第十三話 強者


「よもや異界から簡単に戻ってくるだけではなく、このような切り札まで存在していようとはな」


 冷や汗を流しつつ、幻那は真夜と再び向き直る。


「まあな。俺も油断した上に、ヘマしたよ。まさか初手であんな手を打ってくるとはな」


 自分自身に直接影響を与える術は防げるようにしていたが、まさか空間ごと転移させられる術に巻き込まれるとは思わなかった。いや、予想はしておくべきだった。これは自らのミスだ。


 もしこれでマグマや地面の中など、人間が生存できない環境下へと転移させられていれば、その時点で真夜は敗北し、死んでいた。


(くそ。異世界から戻ってこられたことで、気が抜けすぎてるだろ。あんなもん、発動される前に気づけよ)


 そのおかげで、朱音や渚が危険な目に遭っていた。なんとかギリギリ間に合ったが、間に合っていなかったら悔やんでも悔やみきれない。


「俺がいない間に、二人が世話になったみたいだな」

「ふっ。そうだな。だがこれでお前とは本格的に戦わなくてはならなくなったな」

「そうだな。俺も元々お前らを見逃すつもりはなかったが、余計に許せなくなったからな」

「あの二人を傷つけられそうになって、怒り心頭と言ったところか?」

「それもあるが、あんな簡単な罠にはまった自分自身への怒りもある。悪いが八つ当たりをさせてもらうぞ」


 公園を完全に隔離するかのように、真夜は結界を強化した。


「これは!?」


 幻那は何度目かになる驚愕の表情を浮かべる。


 真夜の十二枚の霊符の内、八枚を使用して展開された結界は、先ほど幻那が力尽くで破った物よりもさらに破壊が困難な物になっていた。


(これで良し。八枚での結界だ。さっきの五枚よりもさらに強力だ。それにこれで転移も封じた)


 真夜は先の失態に鑑み、結界による転移系統の術式の阻害を行なった。転移の術は高度で使い手はほとんどいない。その中でも幻那は最高クラスの使い手であった。


 だが強固に展開された結界を突き破れるかと言えば、その限りではない。並の結界ならば突破は可能だが、この結界では突破は不可能に近い。


(先ほどの転移で完全に警戒されたか。これでは逃げることも叶わんか)


 幻那としては、できるならば逃げの一手を打ちたかったが、それも阻止された。結界の破壊は先ほどよりも困難になった。


 結界の破壊に集中できれば可能性は無くも無いが、残りの三人では時間稼ぎもままならないだろう。


(ともすれば、この場を切り抜けるには、あやつらを倒さねばならんということか)


 幻那の見据える先には、強大な力を有した堕天使と、理人と狂司を圧倒した少年がいる。


 その気配や佇まいからは、歴戦の強者を彷彿とさせる。


 真夜一人だけならば、まだなんとかなっただろう。


 しかしあの堕天使は完全に予想外だ。


(今のこの私が、ここまでの覚悟を決めねばならん相手か。……だが私は負けぬ。京極を滅ぼすまでは、決してな!)


 幻那は覚悟を決め、妖力を解放する。


 朱音や渚を人質にという考えもあるが、すでに距離を置かれた上に、真夜の防御結界が展開されている。あの結界の破壊は、理人や狂司では荷が重い。銀牙でもかなりの時間が必要になるだろう。


 結界の破壊に向かえば、確実に真夜が邪魔をする。一対一に持ち込んでもいいが、その間にあの堕天使に残りの三人を確実に殺されてしまう。


 ならば最初から、余計な隙を見せることはせずに、真夜のみに集中することにしたのだ。


「お前達! 生き残るには、もはやあやつらを倒す以外には無い! 転移は封じられた! まともに逃げることも叶わぬ! ならば命を捨てる覚悟で彼奴を倒すだけのこと!」


 不退転の覚悟で幻那は自らと仲間を鼓舞するように、声を張り上げる。


「はっ! 仰せのままに!」

「ちょっ! マジで!? あんなのとやり合うわけ!?」

「四の五の言うてる暇は無いやろが! 全力でやらな、あっさり殺されるやろうが!!」


 四人が撤退ではなく、真夜との戦いを行うことを選択したことで、真夜もまた全力で迎え撃つ。


(逃げ道は完全に塞いだ。転移もできず、結界に阻まれて簡単に逃げることもできない。なら残る方法は俺を殺して、結界を解除するしかないからな)


 背水の陣で臨む四人の姿を、真夜は油断無く観察する。結界の構築に霊符を八枚も使用した。さらに二枚は朱音と渚の防御に回している。手元にあるのは残り二枚のみ。


(朱音も京極も大きく離れてくれて助かった。これで少なくとも、すぐに人質にされることは無いし、霊符の守りがあるから、簡単に手も出せない)


 余裕を持って、霊符をもう少し手元に残しておきたかったが、あの四人に逃げられでもすれば、さらに厄介なことになりかねない。だからこそ、霊符は結界の構築に大部分を回したのだ。


(二枚で十分とは言えないが、ルフもいるからな。圧倒的不利な状況でもない)


 二対四。数でこそ負けているが、ルフの存在は大きい。いや、仮にルフがいなくとも決して負けはしない。


「ここでお前らを倒す!」


 真夜は霊力を高める。体外へ放出することこそできないが、その身から溢れる霊力は、幻那の妖力に比べてもなお勝っている。


「Aaaaaaaaaaaa!」


 さらに堕天使も声を上げ、力を解放する。両腕と六枚の翼を広げただけで、先ほど以上の力が放たれる。二つの強大な力が大気を震わせ、地鳴りまで起こしている。


「化け物どもめ!」


 幻那は自身のことを棚上げして、真夜に対して悪態をつく。堕天使だけでも厄介なのに、それに近い力を持った召喚者など、悪夢でしか無い。


「狙うはあの小僧のみ! 堕天使には極力手を出すな!」

「手を出すなって言っても、向こうはそんなのお構いなしで来るやろ!? 隙を見せたらやられるで!」

「だが奴を倒さねば結界は消えん!」


 理人の言葉に、幻那も苛立ちを隠せない声色で答えた。


「ああっ、もうっ! なんなの! ほんとなんなのさ、あいつら! あんな化け物がいるなんて、聞いてないよ、まったく!」

「無駄口を叩くな! あの小僧と化け物を殺す。ただそれだけだ!」


 狂司の言葉に銀牙はなんとしても真夜を殺そうと気炎を上げる。


 それぞれに覚悟を決め、真夜と相対しようとする。


「オオォォォォォッ!」


 銀牙が空に向かい咆吼を上げた。すると彼の着ていたスーツとワイシャツが破れ飛んだ。


 上半身の肉体が膨張し、筋肉質になると同時に体毛が上半身全体を覆う。顔が人間の物から狼の物へと変貌し、指先の爪は鋭く伸びた。


 人狼。それが銀牙の正体である。名前のように銀色に輝く美しい体毛が特徴的で、妖力こそ狂司に劣っているが、発せられる威圧感は狂司をも上回っている。


「我が牙と爪の餌食となれっ!」


 斬っ!


 鋭利な爪が振り抜かれると、地面を十の衝撃波が走る。大地を切り裂き、真夜に目掛け襲いかかる。極限まで研ぎ澄まされた刃のごとく、触れる物をすべて切断する十の斬撃。


 しかしそれらは真夜の前面に展開する二枚の霊符により、完全に防ぎきられる。


(鋭く早い斬撃だな。けど魔王に比べれば、どうってことは無い!)


 魔王の攻撃は真夜も全力で防御しなければ、とてもではないが防げないものだった。それに比べれば、銀牙の攻撃など蚊に刺されたようなものだ。


 真夜は体勢を崩すことも無く、ただ悠然と攻撃を受け止める。


「くっ! まだまだぁっ!」


 銀牙は腕を振るい、何度も何度も爪の斬撃を放つ。しかしそのすべてを霊符は完全に防ぎきる。


「まさか、私の爪がまったく通じないというのか!?」

「狼狽えるな! 手を休めるな! 攻撃を続けよ!」

「あいつの体術はかなりのもんや! 接近戦は不利やで!」

「僕と八城ちゃんの二人がかりで押し切れなかったんだからね! 近づくなんて論外だよ!」


 幻那は同じく妖力を収束した光弾を周囲に展開し、真夜に向けて解き放つ。さらに理人も狂司も先ほどの戦闘で得た情報を開示する。


「ならば遠距離から仕留めよ! 奴の霊力とて無限ではあるまい! 防戦に徹させ、消耗を強いろ!」


 圧倒的な力を有する堕天使とて、この世界に留めるにもその力を発揮させるにも、膨大な霊力が必要になるだろう。


 これほどの強大な結界を展開しているのだ。その霊力が無尽蔵でも無い限り、消耗を強いれば維持できなくなると幻那は考えた。


「あやつの防御は強固であり強力ではある。しかしその分、維持にはかなりの霊力を消費する。我ら四人がかりの攻撃を防ぎ続けていれば、遠からず底をつく!」


 だがそれすらも楽観的観測でしか無いと幻那は考える。先ほど考えた真夜の霊力に鑑みれば、相手が先に霊力の底を迎える可能性は五分五分であろう。


(確かにな。俺の霊力も無尽蔵じゃない。けどまだまだ余力はある!)


 真夜は一気に動いた。地面を蹴りつけ、銀牙の方へと急接近する。


「くっ!」


 人狼の超感覚を以ってして、ようやく察知できるほどだ。


「まずはお前からだ」

「舐めるなよ、小僧!」


 優れた身体能力を有する人狼が、高が人間に格闘戦で敗北するはずが無い。銀牙は己のプライドをかけ、真夜に挑む。


 かぎ爪のような指と鋭利な爪は、真夜を切り裂かんと幾度も振るわれる。だがそのすべてを真夜は回避し、あるいは霊符にて防ぎきる。


(こいつも強いが、あいつらには劣る。それに魔王の直属の配下はこいつ並か、それ以上がうじゃうじゃいたからな)


 異世界での経験は、真夜を高みへと昇らせていた。接近戦も勇者パーティーの最強の武人である武王より劣る。いや、勇者パーティーの後衛職の二人以外ならば、余裕で対処する程度だ。


 この世界において、強者と呼ばれるであろう銀牙でさえも、真夜の身体にその爪を突き立てることはできなかった。


「銀牙!」


 幻那は銀牙を援護すべく、周囲に妖力で十三羽の漆黒の鴉を展開すると、一斉に真夜に向かい解き放つ。さら右腕に妖力を収束し、漆黒の太刀を作り出す。


「八城! お前の作り出せる氷狼をすべて向けよ! 数で圧倒しろ!」

「言われんでもそうするわ!」


 十三羽の漆黒の鴉と、理人の二十一体の氷狼が一斉に真夜へ向かい襲いかかる。


 だが真夜はそれらを一瞥すると……。


「……やれ、ルフ」


 真夜が短く言葉を紡ぐ。ゾワリと全身が震え、とてつもない危機感が幻那を襲う。


「Aaaaaaaaaaaaa!!!!」


 漆黒の堕天使の三対六枚の翼が大きく開かれる。漆黒の翼がはためくと、そこから無数の羽根が射出された。


 空間を埋め尽くす程の漆黒の弾丸。幻那が放った鴉達も理人の氷狼達も、すべてが悉く撃ち抜かれていく。


「くっ!」


 幻那はとっさに障壁を展開し、防御する。


(一枚一枚は大した威力ではないが、それでもこれだけの数は!?)


 幻那はそう言うが、一枚で中級妖魔を軽く粉砕できるだけの威力が込められている。数十枚もあれば上級妖魔でも討ち滅ぼせるだろう。幻那達は完全に足止めされた。


「お、おのれぇっっ!」


 幻那への攻撃に、頭に血が上った銀牙は、真夜を睨むと力を解放し、足と右腕に妖力を集中する。


「オオォォォォォォォ!」


 一瞬にして姿が消えまるで瞬間移動したかのような、俊足と跳躍を以って、銀牙は真夜の背後に回り込んだ。


(死ねぇぇぇっ!)


 右腕を振り下ろす。全妖力を収束した渾身の一撃。結界があろうとも、それもろとも切り裂く!


 だが……。


「なっ!? ガァァァァァッッ!?」


 攻撃が当たる直前、振り返った真夜の右腕が振り抜かれると、振り下ろされた銀牙の右手が粉々に砕かれた。


(まだ、だ! まだぁっ!)


 爪が無理ならばその首筋に牙を突き立てるだけのこと!


 銀牙の頭部が真夜の首筋に迫る。


 がしっ!


「っ!?」


 真夜の左手が銀牙の首を逆に掴むと、そのまま銀牙を頭から大地へと叩きつけた。


「がはぁっ!」


 頭部を揺らす衝撃。右手の痛みも相まって、思考がまとまらない。


(あ、あり得ない! なんだ、この男は! 赤面鬼の時に見たこの男が、これほどの強さを持っていたとは! いや、そもそもこの強さはなんだ!?)


 理不尽なまでの強さに戦慄しつつ、銀牙は己の不甲斐なさを呪う。


 何故あの時、この男の強さ、危険性に気がつかなかったのか。気づいてさえいれば、今のこの状況は起こりえなかったはずだ。


(堕天使だけではない! この男もまた! 六道様っ!)


 銀牙が主たる幻那の身を案じるが、その思考もすぐに消えることになる。


「終わりだ」


 銀牙が耳に真夜の言葉が届いた直後。彼が最期に見たものは、己の顔面に向けて無慈悲に振り下ろされる真夜の右手だった。それを境に、彼の意識は永遠に途切れるのだった。


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