

「貴様がそれを言うか。だがこの刃ならば、貴様の防御も切り裂ける。その堕天使にも明確なダメージを与えられよう」


 断絶の太刀。幻那が名をつけたこの術は、自らの妖気を極限にまで圧縮し、太刀とする。


 退魔六家の霊器を作り出すのと似た物だ。特筆すべきはこの術は、ありとあらゆる霊術を切り裂く効果がある。展開に時間がかかるのが欠点だが、これを発動させればどれだけ強力な霊術でも破壊できる。


(これで結界を切り裂くことも可能だが、そのような隙を見せてはくれんだろうな)

(あれなら今の結界も切り裂けるだろうな。だがその隙は与えない。ここで確実に仕留める)


 一度出し抜かれている真夜としては、幻那に二度目を許すつもりは無い。


 幻那も真夜を出し抜けるとは考えていない。


 ならば両者とも、正面から相手を倒すしか方法が無い。


(さてと。あれは今の俺でも厄介だな。霊符二枚じゃ少し心許ないが、結界と二人の防御を外すわけにはいかないからな。ルフもいるしな……。けどルフには朱音達の方も見てもらわないとダメだし、他の二人にも意識を向けておいてもらうか)


 一人ずつ、確実に潰していく。それに理人と狂司の強さはおおよそ把握できた。


 幻那の力はまだ把握し切れていないので、こちらはさらに注意が必要だし、できれば集中したい。


 すべての霊符が手元にあれば、もっと余裕を持てるのだが。いやせめて六枚あれば……。


(………いや、それでも勝つだけの話だ)


 真夜は右手に霊力を収束し、幻那の剣に対抗しようとする。さらに霊符二枚が真夜の拳の前に浮かび、魔法陣のような幾何学模様を展開する。


 バチバチと霊符に流れる霊力が多くなり、発光と共に音を立てている。霊符によりさらに増幅された霊力は、幻那の太刀をも上回っている。


(凄まじい霊力だ。これほどの存在が、今まで無名だったとはな。だがこの男を倒さねば、私に未来は無い。いや、ただ京極を滅ぼせるのならば未来など必要ないが、その悲願を達成するまでは、朽ち果てるわけにはいかんのだ!)


 幻那も覚悟を決める。この太刀ならば、霊力の差にかかわらず、真夜の右手の霊力も切り裂けるはずだ。


 しかしそれでも確実に切り裂けるという自信が持てない。さらに先の一撃以来、動こうとしない堕天使も不気味だ。


「おぉぉぉぉっ!」


 己を鼓舞するように声を張り上げる幻那は、そのまま一足飛びに真夜との距離を詰める。


「はぁぁっ!」


 真夜も気合いを込め、幻那との距離を詰めると、拳と刃を交差させるのだった。



 ◆◆◆


「マジで化け物じゃん!」


 銀牙をあっさりと粉砕した真夜の姿に、狂司は戦慄していた。自分も含め、銀牙は妖魔のランクにすれば特級の上位クラスに位置する。単純な妖力だけではなく、人間と同じような知性を持つゆえに、知能の低いだけの同クラスの妖魔よりも強いという自負があった。


 しかしそれはあっさりと崩されることになる。


 今もなお、幻那とまともにぶつかり合う真夜の姿に恐怖を覚える。互角、いや、真夜の方が優位にも見える。


「くっ。なんなんや、あいつは。ボスでも勝てるか分からんやないか」


 理人も自分がどう足掻こうが、絶対に勝てない相手だと認識した。初めて幻那に会った時もその力の差に恐れを抱いたが、今の真夜達はその上を行っている。


 なんとかこの場から生き残る、逃げる算段を企てる。


(正直、僕一人でも生き残れば良いんだよ。六道様や八城ちゃんがどうなろうが、知ったことじゃないしね)


 狂司が幻那に協力しているのは、その方が自分の欲望を効率よく満たせるためだ。


 仲間意識は特にない。ただ利用しているだけである。


「こうなれば……」


 狂司は正攻法ではどうにもならないと感じ、他の有効な手を取ることにする。ちらりと朱音達の方に視線を向ける。同じように彼女達も真夜と幻那の戦いに意識を集中させている。


(あの二人がにらみ合っている今なら、あの女の子二人を襲って人質にできるんじゃないかな。あの堕天使もあの二人が激突すれば、こっちに構う余裕もないはず。人質を作れれば、形勢逆転だ)


 彼女達を守る障壁もかなりの強さを誇っているが、狂司はすべての力を一撃に込めれば、破壊できるだろうと考える。もはやそれしか、自分が生き残る道は無いと彼は考えた。


 狂司は真夜と幻那が同時に動き出したタイミングで、朱音達の方へと駆けだした。


「っ! お前!」


 行動を起こした狂司に理人は思わず声を上げる。彼の狙いが分かったからだ。


 もし打ち明けられていたとしても、その行動を躊躇した可能性が高い。それがわかっている狂司は理人を置き去りにして朱音と渚に接近する。


「っ!?」

「なっ!」


 狂司の接近に気がついた二人は、いきなりのことに驚きを隠せないでいたが、それでも即座に臨戦態勢を取った。


 真夜の方に意識の大半は傾けていたが、それでも周囲への警戒は怠っていなかったので、なんとか行動を移せた。


「遅いよ!」


 しかしそれでも自らの方が早いと、狂司はそのまま拳を振りかざし、二人を守る結界を破壊しようとする。


 だが……。


「何っ!?」


 朱音達と狂司の間に、突如として漆黒の堕天使が出現した。彼女は瞬間移動したかのように、二人を庇うようにその前に浮遊し、狂司に向けて微笑を浮かべる。


 狂司の攻撃は彼女が突き出した左手に、あっさりと受け止められた。


(あっ、これまずっ……!)


 今度は右手が前に突き出されると、黒紫色の光があふれ出す。狂司はとっさに逃れようとするが……。


「ぐっ、ぎゃぁぁぁぁっっ!!!」


 地面から無数の黒い隆起物が出現し、狂司の身体を貫いた。四肢に、胴体に、無数の風穴を開けられ、大量の血を滴らせる。


 黒い槍とも言うべき物は、狂司を貫いたまま、空中に固定する。


「がっ、はぁっ……ひゅぅっ……、ひゅぅっ……」


 喉元も肺までも貫かれたことで、息がまともにできない。苦しい、痛い。


(痛い、痛い、痛いっ!)


 全身を焼けるような熱さと痛みが走り抜ける。如何に妖魔とて、致命傷とも言えるほどの傷だ。真夜に貫かれた場所だけでも問題なのに、全身を串刺しにされたのでは、もはやまともな方法では助からない。


(こ、このぉっ……)


 堕天使を睨みつける狂司だが、その視線と殺気を向けられても、彼女は微笑を浮かべたままだ。眼帯に覆われている瞳は見ることはできないが、それでも理解できることがある。


 この存在は、決して自分を逃しはしないと。


(こ、この僕がこんなところで!)


 嫌だ。まだ死にたくない。消えたくない。まだまだ遊び足りない。もっと女の子で遊びたい。


 そんな狂司の思考を余所に、堕天使が右手を彼に向ける。掌の先にバスケットボール程度の大きさの黒紫色の球体が作り出されると、彼女はそれを狂司に向かい解き放つ。


「ぐ、ぐがぎゃぁぁぁぁぁっっ!」


 球体が狂司の肉体を吸い込んでいく。否、分解していくのだ。黒い球体はどんどん広がると、狂司の身体を飲み込んでいく。


(な、なんだよ、これっ!? いったい、何がぁっ!?)


 慌てふためく狂司だが、彼は何もできないまま、身体を分解されていく。肉体は妖気の粒子になり、黒い球体に飲み込まれていく。


 彼は悟る。ここで自分は終わるのだと……。


(畜生……、こんなことになるんなら、あの娘に手を出すんじゃ……)


 ぷつりと思考が途切れ、弥勒狂司と呼ばれた存在は消滅した。彼は肉体も魂までもすべてを分解され、飲み込まれた。


「Aaaaaaaaaaa!!!」


 狂司の消滅を確認したルフは、自らの勝利を確かめるように、天に向かい声を張り上げる。


 さらにルフはその手を理人の方にかざす。


「な、なんや! 動けへん!?」


 彼の身体を地面から出現した、無数の黒紫色の鎖が絡め取り拘束を行う。なんとか振り払おうにも、破壊しようにも、鎖はビクともしない。霊力の放出や鎖を掴み凍らせようと試みるが、逆に霊力は弾かれ掴んだ掌が傷ついた。


「があぁっっ!」


 霊力が鎖からあふれ出し、理人の肉体に大きなダメージを与える。


(くそったれ……。俺もここで終わりかいな)


 理人の脳裏、一人の少女の姿が浮かぶ。


(すまんな、志乃。お前を助けてやれんで……)


 心の中で少女に謝罪すると、そのまま理人は意識を手放した。


「……凄まじいですね」


 堕天使の姿に、渚は驚愕していた。突如として現れ、狂司に手も足も出させずに討ち滅ぼした。並大抵の威力では、狂司の肉体を傷つけることもできないであろうに、彼女の攻撃はあっさりと彼の身体を貫いた。


 転移能力もあり、攻撃力も高い。狂司の一撃を受け止めたことにも鑑みれば、その防御力もかなりのものだろう。


 理人に関しても片手間のように、あっさりと倒している。彼も退魔師としてみれば、決して弱い相手ではない。それをいとも容易く倒す彼女の力は、想定を遙に凌駕している。


「守ってくれるの?」


 朱音がぽつりと呟くと、堕天使は彼女達の方に振り返り、先ほど浮かべた微笑とは異なる、どこか優しげな笑みを浮かべた。見る者を魅了する魔性の笑みだろうか。朱音も渚も思わず見とれてしまった。


「Aaaaaaaa!!!」


 ルフはさらに強固な結界を彼女達の周囲に展開する。残っているのは幻那のみだが、万が一も無いように、彼女達を守るべく結界を展開した。


「待って! あたし達はいいから、真夜を助けてあげて!」


 朱音はルフに懇願する。自分達よりもあの男と戦っている真夜の方が気がかりだったからだ。


「はい。星守君の結界もあります。自分の身は自分で守るようにします。ですから、星守君を」


 渚も同じようにルフに言う。そんな二人に彼女はどこか苦笑した。


 それはまるで、真夜ならば何も問題ないとでも言っているようだった。


 ルフは真夜の方へその指を向ける。釣られ、二人もそちらに視線を向ける。


 彼を見守りなさい。そう言われたような気がした。


「……わかったわ。じゃあここで、真夜の勝利を見させてもらうわ」


 朱音はそれだけ言うと、じっと真夜の戦いを見守る。今なお、幻那と攻防を繰り広げている彼の姿を。


(星守君……)


 渚も胸元に手で押さえながら、心の中で真夜の勝利を願う。


 決着の時は近い。



 ◆◆◆



「おおぉっ!」

「はあぁっ!」


 刃と拳がぶつかり合う。しのぎを削り合う霊力と妖力の二つの力。


 幻那の体術は銀牙をも上回っていた。身体能力も銀牙ほどではないにしろ、人間を大きく上回っており、さらに妖力で底上げしているようであり、格闘術も真夜を以ってして押し切れないほどにレベルが高かった。


 だからこそ、幻那は接近戦でも真夜と戦えていた。


 幻那の刃は確かにすべての霊術を切り裂く。真夜の防御も例外ではなく破壊されている。


 それでも瞬時に破壊されることはなく、僅かながらに持ちこたえられる。


 真夜は二枚の霊符を巧に使い、幻那の攻撃に対処している。


 二枚の霊符が交互に入れ替わることで、破壊されれば展開したもう一枚の霊符が前に出て、瞬時に破壊されたもう一つの霊符を展開し直すというのを繰り返す。


「その太刀も大したことないな!」


 真夜はあえて挑発する。こんな安い挑発に乗る相手ではないだろうが、どんな反応をするのか。そこから隙が生まれる可能性もある。


 真夜もいつまでも受け身にいるつもりはない。そんなことを繰り返していれば、遠からず霊力が底をつくだろう。


 だから狙うは……。


「下らん挑発だな! だがあえて乗ってやろう! 貴様の防御をただ切り裂くのみ! これを受け止められるか!」


 幻那は妖力をさらに高め、一撃の下に真夜を切り伏せようと太刀を横薙ぎに振るう。幻那もあえて挑発に乗り、真夜が受け止めるような言葉を紡ぐ。


 受けるか受けないか、どちらでも構わない。


 幻那は今までの攻防で、この速度と威力ならば二枚の霊符を同時に破壊できると確信したからだ。


「貰った!」

「悪いがそれは無理だな!」


 真夜の右手に新たに三枚(・・)、計五枚(・・・)の霊符が出現した。


 五枚の霊符が起点となり、五芒星の陣を浮かび上がらせる。浮かび上がった五芒星は幻那の太刀を受け止めると、その力を幻那に向けて反転させ、反射した。


「なっ!?」


 断絶の太刀の力が刀身に跳ね返り、そのまま太刀を握っていた右手をも破壊した。


 真夜は結界を構成していた八枚の霊符のうち、三枚を瞬時に手元に召喚し、引き寄せた。


 銀牙を倒し、ルフが狂司と理人を倒したのを確認すると、結界の強化をルフに任せた。真夜ほどではないが、彼女の結界も強力だ。いや、力任せならば真夜以上の物が展開できるだろう。


 真夜に集中していた幻那では、あのタイミングで結界が弱まったとしても、即座に行動に移せないと考えた。


 だからこそ、真夜は反撃のために霊符を手元に戻したのだ。霊符による反射術。霊符五枚から使用可能な術である。


「くっ!」


 吹き飛んだ右手に意識を向けるが、それも一瞬だ。


「舐めるなぁっ!」


 咆吼とともに、残った左手で咄嗟に未だに顕在していた太刀を掴むと、そのまま真夜の身体に突き立てようとする。


「はあぁぁぁぁっ!」


 しかしその刃が真夜に突き刺さる前に、幻那の身体を真夜の左手が貫いた。


「がはっ!」


 口から血を吐き出しながら、幻那の身体が後方に大きく吹き飛ぶ。見ればその身体には大穴が空いていた。


 幻那はそのまま大地に大の字に倒れ込むと、ぜぇぜぇと息を荒らげたまま視界が定まらず、ぼやけた瞳で頭上を見上げる。


(こ、この私が敗北するなど……。なんと言う強さ……だ。しかも堕天使の援護をあまり受けず単独で……)


 気配が近づいてくる。この状況を放置する相手ではないことは幻那は理解している。


「これで終わりだ」


 真夜の声が幻那の耳に届く。とどめを刺すつもりだろう。


「くっ、ここまでか……。貴様はいったい……。冥土の土産に、貴様の名を教えてはくれぬか?」


 しかし幻那の問いかけを真夜は無視した。冥土の土産に勝ち誇ることも、自らの情報を与えようともしない。


 この状況でも会話をするつもりも、余裕を見せるつもりも無く、ただ淡々と勝利を収めようとしていた。


 その様は、いっそ清々しいと幻那は感じた。


(京極を、滅ぼせぬまま……ここで朽ちるのか……。だが、ま、だ……)


 真夜は幻那の身体に容赦なく霊力の籠もった拳を叩き込み、息の根を完全に止めるのだった。


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